香料 No.189  平成8(1996) 359-69

総説

   

塩味料:食塩の機能と役割および保健上の問題

Salty Condiment : Functions and Roles of Salt in Food Processing

 and Human Body and Its Health Problems

橋 本  壽 夫

Toshio Hashimoto

()ソルト・サイエンス研究財団

 Salt is the essence of life. It is used in a lot of fields such as human consumption, agriculture, chemicalcindustries, deicing and so on. In this paper many subjects related to the field of human consumption are presented widely.
 They are as follows : First, the development of the taste and how to recognize the salty taste are introduced with the hunger of salt and salt preference. Second, the general properties and roles of salt in the field of human consumption are discussed with the processes of salt making and the consequent quality of salt. Last, the health problems with excess salt intake are reviewed on some topics.

 1.はじめに

 楽しみながら料理を食べる時には無意識のうちに次のような行動をしているのではなかろうか。まず目で見て色合い,配色を楽しみ,形で何を食べるのかを判断し,匂いで食欲をそそられ,箸で触って物の硬さを知り,口に入れて味,匂い,歯応えを楽しみながら,食べる前に予想したことと一致しているかどうかを判断する。予想通りであれば美味しいと感じるであろうし,予想外であれば一般的にまずいと感じるが,こういう味付けも美味しいと感じる場合もあろう。初めて食べる物であれば,好奇心を持ってじっくりと味わい,好き嫌いを決めてその料理の特性を記憶する。つまり,料理の味は経験に基づいて判断されている。
 塩は塩味料として料理の味の決め手となるだけでなく,食素材の特性を維持したり,別の特性を引出すいろいろな機能を持っている風味強化剤であり,食欲増進剤である。塩はそれだけではなく生体においていろいろな機能を発揮し,それ故に塩がなければ生きてはいけないし,塩に代わる物はない。このように大切な塩も取り過ぎれば健康に悪いと言われていることから,塩味を気にしながら食生活をおくり,食事の楽しさを半減させている向きもあるのではなかろうか。
 塩は重量当たり最も安い物の一つであり,現在では水や空気のように供給に心配なく豊富にあって,日常その存在価値を感じることの少ない物である。このようなことから,塩についての情報は少なく間違って認識されていることもあり,身近な塩について出来るだけ広く取り上げて見る。

 2.塩味料

 2-1.塩味の知覚
 塩味料として食塩に代わる物は塩化リチウム以外にはない。それは塩味の知覚機構に基づいている。通常,味覚物質とそれに対応する味覚リセプターが結び付いて神経が刺激されたとき,味覚物質の味を認識する。しかし,塩味は味覚物質が味覚細胞のナトリウム.チャンネルを通過することによって知覚される。ナトリウム.チャンネルを通過できない限り塩味を感じることはない。ナトリウム.チャンネルを通過できるのはナトリウム・イオンとリチウム・イオンだけで,このうち塩化リチウムは毒物であるので,食塩代替物としては使えず,結局,塩味を示す食塩代替物の開発は出来ないと言われている1)
 塩味に対する味覚は先天的に備わっているものではなく,後天的に獲得するものである。生まれたばかりの乳幼児は塩味を感ずることはない。甘味,酸味,苦味については顔の表情で知覚されていると判断される。塩味については,4か月齢以下の新生児は水と塩水を同じ様に飲むか2)(味が判らないため)または拒む3)(味が判るため)との報告がある。424か月齢になると幼児は水よりも塩水の方を好むようになり,3160か月齢の子供になると水よりも塩水の方を拒むようになる2)。こうして好きな塩味の潰さは後天的に獲得され決まっていく。したがって,生後,薄味で育てられると薄味に慣れて,その薄味が美味しいと感じられる。成人してからも,好みの塩味の潰さは変えられる。高血圧予防の関係から人は減塩でどれだけ薄味に慣れるか研究されており,24か月で慣れると言われている4)。また,塩辛い食事の後では,好きな塩濃度は低くなり,水臭い食事の後では変わらなかったという報告もある5)。濃い味に慣れて塩辛い味が好きになり,渡さがどこまで進むかと言う研究報告はないが,自ずと好きな味の潰さには限界があるようで,それはかなり狭い範囲内で一定している。大々的な国際疫学調査の結果6)(6参照)でもそれは明らかである。通常,美味しい食塩濃度は吸い物で0.70.8%,煮物で1.52.0%と言われており7),前者の濃度は体液の塩分濃度に近い。
 味覚には閥値がある。18)に示すように閲値には味のない水溶液から初めて味覚物質の味を区別できる物質の濃度である検出閲値と,その物質に独特の味を認識できる濃度である認識閥値がある。検出閥値は認識閥値と等しいかそれ以下の濃度である。正常血圧者と高血圧者の塩味知覚に関する閥値の研究があり,それによると個人的には両者の閥値に差表1食塩濃度と食塩の味8)がある場合とない場合があるが,全体の幅で見ると両者に差はなく,いずれも660 mMであった9)

