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推定されている減塩の利益を巡って30年間にわたる論争は、いかに良質な科学論文の疑問が公衆保健政策の圧力と衝突しているか、を示している

 

(政治的な)塩の科学

The (Political) Science of Salt

By Gary Taubes

Science, 1998;281:898-907

(訳者注: ガリー・トーブスは著名な科学ジャーナリストで食生活に関する多くの論文がある。中でも減塩政策は減塩に対して明確な科学的根拠がないことを科学雑誌サイエンスに「(政治的な)塩の科学」と題して発表した。減塩政策が採られるようになった経緯が良く分かる。長文であるが、図表を除いて訳出した。)  


 公衆衛生当局から個人トレーナー、ボランティア関係者、門外漢まで、実質的に全ての人々に食事勧告が施行される時代では、1回の勧告が争う余地のない力で30年間響き渡り続けてきた。すなわち、減塩すれば血圧が下がり、健康で長生きできる。これは国立心肺血液研究所と国立高血圧教育プログラムの両者、36医療機関、6連邦機関の連携によって奨励されたメッセージである。高血圧で悩んでいる何千万人ものアメリカ人だけでなく、誰もが減塩によって心疾患の危険率を下げられる。公式なガイドラインは1日当たり6 gの許容量を勧めており、それは我々の現在の平均摂取量よりも4 g少ない。この“中程度の減塩は動脈血圧を下げ、脳卒中を予防する。”と国立高血圧教育プログラム長官のEd ロッセラは言う。ロッセラのメッセージは明確である。すなわち、“私がしようと試みている全ては命を救うことである。”

 それでは何が問題なのか?原因については、塩が第一に食品の味を決める物であり、(もちろん脂肪も別の決定要因) 塩の80%は避けられない加工食品から摂取している。したがって、弾みをつける物がある。数十年間も政府は健康を害する物として塩を非難し続ける間、多大な科学的努力は、塩がそのような物ではないと言う疑いを晴らせなかった。事実、あるかもしれない減塩の利益を巡る論争は、今や全ての医学の中で最も長く続き、最も激しく、現実離れした論争の一つとなっている。

 片側には次のような専門家達がいる。塩が血圧を上げると言うエビデンス(科学的根拠)は効果的に反駁できない、と主張している最初は医者で疫学者に変わり、行政官となったロッセラや国立心肺血液研究所所長のクロード・レンファントである。さらに研究を進めて科学的な確実性が得られるのを待っておれば、人々は死に続けるので、彼らには一律の減塩を推し進める義務があると言っている。他方の側には次のような研究者達がいる。最初は医者で疫学者に変わった人達で、前アメリカ心臓協会会長、前アメリカ高血圧協会会長、前ヨーロッパと国際高血圧協会会長である。彼らが主張していることは、一律の減塩を支持するデータは決して減塩を強要しておらず、その様なプログラムが不測の悪い副作用を持っていないことをかつて示したこともなかった。これは、例えば、最新のJAMA5月号で発表されているレビューの意見であった。コペンハーゲン大学の研究者達は114件のランダム化比較試験を解析し、高血圧者の利益は降圧剤で達成されるよりも有意に小さく、1mmの水銀柱でも正常血圧者で測定できる利益は極端な減塩でのみ達成される、と結論を下した。“国立心肺血液研究所は科学的事実を考慮しないで進める塩教育を確約した、と何の疑いの余地もなく言える。”とJAMAの編集者でカリフォルニア大学サンフランシスコ校の生理学者であるドラモンド・レニーは言っている。

 減塩の核心部で、塩論争は国民保健政策の必要性と良い科学的根拠の必要性との間、また行動の必要性と一連の信頼できる知識を発展させるために必要な慣行化された懐疑論との間の哲学的な衝突である。これは今日の公衆衛生論争の多くに火をつけた衝突である。すなわち、“そうなのか、そうでないのか、簡単な答えを出してくれ、と言っている人々に我々は全て急き立てられ続けている。我々が5年後に研究を終えた後での答えを望んでいない。今、答えが欲しいのだ。曖昧な答えはいらない。我々は絶えず望みもしない、科学的に正当化できない立場に追いやられている。”と国立衛生研究所の疾患予防局長のビル・ハーランは言っている。

 しかし、塩を巡る論争は特異性を持っており、いくつかの基本的な観点で目立っている。第一に、減塩を主張している多くの人は、論争は a)存在しないか b)なる塩ロビーと雇われコンサルタントの科学者によるもののいずれかである、と公然と主張している。例えば、シカゴのノースウエスタン大学医学校の心臓病学者であるジェレミアー・スタムラーは20年間そこで塩の研究に携わり、論争には再現性のある事実において本当の科学的根拠はない、と主張している。彼は論争の様相を食品加工業界の組織化された抵抗によるものと見なしており、それを彼は常に事実を曖昧にしたがっている喫煙と戦っているたばこ業界と関係付けている。“真実を語るこれらの人々の誰にも科学的関心はないことを私の多くの経験は示している。”と彼は言う。

 スタムラーの立場は極端に思えるかもしれないが、国立高血圧教育プログラムや国立心肺血液研究所の理事たちも同じ立場をとっており、これらの機関はこの国で全ての関連した研究に財政援助をしている。国立衛生研究所の臨床応用と介入部部長で10年間にわたって減塩を推進してきたジェフ・カトラーはサイエンスで語っているところでは、論争があることを承知しているような論文を発表することでも塩ロビーの術中に落ちる。“塩論争は続く、と言っているメディアで話題がある限り、彼らは勝つ。”とカトラーは言う。ロッセラは同意する。すなわち、論争を公表することは国民の国立衛生をむしばむのに役立つだけだ、と彼はサイエンスで語った。

 しかし、世界中の研究者、臨床医、行政官の約80人とインタビューした後で、科学的データの解釈を巡って論争があるとすれば、これこそがそれだ、と確かに言える。事実、塩論争は、サンフォード・ミラーが“公共政策において科学が不安をあおる力である理由の第一番の完全な事例”と言っていることであるかもしれない。現在、テキサス大学保健科学センター長であるミラーは食品医薬品局の食品安全応用栄養センターの所長として20年前に塩政策を具体化した。当時、データはお粗末だが、データは減塩の利益を論証できるほどに支持している、と彼は言っている。今や、データと科学の両方ともずっと改善されたが、まだまだ勧告を強力に支持するほどではない。

 そのことは第二の注目すべき論争の論点を持ち出している。すなわち、数十年間の強力な研究の後で、減塩の明らかな利益は消えてしまっただけであった。本当の利益が今明らかにされたのか、実際には小さいのか、あるいは存在しないのか、のいずれかであることをこれは示唆しており、その様な利益を検出したと信じている研究者達は他の変数の影響による混乱で惑わされてきた。(これらの変数には遺伝的多様性、社会経済的状態、肥満、運動量、アルコール、果物や野菜、または乳製品などの摂取量、またはあるかもしれない他の要因がある。)

