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2017.03.01

 

減塩を勧める保健政策の善悪

 生命の維持に必須な塩が悪者にされてきた経緯については先にその一端を述べた。そもそも減塩政策を勧める科学的根拠がないにもかかわらず保健政策に組み込まれた。減塩による血圧低下効果は期待するほどではなく、むしろ減塩には危険性があることが明らかになるにつれて減塩を巡る塩論争が激しくなってきた経過を述べる。減塩を保健政策として勧めることの善悪を判断できると考える。

 

塩が悪者にされた発端

 塩が高血圧の原因物質ではないかと考えられ始められたのは、1960年にダールが発表した疫学調査の結果からである。それは下表に示す塩摂取量の平均値と高血圧発症率の関係をプロットして非常に高い相関関係を暗示する図を得た結果からであった。この表を見ると、調査した年がバラバラで、塩摂取量の範囲は非常に幅広く10倍もの開きがあり、特に秋田の場合、最低値が5 g/dで考えられないような数値から最高値55 g/dまでとこれも考えられないような塩摂取量の幅で、その平均値を26 g/dとしているが、このデータは友人である千葉大学の福田博士から提供されたと論文に記載されている。また、高血圧発症率のデータについては出典が明らかにされていない。このようなことから現在ではこの図の信頼性はない。

しかし、ダールはこの図から塩仮説を立て、それを証明するためにラットに塩を与えて高血圧を

ダールの図の基となった1日当たり平均塩摂取量
塩摂取量 高血圧発症率
グループ 性別 平均値 範囲 (140/90 mmHg以上)
( g/d ) ( g/d ) (%)
アラスカのエスキモー 1958, 1960 男女 4 1 - 10 0
マーシャル諸島 (太平洋) 1958 男女 7 1.5 - 13 6.9
アメリカ合衆国 (ブルックヘブン) 1954 - 1956 10 4 - 24 8.6
日本
  広島 (日本南部) 1958 14 4 - 29 21
  秋田 (日本北部) 1954 男女 26 5 - 55 39
Intern J Epidemiol 2005;34:967-972に再掲載されたダール論文より



発症させようとする実験を行った。しかし、結果は全てのラットに高血圧を発症させることは出来ず、塩摂取量に対して感受性があって高血圧になるラットと抵抗性があって高血圧にならないラットがいることを発見した。

 

国家や国際機関が塩を悪者と考え減塩目標値を決めた

 塩仮説は証明されていないが高血圧者が多いことで悩んでいたアメリカ政府は、減塩すれば高血圧者が減ると考えて、1977年に議会で塩摂取量8 g/d(添加5g +自然3g)を決定した。減塩運動が始まるきっかけとなった。日本でも2年遅れの1979年に目標摂取量10 g/dが設定された。当時、塩摂取量が13g/d程もあった日本では塩分の多い味噌、醤油を調理に使い、漬物や醤油差しが食卓に並ぶ食生活で一気に8 gまで下げられないので、10 gを当面の目標値とした。この値は10 gに近づいた30年後に男性で9 g未満、女性で7.5 g未満に下げられ、現在ではそれぞれ8 g7 gに下げられている。

 アメリカでは2005年版の「アメリカ人の食事ガイドライン」で5.8 g/dに設定し、高血圧者、黒人、中年者、老人にはさらに低い値の3.8 g/dに設定した。2010年版では3.8 g/dまでの減塩を勧める対象者に50歳以上の老人、アフリカ系アメリカ人、糖尿病者、慢性腎臓疾患者を加えた。しかし、2013年に全米科学アカデミー組織下の医学研究所が減塩政策の根拠が薄弱であり、危険性のあるグループであまりにも低い塩摂取量は有害であるかもしれないとの報告書が出されると、2015-2020年版では3.8 g/dの設定値は削除された。

 その前にWHOでは2012年に塩摂取量を5 g/d以下を設定した。

 

ラットの塩感受性はヒトでも当てはまる

 ダールがラットで発見した塩感受性の現象はヒトでも当てはまることを1978年に川崎が発表し、1980年に藤田が具体的なデータを下図で示した。この図で分かるように減塩で血圧が下がるのは塩感受性のある人達だけです。しかし、現在のところ塩感受性の判定は簡単には分かりません。塩感受性の人は人口の30%、高血圧者の50%位と言われています。


海外マスメディアは減塩政策に疑問を呈する

 1982年にアメリカのTIMEはカバー・ストリー「塩:新たな悪者?」を掲載し、塩を悪者にしている保健政策に対して疑問を呈した。

1990年にはフランスの雑誌「Science et Vie(科学と生命)」で記事「高血圧:減塩療法に別れを告げよう」が発表された。高血圧にとって塩分は悪者だろうか?適量の塩分であれば、害はないことが証明されているのに、医者も保健所も一般の人々も塩を悪者と決めつけている、と批判している。風刺漫画を挿入しながら、「減塩運動という振り上げた拳を笑いものにされないで降ろすにはどうすればいいのか」とアメリカ心臓研究所栄養部長の言を引用している。

