保健の科学 第35巻 第1 58-60ページ 1993

連載1 食塩と高血圧

歴史的経過

    橋本壽夫
                                         日本たばこ産業株式会社
                                         塩専売事業本部

はじめに

塩といえば高血圧の原因であり、110g以上の摂取は体に悪く、それ以下であれば問題はない、と思っている読者が多いのではないでしょうか。教育が行きとどき、マスメディアによる一方的な情報が全国津々浦々のお茶の間にすばやく行きわたる時代になった結果でしょう。このように考えられ出したのは何時頃からでしょうか。そう古い話でもありません。また、この考え方は正しいのでしょうか。結論的に言えば、現在でも因果関係は解明されておりません。しかも、最近では否定的な研究が発表され始めていますが、マスメディアではあまり取上げられていません。これから食塩と高血圧の問題について研究の進展状況、それに対する海外のマスメディアの論調なども含めて紹介したいと思います。

高血圧の原因として食塩仮説が信じられるまで

人間は食塩を摂らないと生存できない。人類の歴史過程で、人間が狩猟民族から農耕民族に変わったとき、食塩が必要になったと言われている。動物からは塩が摂れるが、植物からは摂れないからである。身体に及ばす食塩の影響は感覚的にさまざまに言われてきたが、食塩摂取量と高血圧との関連が初めて発表されたのは1904年のことであった。
  1940年代には、重症の高血圧患者の血圧を下げる治療法はほとんどなかった。ノースカロライナ州のデューク大学病院でケンプナーは重症高血圧患者に厳しい規定食を与えた。その内容はご飯と果物ジュ−スとビタミン剤であった。これにより症例の2/3近くの患者で血圧を下げることができた。この食餌はライス・ダイエットと呼ばれ、食塩はいっさい加えられなかった。高血圧の治療法のない時代にケンプナーの業績は評判となった。
 この業績に目を止めたのはブルックヘブン研究所のダールであった。ダールはライス・ダイエットの効果は、塩分が制限されていることではないかと考えた。すなわち、食塩が血圧を上げる原因ではないか、という食塩仮説を立てた。そこでダールはラットによる食塩負荷試験で大量の食塩により高血圧を起こさせ、摂取量が少ないときは高血圧が生じないことを確めたが、ラットに食塩を負荷しても高血圧を起こさない別系統のラットがいることを発見した。ダールは動物実験により食塩と高血圧者との関係を確かめたが、人間もラットと同じように反応するかどうかは分からなかった時に、ニューヨークの博物館で南米の原始部族の調査から帰った人の話を聞き、食塩を摂取しない原始社会があるらしいことを知った。もし、食塩を摂取しない社会があれば、そこでは高血圧もないであろうと予想し、彼の熱意に賛同した他の人達による世界的な調査が始まった。
 ミシガン大学チームをはじめいくつかの調査隊がアマゾン川上流に住むヤノマモ・インディアンの健康調査、尿サンプル収集を行なった。その結果、この社会では食塩を摂取せず、高血圧者はいないことがわかった。ダールが異なった文化から得られた結果を図にしたところ、食塩摂取量と高血圧発症頻度は比例関係にあり、食塩摂取量が増えるにつれて高血圧は着実に増加する図を得た。
 ラットに過剰の食塩を与えて高血圧を発症させることができ、ケンプナーのライス・ダイエットにより食塩を入れない食餌で血圧を下げることができ、食塩を使わない未開社会では高血圧がまったく発生しないという証拠を見せられて研究者達は食塩仮説を信じるようになった。

食塩仮説証明のための動物実験と食塩感受性が発見されるまで

 食塩仮説はこうして信じられるようになったが、仮説は証明されなければ真実ではない。ダールはいくら食塩を食べさせても血圧が上がらないラットがいることを発見し、これを食塩抵抗性ラットと称した。一方、食塩を食べると血圧が上がるラットを食塩感受性ラットと称した。これらの動物は高血圧を生理学的に解明するための実験材料として重宝され、遺伝的な要因が介在していることが予測されることから、さらに詳細に遺伝的な系統分けを行ない、自然発症高血圧ラット(SHR)、脳溢血易発症性自然発症高血圧ラット(SHR-SP)、といったモデル動物が次々と選抜されてきた。これらのモデル動物による実験から食塩を食べさせなくても必ず高血圧になったり、脳卒中で死んでしまうことがわかった。これらの動物に食塩を食べさせると症状の発症が加速されるが、タンパク質を十分に食べさせると症状の発症が抑制されることも分かってきた。
 動物実験で食塩感受性ラットがいることは分かったが、川崎らは
1978年に食塩感受性の人がいることを発表した。