 小さな利益でも(一人の患者では臨床的に無意味)公衆保健では大きな影響を持っているかもしれないので、論争自身は盛んに続いていく。小さな効果が全集団では重要な結果をもたらす可能性があるからだ。減塩によって全世界の集団が1 mmHgでも平均血圧を下げれば、それにより年間数十万人の死亡を防げる、とオックスフォード大学の疫学者リチャード・ペトは言う。“肺がんによる死亡よりも世界中の死亡数は多くなる。”しかし、減塩で1 mmHgの低下が達成されることを前提とするだけでも、“1または2 mmHgの効果を実現することを我々は確実にしなければならない。そして同等で反対の悪い効果がないことを我々は確実にしなければならない。”とイギリス国民保健サービスの前研究開発部長でレスター・ロイヤル診療所の臨床医であるジョン・スェールスは言っている。

 利益がないこと、または小さな逆効果からも疫学的手段は小さな利益と区別できなかったので、解決もなく何十年間が過ぎた。この間に膨大で矛盾する文献がもたらされたので、一連の証拠(スタムラーが“データの全体性”と称した証拠)が容易に集められた。否定的なデータの他の全体性を知らなければ、前述の容易に集められたデータが決定的に特別な確信を支持するように思える。

 何年間にもわたって、減塩推進者たちは正統な知識に適合しない結果を拒否するために“データの全体性”に関してしばしば変わった論文を振り回してきた。例えば、1984年にポートランドのオレゴン保健科学大学のデビッド・マッカロンと同僚たちは、塩が無害であることを示唆する国民保健栄養データベースの解析をサイエンスに発表した。サンフォード・ミラー、国立心肺血液研究所の所長であるクロード・レンファント、後に国立保健統計センター長となったマニング・フェインレイブは論文でそのことを取り上げた。彼らの批判の中で、“マッカロンと同僚たちは塩摂取量が事実高血圧で重要な役割を演ずることを示唆している多数の集団基準の実験データと彼らの結論を一致させようと試みない”ことがあった。しかし、後にレンファントの国立心肺血液研究所は、塩がそのような役割を演ずるかどうかを正確に決定するために、インターソルトとして知られる多分これまでで最大の国際研究に資金を提供しようとしていた。インターソルトを支持して動機付ける力となっているスタムラーでさえ、“再現性のない矛盾した報告で満ちている”としてその時、塩と血圧に関する論文を書いている。

 データの一方的な解釈は常に論争に固有なことである。例えば、早くも1979年にニュージーランド大学のオタゴ医学校の臨床医オラフ・シンプソンは、“塩と血圧の関係に賛成する最も心もとないエビデンスの一つが関係の一層先の証明として歓迎され、一方でその様なエビデンスを見つけられないことは何とかして説明されている状況として一方的な解釈を述べた。”グラスゴー大学の臨床医グラハム・ワットはそれを“疫学的推論によるビング・クロスビー法、言い換えればポジティブなことを強調し、ネガティブなことを除く方法”と考えている。矛盾だらけのデータの沼地で彼らは効果を探しているが、それが本当であるかどうかをほとんど確立できない効果をビング・クロスビー疫学は研究者達に探させている。

 どの特別な研究も信じられるかどうかに関してこの偏向した分野で同意を得るために研究者達の著しい無能力によってこの状況は苛立たせられた。その代わり、研究が望ましい結果を得たために信頼できると考えられたことは当たり前である。例えば、1991年にBMJはロンドンにあるセント・バーソロミューズ病院の疫学者達であるマルコム・ロウ、クリストファー・フロスト、ニコラス・ウォールドによる14ページの三つの部分からなる“メタアナリシス”を発表した。彼らの結論は:塩と血圧の関係は前に認められていたよりも“実質的に大き”かった。その同じ年に、スェールスは解析を解体した。ミランのヨーロッパ高血圧協会の年会で彼はその解析を“強く間違っている”と述べている。“BMJの解析をそれ以後何の価値もないと感じたのはその部屋で一人だけではなかった。”とスェーデンのウプサラ大学の臨床医レナート・ハンソンは言っている。彼はその年会に出席し、国際高血圧協会とヨーロッパ高血圧協会の両方とも前会長であった。その後、スェールスの評論は高血圧学雑誌に発表された。

 しかし、ちょうど2年後に、国立高血圧教育プログラムは高血圧の一次予防に関する画期的な報告を発表した。その中で政府は初めて一律の減塩を勧めた。BMJのメタアナリシスは“減塩の価値についてのやむを得ないエビデンスとして”繰り返し引用された。しかし、この春、 “ニューヨーカーの喜劇作品のような読み物”や“当て推量による報告書中の最も悪いメタアナリシス例”から“適当に行い、適当に解析し、解釈された”この分野の基本的な論文までの範囲にわたる同様に尊敬されている研究者達からBMJレビューについて意見を得られる可能性はまだあった。

 

論争を具体化する

 塩に対する事例は生理的なもっともらしさで始まる。多くの塩を食べるほど、身体はそれだけ多くの水を保持することにより体内のナトリウム濃度を一定に維持する。“塩を食べ過ぎれば、腎臓が応答し、より多くの塩を排泄するまで、塩とそれにつりあった水量を保持する。ほとんどの人々で、非常に幅広い応答幅があるが、体液がこのように増えると、わずかに血圧は上昇する。”とハーバード医学校の腎臓学者であるフランク・エプスタインは言っている。

 この応答の背景はその複雑さにおいてロシアの小説と比較されてきたホメオスタシスのメカニズムである。特性値には約50種類もの栄養素、成長因子、ホルモンがある。例えば、ナトリウムは血液量の維持に、カリウムは血管の拡張または収縮に、カルシウムは血管平滑筋の緊張状態に重要である。カロリー摂取量の増加や交感神経系の活性化は血管を収縮させるように応答し、したがって、血圧を上昇させる。カロリーを減少させれば血圧は低下する。さらに事態をもっと複雑にさせることに、これらの変数の相互作用は年齢、性別、人種によっても異なる。塩感受性として知られている状態は、ある人々の血圧は塩の増加で上昇するのに、他の人々は上昇しない理由を説明している、とほとんどの研究者達は信じているが、それはまだ論争中である、とハーランは言う。塩を与えて何が起こるかを観察する以外に塩感受性の診断法はない。なおかつ塩感受性が生涯続くのか、一過性であるかを予測できない。この複雑性にもかかわらず、ほとんどの研究者達は、高塩食の人々は低塩食の人々よりも血圧の高い人が多く、減塩は血圧を下げる、と生理学的感覚でまだ信じている。