表1 塩濃度と塩味8)
濃度(M) 塩の味 備考
0.009 無味
0.01 弱い甘さ 検出閾値
0.02 甘い
0.03 甘い
0.04 甘さを伴った塩味 認識閾値
0.05 塩味
0.1 塩味
0.2 純塩味
1.0 純塩味
注:備考欄は筆者の記載

 2-2.塩欲求と塩嗜好
 ナトリウムは生体のホメオスタシス維持に不可欠な物であるので,ナトリウム欠乏になった時,ラットや羊は味覚に頼って塩を探し,利用できるナトリウム塩を摂取する10)。これはナトリウム欠乏でナトリウム()が必要な時に起こる行為であり,ナトリウム()欲求と言われる。一方,生理的に必要なナトリウム量を十分満たして摂取していても,それ以上に塩辛い物を好んで食べようとする。これをナトリウム()噂好と言う。塩噂好が生ずる原因は判らないが,塩噂好が決められる要因は経験,習慣,最初の刷り込みであると考えられている4)高齢になると味に対する鋭敏さが衰えるので,塩味の知覚が鈍くなり塩噂好は進むと言う説とそれに反対の説があるが,ザーレンらは若者と高齢者では塩味の知覚に有意差がないことを報告している11)

 3.食塩の製造法と品質

 食塩の原料は岩塩,天日塩,海水,かん水(塩水)である。海水が太陽熱や風で自然に蒸発すれば天日塩ができ,34億年前に出来た膨大な天日塩は地殻運動で地下に埋没して岩塩となった。また,地下水が岩塩層を通って塩を溶かし出してかん水になる。これは地下にあったり,泉となって地上に出てくる。土中の塩分を溶かして閉鎖された湖に流れ込んだ川の水が蒸発すると,塩分濃度の高い死海やグレート・ソルト・レークのような塩湖ができる。これらを原料にして食塩を製造することもある12)。しかし,日本で利用できる原料は海水だけである。使用する原料によって出来た製品は成分的に微妙に異なってくる。特に微量成分が問題とされるが,栄養学上議論になるほどの量ではない。
 岩塩,天日塩は自然にできる自然塩であるが,岩塩は一般的に品質が悪く13),天日塩はかなり品質が良い。天日製塩法と国内で行われているイオン交換膜製塩法による食塩の製法および製品品質は以下のようである。

 3-1.天日製塩法
 年間降雨量の少ない乾燥地帯では,海水を塩田に汲み入れて蒸発させる。海水中の塩分濃度は大体3%であり,その中の78%が塩化ナトリウムであるので,計算上,海水中の塩化ナトリウム濃度は2.34%となる。蒸発するにつれて濃くなっていく海水は,いくつにも区画された塩田(濃縮池,調整池)を通って最終的に塩の結晶を析出させる結晶弛まで到達する。塩化ナトリウムの飽和濃度は大体26%であるので,10倍ぐらいに濃縮されて初めて塩が析出する。このことから濃縮池と結晶池の面積比は大体10:1となっている。
 200年以上前にラボアジェは海水をゆっくり蒸発させると,炭酸カルシウム,石膏,食塩,硫酸ナトリウム,硫酸マグネシウム,塩化カルシウム,塩化マグネシウムの順に結晶が析出することを知った14)。海水濃縮に伴う化合物析出の様子を1に示す15)。最初の100 mlの海水から40 ml強の水分が蒸発すると,二酸化鉄と炭酸カルシウムが析出し始め,いずれも塩が析出する前に全て析出する。約80 mlの水分が蒸発すると,石膏が析出し始める。塩が析出する前に大部分の石膏が析出するため,かん水を結晶池に移す前に調整池で石膏を出来るだけ析出させて塩に多くの石膏が混じらないようにする。90 mlの水分が蒸発し,10 mlまで濃縮されて結晶池で塩が析出し始めても石膏の析出は塩の析出と同時に進行する。さらに濃縮が進むと硫酸マグネシウムが析出し始め,塩の品質が悪くなるので,その前に残った液をニガリとして排出し塩を採取する。収穫された塩は洗浄されて石膏を除去され,堆積中に水分を落とされた塩が出荷される。

    

