たばこ産業 塩専売版  1988.09.25

「塩と健康の科学」シリーズ

日本たばこ産業株式会社塩技術調査室室長

橋本壽夫

 

汗と塩分補給

 

 アメリカに塩協会(ソルト・インスティテュート) という団体がある。塩の生産者と販売者で組織されている。高血圧との係わりで、塩が不当に評価されていることに対して、各種の調査やキャンペーンを行っている。
 その一つとして昨年、アメリカの栄養士協会の総会があった際に、栄華士に対して塩と健康問題についてアンケート調査を行った。659の栄養士がアンケートに各えたが、その結果は次の通りであった。
 ∇食事中のナトリウムを減らして血圧を下げられる人たちは人口の10%以下であること、を知っている栄養士は35%であった。
 ∇36%の栄養士はすべての人の血圧を下げられるものと信じていた。
 ∇健康で正常な血圧の人は、血圧が上がるという恐れを持たないで好きなだけ塩を食べられることを知っている栄養士は33%であった。
 ∇11%の栄養士は、塩の摂取を控えれば高血圧を予防できるため、すべての人が塩分を制限すべきであると信じていた。
 ▽塩はその39%がナトリウムであることを知っているのは44%であった。
 ▽6%の栄養士はナトリウムとは塩と同じもので、ナトリウムは塩の別名であると思っていた。
 ▽アメリカとカナダの1日当たりの食塩摂取量は平均8グラムであることを知っている栄養士は41%であった。23%が5グラム、23%が15グラムまたはそれ以上と思っていた。
 ∇5間の質問をすべて正解できたのはわずか5%で、4間正解は15%であった。
 以上のように、アメリカで食生活の栄養指導と実践をしている栄養士が持っている食塩と健康に対する認識は、極めて低いものであった。
 日本では、このような調査はないが、もし行えば厚生省の栄養指導行政からして、恐らくこれ以上の悪い結果が出るのではなかろうか。
 さて、汗を流す季節も終わったが、季節に関係なく汗を流しながら仕事をしている人もいる。そこで汗と塩分補給のことを考えてみる。
 汗を流せば、汗の中に塩分が含まれているので塩分の損失となり、水分とともに塩分も補給しなければならないというのがこれまでの常識。
 ところが、塩と健康問題がクローズ・アップされ、減塩指向という中では、汗を流しても塩を補給しなくてもよいというのが新しい常識?とまではなっていないが、その方向に持っていこうとする記事が時々見られる。その理由はに示した実験結果を基にしている。

食塩摂取量と汗による食塩排泄量
           図 食塩摂取量と汗中の食塩排泄量

 これは、暑い環境の中で仕事をすることに馴れている男子が食塩摂取量を急に減らした時の影響を、尿と汗への食塩排壮量の変化でみたものである。120グラムの食塩を摂取している人は、ほぼその分だけ食塩を排泄する。その内訳は尿の中に6グラム、汗の中に14グラムである。
 摂取量を約半分の11グラムに急に減らすと、全排泄量も急激に減り、1週間もすれば摂取量と排推量が同じになりバランスする。その間は最初、摂取量よりも排泄量の方が多いところから、1度は少なくなりやがてバランスする。
 また、摂取量の変化に応答する速度は排泄量の変化度合いから、汗腺よりも腎臓の方が速いことが分かる。バランスした所では11グラムの摂取量に対して尿の中に4グラム、汗の中に7グラム排泄されている。さらに、摂取量を11グラムの約半分の6グラムにしたところ、前と同様の変化の様子を示し、摂取量と排泄量は再びバランスする。この時、尿の中には2グラム、汗の中には4グラムの食塩が排泄される。
 それでは、どこまで塩分摂取量を減らしていけるのであろうか。これから先に実験は続いていないが、無塩文化といわれて塩を摂取しないで生活している民族がおり、その調査から人間が最低限必要とする食塩は、1日に0.51.0グラムぐらいであろうといわれている。
 1日に7リットルの汗をかくとして、汗の中の食塩濃度を示したのが図である。摂取量の減少に伴って濃度も低下していることが分かる。
  このように、食べた塩はほとんどが排泄され、収支のバランスがとられている。つまり、汗をかいて損失した塩分を補給しなければ、腎臓や汗腺の塩分を保持する機能が働いて、汗や尿の中の塩分濃度が薄くなり、最終的には摂取量と排泄量がバランスするから、塩分の補給は必要ないというわけである。
 しかし、本当に補給の必要はないのであろうか?これを信じていると危険な状態になりかねない。図を見ると分かるように、最初の二日間ぐらいは摂取するナトリウムよりも排泄される方が多いので、体内に蓄積されているナトリウムが持ち出され、少なくなる。
 この間、食塩補充を考えないで水分補給だけを過剰にすると細胞外液濃度が薄くなり、浸透圧が下がって食塩欠乏による熱疲弊を起こす。これは循環系統の機能不全として現れ、頭痛、めまい、疲労感、吐き気、噂吐、筋肉痙れん、失神といったことになる。
 したがって、大量に汗をかいた時には、適当な食塩摂取で汗による損失を補充しなければならない。
 長い人間の歴史、生活の知恵、人生経験で積み上げられてきた知識を、科学の進歩によりある一面だけが解明されたことによって、間違いであると判断し、行動するのは危険なこともある。