 1970年代までに、収縮期血圧が140 mmHg以上で拡張期血圧が90 mmHg以上として定義される高血圧を治療するために減塩を勧め始めたとき、生理学的もっともらしさは特に決定的でもない研究や臨床的な知識の寄せ集めで補われた。例えば、1940年代にデューク大学臨床医のウォレイス・ケンプナーは低塩で米と桃の食事で高血圧患者を上手く治療できたことを示した。何年間もケンプナー療法は重症高血圧にとって唯一の非外科的な治療法であった。同時代の全臨床医に減塩の価値を確信させる事実となった。ニューヨーク・アップトンのブルックヘブン国立研究所の医者で1975年に死ぬまでこの国の減塩の第一人者であったレービス・ダールは1972年の基本的な論文で、高血圧者で低塩食は血圧を下げることを証明したと主張した。しかし、食事効果の説明が低塩によるものであるかどうかについてはまだ異論がある。ケンプナー療法は驚くほど低カロリー、低脂肪、高カリウムでもあり、それらの要因自身は今では血圧を下げることで知られている。

 ダールは塩感受性ラットの系統を繁殖させることにより塩と血圧との関係についての事例を促進させた。研究者達は今でも人の高血圧にける塩の役割ついての説得力のあるエビデンスとしてこの研究を引用している。しかし、1979年にシンプソンが指摘したように、ダールのラットはヒトについて“多分、関連した領域外”の1日当たり500 g以上に相当する塩の量を与えられた場合だけ高血圧になっている、とシンプソンは述べた。後に研究者達は高塩食を与えられたチンパンジーの1995のしつこく述べ続けた。しかし、ハーランは、どんな存在する高血圧の動物モデルも特にヒトと関連していることはありそうにない、と述べている。

 初期の論争時代を通して、塩に対する最も説得力のあるエビデンスは生態学的研究として知られている疫学的研究から来ており、そこで研究者達は土着の集団、例えば、ブラジルのヤノマモ・インディアンの塩摂取量と比較した。彼らには工業化社会に見られる高血圧や心臓血管疾患にはほとんどならない。確かに土着の集団はほとんど塩を食べない。工業化社会では多くの塩を食べる。例えば、ヤノマモは1日当たり1 g以下の塩摂取量であるが、世界で一番塩摂取量の多い北部の日本人は20 ‐ 30 g食べており、脳卒中率も最高であった。そのような結果は移住研究によって補強された。そこでは研究者達は塩摂取量と血圧上昇を観察するためだけに工業化社会へ移住した低塩摂取量社会の人々を追跡して、観察した。

 その結果から、研究者達は減塩について直感的なダーウィン説の仮説を立てた。すなわち、塩が非常に乏しい環境で人類は進化し、したがって、生き延びてきた人々は塩を保持することに一番適応してきた人々であった。それだから論争が起きて、この特性は現在塩が豊富な環境に生きている我々にも受け継がれてきた。この論理によって、適正な塩摂取量は原始社会の塩摂取量である1日当たり2,3 gで、全ての工業化社会はずっと多すぎる塩を摂取しており、そのために心疾患や脳卒中を来している。

 このデータと仮説の蓄積で合っていることはデータの半分だけであった。他の半分は適合しない半分で、特に集団内研究として知られている疫学研究からのデータである。集団内(例えば、シカゴの男性)の個々人でこれらの比較した塩摂取量と血圧は常にエビデンスになっておらず、塩を多く食べた人々は少なく食べた人々よりも高い血圧であった。ネガティブとなった集団内研究の中には1980年頃の国立保健統計センターによって行われた20,000人のアメリカ人の解析があった。

 しかし、どちらの種類の研究も決定的な答えを与えることは出来なかった。生態学的研究は確かに少なくとも科学的に健全であっても、今日、疫学者たちはほとんどそれらを信用していなかった。生態学的研究の潜在的で致命的な欠陥は、集団間で異なり、関連した効果を説明するかもしれない問題で何時も複数の他の変数があることである。例えば、塩をほとんど食べない集団はカロリーも少ない摂取量で、より多くの果物や野菜と酪農製品を食べ、痩せていて、運動量が多く、あまりアルコールを飲まず、工業化もされていない。これらの相違点のどれか一つ、またはそれらのいくつかの組合せは血圧低下をもたらすかもしれない。土着の人々も感染症や外傷で若くして死ぬ傾向であり、一方、工業化社会は心疾患で死ぬまで十分に長生きする、とエプスタインは述べている。

 生態学的研究と集団内研究の両方とも正確に平均血圧を測定することの難しさで悩んでいる。平均血圧は日々大きく変動し、あるいは生涯の塩摂取量でも変動する。初期の生態学的研究のほとんどは測定値よりもむしろ推定による塩摂取量の測定に基づいていた。1973年にミシガン大学の人類学者リリアン・グライバーマンが塩と血圧を関係付けた基本的な論文をさらに考察した物を発表したとき、彼女は27件の生態学的研究に基づいて結論を下したが、それらの研究の中で実際にナトリウム摂取量を測定したのは11件だけであった。24時間尿収集が一番良い塩摂取量測定法であると考えられる。摂取した塩は全て尿中に速やかに排泄されるからである。しかし、それらの24時間の塩摂取量を反映していても、必ずしも月全体、年、生涯の摂取量を反映しているわけではない。“習慣的な摂取量を測定しようと思えば、別々の日に集めた尿で少なくとも5から10回測定する必要がある。疫学的研究状況ではそんなことはできない。”とオランダの国立公衆保健環境研究所の栄養疫学者であるダーン・クロモーは言っている。

 塩と血圧仮説を認めている研究者達にとって、集団内研究があっても、これらの測定法の問題が関係を見出せない理由を説明するのに役立った。しかし、潜在的に全く単純に言って、塩と血圧との関係は測定誤差によって洗い流されてしまうことはありえる。その上、これらの誤差を払拭できるほどの十分な統計力を持った大きな実験は費用が掛かり過ぎて出来ない。

 1980年代初期に、ロンドン熱帯医学衛生学校の疫学者ジョフレイ・ローズは、集団内研究が十分に公衆保健に影響力を持つと思われる減塩の利益を検出することに失敗した別の理由を示唆した。生態学的研究が示唆したように、全ての工業化社会が多すぎる塩を摂取しているとすれば、どのような因果関係があろうとも、疫学は塩と高血圧を関係付けることはできない、とローズは推測した。彼は次のように想像してみるように書いた。誰もが毎日たばこ1箱を喫えば、“集団内研究は、我々に肺がんは遺伝的な疾患であるとの結論に至らせるであろう…その後、誰もが必要な薬を飲めば、症例の分布は全体的に個々人の感受性によって決まる。”したがって、塩と高血圧との関係のように、手掛かりは“時間をかけて集団間の差または集団内の変化から探されなければならない。”同じ論理によって、少量の減塩は個人にはほとんど影響を及ぼさないかもしれないが(ちょうど20本から19本に減らしたように)、全集団について見ると死亡率に大きな影響を及ぼす。