 3-2.イオン交換膜製塩法17)
 海水中では塩化ナトリウムはナトリウム陽イオンと塩素陰イオンに分かれている。そこに2に示すように陽イオンだけを通す陽イオン交換膜,陰イオンだけを通す陰イオン交換膜を交互に入れて直流電流を流すと,陽イオンは陰極側に移動し,陰イオンは陽極側に移動する。その時,それぞれのイオンは通過できる膜を通り,通過できない膜によって阻まれる。その結果,図のように交互に海水が脱塩希釈される部屋と濃縮液が集まる部屋ができる。海水中の塩化ナトリウムのうち30%程度が脱塩され,20%に近い塩水が濃縮液として集められる。陽イオン交換膜と陰イオン交換膜の1枚ずつの組合わせを対と称する。数百対のイオン交換膜を組込んだ単位をスタックと称し,何スタックかを組込んで1電槽を構成し,それで年間13万トンに相当する食塩を海水から抽出する(国内生産量は約140万トン/)。一枚の膜面横は1 m2以上あり,膜と膜の間隙は0.5 mmと非常に狭く,この間隙に大量の海水を数か月間にわたって連続的に流すため,海水は水道水以上に砂濾過層で濁物を除去される。イオン交換膜は溶解物でもイオンになっていない物を通さないし,イオンであっても大きなイオンは通しにくいので,イオン交換膜製塩法は海水汚染に対して安全な製品を作れる技術である。主としてナトリウム.イオンと塩素イオンが20%に近い塩化ナトリウム液として集められるが,一部カリウム,マグネシウム,カルシウム,硫酸根もそれぞれイオンとしてかん水中に入ってくる。このようにして得られたかん水を3重効用または4重効用の真空式蒸発缶で濃縮して製塩する。この間のかん水が濃縮されて塩や他の化合物が析出してくる様子を3に示す15)。この場合,かん水100 gを取って30 gの水分を蒸発させると,塩だけが析出し始める。しかし,途中で石膏も析出し始め,50%以上に濃縮が進めば塩と石膏の混合物が得られる。さらに,濃縮が進むと塩化カリウムが析出し始め塩の品質が悪くなるので,濃縮はここまでとし,残された液をニガリとして排出する。石膏とともに採塩された塩はシックナーで石膏を分離される。塩は遠心分離機で分離されて製品,またはさらに乾燥されて製品となる。

     

 3-3.塩の品質
 塩の品質は原料,製法によって変わる。国内で生産されている塩の製造法は1972年に流下式塩田海水濃縮法からイオン交換膜式海水濃縮法に変わったので,得られるかん水の化学組成は異なり,その後の濃縮工程であるかん水の煮詰め工程(せんごう工程)は同じであるが,作られた製品の品質は少し異なる。その様子を4はよく表している16)。これは食塩と言う銘柄の製品純度および内容成分の推移を表している。海水濃縮法の変化により塩の品質が大きく影響されたところは硫酸根の低下,カリウムの増加で,次いで水分が若干低下しており,カルシウム,マグネシウムはそれほど大きくは変わっていないことが判る。

     

 図の右側に示した自然塩である天日塩田製塩法による製品の化学組成は昔の流下式塩田時代の塩組成と似ている。イオン交換膜製塩の塩と比較すると,カルシウム,マグネシウムのミネラルは大差なく,カリウム,硫酸根がかなり違うが,自然に作られた塩の純度は比較的高いことが判る。海水の濃縮過程を表した図1から見て,自然にはこのような組成の塩しか得られないのであって,マグネシウムやカルシウムの含有量が高い塩は別にそれらを添加して作られている。ちなみに明治38年に塩が専売制になった頃から現在まで塩の組成の変遷を5に示す18)。昔の塩は母液またはニガリをうまく分離できなかっ
(水切りが悪かった)ので,図の上部に示されているように水分が多く,それらの液の付着に伴う不純物が多いが,不純物の組成比は海水中の塩類組成比と類似している。このことから,塩を分析すれば,その組成比から海水由来か,岩塩由来か,何か添加物を加えた不自然な物であるかが容易に判る。

     

 なお,海水にはほとんど全てのミネラルが入っているので,自然に作る塩にはそれらのミネラルが入っており,健康に良いと言われるが,塩からどれだけのミネラル摂取量が期待できるか検討して2に示した。厚生省が第5次改定の日本人の栄養所要量の中で定めているミネラルは11項目あり,ミネラルによって栄養所要量,目標摂取量,推奨量と分かれている。表中の食塩10 g中の量は分析値の一例である。食塩10 gから摂取されるミネラル量はいずれも桁違いに少ない。

