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たばこ塩産業 塩事業版  2006.11.25

塩・話・解・題 20 

東海大学海洋学部非常勤講師

橋本壽夫

 

食塩論争の歴史

−ダールの再掲論文とその論評を読んで−

 

 1960年にダールが発表し、塩と高血圧の問題が議論される端緒となった論文が昨年、国際疫学会誌(Intern J Epidemiol)に再掲された。それに対して立場を異にする二人の学者が論評している。論評には食塩論争の歴史経過がよく整理されており、減塩推進に対してどう判断するかの材料を提供している。

ダールの図はプロシーディングスに

 図1は、食塩が高血圧の原因ではないかと疑われる元になった有名な図である。筆者が論文を書いた時、この図を引用すべく原文で確認しようと引用文献を頼りに文献を取り寄せたところ、そこにはこの図はなかった。つまり引用文献に掲載されていたのは、著者が原文を確認せず孫引きで掲載したものであったらしい。その後、いろいろとダールの文献を取り寄せて分かったが、実はこの図のオリジナルはシンポジウムのプロシーディングスにあった。1960年以後に発表されたダールの論文でプロシーディングスに発表した図であることが分かった。しかし、単行本であるのでコピーを入手できなかった。
 この度プロシーディングスに掲載されていた論文が再掲された。その概要は以下の通りである。

       高血圧発症率と平均食塩摂取量との関係

専門家には信頼されていない図

本態性高血圧発症における食塩摂取量のあるかもしれない役割

 ダールが書いた論文の表題がこれである。ダールは1954年以来収集してきたデータを基にこの論文を書いている。食塩摂取量の測定には24時間尿中食塩排泄量を用いており、測定法としては信頼性が高い。しかし、日本北部のデータは千葉大学の研究者から提供を受けている。食塩の最低必要量については1-2 gでも十分であり、食塩欲求は先天的なものではなく、後天的に得られ、食塩と高血圧との問題については遺伝と環境との間に相互作用がありそうなことも述べて、先端的な研究を進めていたことがわかる。
  問題とされてきた食塩摂取量と高血圧発症率の相関関係が非常に強く見える図1を描く元となったデータを表1に示している。5地域における被験者数には大きなバラツキがあるが、エスキモーを除き、相当な人数であることを知った。問題は食塩摂取量である。平均値を示して図に描いて相関関係の強さを訴えているが、摂取量の範囲は非常に幅広く、異常値とも思える値も含めて平均値を出していることに疑問を感じる。試みに図1に変動幅を示した。平均値は変動幅の中程より下方にある点が多く、食塩摂取量が多くなるほど幅は広がっている。変動幅の最高値と平均値との比率は1.9から2.5の範囲で比較的安定しているが、これだけ変動幅のあるデータをプールして平均値を出すことに意味があるのであろうか?     

表1 5地域の高血圧発症率で比較した食塩摂取量(尿中食塩排泄量で測定)
グループ 性別 被験者数 食塩摂取量 高血圧発症率
平均(g/d) 範囲(g/d) (140/90以上)
アラスカ・エスキモー 1958, 1960 男女 20 4 1-10 0
マーシャル諸島(太平洋) 1958 男女 231 7 1.5-13 6.9
アメリカ合衆国(ブルックヘブン) 1954-1956 男子 1124 10 4-24 8.6
日本 広島(日本南部) 1958 男子 456 14 4-29 21
日本 秋田(日本北部) 1954 男女 5301 26 5-55 39*
* 収縮期血圧と拡張期血圧は別々に報告された。この数値(39%)は90 mmHg以上の拡張期血圧に基づく。
Intern J Epidemiol, 2005, Vol.34より

 この表では年令が平均値でしか表されていない。年令によって血圧は相当変わってくるので、年代別にグループ分けすると相関は変わってくるし、性別によっても男子は高く、女子は低い傾向があるので、性別でグループ分けしても相関は変わってくる。非常に良い相関を示している図1の問題点が今では明かであるので、専門家の間ではこの図に対する信頼性はない。しかし、背景には大きな問題点が多数あるにもかかわらず、説得性のある図として示され、問題点は無視されて一般的には今でも信頼性があるかのように報道されている。怖いことである。
 ダールはこの結果を発表するまでにラットによる実験で、食塩摂取量が多いほど高血圧発症率が高いことに気付き、この図から食塩が高血圧の原因ではないかと思い、以後その仮説をテストする実験を行って、食塩と高血圧との論争が再燃する発端となった。そのことは次に示すグラウダルの論評に述べられている。

