日本醸造協会誌 第99巻 第1号 715頁 (2004)

食塩について

On Food Grade Salt

塩の専売法が廃止されてから,様々な塩が販売されるようになった。しかし,現在でも,製塩や塩に関する情報は少なく,マスメディアや特殊製法塩の製造業者の多くは、科学的根拠が乏しかったり,無いにも拘らず,ある種の塩を誇大に宣伝して,消費者に誤った認識を与えていると言われる。塩についての判断基準となる「塩の科学」の著者であり,前に本誌に「食塩と高血圧との関係」についての解説もいただいた著者に,改めて今回は、製塩法と塩の品質,食塩の安全性,ナトリウム以外のミネラル,食塩と健康問題等について詳細に解説いただいた。

橋 本 壽 夫

Toshio HASHIMOTO (Managing Director, The Salt Science Research Foundation)

 

1.は じ め に

 食塩は塩辛みを示す代替品のない調味料であるとともに,その物理的,化学的作用を利用して様々な食品の製造に使われる。1995年度末をもって92年間続いてきた塩専売制度が廃止され19964月から塩事業法の下で,塩の製造,販売,輸入が自由に出来るようになった。
 塩専売制度下でも特殊用塩として,いろいろな品質の塩が販売されていた。新法の下では特殊製法塩と名前が変わり,従来からの生産者に加えて海洋深層水からの製塩も含め,地場産業振興策の一つとして各地で様々な食塩が製造されるようになってきた。各国からも様々な食塩が輸入されるようになった。それぞれに魅力ある謳い文句が記載されているので,一般家庭ではどの商品を選んで使えばよいか,判断基準となる情報がないので迷っているのが現状であろう。
 食品産業界でも一部,塩生産者の宣伝に便乗して特殊製法塩を使用し,商品差別化や値上げ手段として利用している会社もあるが,果たしてどれほどの違いが科学的根拠で示されているのか,はなはだ疑問である。最近出版された「塩の科学」1)は判断基準の一つとなる。

2.食塩の製造法

 海水からの塩づくりでは,大きく分けて4つの方法がある。
@ 一般的な濃縮法
 海水を太陽熱と風の相対湿度を利用して直接濃縮・結晶化する方法(海外の天日塩田濃縮法),あるいは海水濃度の2倍程度まで膜濃縮法(逆浸透法)を利用し(採かん工程と称する),その後,天日あるいは装置で加熱濃縮・結晶化(せんごう工程と称する)する方法である。その場合,1に示すように溶解度の小さい塩類から順に析出してくる2)。この方法では,加熱伝熱を阻害するスケールとして析出してくる炭酸カルシウムや石こう(硫酸カルシウム)の取扱法がトラブル防止のポイントの一つであることと,食塩と一緒に析出してくる石こうの分離が必要となる。食塩の品質(化学組成)は,濃縮終点の管理,付着母液(にがり)の分離・洗浄・乾燥等の度合いで決まる。

       

 場所によって海水中の塩類濃度は異なっても,海洋深層水を含め製塩に関与する塩類間の比率は変わらない。濃縮に伴う塩類析出があると,塩類間の比率は変わってくる。しかし,製塩工程が終わるまで析出してこない塩類がある(例えば塩化カリウムと硫酸マグネシウム)。したがって,食塩や母液中のカリウム:マグネシウムの比は海水中の比と同じである。この比が大きく変わってくれば,製塩工程中でカリウム塩かマグネシウム塩を加えていることを表している。
 原料海水が汚染されていると製造された食塩も汚染される。汚染物の大部分はにがり中に濃縮される。食塩では母液の付着量,その洗浄度合いによって汚染度が決まる。
A イオン交換膜電気透析濃縮法
 海水(全塩分量に対する食塩の比率を純塩率と称し海水では078である)をイオン交換膜電気透析法により78倍の濃度になるまで濃縮する(この方法は,減塩醤油の製造では脱塩法として使われる)。濃縮された海水(以下かん水と称する)の純塩率は0.900.94に上昇し,石こう成分(Ca2+イオンとSO4-2イオン)が少なくなっているので,その後のせんごう工程でスケール防止が容易になる。かん水濃縮による塩類析出状況は2に示すようになる2)。この方法では,水中でイオンになっていない汚染物は濃縮されないし,イオン半径の大きいイオンも濃縮されないので,海水が汚染されていても汚染物が塩に移行することはない。
B 海水直煮濃縮法
 海水を直接加熱法で濃縮煮詰める方法である。エネルギー費がかさみ,炭酸カルシウムや石こうによるスケール・トラブルも多く,得策な方法ではない。濃縮に伴う塩類析出の基本的なパターンは第1図と同じであるが,濃縮温度条件で溶解度が変化するので,それに伴って析出領域が異なってくる。海水中の汚染物も濃縮されてくる。
C 輸入天日塩の溶解再製法
 天日塩田で海水濃縮により製造された塩を溶解してかん水とし,その中の不純物(CaMgSO4)を取り除く精製工程を経て再結晶させる方法で,高純度の食塩が得られる。(参考:岩塩産地でも岩塩を溶解・精製して同じ様な工程を経て食塩を生産する。)