表2 ミネラル所要量と食塩10 gからの概略摂取量
ミネラル 1日当たり栄養所要量 食塩10 g中の量
カルシウム    0.5 - 1.1 g    
(乳児期1−授乳婦)
0.003 g
     6 - 20 mg    
(乳幼児 −授乳婦)
0.0017 mg以下
1日当たり目標摂取量
食塩 10 g 10 g
カリウム 2 -4 g   (成人) 0.013 g
リン 1.3 g以下 -
マグネシウム 150 - 400 mg
(小児 −妊産婦)
1.5 mg
1日当たり推奨量
亜鉛 15 mg  (成人) 0.0012 mg以下
1.28 - 2.5 mg  (成人) 0.0006 mg以下
マンガン 1.1 mg  (成人)
ヨード 0.1 mg以上  (成人) 0.004 mg以下
セレン 82 - 142 μg  (成人)

 4.食塩の機能と役割

 食塩の機能を食品加工で発揮する機能と人間の体内で発揮する機能および,その機能に基づく役割と保健政策上担う役割について述べる。

 4-1.食品加工における機能15)
 食品加工における食塩の機能と役割には3に示すようなことがある。食塩は塩味を呈するため食べ物に味をつける役割があり,塩味によって他の風味が強化され,食べ物が美味しくなり食欲を増進させる。砂糖に少量の塩を加えると対比効果により砂糖の甘さが引立つし,酢に塩を加えると酢の酸味が抑制されて美味しい酢の味となる。

表3 食塩の機能と役割
機    能 役        割
塩味 味付け、食欲増進、対比効果、抑制効果
浸透圧増加 脱水、防腐、保存、発酵調整、好塩菌利用発酵
沸点上昇 蒸煮促進
氷点降下 凍結
タンパク質溶解 テクスチャー、結着の発現、蒸煮促進
タンパク質変性 熱凝固促進、酵素失活、発色、変色防止
陽イオン置換 蒸煮促進

 食塩溶液は浸透圧が高いので,肉や野菜から水分を取り出す脱水作用があり,漬物の製造,調理に使われる。塩分濃度の上昇により水分活性値が低くなり,微生物の増殖が抑制されるので食品の防腐剤,保存剤として使われる。また製パンにおける酵母菌の発酵速度を調整し,好塩菌による味噌,醤油の発酵製造や塩辛の製造にも使われる。
 食塩溶液は沸点上昇や氷点降下を示し,沸騰温度の上昇により食べ物の蒸煮が促進され,氷点の降下により食塩溶液(飽和溶液では氷点は-21.12 ℃になる)で魚を凍結する。
 タンパク質の溶解や変質機能を利用して畜肉や魚肉製品の結着性を良くしたり,製麺で粘りを出してコシを強くしテクスチャーを改善する。熱凝固が促進されるため,焼き肉や焼き魚で旨味成分の損失が防止される。酵素作用の失括による変色防止や緑色野菜の色相保持に使われる。
 野菜のカルシウム・イオンをナトリウム・イオンで交換することにより,野菜の繊維を軟らかくして蒸煮を促進する。

 4-2.生体における機能19)
 食塩は人間の生命を維持するために不可欠な物である。人間だけではなく動物,特に草食動物にとっては不可欠で,これらの動物は食塩欠乏を来すことがあるため,必死になって本能的に食塩を探す行動を取る20)。肉食動物は捕えた獲物から補給しているため食塩を探すことはない。人間はまず食塩欠乏に陥ることはないが,食塩噂好によって必要量以上の食塩を摂取している。
 食塩の成分であるナトリウム・イオンと塩素イオンは体内で次のような機能を果たしている。人間は60兆個もの細胞から成り立っていると言われているが,細胞はある種の食塩溶液(細胞外液)に取り巻かれており,絶えず正常な大きさに維持されていなければ死んでしまう。浸透圧によって細胞を正常な大きさに維持する働きをしているのが食塩である。細胞外液中のナトリウム濃度は腎臓により142 mEq/1という一定の濃度(一定の浸透圧)に絶えず維持されている。腎臓の食塩排泄能力が悪く細胞外液中の食塩濃度が高くなると,浸透圧が高くなり,細胞内の液が外に抽出されるため細胞は小さく縮んで死んでしまう。逆に食塩の摂取量が不足すると細胞外液中の食塩濃度は低くなり,細胞内へ液が入り込み細胞は膨潤して機能が損なわれる。
 ナトリウムは腎臓で一度体内の老廃物とともに排泄され,その後,排泄されたほとんどのナトリウム量は再吸収により回収され,体外から摂取された量だけ排泄される。したがって,食塩摂取量の正確な調査は24時間の尿中食塩排泄量によって行われる。
 体液のpHは若干アルカリ性で一定に維持され,酸・塩基平衡が維持されている。この平衡が酸性側に移るとアシドーシスを起こし生命が危険になる。食塩のナトリウム.イオンは重炭酸ナトリウムや第二リン酸ナトリウムとなり,これらの物質の緩衝作用のために酸やアルカリ性物質が入ってきてもpHはあまり変化せず,体液のアルカリ性が維持される。 食物はいろいろな消化液によって分解される。胃液は酸性の強い消化液で,その成分は塩酸である。食塩の成分である塩素イオンは胃液となるし,胃粘液,すい液,胆汁などの消化液は無機成分として塩化ナトリウムを含んでいる。食物が消化されると炭水化物はブドウ糖に,タンパク質はアミノ酸になる。ブドウ糖やアミノ酸はナトリウムと結合しなければ腸管から吸収されない21)
 いろいろな刺激に対して適正な反応をしなければ人間は身体を安全に維持していけない。刺激に対して反応を起こすには,神経を通して刺激が脳に伝達されなければならない。この刺激の伝達にナトリウム.イオンが関わっている。
 以上のように,生命を正常に維持していくための機構には塩化ナトリウムがことごとく関わっており,体内で合成出来ないため,どうしても摂取しなければならない物質である。