 ローズの主張は直感によるものであるが、減塩は血圧を下げることはまだ証明されていない推測に基づいており、効果を否定するかもしれないいかなる結果にも異常とも思える抵抗が始まったと憶測する。例えば、1979年にスタムラーとノースウエスタン大学の仲間はシカゴの生徒たちの集団内研究で仮説をテストした。彼らは72人の子供で習慣的な塩摂取量を十分に信頼できるとして24時間尿収集で連続した試料の7点から推定した塩摂取量と血圧を比較した。彼らは子供達でナトリウムと血圧との間で明確な関係を報告したが、結果を再現させようと2回試みたが、2回とも失敗した。

 “この現象の様々な可能性のある説明が進展してきた。”と著者らは書き、それらの一つは明白であった:“ナトリウムと血圧との間には実際に何の関係もない…。”その後、予測された関係を見出せなかったかもしれない5つの理由を彼らは挙げた。例えば、不適正な測定技術、あるいはナトリウムの役割を覆い隠す遺伝的な変異性、あるいは“本当の関係が子供ではまだ明らかでない”という可能性である。3件の研究で最初の物はポジティブであったので、スタムラーと仲間達は、彼らのデータが“必ずしも全面的にネガティブではなく”そして“実際に弱くて矛盾した関係を示唆している。”と結論を下した。

 この論理は、“塩-高血圧仮説は回復し、事実上不滅であり、ネガティブなデータは常に上手く釈明されている。”とシンプソンが考えていることを明らかにすることに役立った。

 1980年代初期からずっと、減塩を巡る科学的矛盾は減塩の利益を社会に注目させることで隠されてしまった。塩は不必要な悪魔であると1972年の発端以来、国立高血圧教育プログラムは結論を出してきた。その結論は、国立科学アカデミーや公衆衛生局長官に言及するのではなく、医療機関の主役によって上手く持ってこられた。1978年までに消費者支援グループの公益科学センターは塩を“あなたが既に麻薬を嗅いでいる致命的な白い粉”として述べており、高い塩含有量の食品に表示を要求するロビー活動を議会に行ってきた。1981年に、食品医薬品局は国民の塩摂取量を減らすことを目的として一連の“ナトリウム主導”をスタートさせた。

 しかし、これらの運動が大分進んだ後になるまで、研究者達は基本的な論争を解決するに十分な力のある研究をする計画を立てられなかった。最初の研究はスコットランドの心臓保健研究で、1984年にスコットランドのダンディーにあるナインウエルズ病院医学校の疫学者であるヒュー・タンスタルピードーと仲間たちが始めた。研究者達は7,300人のスコットランド人男性で心臓血管疾患の危険因子を調べるためにアンケートを用い、運動能力を調べ、24時間尿試料を集めた。これは24時間尿試料でかつて行われたどの集団内研究よりも大きな規模であった。BMJ1988年に結果を発表した:果物や野菜にあるカリウムは血圧に良い効果を持っているように思えた。ナトリウムは何の効果もなかった。

 この結果で、スコットランド研究は論争から外された。減塩推進者たちはネガティブな結果は驚くことではない、と主張した。被験者の数に関わらず、研究は全ての他の集団内研究に付きまとう測定問題を克服できるほどまだ十分に大きくはなかったからであった。国立高血圧教育プログラム1993年の画期的な報告書で一律の減塩を勧めたとき、報告書はその勧告を支持して327件の異なる雑誌の論文を引用した。スコットランド研究はそれらの中にはなかった。(1998年に、タンスタルピードーと仲間たちは10年間の追跡調査を発表した:その時でもナトリウム摂取量は冠状心疾患または死亡のいずれとも関係を示さなかった。)

 二番目の共同研究はスタムラーとローズが行ったインターソルトであった。厳しくネガティブなスコットランド心臓保健研究と違って、インターソルトは塩論争で最も影響力があり、議論のある研究となった。インターソルトは生態学的研究と集団内研究との間にある矛盾を解決するために特に設計された。それは最高から最低まで極端な塩摂取量を示す世界中の52社会からの24時間尿試料を測定して血圧と塩摂取量を比較した。各集団からランダムに200人が選ばれ、半分は男性で、半分は女性とし、20歳から60歳までの間の年齢を各10歳刻みで50人ずつ選んだ。実質的にインターソルトは52集団の小さくはあるが同一の集団内研究を単一の強大な生態学的研究に結び付けた。

 ほぼ150人の研究者達による数年間の研究後に、その結果はスコットランド心臓保健研究を含む同じ1988年のBMJに発表された。インターソルトはその主たる目的の仮説を確認できなかった。仮説は、塩摂取量と血圧との間に直線関係がある、ということであった。52集団の中で4集団は低い血圧で毎日の塩摂取量が3.5 g以下のヤノマモのような原始社会であった。彼らはまた、高い血圧の48ヶ所の工業化社会とは実質的にあらゆる他の想像できる生活状態とは異なっていた。残りの48集団はナトリウム摂取量と血圧に何の関係も示さなかった。最高の塩摂取量である集団、例えば、中国の天津では摂取量は1日当たり約14 gであるが、血圧の中央値は119/70 mmHgであり、一方、最低の塩摂取量であるシカゴのアフリカ系アメリカ人集団は6 gであったが、血圧の中央値は119/76 mmHgであった。体格指数とアルコール摂取量だけがこの比較で血圧と相関していた。

 インターソルト研究者達は塩と血圧との間で2つのポジティブな関係を導き出した。一つは、52ヶ所の別個の集団としてよりも単一の大きな集団として10,000人強の被験者を取り扱って弱い関係を見出した。1日当たり10 gから4 gへの減塩は血圧を2.2/0.1 mmHg下げることを意味した。より強力な関係は塩摂取量と加齢に伴う血圧上昇との間にあった。:塩摂取量の少ない集団は塩摂取量の多い集団よりも血圧上昇が小さかった。この関係が原因であるとすれば、1日当たり6 gの減塩は25歳と55歳との間の平均血圧上昇を9/4.5 mmHg下げるであろう。

 これらの結果は矛盾した解釈をもたらす能力でインターソルトをロールシャッハのようなものにしてしまった。ジョン・スェールスは同誌BMJ論説でその結果を失敗とみなして、潜在的な利益があるとしても非常に小さいもので、“栄養学者にバリケードを張らせるのは非常に難しいように思える(多分、それが既にあることを除いても)。”と言っている。

 今日、サイエンスがダーン・クロモーやレナート・ハンソンのようなインターソルトのメンバーを含めてインタビューした研究者達の大多数はインターソルトをネガティブな研究として見ている。“多くの塩を食べても、インターソルトは血圧上昇を示さなかった。”とハンソンは言っている。

