たばこ産業 塩専売版  1996.12.25

「塩と健康の科学」シリーズ

(財)ソルト・サイエンス研究財団研究参与

橋本壽夫

食塩嗜好の変化・その2

成人から老人になるにつれて

 成人の食塩嗜好は必ずしも子供の頃の食塩嗜好を引き継いでいることではないらしいことをこれまでに述べた。食塩嗜好は生理状態や食べ物によっても変わり、また老人については、味覚神経の衰えで塩味感受性が悪くなり、塩辛い物を好むようになって食塩嗜好が強くなるといわれ、そのため食塩摂取量が多くなって、健康上悪いといわれている。健康上のことはともかく、ここでは生理状態や食べ物との食塩嗜好の係わりや、老人の塩味に対する味覚感度に変化があるかどうかについて述べる。

成人の食塩嗜好

 成人の食塩嗜好は必ずしも子供の頃の食塩嗜好を引き継いでいることではないらしいが、子供の頃に経験した食生活によって成人の食塩嗜好が決まることも確かである。
 話の流れに矛盾があるように思われるが、子供の頃には食塩嗜好が大きく変わり(美味しいと感じる塩分濃度の範囲が広い)、ある時期にそれがどこかの範囲で固定され、成人の食塩嗜好となるわけで、固定されるまでの食塩嗜好と成人の食塩嗜好とは関係ないらしいということ、である。
 関東の濃い味と関西の薄い味とはよくいわれることで、これは厚生省の食塩摂取量調査にも現れている。成人はそれぞれの地域の味にお互いに順応しにくいが、ある年齢までの子供は容易に順応できるのではなかろうか。しかし、固定された成人の食塩嗜好も長い期間をかければ変化させられる。

慣れの影響

 それは慣れの影響である。美味しいと思う塩分濃度は食生活の改善で変化する。ある研究によると、食塩嗜好の変化は24ヶ月かかってゆっくりと変わっていく。気長に辛抱強くほぼ一定にした塩分濃度の食生活を続ければ、次第にその味に慣れて食塩嗜好が変化する。減塩のために薄味に慣れるように食生活の改善が叫ばれる所以である。

生理状態の影響

 スポーツで汗を流して喉が渇いた時のビールは真にうまく、水分の不足した体の隅々まで浸み込んでいくように感じる。激しい運動でエネルギーを消耗し疲れた時には、甘い物や甘酸っぱい物が欲しくなり、自然にそのような食べ物や飲み物を美味しいと思いながら食べている。
 食塩でも同じで、食塩が欠乏すると塩欲求が現れ、塩気の物をやたらと食べるようになる。人間の場合には食塩飢餓になることはないが、激しい運動で汗をかいた後など一時的に軽い塩分不足となり、塩辛い物を美味しく感じる。
 23ミリぐらいの大きさの塩粒ですら口に含んでいるとかすかに甘く快く感じ、溶けてなくなるまで口に入れていられる。しかし、塩が足りている時、塩粒を口に入れようものなら塩辛くて不快になり吐き出してしまう。
 このように食塩嗜好は、塩が体に足りているかどうかという生理状態でも変わる。
 生理的には塩は十分足りているが、通常の塩分バランスが一時的に崩れると、味覚がそれを判断してバランスを維持するように塩分摂取量を調整するのであろう。長期的に崩れると、やがて慣れて新しいバランス点に到達する。
 塩分バランスを数字で表すと1日当たりの食塩摂取量となり、この数字は13グラムでも、10グラムでも、極端な場合、1グラムでも良い。自分のバランス点は味覚が知っていると私は考えている。

食物の影響

 減塩を勧められてもなかなか実行できない。いかにして減塩をするかという研究の中から、食物によって食塩嗜好が変わることが判ってきた。つまりタンパク質を沢山食べると、食塩嗜好が弱くなり、食塩摂取量が減るという。タンパク質には動物性タンパク質と植物性タンパク質があるが、食塩嗜好を弱くする作用は動物性タンパク質にあり、植物性タンパク質にはなく、このことはアオニンに起因していることが判った。大豆タンパク質にはメチオニンや遊離アミノ酸が少なく、メチオニンは食塩嗜好を弱くすることが動物実験で確認されている。
 うま味調味料であるグルタミン酸ソーダなども食塩嗜好を弱くする作用があることが判っているし、唐辛子の辛い成分であるカプサイシンも同様の作用があることが判ってきた。

老人の食塩嗜好

 味覚は年齢とともに変化することは体験的に知っている。老齢になると神経系が退化し、味覚に対する感度が低下すると考えられている。つまり、老人の味覚は鈍く正常な塩味を感じられないので、塩味を感じるには食塩を多く取りすぎてしまい、食塩嗜好が高いというわけである。
 味を感じる味覚細胞は味蕾の表面で日々更新される。これらの細胞の中に塩味を感じる細胞があり、その回転率についての研究によると、回転率が低いほど古い細胞がまだ活動して残っており、鈍い感度の使い古された味を感じる器官の存在や、その数の減少の可能性がある。

味覚細胞の回転率

 味覚細胞の回転率は低タンパク質摂取量で低く、年とったラットで低かった。年をとるとあまりタンパク質を食べなくなり、また、加齢自身が味覚細胞の回転率を減少させるので、食塩嗜好が高まることが判った。
 ラットの結果が人間にそのまま当てはまるかどうかは不明であるが、老人の塩味に対する味覚感度は鈍いという研究報告がある一方で、それを確認するために行った研究では、味覚感度は若者と同じで、老人であるからといって食塩嗜好が高くなるということはないとの報告もある。
 老人の食塩嗜好について結論を出すのはまだ早いようである。