 4-3.保健政策上の役割
 これまで述べてきたように食塩は必ず摂取しなければならない物である。しかし,その摂取量は毎日ほぼ決まっており,極端に増えたり減ったりすることのない特性を持っている。このことを利用して微量の栄養素の担体として食塩が使われる。わが国では問題になっていないが,国際的にはヨードの摂取量不足からヨード欠乏症を起こし,甲状腺腫やクレチン病になる。世界ではこの病気になる危険にさらされている人々が10億人いると言われ,ユニセフではヨード入りの食塩を食べさせることにより,2000年までにこの症状を撲滅させる運動を進めている22)。欧米ではかつてヨード欠乏症が風土病として恐れられたことがあり,今では1015 ppm以下のヨウ化カリウムまたはナトリウムを添加した食塩を食べることにより,ヨード欠乏症はなくなっている。
 8020運動は80歳で20本以上,自分の歯を残そうと言う運動であるが,歯を抜かなければならなくなるのは虫歯,歯槽膿漏のためである。虫歯予防のためにフッ素入りの歯磨粉があるが,スイス,スペイン,フランスなどの国々では食塩の中に250 ppm程度のフッ化カリウムを入れて骨のカリエスや虫歯予防を図っている23)
 鉄不足による貧血症は発展途上国の大きな保健問題で,インドでは人口の4070%の発症率と言われている。このため,鉄分を添加して強化した食塩がある。食塩添加にいろいろな鉄化合物とその吸収促進剤が使われているようであるが,塩の着色防止から鉄化合物としては硫酸第一鉄とヘキサメタ燐酸ナトリウムの組合わせが良いとの報告がある24)
 このように食塩には微量で必須な栄養素を担わせて必要量を体内に補給すると言う担体としての役割がある。

 5.食塩と健康問題

 食塩は人間の生命維持に不可欠な物であるが,ここ30数年来,食塩の過剰摂取が高血圧の原因となるとして,減塩の保健政策が進められている。日本では10グラム以上の食塩(食品中のナトリウムを食塩に換算した量で必ずしも全量が食塩ではない)は多過ぎるとの見解で,10グラムを目標摂取量にして厚生省は減塩を勧めている。食塩と高血圧の問題について,その発端から最近の研究成果まで,いくつか議論されている問題を述べる。
 減塩問題は,これまでは量的に全員一律の減塩を勧められてきたが,個人の特性によって減塩すべき人と減塩を考慮する必要のない人がいるので,今や質的に考えなければならない時代になっている。

 5-1.疫学調査
 食塩摂取量が高血圧発症率と関係があるらしいと考えられるようになったのは,グールの疫学調査の発表25)からである0バラツキの少ない,わずか5点のデータ(その内2点は日本)から,食塩摂取量と高血圧発症率との関係がきれいな直線で表され,食塩は高血圧の原因物質であるとの仮説が立てられた。その後,いろいろな疫学調査が行われたが,結果に一貫性がなく,その原因は疫学調査の方法論にあるとして,厳密な手順を決め,血圧測定者の技術水準も合わせて26)32か国,52センター(1センター約200人ずつの被験者,その内3センターは日本)10,079人の大規模な国際疫学調査(インターソルト・スタディ)の結果が発表された6),27)。結果の一つを6に示す。この図から分かるように,左下4点を除く文明社会では食塩摂取量と高血圧発症率とは関係ない。食塩を摂取しない文化を持つ原始的な生活を送っている未開社会の4か所を含めると僅かに正の相関が見られる。この調査から血圧には食塩よりもむしろ肥満,アルコール摂取量の方が大きな影響を与えるとしている28)