グラウダルの論評

「結果から分かる以上の結論」

 ダールの論文を論評する前にグラウダルは食塩と高血圧との関係についての歴史経過を次のように述べている。
 近代の食塩物語は1904年のアンバードとブロチャードの論文から始まった。彼等は食塩−血圧仮説を立てた。それは1907年にローウェンスタインによって否定され、以後、食塩−血圧仮説は論争されてきた。塩化物イオンが重要な役割を果たしていると考えられたが、1921年のブラムの論文からナトリウムが主要な役割を果たすと考えられるようになった。当時、議論は高血圧患者に厳しい減塩を薦めたアランから始まった。彼の結果は他の研究者によって確認、論破されたが、1930年代末には減塩は用いられなくなった。1944年以後ケンプナーのライスダイエット(食塩を加えない厳しい減塩食事療法で高血圧を治療)の紹介で食塩論争は再燃した。1950年頃ダールが舞台に現れ、1975年に亡くなるまで食塩−血圧仮説に対して最も重要な貢献者であった。
 ダールの論文に対する論評では、コントロールのない観察の文献を引用しており、測定値については詳細がなく、交絡因子を無視している、と。ダールが引用している文献の選択には偏向があるとして、バランスの取れた意見を持っているチャップマンとギブソンズの1904年から1949年までの45年間について食塩論争をレビューした論文に触れている。現在の状況下でダールの研究を見ると、信頼できる研究とは思えず、自分の結果を批判せず、結果から分かる以上の結論を出している、とグラウダルは結論を下している。
 その後の食塩と高血圧の問題を次のように論評している。1950年には食塩論争は食塩摂取量と高血圧との関係であった。1973年以来、ランダム化された研究で論争されるようになった。しかし、非常に効果的な多くの高血圧治療法が開発されたので、高血圧の治療で減塩の位置付けは重要でなくなった。今日では、減塩よりも効果的で受け入れやすい果物や野菜を多く食べる方法を知った。減塩の効果に対する新しい論争は、集団全体に適応したときこの効果が集団の罹患率や死亡率に有益な効果を及ぼすかどうか、この証明されていない仮説が集団で減塩することを一般的に推奨できるかどうか、についてであると述べている。

エリオットの論評

「図は今日でも影響力を有す」

 1960年にダールが発表した5集団グループの高血圧発症率と平均食塩摂取量との間にポジティブな直線関係を示した有名な図は今日でも影響力を持っている。人類学、疫学、動物研究、機構の研究、臨床にわたって高血圧における食塩の役割に関する研究を強化した。この論文でダールは集団の食塩摂取量を下げるための今日の公衆保健努力を支持する基本的な考え方の多くを提言している。と論評し、他にいくつかの先端的な研究発表を評価している。
 エリオットはインターソルト・スタディを行った主要メンバーの一人であり、食塩を悪者と考えているので、自分たちの研究結果を支持する論文、例えばダールに続いて世界中の28集団のデータをまとめて1979年に発表されたフロメントらの論文を紹介し、インターソルト・スタディの結果と類似であることを解説している。
 アメリカ人と世界中の多くの集団の食塩摂取量は非常に高いままで、特に1960年にアメリカ人の男性についてダールが発表した1日当たりの平均摂取量10 gはインターマップ研究(1996-99)でアメリカ人の男性について発表された24時間尿中食塩排泄量の中央値と同じである。最近のアメリカ人のための食事ガイドライン(2005)は黒人、中年と老人(4 g)を除いて6 g以上にならない摂取量を薦めている、と解説して減塩を薦めている。

減塩−判断材料を提供する報道を

 食塩は悪い物と考えたダールが食塩摂取量と高血圧発症率との関係を発表する前から食塩仮説は唱えられ、減塩が薦められていたことが分かった。食塩論争が尽きないこの時期に、減塩を薦めることに対して(今では間違っていることが分かっているが)説得性のあるデータを示した論文を再掲し、その論文を立場の異なる学者に論評させた意義は大きい。
 一律の減塩に対してグラウダルは疑問を持っており、公正な判断で論評している。一方、食塩は悪い物とエリオットは考えており、一律の減塩を薦めることを唱えているので、論評は偏っているように思われる。これは筆者の判断で、読者がどう判断するかは自由である。減塩に対して多様な応答を示す人々に対して、その判断材料を提供する報道の姿勢が重要である。日本で出版される専門誌の論文では、残念ながらそのような姿勢が見られず、大体が減塩推進基調で書かれており、読者に判断する材料を与えていないことは大きな問題点であると筆者は考えている。