3.食塩の品質

1972年以来,食塩の製造方法が塩田製塩からイオン交換膜製塩に全面的に転換された。それによる食塩品質の成分組成変化について3に示す2)。特殊製法塩者は,イオン交換膜製塩法による食塩の品質は純粋で薬のような塩と口癖のように唱えるが,この図を見れば一目瞭然でその論の間違いに気付くはずである。この図から当初の製品銘柄のKSO4成分が製法の違いによって大きく変わり,CaMgはあまり変わっていないことが分かる。右端に示す天日塩中のミネラル量とも比較すれば,一層,薬のような純度の高い食塩でないことが分かる。天日塩を溶解再製した食塩(食卓塩,精製塩1 kg)の組成は当初の製品銘柄のそれと変わっていない。

      

 食塩の粒径,形状,嵩密度等の物性に関する要因と水分量は,食塩の取扱作業(流動性),使用条件(溶解性,混合性,付着性)等に影響するので塩を選択する上で重要な因子である。
 味噌,醤油の醸造業界では,味噌は並塩,食塩を使用し,かつて醤油は輸入原塩を使用していたが,塩専売制度下で特例塩への転換政策により,輸入天日塩から国産せんごう塩に代わり,食品衛生上改善された。

4.食塩の安全性

 食塩は国際的には食品添加物として扱われ,国内的には食品として扱われている。専売制度下では品質管理・検査基準により分析し,食塩の安全性については国(日本専売公社,日本たばこ)が責任を持っていた。制度廃止後では食品として厚生労働省が食品衛生上から管理することになろうが,食塩の製造法,性質,分析法等を理解していないと十分な管理はできないと思われる。基本的には製造者責任で安全性を保証することになる。かつての専売塩を製造していた製塩会社で構成する日本塩工業会では「食用塩の安全衛生ガイドライン3)を定めて,その中で1に示すCODEX(国際食品規格)の食用塩規格4)よりも厳しい自主規格を制定するとともに,製塩装置の安全衛生基準適合チェックリストも制定して製造工程の自主管理に力を入れている。

第1表 国際食品規格の食用塩と海外の塩の規格
CODEX STAN 150-1985 日本塩工業会 ア  メ  リ  カ
対 象 用 途 食   用 食   用 食 品、化 学 品
純度(乾物規準) 添加物を除き97%以上 精選特級塩:99.7%以上特級塩:99.5%以上  微粒塩:99.7%以上  食塩:99%以上 YPS入りせんごう塩 99.0%以上2以下の流動化剤、固結防止剤入りせんごう塩97.5%以上、岩塩、天日塩97.5%以上
水分 - 0.5%以下
不溶解分 - 100 ppm以下 -
ヨード(I) - 0.006%以下
YPS* 20 ppm以下 0.0014%以下
不純物 重金属(Pbとして) - 4 ppm
Ca - CaとMg合計2%以下
Mg -
Fe -
アルカリ度(Na2CO3として) - -
硫酸塩(Na2SO4として) - -
ヒ素(Asとして) 0.5 ppm以下 0.2 ppm以下 1 ppm以下
銅(Cuとして) 2 ppm以下 1 ppm以下 -
鉛(Pbとして) 2 ppm以下 1 ppm以下 -
カドミウム(Cdとして) 0.5 ppm以下 0.2 ppm以下 -
水銀(Hgとして) 0.1 ppm以下 0.05 ppm以下 -
被覆剤:CaまたはMgの炭酸塩、MgO、Ca3(PO4)2、SiO2等、
 疎水性被覆剤:ミリスチン酸、パルミチン酸またはステアリン酸の  Al, Ca, Mg, K あるいはNa塩
 晶癖剤:Ca, K または Na のフェロシアン化塩
 乳化剤:ポリソルベート80
 加工処理剤:ジメチルポリシロキサン
* YPS: フェロシアン化ソーダ
注:下線の化合物は日本では食品添加物に認定されていない。

 国内で生産されている食塩,特にミネラルリッチを謳っている製品は純度についてCODEXの規格に合っていない製品がある。また,海外から自由に輸入されている食塩が必ずしもCODEX規格を満たしているとは言えない。さらに,食塩への食品添加物についても国内で認可されていない添加物が多数使われている。したがって,輸入塩については注意を要する。新野らが発表した市販食塩(家庭用小物商品)の品質分析結果5)を見れば,問題の国内塩,有害成分が検出されている輸入塩製品が分かる。その後もさらに多数の市販塩の分析値が発表された6)。その中には有害微量成分でCODEXの食用塩規格値を上回っている製品もある。これらのデータはhttp://www.shiojigyo.com/にも掲載されている。

