たばこ産業 塩専売版  1989.10.25

「塩と健康の科学」シリーズ

日本たばこ産業株式会社塩専売事業本部調査役

橋本壽夫

食塩と高血圧に関する研究の流れ(1)

 食塩の過剰摂取と高血圧を結びつけて考えるようになったのは、いつ頃からのことであろうか。また、本当に食塩が高血圧の原因となるのであろうか。食塩の過剰摂取により高血圧となって死亡するとすれば、食塩の摂取量と高血圧による死亡率との間には関係があるはずであるが、どうなっているのであろうか。食塩は毎日の食生活の中で摂取されるものであるだけに、食塩摂取と健康問題については、いろいろと心配され疑問が出てくる。
  そこで今回から、食塩と高血圧との関係について研究が進められてきた過程と食塩摂取量と死亡原因との関係を'簡単に振り返ってみたいと思う。
 食塩摂取量と高血圧とが関係があるらしい、と初めて発表されたのはに示すダールの疫学調査の結果で、1954年のことである。発表された図を見ると、食塩の摂取量と高血庄症の発生頻度は、よくぞこれほどきれいな直線関係にあるものだと不思議に思われるほどの相関を示しており、食塩の摂取量が多いほど高血圧になる危険性が高いことが分かる。

食塩摂取量と高血圧発生頻度との関係
                図 食塩摂取量と高血圧発生頻度

 疫学調査から原因(要因)を推定し、確率に基づいて、予防対策上チェックすべき要因を指摘するのが疫学の態度であるが、このデータからダールは、食塩の過剰摂取が高血圧の原因となるのではないかという仮説を立てて、それを実験的に証明するため、ラットによる食塩給餌の負荷実験を行った。
 しかし、ラットに食塩を与えてもすべてのラットが高血圧になることはなく困ったが、結局、いくら食塩を食べさせても高血圧にならないラットがいるということが分かった。そこで、これを食塩抵抗性(Resistant)ラットということでRラットと呼び、食塩を食べさせると高血圧になるラットを食塩感受性(Sensitive)ラットということでSラットと呼び1962年に発表した。
 日本では岡本、青木らが高血圧になるラットの遺伝的研究から、成長すると自然に高血圧になる系統のラットを交配で作り出し、高血圧自然発症ラット(Spontaneously Hypertensive Rats略称SHR)として1962年に発表した。このラットは食塩摂取量とは関係なく高血圧になることから、高血圧は遺伝的な要因による症状であるとされるようになった。
 その後、岡本はSHRの中で脳卒中で死ぬラットの子孫を交配させて、成長すると自然に高血圧症になり、しかも90%以上の確率で脳卒中となって死亡する系統のラットを作り出し、脳卒中易発症性高血圧自然発症ラット(Stroke-prone Spontaneously Hypertensive Rats略称SHR-SP)として1973年に発表した。これらの実験動物は高血圧、脳卒中発症の機構や、食餌との関連を研究するためのモデル動物として貴重な実験材料となっており、盛んに使われている。
  1978には、川崎が人間にも食塩に感受性のある人とない人があることを発表し、藤田も同様のことを1980年に発表した。ラットによる動物実験で確認されたことが、人間でも臨床実験で確認されたわけである。このことにより、人間の本態性高血圧は遺伝的要因によって生ずるものが多いことが分かり、このあたりから食塩に対する全面的な容疑が少し晴れてきたようで、塩ばかりが悪者ではないと考えられるようになってきた。1983年になって循環器疾患を予防し、健康な長寿社会を実現するための国際的な栄養目標を確立するために、世界保健機構(WHO)は循環器疾患と栄養との因果関係を国際的なレベルで調査するWHO-CARDIAC Study13か国で始めた。日本で開発された高血圧や脳卒中、動脈硬化を必ず自然に起こすモデル動物を用いた研究によって'ナトリウム、カリウム、タンパク質、脂質等と血圧、循環器疾患の関連が次々と証明され、たとえ遺伝素因を持っていても食餌条件の改善によって、高血圧や循環器疾患の予防が可能であることを証明しようとする計画である。
 研究内容は中核研究と称して、ランダム抽出で食餌性因子の調査(採尿、採血で判定)と血圧測定を行い、研究実施対象者をまず選ぶ研究と、その後、完全研究と称して、その集団での主要な循環器疾患(脳卒中、心筋梗塞)の死亡率を分析する二つの研究から構成されている。検診対象者は年齢の影響を除くため、5054歳に限られ、男女100人ずつの計200人がランダムまたは等間隔に抽出されている。中核研究では次の仮説を検定する。@ 食塩(Na)摂取量増加は血圧を上昇させる A カリウム摂取量増加は血圧を低下させる B 食餌のNaK比増加は血圧を上昇させる C カルシウム摂取量増加は血圧を低下させる D、E省略。このために24時間尿採取と採血を実施し、血圧は統一的方法で測定し、高血圧に関与する食餌性危険因子を分析する。
 完全研究では次の仮説を検定する。 @ 地域住居の血清コレステロール値の低下は脳出血の死亡率を増加させる A 脳出血は食塩摂取量が多く、タンパク質摂取量の少ない集団に多い B省略。このために脳血管疾患と心筋梗塞の死亡率を調べ、それらに関連する血圧や食餌性因子との相互関係を分析する。
  1985年には予備調査の結果についてシンポジウムが開かれ、その後、20か国、40集団で本格的な研究が開始され、1988年には国際シルバー・サイエンス・フェスティバル‘88で一部中間報告が行われた。それによると、@ 尿中のNaNa/K比の増加は血圧を上昇させる傾向にある A 省略 B 尿中のカルシウムまたはマグネシウムは、中国の集団では血圧と逆相関を示す C 食塩感受性には人種差があり、アフリカの黒人は日本人よりも感受性が大きい D日本の7地域では、食塩摂取量は脳卒中や特に胃ガンの死亡率と正相関し、平均寿命とは有意の逆相関がある(WHO-CARDIAC Studyの研究計画については1987年の栄養学雑誌231ページに発表された家森の研究紹介記事を、また、中間報告については要旨集“すこやかな長寿への展望”を参考にした)
 以下、食塩と高血圧との因果関係に関する研究経過を簡単に述べておく。
1954年:ダールの疫学調査結果発表、因果関係推定、仮定
1962年:ダールS(食塩感受性)ラット、R(食塩抵抗性)ラットを発表
1962年:岡本、青木SHR(高血圧自然発症) ラット発表
1973年:岡本SHR-SP(脳卒中易発生高血圧自然発症) ラット発表
1978年:川崎 ヒトでも食塩感受性、食塩非感受性があることを発表
1980年:藤田もヒトで食塩感受性の有無を確認
1983年:WHO=CARDIAC Study 13ヶ国でスタート
1985年:同上に関するシンポジウム、20ヶ国、40集団で本格的研究開始
1988年:国際シルバー・サイエンス・フェスティバル’88で同上の中間報告