 スタムラーと他のインターソルト・リーダーたちは猛烈に反対している。結果が発表されたとき、スタムラーは結果をナトリウム-血圧関係の“豊富で、貴重で、正確な確認事項”として述べ、全ての人々に塩摂取量を6 gに減らすことを主張するためにインターソルトの結果を使った。この意見の中で、決定的でポジティブな結果は塩摂取量と加齢に伴う血圧上昇との関係であった。例えば、インターソルトのヒューゴ・ケステルート(ベルギーのルーベン・カソリック大学の疫学者)は、これは“最も興味深い結果で確証的”であった、と言っている。国立高血圧教育プログラムや国立心肺血液研究所の役人たちはこの解釈に賛成した。1993年に、国立高血圧教育プログラムの高血圧の初期予防に関する報告書は、正確でもなかった1972年にダールが報告したナトリウム摂取量と血圧との間の“強力でポジティブな関係”を確認するためにインターソルトを引用した。国立心肺血液研究所のカトラーはそれでも“圧倒的にポジティブな関係”として結果を述べている。

 しかし、スタムラーと仲間たちが発見したいわゆる塩摂取量と加齢に伴う血圧上昇との間の関係は、インターソルトの方法論で述べた研究前発表でインターソルトは明らかに詳細に述べていた仮説の中には含まれていなかった、と評論家は述べた。これは結果を “データ浚渫”として軽蔑的に知られている実行を後で行った解析であるかのように見せかけた。そのような状況では、科学的方法が要求するような仮説をテストすることを研究者達はもはやしないが、既に蓄積されているデータに合わせた仮説を見つけている。これは新しい仮説が真実でないことを意味しないけれども、仮説が適正にテストされなかったことを意味する。

 インターソルトは塩と加齢に伴う血圧上昇との関係をテストするようには設計されなかったので、後に報告された関係は推論以外の何物でもないように取り扱われた。例えば、各集団の大きな試料数と幅広い年齢範囲を含めて、“特別な仮説としてテストしたいのであれば、別の形で研究を設定しなければならない”と国立衛生研究所のビル・ハーランは説明する。UCバークレイの統計学者デビッド・フリードマンはもっとぶしつけに批判して、最初の解析が自分たちの思い通りに行かなかったとき、塩と加齢に伴う血圧上昇についての結論は彼らが引き込もうとしている何かのように見える、と言った。

 インターソルト・メンバーは塩と加齢に伴う血圧上昇との間で仮説とされている関係をテストすることは彼らの提案ではないと一致しているが、彼らは常にそれが計画の一部であったと主張している。“愚かなことだ。それは見落とされなかっただけだ。”とロンドン王立医学校の疫学者であるインターソルトのポール・エリオットは言っている。共同研究者の生物統計学者であるノースウエスタン大学のアラン・ダイヤーが言うには、“それは書き落とさなかったことの一つにすぎなかった。”スタムラーは、それは会議の議事録や初期の出版物に記録されており、“懐古的なデータの蓄積は実際に悪いことであり、撤回されるべきである主張している。

 塩に関するすぐ前の言葉を少しも伝えないで、インターソルトはあいまいなデータと矛盾した解釈で解消してきた。そしてそれが正にラウンド・ワンであった。

インターソルト再試行

 1993年に、国立高血圧教育プログラムが一律の減塩勧告を支持しているとしてインターソルトを引用した後で、ワシントンにある塩生産の同業団体である塩協会はインターソルトの生データを得るために協調した努力を始めた。団体の理事長であるリチャード・ハンネマンは塩摂取量と加齢に伴う血圧上昇との報告されている関係を調べたいと思っていると述べている。彼と年間3000ドルで団体のコンサルタントとなっている何人かの研究者達(マッカロン、バーミンガムのアラバマ大学心臓学者スザンヌ・オパリル、トロント大学疫学者アレクザンダー・ローガン、カリフォルニア大学デーヴィス校の栄養学者ジュディ・スターン)はデータに矛盾があることを知って混乱した。集団が年を取るにつれて塩摂取量が高いほど血圧に大きな増加があるとすれば、高い塩摂取量の調査センターは高い血圧中央値を示すべきだと推論したが、その様な事例はなかった。ただし、高い塩摂取量のインターソルト・センターが低い血圧で始まったとすれば、彼らの血圧中央値はインターソルトが報告したようにほぼ同じ血圧になる。これは直感に反しているように見えるが、インターソルトはデータ(2029歳の血圧)を発表せず、そのため独立して仮説をチェックできなかった。

 ハンネマンはインターソルトの生データを得られなかったが、インターソルト特別号のBMJ19965の論文に発表した十分な二次データを得た。高い塩摂取量のインターソルト・センターは一番若い被験者で実際に低い収縮期血圧であったことを確認した、とハンネマンは主張した。率直な減塩推進者たちが書いた同誌の全ての編集者たちは厳しく解析を拒絶した。例えば、マルコム・ロウは“奇想天外な仮説”や“業界の利害関係に不利益な明らかなエビデンスを持って提案されたとき、商業グループは塩市場を守ろうとする機関”の事例としてハンネマンの考えを退けた。しかし、これらのコメンテイターの誰一人としてインターソルトの主張にある明らかな矛盾に注意を向けなかった。論文を読んだ他の研究者達(例えば、インターソルト共同研究者でベルリンのフンボルト大学腎臓病学者のフリ-ドリッヒ・ルフトやサイエンスの要請で論文を読んだフリードマン)はハンネマンの再解析の欠陥を述べているが、インターソルトの結果は説明できないように思えることにも同意している。

 しかし、この特別な論争は同じ号のインターソルト・データのインターソルト自身による再解析という別の論文によって点火された論争であることが判明した。「インターソルト再訪」という表題で、スタムラーと仲間達は、彼らの原報にある問題を考察することを表明した。原報では塩と血圧との間の本当の関係を過少評価していたかもしれない。

 彼らの再解析は回帰希釈偏向として知られている疫学の最も論争のある分野の一つに踏み込んだ。要点は次の通り。例えば、塩と血圧のような二つの変数間の関係が本当であれば、どちらか一方の変数に晒されたことを測定するときの何らかの誤差は明らかな原因や効果を薄めるようにだけ作用する。この事例では、24時間尿試料と一回の血圧測定値の両方とも長期間の平均値からずれておりがちなので、インターソルトの解析は血圧に及ぼす塩の効果の本当の強さを過少評価したであろう。“関係が本当であれば、関係は存在しない方向へ片寄るので、関係は測定されたよりも大きくなければならないという現実を受け入れなければならない。”とエリオットは言う。その時には統計的な手法が上方に引き上げて修正するために使われる。もちろん、そのような修正が同様に偽りの関係を拡大するという落とし穴もある。