減塩運動が始まるまで

 ケンプナーのライス・ダイエットによって血圧が下がる患者がいることがわかった。これより少し前、1946年にボストン大学のフライスは悪性高血圧患者に大量の抗マラリア薬ペンタキンを投与し、初めて薬剤で血圧を下げた。その後、より副作用の少ないクロロサイアザイドが開発された。これは腎臓からより多くの塩分を排泄させることにより血圧を下げる薬であった。彼はそれを投与して効果を確め、学会発表だけでなく、1970年にはマスコミにも発表した。この記事がラスカー女史の目に止まり、薬剤で高血圧、心臓病と闘う運動が展開されるようになった。彼女は健康に関する運動家で、政治力もあり、ニクソン大統領のガン征圧運動の影の推進者であった。彼女が保健教育福祉省の長官に訴えた結果、薬物治療の効き目について、一般大衆および医学専門家を教育するための全国運動の実施が計画され、高血圧と闘う全国運動が開始された。メディア・キャンペーンの先頭に立ったのは「高血圧治療のための市民団体」であり、この先導者はラスカーのロビイストであるワシントンの新聞記者であった。

減塩運動のはじまり

 こうして高血圧治療運動が盛んになった。しかし、薬物治療は副作用の弊害、経済負担があり、非薬物治療法と併用することが望ましく、その一つとして食生活で減塩が勧められるようになった。最初この対象者は高血圧患者、またはこの病歴がある家族であった。しかし、1970年代の後半になってアメリカの食餌目標の中で食塩の摂取量のことが議論されだし、19772月にはアメリカの食餌目標で食塩摂取量一日約3gが勧告されたが、12月には約5gに修正され、これに自然の食物から必然的に摂取する約3gの食塩(換算値)が加わることが承認され、19799月の連邦議会議事録で公式見解となった。日本では1979年に食塩の一日目標摂取量10gが定められた。こうして病気であることに関係なく全ての人達を対象に減塩が勧められるようになった。しかし、食品医薬品管理局(FDA)としてはすぐには規制値を定めず、食塩摂取量を控えるための情報を提供することで、1982年に食品への栄養表示基準を示した。FDAの考え方は、一般国民に関しては「ナトリウム摂取量の適正な減少が何らかの弊害をもたらす証拠はなく、こうした減少が一般市民にとって有益であるとの強力な示唆が得られている。」、高血圧症の因子を持っている市民に関しては「ナトリウム摂取量が高血圧症を引き起こす主たる原因であるとの証拠はまだ完全に決定的なものではない。しかし、これらの証拠は医学/科学界の大半の専門家がナトリウム摂取量の減少は高血圧症の因子を有するかなりの規模のアメリカ市民にとって有益な結果をもたらすであろうと結論しえるほど強力なものである。」というものであった。そして1990年になって食塩の1日基準摂取量6gを提案した。

食塩仮説は証明されたか

 食塩仮説が生れてから約40年間、この仮説を証明しようとして動物実験、臨床試験、疫学調査介入試験でいろいろなことが行なわれてきたが、いまだに証明されていない。今や食塩仮説は神話であるとさえ言われだした。この仮説はダールの疫学調査をもとに立てられたが、インターソルト・スタディの疫学調査の結果によって葬り去られようとしている。ダールの発表以来、幾多の疫学調査が行なわれたが、結果に一貫性はなく、複雑で、調査方法もさまざまで、いくつかの結果を比較対照して結論を導くこともできなかった。このような弊害を除くため大規模な国際協力のもとに疫学調査インターソルト・スタディが計画され、統一された精密な方法で行なわれた結果が1988年に発表された。32カ国、52センター、10,079人に及ぶ調査であった。結果は、食塩摂取量と高血圧発症率との関係は弱く、むしろ肥満、アルコール摂取の方が強い、というものであった。研究がより精密になり統一されるにつれて、食塩摂取量と高血圧症との相関関係が一層弱くなることは注目すべきことである、ともいわれ、この結果が発表されて以来、食塩仮説は崩れ、国民全体に減塩を押付けるべきではないという声があがりはじめた。

参考文献
1FDA, Federal RegisterFood labellingHealth claims and label statements; Sodium/Hypertension. Vol.56,       No.229, 60825-60855, 1991.
2Moore T: How doctors oversell the risks of high blood pressure. Washingtonian 1990;25:65-67,196-204.
3Muntzel M, Druecke T: A comprehensive review of the salt and blood pressure relationship. AJH             1992;5:1S-42S.