たばこ産業 塩専売版  1993.10.25

「塩と健康の科学」シリーズ

日本たばこ産業株式会社海水総合研究所所長

橋本壽夫

高血圧の遺伝性(1)

アメリカの黒人が高血圧になりやすい理由

 本態性高血圧は遺伝するといわれている。しかし、現在のところ遺伝子は明らかにされていない。遺伝標識が分からないので、高血圧家系の人でも年をとってから高血圧になるかどうか、若い時には判別がつかない。したがって、今のところ本態性高血圧は遺伝病であるらしい、という段階である。ところで、アメリカ黒人は高血圧になりやすい。その理由について奴隷制と関連させて、ある仮説が立てられた。それを検証できれば高血圧の原因解明に役立つものと考えられている。ウィルソンらの報告を要約した。

動物実験による高血圧遺伝性の確認

 ダールが食塩摂取量と高血圧発症率との関係をグラフに表し、食塩摂取量が高いほど高血圧発症率が高くなることから、食塩の取りすぎが高血圧の原因になるのではないかとの仮説が立てられた。
 彼自身それを証明しようとして、ラットに食塩を食べさせたところ、血圧が上昇するラットと上昇しないラットがいることを発見した。
 そして、血庄が上昇する高血圧のラット同士をかけ合わせて生まれたラットからまた高血圧のラットを選び交配させて三世代続けたところ、高血圧の遺伝子が固定されて、子供が必ず高血圧になるラットが選抜された。
 さらに、このラットから青木らは自然に高血圧になるラットを選抜した。
 このラットは食塩摂取量に関係なく、成長すると必ず高血圧になる。
 このように動物試験で高血圧の遺伝性は確認されたが、遺伝子はまだ確認されていない。

アメリカ黒人の悲惨な歴史

 アメリカの奴隷制度は16世紀から19世紀まで続けられた。この間、1,200万人以上の黒人が奴隷としてアフリカからアメリカに連れてこられた。
 奴隷の死亡率は高く生存者の中でも出生率は非常に低かったので、アメリカの農園は労働力を確保して農園経営を守るために絶えずアフリカからの奴隷輸入に頼っていた。
 アフリカ黒人が捕獲された地点から海岸まで運ばれる間の死亡率は約10%、アフリカの海岸で監禁中の死亡率は約12%、アメリカに輸送中の平均死亡率は1215%にもなり、結局、捕まえられた黒人の3分の1はアメリカに上陸することはなかった。上陸した黒人の1030%は奴隷になって3年以内に死んだ。
 このように死亡率が極端に高いうえに、出生率は低く、生まれてきた幼児の死亡率は50%にもなり、自然増がなかったので奴隷貿易を続ける必要があった。
 奴隷貿易で大西洋横断中の死因や農園奴隷の死因は食塩と水分の欠乏によるものであった。アフリカ内部から海岸まで強制的に歩かされ、海岸にある換気の悪い収容所に監禁され、航海中の船倉に閉じ込められて発汗や発熱、船酔いによる嘔吐、下痢、熱病による死因でほとんど死亡している。これらはいずれも食塩欠乏を引き起こす原因となる症状である。嘔吐は3.5グラム/リットル以上の食塩損失、下痢便は平均約6グラム/リットルもの食塩損失となる。

アメリカ黒人が高血圧になりやすい理由

 このような状況下で生き残れた人々は食塩を保持する能力が遺伝的に強い人たちであった。アメリカ黒人が食塩感受性高血圧になりやすい原因について、遺伝と環境の相互作用から次のように考えられている。食塩欠乏が起こりやすい状況下では、食塩を保持する能力が遺伝的に強い黒人が集団の中で増加していく。食塩摂取量よりも食塩損失量のほうが多かったという歴史的な背景を持った黒人の生態系では、食塩を保持する人間の遺伝的能力に基づく死亡率の差が出生率の差となり、自然淘汰により食塩を保持する能力の高い黒人が選抜されて残っている。アメリカ黒人は白人よりも静脈内にナトリウムを長く保持し、黒人の高血圧者は白人の高血圧者より食塩排泄利尿剤で容易に血圧を下げられる。アメリカ黒人は腎臓のナトリウム排泄機能の欠陥を遺伝的に受け継いでいる。ナトリウム排泄能力が弱いとナトリウムが体内にたまり、このため血液が増えて高血圧になる。

アフリカ黒人はアメリカ白人と同様の血圧

 これまで述べたようにアメリカの黒人は長い奴隷貿易の歴史的経過の中で、ナトリウムを保持する能力の強い者だけが生き残っており、遺伝的に強いナトリウム保持能力を伝えているので高血圧になりやすいのではないか、という仮説が立てられた。奴隷であった歴史的背景を持たないアフリカ黒人はアメリカ白人の血圧に近い。したがって、現在のアメリカ黒人とアフリカ黒人は遺伝的に異なっているはずである、との仮説である。
 この仮説を裏づける事実の一つとして、アフリカには少なくとも血圧の低い黒人が6種族いるが、アメリカにはいない。
 仮説を検証するためにいろいろなことが考えられている。例えば、西アフリカの黒人集団とアメリカの黒人集団を系統的に比較する疫学調査をする。西アフリカ人のアメリカへの移民とアフリカ系アメリカ人の西アフリカへの移民調査をする。アフリカ以外の低血圧黒人集団の調査をする。そのポイントは食塩摂取量に対する血圧値、食塩感受性者の存在比率である。黒人集団の遺伝子や環境の役割を理解できれば、集団の高血圧の原因を考える上で新しい考え方が得られる。
 本態性高血圧や食塩感受性の遺伝標識が明らかにされる日がやがてくるであろう。その時初めて本態性高血圧の遺伝性が確立され、若い時から食塩摂取量に気をつけなければならない人が明らかになる。