 塩と血圧との関係を真実だと確信しているスタムラーと仲間達は今や回帰希釈偏向について彼らの1988年の推定値を修正した。2,3他の修正と共に、正味の効果は1988年の不明瞭な物から1996年の首尾一貫した“強力で、ポジティブな”関係へと減塩の明らかな利益を強調することであった。毎日6 gに減塩すれば、血圧は4.3/1.8 mmHg低下し、初めに推定したよりも3倍も大きい利益がある、と今や彼らは結論を下した。“今や論拠は明らかにされた。全てのインターソルト解析は血圧の重要な決定因子として塩を確認している。”とロウは書いた。

 しかし、論拠は明らかにされなかった。BMJの編集者たちは、イギリスのブリストル大学の疫学者ジョージ・デイヴィ・スミスとロンドンの王立自由病院医学校のアンドリュー・フィリップスからインターソルトの再解析を行うために初めて論評を依頼した。しかし、彼らが提出した批判は非常にインターソルト再訪の酷評だったので、BMJの編集者たちは発表前にインターソルトの著者たちに強いてそれを明らかにするように感じた。BMJ編集者のリチャード・スミスによると、スタムラーと仲間達は論評に対して非常に強く反感を持ったので、疑問を持たれた論文とは別に、BMJ6週間後に少なくとも遅れずに掲載することに同意した。

 デイヴィ・スミスがサイエンスに説明したように、彼らの論評は、ゼロ・レベルの数学的な間違いからデータによって支持されない仮定に関して統計学的な修正に基礎を置くまでのインターソルト再訪の問題の長たらしい説明を明らかにした。例えば、回帰希釈偏向について修正するために、スタムラーと仲間達は、個人のナトリウム摂取量と血圧の変化が2,3週間の期間にわたってお互いに独立していたと仮定した。しかし、血圧と塩摂取量が共に変動すれば、インターソルトの修正は“不適当に膨れ上がった推定値”という結果になる、とデイヴィ・スミスとフィリップは述べた。二人の疫学者は、血圧と塩摂取量は短期間では関係していると結論を下した研究を引用し、“塩摂取量は…血圧と関係しているというテストの下の正に仮説はこれらの関係を予言するだろう”ことを指摘した。

 同じ号に発表された彼らの返事で、“この事項に関する判断については健全な根拠だけしかなく、エビデンスの全体性はこの関係が原因となっているという結論を支持している”ので、スタムラーと仲間達は自分たちの修正は正当である、と主張した。習慣的な高い塩摂取量は高血圧の原因因子であると結論を下した国内や海外の独立した専門家グループを彼らは引用した。しかし、それらのグループがおよそ1988年ころ彼らの結論に達したインターソルトに全て依存していることを彼らは述べようとしなかった。インターソルトは、彼らの元々の推定は“多分、過少評価された”7つの理由も挙げたが、過大評価しているかもしれない理由を探す試みをしようとはしなかった。“読んで困惑した”とハーバード公衆衛生学校の疫学者ジェイミー・ロビンズはサイエンスに語ると同時に“不可解で、奇想天外で、特別な弁論”としてインターソルトの主張を述べた。

 論評や応答に対して次の8月のBMJでもっと多くの手紙が来た。今やデイビー・スミスやフィッリップもインターソルト再訪を批判している6人の他の研究者達に加わった。例えば、オックスフォードにあるイギリス医療研究協議会の生物統計部長のニック・デイである。“元の結果に対して大きな修正を始めようとすると、すぐに人々は疑い始める。”とデイは言う。

 デイは“捨てたごみの中のごみ”の一つとしてインターソルト再訪の問題を述べており、塩論争とはあまり関係のないことを意味している、と思っていた。多くの疫学者たちのようにスタムラーと仲間達は、統計学的手法により彼らのデータにある基本的な不確実性については修正できると仮定した。“問題は解決しない。行ってきたことの周りには必ず不確実性がある。行ってきたことが粗雑な観察された関係に対して全く重要な差をもたらせば、全体の事項に疑いの濃い霧を発生させる。基本的な不確実性があれば、すなわち、‘ゴミが入って’おれば、精製しても金にはならない。”と彼は言っている。

 この評価はスタムラーとインターソルト再訪のほとんどの共著者に拒否された。但し彼らの全てではない。例えば、ロンドン大学医学部の疫学者でインターソルト再訪の署名者の一人であるミカエル・マーモットはサイエンスに次のように語った。振り返ってみると、再解析は無理にすることはなかった。“外側からこれを見ている誰かであれば、一つの理由だけで修正が行われたことを十分に理解できた。その理由は被験者の数を増やすことであった。論文を読むことに基づいただけの意見を採っても異常なことではない。”と彼は言う。

苦難と苦しい試練

 塩論争の主要な理論体系で、再訪であろうとなかろうとインターソルトのような研究は無関係であるべきだ。結局、両サイドの研究者達が一致したように、疫学の黄金律とも言うべきランダム化比較臨床試験があるかもしれない原因と効果を確立できる研究分野で、インターソルトはせいぜい弱い関係を示す観察研究であった。例えば、ロビンは次のように言っている。“どちらかと言えば、それが問題であることを信じられないでしょう。彼らは減塩に関するランダム化実験を実際に実行できるし、多くのそのような実験を行ってきた。”全ての研究者の要求は被験者2つのグループにランダム化することで、一つのグループは減塩食、もう一つのグループは普通食を食べさせて、何が起こるかを見ることだ。

 しかし、結果は塩論争で他に何かあるのではないかと思えるほど不明瞭であった。正確に試験を行うことは驚くほど難しいことが分かった。例えば、低塩食を選択することは必然的に他の栄養素、例えば、カリウム、繊維、カロリーも同様に変えてしまう。プラセボ効果と微妙な薬物介入効果は注意深く避けられなければならない。“10週間、人々を調べるだけで、その間にいくつかの変化を検出できるが、それは行った実験でもたらされた変化ではない。”とグラハム・ワットは言う。彼は1980年代半ばに減塩に関して最初の二重盲検試験とプラセボを対照とした試験を3回行った。

メタアナリシスとして知られている技術はそのような状況を明瞭にする手段となった。その考えは次のとおりである。多くの臨床試験が不明瞭な結果を出すとすれば、本当の効果を表す大きさは、統計的な有意性を得るようにそのような研究の全てからのデータをプールすることによって調べられるかもしれない。しかし、メタアナリシスはそれ自身の正しさにおいて議論がある。塩論争に対する理想的な解決になるかもしれないことは、メタアナリシスの疑わしい性質を示すための理想的な状況を作り出した塩論争ではなかった。ハーバード公衆保健校の疫学者チャールス・ヘネケンズがそれについて次のように言っている。“それは全て自由裁量であり、無作為な方法でそれは自由裁量と信じたければ、研究者達が自由裁量であることを望みたいように自由裁量であるとなってしまう。”

