たばこ産業 塩専売版  1993.12.25

「塩と健康の科学」シリーズ

日本たばこ産業株式会社海水総合研究所所長

橋本壽夫

食塩と高血圧に関する海外の報道(1)

 保健科学研究会が編集している「保健の科学」という保健医療専門家向けの雑誌に『食塩と高血圧』を連載で1年間続けてきた。毎月次のように副題をつけた内容であった @歴史的経過 A疫学調査 Bインターソルト・スタディとその結果を巡る論議 C食塩感受性 Dモデル動物と動物実験 E介入試験 F減塩の効果と危険性 G食塩摂取量と死亡率、疾患率との関係 H減塩の遵守性 Rナトリウムと他の陽イオンとの相互作用 J海外の食塩摂取量と保健政策 K食塩と高血圧に関する海外の報道。これまでこの新聞に書いてきたことがベースとなっている。しかし、最後にまとめた食塩と高血圧に関する海外の報道
ついてはあまり書いてこなかった。そこでこの表題で食塩と高血圧の問題が海外でどのように報道されているか新旧交えていくつか紹介したい。

アメリカで塩と健康問題が話題に

 塩と健康問題が関心を集める話題となったのは、ダールが1960年に発表した疫学調査の結果からである。高血圧治療にはお金がかかり、治療薬の副作用の問題が起こり、健康な人々を高血圧から予防する手近な公衆保健政策としては、食塩が高血圧の原因であるとするナトリウム仮説を支持することが得策で、意図的に何人かの支持者に仮説を普及させたことから1970年代になって減塩が叫ばれるようになった。メイヤー博士は食品添加物の中で食塩をもっとも危険な物と言い、ページ博士は子供の頃から15グラム以下の食塩摂取量にすれば、高血圧に関する公衆保健問題は一世代で征服できるであろうと言った。しかし、減塩に懐疑的な学者が多く、その一人であるララ博士は減塩運動は科学的証拠によって支持されていないと言っていた。
 このような中でマクガバーン上院議員は1977年に上院特別委員会で食事目標を定め、その中で1日の食塩摂取量を3グラムまで減らすという極端な提案をし、それは5グラムを経て8グラムに修正された。1981年に第40代大統領となったレーガンは誇張されたナトリウム制限をすべての人々に勧める政策を正当化し、すべての人々が低ナトリウム食を食べるように勧める公衆教育運動を命じた。

食塩:新しい悪者?

 これは1982315日付けのタイム誌の表紙を飾ったカバーストーリーの表題である。国の政策として食塩が悪者にされたことに対して疑問を持ちながらつけたタイトルで、8ページにわたって食塩をめぐる問題が議論されている。その内容は次の通りである。食塩が悪者という消費者の恐怖心につけ込んで食塩問題に敏速に反応し、食塩代替物として新しい商品を出しテレビで宣伝する販売戦術がとられている。食塩はこの10年間ほど有害食品といわれてきた。全国調査によると、人口の40%の人々が減塩しようと試みている。米国の死亡者の半数は高血圧が原因となっている。アメリカ人の4人に1人はある種の高血圧にかかっている。推定では3,500万人が高血圧者であり、軽度の場合を含めると6,000万人となる。これは60歳以上の人口の約半分である。高血圧は無言の殺人者で、多くの場合に症状がないまま障害が現れるか、致命的な心臓発作や脳卒中になるまで数年間判らないままである。食塩過剰が知らない間に無言の共犯者の役割を果たしている。
 食品の包装袋に健康に有害であるというだけでなく、ナトリウム含有量を表示させる方法が公衆衛生関係者の関心事になっている。意外な食品に食塩が含まれており、同じ種類の製品でもメーカーによってかなり差があるからである。しかし、高血圧と食塩との直接の因果関係が証明されていない、として食品業界は反対している。統計的には因果関係は明確である。特に食塩を摂取する習慣のない未開の原始社会では高血圧がないことは説得力がある。食塩論争の核心部は医学的に謎である。食塩は高血圧の原因となっているかもしれないが、どのように作用するのかについては誰も知らない。食塩はすべての生物に必須である。高血圧は遺伝的な要素もある。黒人は白人よりも二倍も高血圧になりやすい。食塩摂取量とは無関係にある種の人だけが高血圧になることがある。人口の2040%が高血圧になりやすいと考えられているが、誰が食塩に感受性であるかは事前に判らない。これが理由となって、すべての人が減塩することが妥当であるといわれている。

報道の中立性

 約11年前のアメリカで減塩が強く叫ばれていた頃の報道の一つを紹介した。タイムの食塩に関する報道は、最初にアメリカの食塩と高血圧に関する現状の問題点を述べ、減塩の意見を書き、それに関連した表示の問題、それに対する反対論、因果関係の不明確さ、生産業界の反論、消費者の反応、味覚の馴化性などいろいろな観点から情報を提供し、結論を出さないで読者の判断に任せるようにしている。