保健の科学 第35巻 第2  144-146ページ 1993

連載2 食塩と高血圧

疫学調査

         橋本壽夫
                                              日本たばこ産業株式会社
                                              塩専売事業本部

疫学調査の意義

 疫学は流行病学とも言われ、原因は分らないが病気が流行っている時、実態調査を行なって要因を分析し、病気の原因となっていると思われる要因を推定して対策を立て、その病気を予防できるようにする学問である。日本の公害病の解決に大きな役割を果たした。
 推定された要因と病気との因果関係が生理学的、臨床的、病理学的に証明されれば、問題なく正しい対策が立てられ病気が予防できる。しかし、因果関係が必ずしも明確ではなくても、予防医学的な立場から原因と思われる要因を除く対策が立てられ、実行しようとする試みがなされる。そのひとつの例が高血圧予防に対する減塩である。ヒトの場合、生理学的に必要な最低限の塩摂取量は一日1gぐらいであり、このような塩の摂取状況で生存している民族がおり、しかも年をとっても高血圧にならず、減塩しても健康に害はないという仮定にたって対策が進められている。
 この仮定に疑問を持つ学者もいるがここでは触れないこととして、原因を追及するのに有益な疫学も陥りやすい落し穴がある。それは因果関係は示唆されるが、結論を出せないで相関的な説明しかできないことである。すなわち、血圧に影響するかもしれない要因について仮説を立てるには有効であるが、これらの仮説の確認は血圧に及ばす各要因の効果を試験する介入研究によって確認されて初めて正しいことになる。しかし、困ったことに仮説はしばしば正しい結論として歩き始めることがある。ダールの疫学調査の結果から、食塩が高血圧の原因と考えられるようになったのがその良い例である。
 以下塩と高血圧について発表されたいくつかの主な疫学調査の結果を示す。

ダールの疫学研究

 ダールは1960年に世界全体に及ぶ5群の別々な住民集団間における高血圧症の発症率と塩分摂取量との間にほぼ完壁な直線関係を示すグラフを発表した1)。そして高血圧は食塩摂取量と関係があり、高血圧になる原因は食塩の摂り過ぎである、との仮説を立てた。しかし、この図に用いたデータの塩分摂取量の評価法は一様ではなく、血圧測定の方法も記述されておらず、各集団内の年齢、性別分布もバラバラであった。エスキモー集団はたった20名によって代表されていたにすぎず、秋田地方の塩分摂取量の推定評価と高血圧症の発症率は後に行なわれた推定評価値よりもはるかに高いものであった2)

グライバーマンの疫学調査

 グライバーマンは1973年に、1949年から1970年までに発表された30件、27集団の研究を検討し、食塩摂取量と収縮期血圧および拡張期血圧との関係を片対数グラフにプロットし、バラツキはあるが食塩摂取量の増加と共に両血圧とも上昇する状況を直線の実験式として表わした3)。しかし、これらの研究の多くは血圧、食塩摂取量を厳密に測定しておらず、食塩摂取量については著者が推定したものも含めているので正しい結果とは言えない。

アメリカの疫学調査

アメリカでは国民保健統計センター国民健康栄養調査(NHANES)を行なっている。マッカロンらは1971年から1974年までに行なわれた国民健康栄養調査T(NHANES I)のデータ20,749人分から年齢18歳から74歳までの高血圧および特別な食事療法をしていない人々10,372人を選び、ナトリウム、カリウム、カルシウム、その他の栄養素についてコンピューターにより要因分析をしたところ、ナトリウムの少ない食事は高い血圧と関連  があることを示し、カルシウムとカリウムの摂取量が少ないことが高血圧の主な栄養上の指標であると1984年に発表した4)。その後、同じデータを用いたグルチョウらの報告ではナトリウム摂取量は収縮期血圧と関係があり、マッカロンとの差は分析法の違いによると述べている5)

スコットランドの心臓保健研究

 スミスらが1988年に発表した4059歳の男女7,354人に及ぶスコットランドの心臓保健研究調査によると、尿中ナトリウム排泄量は血圧と弱い正相関があった。一方、カリウム排泄量は逆相関を示した。しかし、交絡した変数から要因を見出すための多重回帰分析では、血圧に及ばす肥満度、アルコール摂取量、心拍数、カリウムの影響はそれぞれ独立して相関があることが分ったが、ナトリウム排泄量は独立した相関はなかった6)

ベルギーの疫学調査

 ケステルートらは1979年から1984年までの5年間にわたるベルギーの42地区、8,058人の調査結果を1988年に発表した。それによると、ナトリウムおよびアルコールと血圧との両方の間で有意な正相関を示したが、カルシウムとマグネシウムについては負相関であった。しかし、カリウム摂取量と血圧との間には独立した有意な相関はなかった7)。このことは通常報告されていることとは一致していない。