 1992年にはアメリカ高血圧学会誌で42ページにわたる大部の論文「塩と血圧に関する総合レビュー」が発表され、塩摂取量と血圧との関係はまだ完全には解明されていないとした。これは全ての人に減塩を勧める根拠がないことを指摘している。

 1998年には科学雑誌Scienceでガリー・トーブスは論文「(政治的な)塩の科学」で全ての人に減塩を勧める科学的根拠がないことを指摘し、2012年のニューヨーク・タイムズのオピニオン・ページでは「塩、我々は皆さんを誤らせた」と題する論文を寄稿し、仮説であった全ての人々への減塩根拠を事実にまで昇格させてしまったと述べている。

 海外のマスメディアは専門家から減塩政策に対する疑問や有害性が発表されるとすぐさま報道するので、国民はそれらの報道を読んで減塩すべきかどうかを判断しているのであろう。その裏付けとなるのかも知れないが、一番初めに減塩政策を勧めたアメリカでは50年間塩摂取量は変わっていないとの発表がある。塩摂取量に対するアメリカ人は関心40%程度しか示していない。

 2015年には「アメリカ人の食事は塩辛すぎるか?科学者達は長年にわたる政府の警告に挑戦」と題してワシントン・ポスト紙で「アメリカ人の食事ガイドライン」で定めている塩摂取量の根拠に疑問を呈する記事を発表した。

 

減塩効果の低さ、有害性が明らかに

 1986年にBMJでグロビーとホフマンは減塩による降圧効果を調べた13件の研究を紹介し、その中で減塩の有意性が確認されたのは3件だけであった。1987年には「慢性疾患誌」で正常血圧者の減塩に対する血圧応答が示され、減塩によって血圧が下がる人はいるが、逆に上がる人もおり、変化しない人が一番多かったことが発表された。減塩が有害である人がいても、その危険性は強調されなかった。その2年後に同じグループの研究者が高血圧者でも同じ傾向であることを発表した。また、子供でも同じパターンを示し、減塩に対する血圧応答は変化なしの件数を中心に低下と上昇の正規分布を普遍的に示すようである。


   M. H. Weinbergerら In Salt and Hypertension 1989:121 - 127 Springer-Verlag

 1988年に大規模な国際的疫学調査で塩摂取量と高血圧発症率の問題に決着を付けようとしたインターソルト・スタディの結果がBMJ誌に発表された。統一された厳密な方法論で32ヶ国、52ヶ所における1万人以上の被験者による結果では、塩摂取量と高血圧発症率との関係は弱いことが分かった。下図で左下4点のプロットは無塩文化の原始社会。

減塩しても高血圧発症率は低くならないことを示唆している。このことが分かって以来、「塩と高血圧問題に関する論争」で紹介したように減塩を巡る保健政策について学者間で賛否両論の論争が本格的に始まり、「食塩と高血圧に関する海外の報道」で示すようにマスメディアでも減塩政策に対して疑問を呈する批判記事が掲載され出した。

 1990年にオルダーマンとランポートは4.0 – 5.8 g/dの減塩では軽症高血圧患者の25%程度で血圧を下げるに過ぎない。それどころか15%くらいの患者で血圧を上げ、睡眠を妨げ、他の貴重な栄養摂取量を減少させ、下痢、高熱、出血などの障害に対して抵抗力を下げることもある、とアメリカ高血圧学会誌で減塩の危険性を訴えた。また1995年にはアメリカの「高血圧」雑誌で減塩は高血圧治療中の男性で心筋梗塞の危険性増大と関係していると下記の図を発表した。

前に書いたように2013年に医学研究所が減塩政策の根拠が薄弱であり、危険性のあるグループであまりにも低い塩摂取量は有害であるかもしれないとの報告書を出した。

 

減塩運動組織の設立

 1988年のインターソルト・スタディの結果発表後から減塩政策に対する批判がある中で1991年にイギリスの食品・栄養政策の医学面に関する委員会で塩摂取量4 g/dを参考摂取量として設定し、減塩運動を推進し始めた。この運動を引き継いで減塩運動を進める組織「塩と健康に関するコンセンサス活動(CASH)」が設立され、塩摂取量6 g/dを設定し、減塩運動を進める活動を積極的に始めた。2005年にはCASHの創始者が国際的な組織「塩と健康に関する国際活動(WASH)」を設立し大々的に減塩運動を進めている。

 しかし、2014年にアメリカ高血圧学会誌で全死因による死亡率と心血管疾患罹患率から見て現状の塩摂取量(6.7 – 12.6 g/d)が一番適正と発表された。

 これまでの経過から考えると、筆者には全ての人々に対して減塩政策を進めることは良いこととは思えない。確かに減塩すべき人達はいる。しかし、大半は減塩しなくて良い。ただ自分が減塩すべき体質であるかどうかの判定は簡単できない。明確な情報を提供するとともに、個別の体質に合った減塩政策が勧められるように望む。