     

 この結果が発表されて以来,保健政策として減塩を勧めてきた欧米で,全国民に一律に減塩を勧めることの批判が出始めた29),30)。つまり,減塩の効果に対する評価は定まっておらず,減塩して効果があるのは食塩感受性の人達だけであり,その人達の比率は多くないので,効果のない大部分の人に減塩を勧めるべきではないという意見である。しかし,この調査を行った人達は100 mmol/dの減塩をすれば集団の平均収縮期血圧を23 mmHg下げられるとか,30年間で収縮期血圧の上昇を9 mmHg抑えられるとして,なお減塩すべきであると主張しており,この調査の結果を巡って,一律の減塩に対して賛否に分れた議論がある31),32)

 5-2.臨床試験,介入試験
 疫学調査で原因を仮定して,その原因が結果としての症状を起こすかどうか,臨床的,生理学的にいろいろな試験,調査で確認される。また,実際の食生活に介入(減塩)してその要因の効果が確認される。
 食塩についても動物実験,人体実験でいろいろなことが行われ,その過程で興味ある事実が明らかにされてきた。介入試験では減塩の効果は必ずしもあるとは言えず33),またマスメディアだけで減塩を成功させることは困難であるとも言われている34)。いくつかの研究成果を以下に述べる。

 5-2-1.食塩感受性
 食塩を摂取すると血圧が上昇する場合に食塩感受性があると言われ,これを初めて明らかにしたのは,食塩が高血圧の原因物質であるとの仮説を立て,それをラットで証明しようとしたグールの研究である。この研究によって食塩を食べさせると血圧が上昇する食塩感受性のラットと,いくら食塩を食べさせても血圧が上昇しない食塩抵抗性のラットがいることが分かった35)。その後,食塩感受性は人間にも当てはまることが分かり36),今や減塩で血圧低下の効果があるのは食塩感受性の人だけで,それ以外の人は減塩しても効果がないと言われている。
 現在のところ食塩感受性を判定するには12か月を要し37),食塩感受性の定義もいろいろとあり38),現在,食塩感受性でなくても将来食塩感受性になるのかどうか,それを見分ける方法もまだ開発されていない。黒人,老人,肥満者に食塩感受性者が多いと言われている。食塩感受性者の比率は食塩感受性の定義によっても異なるが,正常血圧者で1542%,高血圧者で1874%というデータがある38)

 5-2-2.遺伝性
 食塩感受性が明らかにされたグールの研究で,高血圧は遺伝することが判り,系統選抜で食塩とは関係なく自然に高血圧になるラット,その上で必ず脳卒中で死ぬラットが開発された。このようなラットは食塩により症状の発症が加速されることはあるが,タンパク質,その他の栄養摂取によって血管が丈夫になり,高血圧でも脳卒中を起こしにくくなることも判ってきた39)
 高血圧が遺伝することから,血圧を上昇させることに関連する遺伝子を探る研究が盛んである40),41)。例えば,食塩感受性を起こす遺伝子が分かれば,食塩感受性の判定にも使え,そのような遺伝子を持っている人は若い頃から食塩摂取量に気を付けて,高血圧にならないように予防することができる。

 5-2-3.多様性
 これまで高血圧の原因を語る時,食塩だけに焦点を置いて論じられて来たが,高血圧は食塩だけではなくいろいろなミネラル42)や他の要因が複雑に関係している疾患であることが分かってきた43)。このようなことから,高血圧の発症は遺伝によるのか環境によるのかという問題もある44)

 5-2-4.減塩の効果と危険性
 臨床試験や介入試験で減塩は必ずしも血圧低下の効果があるわけでもなく,全体的には減塩の効果があるとされる調査でも,個別にそれぞれの人について見ると,血圧が下がるばかりではなく逆に上がる場合もある。その例を7に示す45)

       

 一般的に減塩には危険がないと言われ,減塩が勧められているが,その根拠は明確ではない。人間に最低限必要な食塩摂取量は一日当たり0.5グラムとも1グラムとも言われている。それぐらいの摂取量で生活している人種がおり,しかも彼等には加齢に伴う血圧上昇がないからである。このような少ない摂取量と比較すると10倍以上の摂取量は多過ぎることになり,少々減塩しても危険性はないと言うことであろう。しかし,彼等の寿命は短く,出血,高熱,下痢に対する抵抗力は極めて弱いことには触れられていない。
 一律の減塩に対する批判は,血圧低下に一貫した効果がないこともあるが,最近では,減塩に危険性がある46)ことからも強くなった。先に示した減塩で血圧が上昇するということも危険性の一つであるが,一般的には減塩により食べ物がまずくなり,食欲が進まず食べられなくなるので,必要な栄養素が摂取できなくなると言われている。その他に,睡眠障害や下痢,出血に対する抵抗力の低下がある。最近では,減塩により悪玉コレステロールであるLDL-コレステロールが増加する47)とか,心筋梗塞の危険率が高くなると言った報告がある48)