1991年に、カトラー、エリオット、共同研究者達は塩の疑問に関するランダム化臨床試験の初めてのメタアナリシスを行った。彼らは高血圧被験者による21件の試験を見つけた。そのうち6件だけがプラセボを対照とした試験であり、6件は正常血圧者試験であり、その中でワットが行った試験だけが二重盲検とプラセボを対照とした試験で、それらは減塩で何の利益も示さなかった。しかし、これらの試験を一緒にして寄せ集めることにより、カトラーとエリオットは、毎日3 – 6 gの減塩は高血圧者で5/3 mmHg、正常血圧者で2/1 mmHg血圧を低下させるであろう、ことを論理的に推定した。この関係が“原因のようだ”とし、“結果は大部分の疫学的、生理学的、動物実験によるエビデンスと一致している”ので、その後、彼らは結論を下した。もちろん、これが正に論争のポイントであった。

カトラーのメタアナリシスは、マルコム・ロウと仲間たちによる1991年4月のBMJに発表された3部からなる狂想曲によってたちまち影が薄くなった。彼らの結論は先例になかった。:減塩はカトラーとエリオットによって発見されたほぼ2倍の血圧に及ぼす効果を持っている、と彼らは結論を下した。ロウと仲間たちは、毎日わずか3 g減塩するという中程度の一律の減塩は降圧剤で全ての高血圧者を治療するよりも集団に利益をもたらし、一方、1日当たり6 gの減塩はイギリスだけで年間75,000人の死亡を予防できるだろう、と予測した。

彼らはこれらの結論を3段階で導いた。第一に、彼らは血圧に及ぼす平均的で明らかな塩の効果を推定するために生態学的研究を解析した。その後、彼らは回帰希釈偏向について集団内研究を上方へ適当に修正した後に集団内研究から導かれた数とこの推定値を定量的に承諾させた。20年間信じられてきたように、生態学的集団内研究が実際に矛盾してないことを示してきたが、その後、この承諾された推定値が全ての関連した臨床試験と一致しているかどうかを決定するために続行した。ロウが言うには、これらは完全に正しいことが分かったので、全ての研究は減塩の著しい利益について一致したことを示した。

ロウが言っているようにこの定量的なレビューを支持する人々がいるが、彼らは少数である。サイエンスの要請で論文を読んだ疫学者や統計学者を含めてその批評家たちは、その作業はあまりにも間違っているので実際上意味がないと主張している。どの研究を採用し、どの研究を外すかの選択をする。すなわち、生態学的研究の解析では、ロウと仲間たちは1960年と1984年の間で行われた23件の研究と1937年に発表された中国のゼシュアンからの一つを選んでいる。その後、彼らは全ての生態学的研究の母ともいえるインターソルトを解析から除外した。インターソルトの十分に較正され標準化された血圧測定値が、古くて較正もされず標準化もされていない研究による比較できる社会で行われた測定値よりもしばしば15 mmHg低い数値を得たからであった。批評家たちはこの決定を例えて、赤ん坊をゆすって浴槽の水に浸けているとした。彼らはインターソルトを排除したことをロウはサイエンスに語った。外した理由については、元の結果は不十分で低すぎたが、これはインターソルト再訪の事例ではなく、彼が採用した研究は役に立ったからであった。

臨床試験の解析については、ロウと仲間たちは78試験の結果を総合した。その中で10件だけが実際にランダム化されていた、とスェールスは述べた。一つの研究は近代臨床研究の時代まで先付さえした。ロウと仲間たちがナトリウムによるものとした血圧低下は“適切でないコントロールの影響”であったらしい、とスェールスは言っている。研究を発表したBMJ編集者のリチャード・スミスさえも“我々がこれまで行ってきた最高の研究ではない”としてサイエンスに語った。

しかし、研究は十分に説得力があり、その結果はインターソルト再訪の結果と一致しているとロウは述べている。そして批評にもかかわらず、ロウのメタアナリシスはそれでも塩文献の中で最も頻繁に引用される論文の一つであり、ロウが不十分と考えた研究であるインターソルトと一緒に、1993年の国立高血圧教育プログラムの一次予防報告書に盛り込まれたの基礎的事実の一つであった。

正反対の意見

 過去5年間に二つの顕著な傾向が塩論争を特徴付けてきた。:一方では、データはますます矛盾がないようになってきた(減塩にはせいぜい小さい利益があることを示唆している)が、他方では、データの解釈とその分野は2極分化されたままであった。これはさらに2件の塩と血圧のメタアナリシスによってありありと示された。1993年に、国立高血圧教育プログラムの一次予防報告書で、キャンベル・スープ社は最初に減塩試験を行ったトロント大学のローガンの協力を得た。ローガンは1980年代初期に減塩を調べし、減塩がほとんど行われていないことを知った。キャンベルからの資金援助で、彼は正常血圧者をランダム化した28件の試験と高血圧者による28件の試験を現在、明らかにした。一方、カトラーはローガンの新しい解析を学んで、彼自身の研究を更新することにより反論した。

 2つの研究結果は実質的に同じで、あるいは少なくとも“異なっているというよりも類似していた”と32件の関連研究に関してカトラーの新しいメタアナリシスに基づいて彼は言っている。試験によると約6 gの減塩で、高血圧者で5.8/2.5 mmHg、正常血圧者で2.0/1.4 mmHgの血圧利益を示した、と主張した。ローガンは高血圧者で3.7/0.9 mmHg、正常血圧者で1.0/0.1 mmHgの利益を主張した。ありうる誤差を考慮すると、“それらは同じデータで、残りは煙や鏡である。”とロビンズは言っている。

 その後、ローガンとカトラーは正反対の方法でデータの解釈に取組んだが、たまたま彼らが確立した意見と一致した。ローガンと仲間たちは、これらの推定値は多分、ネガティブな発表偏向(そこでは何の効果も見出せなかった研究は発表されない)とプラセボ効果により上方に偏向されたと述べた。減塩は有害であるかもしれないことを示唆するあるエビデンスがあると彼らは言い、“老齢の高血圧者についての減塩は考慮されなければならないかもしれないが、正常血圧者集団のエビデンスは一律の減塩を勧める現在の勧告を支持していない。”と結論を下した。カトラーと仲間たちは、数値がプラセボ効果またはネガティブな発表偏向のいずれかで上方へ偏向されることはなかった、と主張した。彼らは減塩が有害であるかもしれないことを示唆するエビデンスはなかったと言い、データは正常血圧者と高血圧者の両方への減塩を支持していると結論を下した。

