戻る

たばこ産業 塩専売版  1990.01.25

「塩と健康の科学」シリーズ

日本たばこ産業株式会社塩専売事業本部調査役

橋本壽夫



塩と高血圧に関する研究の流れ(2)

 食塩の摂取量と高血圧症の発生頻度には、正の相関があると発表したダールの疫学調査結果は、その後の臨床試験、臨床調査結果と一敦せず、調査の不備が指摘されるようになった。
 そこで、より広範囲地域を対象にして、血圧測定を標準化し尿中成分の測定も加え、ナトリウムだけでなく血圧に関連しそうな要因も取り上げた精密な疫学調査が行われるようになった。
 その1つがWHO-CARDIAC Studyであり、この内容については前回で述べた。今回はもっと大がかりな国際的疫学調査について述べる。
  1982年に国際心臓学会連合(International Society and Federation of Cardiology, ISFC)の疫学と予防に関する協議会が主催して第1回先進教育セミナーを行った。参加者に血圧測定その他の訓練を行うことから始まり、次には地域的に研究者を登録して訓練し、データを中央に集めて解析する国際的な調査を行うインターソルトという研究へ発展した。
 インターソルト・スタディの目的は、平均血圧と高血圧発生頻度とはどの人種間、集団間でも平均ナトリウム摂取量に比例し、平均カリウム摂取量に反比例し、ナトリウムとカリウムの摂取比率に比例するという仮説を実証することである。日本からも国立循環器病センターの上島博士が大阪で、和歌山県立医科大学の橋本博士が栃木県で、富山医科薬科大学の鏡森博士が富山県で調査することで参加した。
  1988年に調査結果が発表されたが、それによると、32ヶ国、52ヶ所のセンターで、2559歳の一万人以上の男女を調査した。各センターでは約200人の被検者を集めて、不適格者を除き、被検者の尿中のナトリウム排推量と血圧との関係を調査した。
 その結果、ナトリウム排推量と血圧との関係が確認されたのは、ナトリウム摂取量が極端に低い、4ヶ所の原始的文化社会の住民についてだけで、文化的な社会生活をしている他の社会では、正相関の傾向があるが、有意でないか、有意であっても極めて弱い関係にすぎなかった。
 体重やアルコール摂取量、カリウム排泄量などを標準化すると、個々のセンター内でも、センター間の比較でも、塩との関係が失われる所が多かったということである。このように述べているのは旗野淑徳大学教授(循環科学Vo1.8 No.ll, 1988)である。 
  一方、調査に参加した上島博士は次のように述べている(医学のあゆみVo1.149 No.2, 1989)。低塩文化の4集団を除いた48集団で、食塩の排推量と血圧の関連を検討した結果、食塩と血圧は有意の正の関連性が、性、年齢、カリウムの排推量、肥満、飲酒などとは独立して認められた。また、食塩と血圧に因果関係がありと考えると、現在の食塩摂取量を15グラム程度にすると、25歳から55歳に至る過程で、最大血圧の上昇を9 mmHg抑えることができると推測された。
 ごく最近のことであるが、アメリカの国立心臓肺血液研究所(National Heart Lunge and Blood lnstitute, NHLBI)が主催して、塩と血圧の討論会が111,2日にワシントン郊外のベセスダで開催された。
  幸いにも著者はこの会議に出席することができ、専門家の議論を目の当たりにすることができた。
 39人の専門家と72人のオブザーバーが集まり、インターソルト・スタディの調査結果を踏まえて、これまでの問題点を整理しながら、これから塩と血圧の間違をどのように考えればよいのかを中心に議論された会議であった。塩と血圧の関係は弱いので、全体的に減塩運動を進めることは無意味であるとする人たちと、たとえ弱くとも減塩によって血圧が数ミリ下がるだけでも高血圧による死亡率は10数%下がるので、減塩運動は進めるべきであるとする人たちが鋭く対立して、白熱した議論が展開された。
 しかし、政策的なことで判断することや結果を政策的なことに使うことはすべきでなく、あくまでも科学的に真理を追究すべきであるということで考え方は一致した。
 この会議の発表で、これからの研究の方向としては、塩感受性の定義を明確にし、それについてもっと研究する。塩感受性に伴う生理異常を明確にする。遺伝標識を明らかにするといったことであった。
 食塩と高血圧に関する研究を概略的に振り返ってみたが、今なお食塩と高血圧との因果関係は明確ではない。現在では遺伝的要因が大きく取り上げられ、塩はごく一部で関与することがあるらしいという段階であるが、これまであまりにも大きく減塩を打ち出したことと、予防医学的見地から少しでも疑いのあるものは避けるという考え方から、塩と高血圧を結びつけ、さらに減塩を押し進めようとしているのが日本の現状である。
 しかし、遠からず塩感受性や高血圧になる体質(遺伝因子)の簡便な判別法が開発されると考えられ、そのようになれば塩の摂取量に注意しなければならない人と、注意しなくてもよい人が簡単に判り、塩のことで健康が気になる人は、自分がどちらの側に属しているかが判るので、安心して食生活を楽しめるようになるであろう。