ロウらの疫学調査

 ロウらは1937年から1984年までに公表された血圧とナトリウム摂取量との関係に関する23件の報告から24か所の集団についてデータ解析した結果を1991年に報告した。その結論はナトリウム摂取量と血圧との関係はこれまで一般的に認識されていた関係よりもかなり強い、というものであった8)。しかし、この結論は古くてあまり知られていないデータに基づいており、血圧、食塩摂取量を統一された方法で厳密に測定していないことはもちろんのこと、年齢や肥満度のような変数の補正をあまりしておらず、また、被験者が少ない(100人以下の報告が10件含まれている)ものまで含めているなど、と批判され、信頼性が疑われている。

インターソルト・スタディ

 従来の疫学調査では方法論、母集団の選定、サンプル数等に問題があり、適切な評価ができなかった。これらの障害を取除いて、統一された方法で、32カ国52センターから1センター当り約200人のサンプル数で合計10,079人のデータを分析し、1988年に発表した。その結果はナトリウム摂取量と血圧との間に弱い正相関を示したが、塩をほとんど摂取しない4センターのデータを除いた文明社会では相関はなかった9)。しかし、100mmol/日のナトリウム摂取量低減は収縮期血圧を2,2 mmHg下げ、30年間に収縮期血圧の増加を9 mmHg低下できると推定した10)

日本の疫学調査

 日本では厚生省が毎年の国民栄養調査の中で食塩摂取量を発表している。また、人口動態統計調査では高血圧、脳血管疾患等の死因別死亡率を毎年発表し、5年毎には主要死因別訂正死亡率を発表している。さらに、3年毎に行なっている患者調査では各疾患による外来患者および入院患者を報告している。これらの統計値を組み合わせて食塩摂取量との関係を見ると、高血圧、脳卒中には有意な関係はなく、脳血管疾患による死亡率だけに有意な関係(r=0,61p<0,05)が見られたが、脳血管疾患の外来患者、入院患者で見ると関係はなくなる、と1992年に橋本は発表した11)

まとめ

 疫学調査によると因果関係の推定は試料の取り方、分析方法によって大きな影響を受け、ここに紹介した調査結果でもナトリウム摂取量が血圧と必ずしも有意に関係しているとは限らない。しかも、昔、強く打出されたナトリウム摂取量と高血圧との関係が、最近のより精密な疫学調査では弱くなっていることは非常に興味深いことである。なおかつ、介入試験でも未だに十分証明されておらず、この問題は複雑で一筋縄ではいかないものと認識されている。

引用文献
1) Dahl LK: Possible role of salt intake in the development of essential hypertension, In: Essential Hypertension,     an International Symposiumedited by Cottier P and Bock KD, Springer-Verlag, 1960, p.53
2) Luft FC, Harlan WR, Harlan LC: Dietary electrolytes and hypertensionAn epidemiological perspective. In     Salt and Hypertension, edited Retting R, Ganten D and Luft FC. Springer-Verlag, 1989, p.329
3) Gleiberman L.: Blood pressure and dietary salt in human populations. EcoI Food Nutr 1973;2:143-156
4) McCarron DA, Morris CD, Henry HJ, Staton JL: Blood pressure and nutrient intake in the United States.        Science 1984;224:1392-1398
5) Gruchow HW, Sobocinski KA, Barboriak JJ: AIcohol, nutrient intake, and hypertension in US adults. JAMA       1985;253:1567-1570
6) Smith WCS, Crombie IK, Tavendale RT, Gulland SK, Tunsta11-Pedoe HD: Urinary electrolyte excretion, alcohol   consumption and blood pressure in the Scottish heart health study. BMJ 1988;297:329-330
7) Kesteloot H, Joossen JV: Relationship of dietary sodium, potassium, Calcium, and magnesium with blood        pressure Belgian interuniversity research on nutrition and health. Hypertension 1988;12:594-599
8) Law MR, Frost CD, Wald NJ: By how much does dietary salt reduction lower blood pressure? I-Analysis of       observational data among populations. BMJ 1991;302:811-815
9) Intersalt Cooperative Research Group: Intersalt: an international study of electrolyte excretion and blood        pressure results for 24 hour urinary sodium and potassium excretion. BMJ 1988;297:319-328
10) Rose G, Stamler J: The INTERSALT study: background, methods and main results. J Human Hypertens        1989;3:283-288
11) Hashimoto T: Statistical analysis of the relationship between salt intake, hypertension and heart diseases based   on national surveys in Japan. 19924月第7回国際塩シンポジウム(京都)で発表、プロシーディングス印 刷中