4.塩と高血圧
食塩摂取量と高血圧との関係が取り上げられてきた歴史的な経過を見ると、科学的な根拠が薄弱な疫学的
事実からの仮説から始まり、仮説の証明をしようとする研究の中でいろいろな事実が明らかとなって来た。保健
政策として減塩活動が推進されてきたが、今一つ明確な因果関係を示せなかった。そこで精密で厳格な方法で
国際的に大規模な疫学調査で因果関係を明確にしようとしたが、その結果は期待外れに終わり、益々混迷を
深めることとなり、全ての人に一律の減塩を求める政策を巡って様々な議論が続いている。以下少し詳細に個
別の話題を紹介する。
高血圧はいろいろな要因によって発症する疾患であるが、その一つに食塩摂取量がある。塩が高血圧症
を引き起こす原因物質ではないか、と言う食塩仮説は半世紀ほど前に発表された疫学調査の結果からダール
が提案した説である。ダールはその仮説を証明するためにラットに食塩を付加した実験を行った結果、食塩摂
取量によって血圧が上昇するラット(食塩感受性ラット:SSR(Salt Sensitive Rat))と上昇しないラット(食塩抵抗
性ラット:SRR(Salt Resistant Rat))がいることを発見した。しかし、食塩仮説を証明することはできなかった。
ラットで食塩感受性が発見されたが、ヒトでも同様に食塩感受性があることが発表された。食塩感受性のヒトの
比率は20〜30%と低く、高血圧者でも50%以下であると言われているが、食塩感受性であるかどうかを簡便に
明らかにする方法は今のところない。また、食塩感受性の定義も研究者によって異なる。
その後、高血圧になるラットの交配から食塩を負荷しないでも自然に高血圧症を引き起こすラットが選抜さ
れ、高血圧自然発症ラット(SHR:Spontaneous Hypertensive Rat)と命名された。このラットに食塩負荷すると
高血圧発症率が高まる。さらに、この系統のラットの交配により自然に高血圧になった上に必ず脳卒中を起こ
して死亡するラットが選抜され、脳卒中易発症性自然発症高血圧ラット(SHR-SP:Spontaneous Hypertensive
Rat- Stroke Prone)と命名された。このようにして高血圧症を研究するモデル動物が開発された。また、この
ことから高血圧は遺伝性の疾患であることが判った。
食塩と高血圧との関係は疫学調査から推定され、数々の疫学調査が行われた来た。しかし、結果に再現性
がなく、これは調査条件の曖昧さと不統一によるとされ、厳密な条件設定と統一された手法により大規模な疫
学調査を行ってこの関係に白黒をつけようとしたインターソルト・スタディの結果が発表された。結果は食塩と
高血圧との関係は弱いものであった。しかし、この調査研究を行ったグループは長期間にわたる減塩効果を
発表した。それに対して統計処理法の問題が提起されたので、インターソルト・グループは改めてデータ整理し
て食塩摂取量と高血圧発症とのより強い関係を発表した。この再発表の結果を巡って盛んに論争が行われて
いる。インターソルト・スタディの結果が出て以来、海外のマスコミ報道は一律の減塩に対して批判的である。
減塩に対して疑問を持つ人々がおり、減塩推進派と反対派との間で減塩推進に対する賛否論争がある。
高血圧の予防、治療に減塩が勧められているが、どれほどの効果があるのであろうか。減塩による介入
試験の結果では減塩の効果が有意に現れることは少ない。減塩で効果が出るのは食塩感受性のヒトで、
食塩抵抗性のヒトに対しては効果はない。また、減塩に対する血圧応答は正規分布を示し、減塩で血圧が
下がる人がいる率と同じくらい逆に減塩で血圧が上昇する人がいる。このようなヒトにとっては減塩は危険
となる。
最近では、減塩で血圧を下げるよりも果物・野菜・低脂肪乳製品の多い食事をすることにより大きな降圧効
果が得られることが発表された。このような食事をDASH食(Dietary Approach to Stop Hypertension)と言う。
つまり高血圧予防食と言える。この食事の効果はカリウム、カルシウム摂取量の増加によるものと言われて
いる。市場にはナトリウムの代わりにカリウムを半分入れた食塩代替物の商品が出ているが、専門家の間
では食塩代替物によるのではなく、食品で摂るべきであると言われている。このような食塩代替物には危険性
があるからである。しかし、販売数量の増加は気になることだ。カリウムの危険性を認識しておく必要がある。
塩と高血圧の問題で立てられた仮説は半世紀を経ても証明されておらず、一律に論じられるほど簡単では
ない。個人差が大きく影響するので、個別に対応すべきである。事実に基づいて的確な情報を流し保健政策
を進めるべきであると思う。