たばこ産業 塩専売版  1987.12.25

「塩と健康の科学」シリーズ

日本たばこ産業株式会社塩技術調査室室長

橋本壽夫

食塩摂取量 110グラム以下とした背景

 1211日付け朝日新聞の天声人語欄はユニセフ(国連児童基金)活動の一端を紹介していた。年賀はがき10枚の売上げ純益で経口補水15袋分が購入でき、それは「命の水」とも呼んでもよいほどのもので、開発途上国の何人かの子供の命を救うことができるだろうと述べている。
 塩と砂糖、場合によっては栄養分も混ぜたものに水を溶かして子供に飲ませると、下痢性の脱水症に劇的に効くそうで、これにより年間60人の子供の命が救われるようになり、さらに普及が進めば、年間150万人の子供が下痢性の病気で死ぬことがなくなるそうである。
 前回、減塩の効果と危険性の中で、幼児や子供の下痢には塩と水分の補給が必要であることを紹介したが、ユニセフの活動により塩水の効果が統計的な数値として大きく現れていることを知り、意を強くした。

十数年前から欧米で関心高まる

 さて、本題に入るが、厚生省が日本人の栄養所要量の中で食塩の摂取目標量を110グラム以下とした背景について紹介しよう。
 この目標値が設定されたのは1979(昭和54)である。アメリカでは1969年以来、ナトリウムと健康について大きな関心が持たれるようになり、高血圧やその他の疾患に及ぼすナトリウムの影響についての研究が報告されるようになってきた。
 1977年には、人間の栄養要求に関する上院特別委員会で、塩の摂取量を1日約3グラムにしようと提案された。その年の12月には1日約5グラムと修正された。
 しかし、1978年末に“約5グラムとは食品原材料に加えられる塩の最高限度量であり、商業的に作られるもの、家庭で作られるもの、および食卓で添加される塩を含めたものである。この他に、食物の中に自然に入っており、必然的に摂取する塩(ナトリウムを塩に換算して表示)が約3グラム加わる”との意見が出され、1979年の議会で1日の摂取量約8グラムが公式のものとなった。
 西ドイツでは食塩に関する1日の適正食事摂取量として、1976年に対象者を細かく区分して、乳児には0.31.0グラム、18歳には35グラム、妊娠、授乳期の婦人および一般成人には58グラムを勧告した。

世界の動きみつつ110グラムを設定

 このような世界の動きをみながら日本の場合には、欧米諸国とは異なった食塩摂取に関する特殊な食習慣もあって、直ちに西ドイツ案、アメリカ案を受け入れることは困難であるとして、当面の努力目標を食塩110グラム以下とすることが望ましいと考えたものである。
 世界各国の食塩摂取量に関する統計的な数値は、あまり発表されていない。たまたま1985年の食用塩の国際規格に関する国際会議で入手したいくつかの国の数値は次の通りである。
 アイルランド:約12グラム、ポーランド:1518グラム、スウェーデン:810グラム、タイ:710グラム、イギリス:89.7グラム、アメリカ:7.2グラム、日本は60年度の数値で12.1グラムであり、調査が始まってからこの10年間に1.4グラムの減塩が図られたことになる。

死亡原因と食塩摂取量の関係はみられない

 ところで、厚生省は毎年、人口動態統計の数値を発表している。その中の死因別死亡率で、食塩の摂取量と結びつけて考えられそうな項目を抜き出してに示した。心疾患で死亡した人の中には慢性リウマチ性心疾患なども含まれているので、食塩との係わり合いがどれだけあるか非常に疑問であるが、参考までに見ていただきたい。


        図 我が国における主な死因別死亡率の推移
        主要死因別訂正死亡率資料より抜粋

 脳血管疾患による死亡率は昭和四十年から急激に減少している。昭和40年代には塩の取りすぎがさほどまだ問題にされず、食塩摂取量の調査が始まったのは昭和50年からであるから、その間の大きな死亡率の低下は、食塩摂取量の問題とは関係なく起こっていることであり、このことは、変化は小さいが高血圧性疾患について現れていることが分かる。食塩摂取量の調査が始まり、減塩運動が起こってからの死亡率の低下具合をみても、それまでの低下具合とあまり変わらず、減塩の効果が判然としない。
 昭和40年以後の死亡率の低下は、戦後20年を経てようやく世の中が安定し、それ以後の目覚ましい経済により、食生活も豊かになってきたことによるものと考えられる。
 参考までに、主要国死因別死亡率の表の中から先に述べた食塩摂取量の統計値がある国についても、三つに分類された疾患についてに示した。

表 主要国の死因別死亡率 (人口10万対)
高血圧性疾患 脳血管疾患 心疾患
日本 11.6 124.3 106.0
アメリカ 14.4 74.9 324.1
アイルランド 11.0 118.7 335.5
ポーランド 20.4 65.3 100.9
イングランド・ウェールズ 10.4 139.2 382.6

 食塩摂取量を110グラム以下にする目標の根基を紹介し、10年間で1.4グラムの減塩となっているが、その効果がどこに現れているのか明確ではない中で、減塩対象者を限定せず、一律に10グラム以下にもっていこうと大きなエネルギーをかけていることには疑問を感ずる。