 ローガンの論文は好評を博した。論文は確立されていた知識を否定し、カトラーの論文がアメリカ臨床栄養雑誌に発表される前に1996年のJAMAで発表されたからであった。しかし、減塩推進者たち、特にロンドンのセント・ジョージ病院医学校のグラハム・マグレガーは有名な低塩食調理書と無塩食調理書の著者であり、報告者たちに次のように示唆した。キャンベルの資金から利害と衝突するので、ローガンのメタアナリシスは信用されなかった。ローガンのメタアナリシスを発表した号のJAMAの論説で、どの場合も “中程度の減塩は…公衆保健を改善することを多くのエビデンスは示し続けている”と言う良く知られている問題を研究は無視している、と国立心肺血液研究所所長のクロード・レンファントは忠告した。

 レンファントの評価にもかかわらず、最近の塩研究はローガンの解釈によって示唆された減塩の利益を無視することに一致しているように思われる。それは5月のJAMAで発表されたコペンハーゲン大学メタアナリシスと、また19973月に発表された国立心肺血液研究所が資金援助し高血圧予防試験フェーズⅡ(TOHP)の結論であった。高めの正常血圧者2,400人の3年間にわたる臨床試験であり、ハーバード医学校のヘネケンズも共同研究したTOHPⅡは、一日4 gの減塩が6ヶ月後の2.9/1.6 mmHgの血圧低下と関係していたことを知った。しかし、その利益は36ヵ月までにほとんど消えてしまい、ヘネケンズは、それは薬の介入効果によるため、と認めている。

 これらの全ての研究の中で、塩論争の主旨を最終的に変えるかもしれない研究は実際に塩についてではなかった。DASHと呼ばれる高血圧予防食はニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシンの19974月号で発表された。食事は血圧に強く影響を及ぼすが、塩は関与してないかもしれないことをDASHは示唆した。DASHでは個々人は果物、野菜、低脂肪乳製品に富んだ食事をさせられた。3週間で、食事は軽症高血圧者で5.5/3.0 mmHg、高血圧者で11.4/5.5 mmHg血圧を下げ、薬剤治療で達成される以上の利益をもたらした。それにもかかわらず、塩含有量はDASH食では一定に維持され、そのことは塩が血圧低下に何の効果も持っていないことを意味していた。

 事実、DASHの結果が有効であれば、果物や野菜が老人の生態学的研究で塩が果たした効果の本当の原因であるかもしれないことを彼らは示唆している、とデイは言っている。高塩摂取量の社会は非常に塩辛い保存食品のみを食べる傾向がある。彼らは一年中果物や野菜を食べられないからである。今ではDASH共同研究はDASH食の効果から塩の効果を区別するための追跡調査に着手した。研究者達は400人の被験者で研究しており、コントロール食かDASH食のいずれかと、1日当たり3段階、すなわち、3, 6, 9 gの塩摂取量のいずれかにランダム化された。結果は2年間で期待されている。

論争を仕掛ける

 1976年に、塩論争が新たに始まったとき、当時、タフツ大学の学長であったジーン・メイヤーは塩を“全ての中で最も危険な食品添加物”と呼んだ。今日、論争は、多分、全集団で達成不可能なほどの極端な減塩が1から2 mmHgも血圧を下げられるかどうか、もし下げられれば、誰もがそれについて何かをすべきであるかどうかについての論争に発展してきた。正常血圧者については、そのような利益は無意味である;高血圧者については1日当たり2, 3セントの費用で治療は大きな効果を発揮すると医者は言っている。しかし、個々人のために解決することと、公衆保健のために解決することは今でも2つの異なった事項である。例えば、スタムラーやカトラーにとっては、塩を避ける集団は心疾患や脳卒中が少なくなることに何の疑問も持っていない。そして塩摂取量はいわゆる喫煙や無活動よりもはるかに容易に変えられる、と彼らは主張する。加工食品中の塩を減らすように業界を説得するだけで達成されるからである。

 それに価値があるかどうかは疑問である。当局が塩を避ける社会に誘導する必要があるために、塩は彼ら個人の健康に悪く、正常血圧の人々についても同じであることを彼らは個々人に確信させなければならないが、ほとんど疑いなく出来ない。これは国立心肺血液研究所や国立高血圧教育プログラムからの宣伝メッセージの共通目的を説明しているが、当局や執行者を不誠実に見えるようにもしている。その上、公衆保健専門家たちは、社会がひたすらに非常に多くの保健勧告を推奨されていることを固く信じている。“どれくらい政府の倫理的責任の多くをこの特殊な問題に費やしているか?論争を仕掛けなければならない。これは戦う価値のある論争か?”とトロント大学疫学者のデイヴィッド・ナイラーは言っている。減塩の利益を釘付けにすることは減量、一般的な健康死、意味がありそうなもっと利益のある他のステップを擁護することに費用が掛かることになるかもしれない、とナイラー、ヘネケンズ、他の研究者達は言う。

 減塩は血圧を下げる苦痛のない方法であるという主張は、この種の社会工学に対して悪いことはない、とも仮定している。社会的な介入は意図しない結果をもたらし、例えば、脂肪摂取量を減らす勧告の場合である、と国立衛生研究所のハーランは述べている。“食事中の脂肪の割合を減らし、肥満が増えることは我々多くにとって驚くべき変化であった。明らかに減塩がかつて考えられていたほど簡単ではない。”とハーランは言う。

 最近の5年間でも2件の研究が発表された。最近のランセット3月号は、低塩食は死亡率を増加させる可能性を示唆した。両研究ともミカエル・アルダーマンによって行われた。彼はニューヨーク市のアルバート・アインシュタイン医科大学の高血圧専門家であり、アメリカ高血圧協会の会長である。疫学者(アルダーマン自身も)は研究を重視し過ぎることに対して警告している。“それらはまだまだ関連研究で、インターソルトを何らかの障害と見なせば、それらも同様に見なせる。”とスェールスは言う。しかし、塩摂取量を死亡率になぞらえるほんの一握りのそのような研究が行われただけで、決定的にネガティブな結果は一つも出ていない、とアルダーマンも述べている。“減塩が本当に有害ではないという声明を人々は信頼しているだけである。それは真実であるかもしれないし、真実でないかもしれない。個々人の有害な効果は有益な効果と同じほど小さく、いずれの臨床試験でもそれらを検出できない。”とスェールスは言う。

 アルダーマンは二番目の研究を発表後、高血圧協会とアメリカ心臓協会の過去と現在の会長を補充し、国立心肺血液研究所のレンファントに次のように書いた。“入手できる全てのデータを考えて[塩摂取量]に関する現存の勧告をレビューするために適格な医学者と公衆保健科学者からなる独立した委員会の迅速な任命を推進する。”4月にレンファントはレビューを進めることに同意したことをサイエンスに語った。そのような委員会が招集されれば、ヘネケンズは心に留めほどの価値ある一つの所見を持っている:“この分野の問題は、人々がどちらかの側を選んできたことである。我々がすべきことは所信よりもむしろ科学的にシステムを推進させることである。” - ガリー・トーブス