 6.おわりに

 生活に密着した塩の中で,食生活に関係のある部分を中心に述べた。しかし,塩は化学工業の分野では重要な原料であり,農業では家畜の飼料であり,別の工業では助剤となり,塩が塩として,あるいはナトリウムと塩素の形に分かれて数多くの製品の製造に関係している。塩は食生活だけではなく,衣の生活でも住の生活でも重要な物で,我々の文化生活は塩に取り囲まれて成立していると言える。世界的に見て塩は年間18千万トン生産され,その主な用途として食用が20%程度,化学工業用が60%を占め,高速道路の融氷雪用が10%,その他が10%位である。塩に関わる世界は大きく広い。

 引用および参考文献

1) D. Erickson: Trick of the Tongue: A Unique Mechanism of Taste Means No Substitute for Salt. Sci. Am., 262, 80 (1990)

2) G. K. Beauchamp, B. J. Cowart, M. Moran: Developmental Changes in Salt Acceptability in Human Infants. Dev. Psychobiol., 19, 17-25 (1986)

3) G. K. Beauchamp, B. J. Cowart, J. A. Mennella, R. R. Marsh: Infant Salt Taste: Developmental, Methodological, and Contextual Factors. Dev. Physiol., 27, 353-365 (1994)

4) G. K. Beauchamp: The Human Preference for Excess Salt. Am. Scientist, 75, 27-33  (1987)

5) N. Ayya, G. K. Beauchamp: Short-Term Effects of Diet on Salt Taste Preference. Appetite, 18, 77-82 (1992)

6) Intersalt Cooperative Research Group: Intersalt: An International Study of Electrolyte Excretion and Blood Pressure. Results for 24 Hour Urinary Sodium and Potassium Excretion. Br. Med. J., 297, 319-328 (1988)

7) 河野友美編:調味料:新食品事典7, pp.38, 真珠書院 (1991)

8) 小原正美:食品の味, 光琳書院 (1966)

9) P. J. Schechter, D. Horwitz, R. I. Henkin: Sodium Chloride Preference in Essential Hypertension. J. Am. Med. Assoc., 225, 1311 (1973)

10) D. A. Denton: The Hunger for Salt, Springer-Verlag (1984)

11) E. M. Zallen, L. B.Hooks, K. 0, Brien: Salt Taste Preferences and Perceptions of Elderly and Young Adults. J. Am. Diet. Assoc., 90, 947-950 (1990)

12) D. W. Kaufmann: Sodium Chloride: The Production and Properties of Salt and Brine. American Chemical Society (1978)

13) S. J. Lefond: Handbook of World Salt Resources, Plenum Press (1969)

14) F. Macintyre: Why the Sea is Salt. Scientific American, 223, 104-115 (1970)

15) 橋本壽夫:塩味料。福場博保,小林彰夫編集: 調味料・香辛料の事典,朝倉書店,pp.81 (1991)

16) 橋本壽夫:連載14食塩と高血圧:食塩の種類と品質,保健の科学,36, 121-126 (1994)

17) 日本海水学会編:イオン交換膜電気透析法による製塩,日本海水学会誌,34, 47-141  (1980)

18) 村上正祥:塩の組成と品質,日本海水学会誌,38, 236-251 (1984)

19) 飯田喜俊:図解 水と電解質,中外医学社,(1984)

20) J. Schulkin: Sodium Hunger: The Search for a Salty Taste. Cambridge University Press (1991)

21) S. Papper: Sodium: Its Biologic Significance, CRC Press, Inc. (1982)

22) B. S. Hetzel: The Elimination of Iodine Deficiency Disorders (IDD) by Salt Iodization: A Great Opportunity for the Salt Industry. In: Kakihana H., Hardy Jr. R. Hoshi T. and Toyokura K., Seventh Symposium on Salt, Elsevier Science Publishers, Amsterdam, Vol.2, pp.409-414 (1993)

23) B. Moinier: Le Sel Fluore: De la Production a la Consommation. Cah. Nutr. Diet, 25, 273-276 (1990)

24) S. Ranganathan: Fortification of Common Salt with Iron: Use of Polyphosphate Stabilisers. Food Chemistry, 45, 163-167 (1992)

25) L. K. Dahl: Possible Role of Salt Intake in the Development of Essential Hypertension. In: Essential Hypertension, An International Symposium, Edited by P. Cottier and K. D. Bock, Springer-Verlag, pp.53 (1960)

26) P. Elliott, R. Stamler: Manual of Operations forINTERSALTan International Cooperative-Study on the Relation of Sodium and Potassium to Blood Pressure. Controlled Clinical Trials, 9, 1S-118S (1988)

27) INTERSALT Co-Operative Research Group: Special Issue: The INTERSALT Study: An International Co-Operative Study of Electrolyte Excretion and Blood Pressure: Further Results, J. Hum. Hypertens., 3, 279-407 (1989)

28) J. D. Swales: Salt Saga Continued. Br. Med. J., 297, 307-308 (1988)

29) T. J. Moore: How Doctors Oversell the Risks of High Blood Pressure. Washingtonian, 25, 64-67, 194-204 (1990)

30) J. M. Bader: Hypertension: La Fin du Regime Sans Sel. Science et Vie, 878, 68-75   (1990)

31) L. R. Krakoff: Its Reduction of Dietary Salt a Treatment for Hypertension? Am. J. Hypertens., 4, 481-482 (1991)

32) R. Stamler: Implication of the INTERSALT Study. Hypertension, 17 (suppl. I), I-16-I-20 (1991)

33) D. E. Grobbee, A. Hofman: Does Sodium Restriction Lower Blood Pressure? Br. Med. J., 293, 27-29 (1986)

34) J. Staessen, C. J. Bulpitt, R. Fagard, J.V. Joosens, P. Lijnen, A. Amery: Salt Intake and Blood Pressure in the General Population: A Controlled Intervention Trial in Two Towns. J. Hypertens., 6, 965-973 (1988)

35) L. K. Dahl, M. Heine, L. Tassinari: Effects of Chronic Excess Salt Ingestion. Evidence That Genetic Factors Play an Important Role in Susceptivity to Experimental Hypertension. J. Exp. Med., 115, 1173-1190 (1962)

36) T. Kawasaki, C. S. Delea, F. C. Bartter, H. Smith: The Effect of High-sodium and Low-sodium Intake on Blood Pressure and Other Related Variables in Human Subjects with Idiopathic Hypertension. Am. J. Med., 64, 193-198 (1978)

37) C. H. Espinel: The Salt Step Test: Its Usage in the Diagnosis of Salt-Sensitive Hypertension and in the Detection of the Salt Hypertension Threshold. J. Am. Coll. Nutr. 11, 526-531 (1992)

38) J. E. Dimsdale, M. Ziegler, P. Mills, C. Berry: Prediction of Salt Sensitivity. Am. J. Hypertens., 3, 429-435 (1990)

39) 家森幸男:感染,炎症,免疫,14, 192 (1984)

40) R. R. Williams: Will Gene Markers Predict Hypertension? Hypertension, 14, 610-613    (1989)

41) V. L. M. Herrera, N. Ruiz-Opazo: Beyond Gentic Markers: Hypertension Genes. J. Hypertens., 12, 847-856 (1994)

42) F. C. Luft, M. D. McCarron: Heterogeneity of Hypertension: The Diverse Role of Electrolyte Intake. Ann. Rev. Med.,42, 347-355 (1991)

43) M. Muntzel, T. Drueke: A Comprehensive Review of the Salt and Blood Pressure Relationship. Am. J. Hypertens., 5, 1S-42S (1992)

44) S. B. Harrap: Hypertension: Genes versus Environment. The Lancet, 344, 169-171  (1994)

45) J. Z. Miller, M. H. Weinberger, S. A. Daugherty, N. S. Fineberg, J. C. Christian, C. E. Grim: Heterogeneity of Blood Pressure Response to Dietary Sodium Restriction in Normotensive Adults. J. Chron. Dis., 40, 245-250 (1987)

46) M. H. Alderman, B. Lamport: Moderate Sodium Restriction: Do the Benefits Justify the Hazards? Am. J. Hypertens., 3, 499-504 (1990)

47) M. Ruppert, A. 0verlack, R. Kolloch, K. Kraft, M. Lennart, K. 0. Stumpe: Effects of Severe and Moderate Salt Restriction on Serum Lipids in Nonobese Normotensive Adults. Am. J. Med. Sci., 307 (suppl.1), S87-S90 (1994)

48) M. H. Alderman, S. Madhavan, H. Cohen, J. E. Sealey, J. H. Laragh: Low Urinary Sodium Is Associated with Greater Risk of Myocardial Infarction among Treated Hypertensive Men. Hypertension, 25, 1144-1152 (1995)