5.食塩への添加物と安全性

 昨年,食塩への添加物としてフェロシアン化物(3種類)が突然,食品添加物として認可された。昨今,食品の安全性が大きな問題となって,企業に対する信頼性が失われる事例が多いが,フェロシアン化物の安全性データはどうなっているのであろうか?フェロシアン化物はCODEXでも認められている食品添加物ではあるが,JECFA(FAO/WHO合同食品添加物専門家会議)がそれらの安全性に関するデータを揃えているわけではない。2に示すように日本の食品添加物認可に要する安全性データが揃っていないにもかかわらず認可されたのである。

第2表 食品添加物の指定に添付すべき資料(安全性に関する資料のみ)
資 料 の 種 類 フェロシアン化物指定で用意した資料
(1)毒性に関する資料
 @28日反復投与毒性試験
 A90日反復投与毒性試験
 B1年間反復投与毒性試験
 C繁殖試験
 D催奇形性試験
 E発がん性試験
 F1年間反復投与毒性/発がん性合併試験
 G抗原性試験
 H変異原性試験
 I一般薬理試験
(2)体内動態に関する資料
(3)食品添加物の一日摂取量に関する資料

 フェロシアン化物は食塩の固結防止剤として卓効があり,1020ppmというわずかな添加量で食塩は固結しなくなる。結晶形が変化するためである。海外の家庭用小物製品では添加量が表示されている。そのような商品は不人気であることをヨーロッパの大手製塩会社役員から聞いたことがある。業務用の食塩には固結によるクレーム防止のため添加され,生産者にとっては必須の添加物である。食品加工業者には保管期間が長くなっても固結がなく,さらさらとして使いやすいので喜ばれる。かくしてフェロシアン化物が添加された食塩が食品加工で使われ,輸入された製品を分析するとキャリーオーバーのため検出され大問題となった。そこで市場混乱防止のため,急速認可されたものと考えられる。
 塩化カリウムは食塩代替物として食品添加物に認可されている。減塩指向から塩化ナトリウムと塩化カリウムを半々に混合した食塩が病者用の低ナトリウム食品(特別用途食品)として厚生労働省の認可を受けて販売されている。細胞外液中の塩化カリウム濃度は非常に低く,塩化カリウムが多量に摂取されると高カリウム血症となり,心臓停止を起こして死に至ることがある7)。このことから,海外では同じ製品を健常者用として販売しており,医師の指示がなければ使ってはいけない,利尿剤を服用している人には勧められない,と製品に表示されている。つまり同じ製品の使用表示が全く逆なのである。減塩指向に便乗してこの製品が食品加工や地方自治体の保健指導で使われているとすると,非常に危険なことである。
 味噌や醤油のように微生物醸酵が関与して食品では,このような商品を使用しても決して良い品質の製品は出来ないと思われる。微生物が増殖する最適基質条件は決まっている上に,増殖するだけで醸酵製品独特の味,香りを出すことは出来ない。また,塩化カリウムの味は塩味とは異なる嫌味を示すので,あまり売れない。かつて1982年に塩化カリウムが食品添加物に認可されたとき,多数の製品が市場に出たが,販売量が伸びずほとんど撤退した。専売廃止後に海外からの製品や国内製品が再び市場に現われてきた。

6.食塩からナトリウム以外のミネラル摂取量が期待できるか?

また,ミネラル豊富な塩は美味しいか?

 ミネラル豊富でまろやかな味の海水濃縮塩,海洋深層水塩,海外製品も含めて自然をキャッチフレーズとし,健康とグルメ志向を利用して販売量を伸ばしている製品が多い。そのような商品は非常に高価であるが,消費者はその文言を信じて購入している。はたしてそれは真実であろうか?東京都消費者総合センターは市販製品をテストし,それらが誇大表示であり,改善すべきことを指摘している8)
 食塩はナトリウムというミネラルの塊であるが,ミネラル豊富の内容はにがり成分(マグネシウム,カリウム,カルシウム等)を指している。どれほどにがり成分があれば,豊富と言えるのか,筆者には理解できないが,3を見れば,常識的にミネラル豊富という表現はまやかしであることが分かる。
3表は,海水からミネラルがどれほど摂取できるかを,必要量と対比できるように表している。厚生労働省の発表によると,1日当たりの食塩摂取量は約13 gである。これは摂取した食物中のナトリウム量を食品成分表から計算し,その数値を2.5倍して食塩に換算した値である。味噌,醤油,食塩を合計すると,半量強を占めるが, 食塩だけの使用量は全体の約10%である。

第3表 塩からのミネラル摂取量 (単位 : mg)
元  素 一日摂取基準 一日摂取量** 食塩10 g中の量 海水100 ml中の量 海水組成の塩10 g中の量##
カルシウム 600-900 440-625 3 40 160
リン 700-1,200 1,000-1,500# 0.002 0.008
カリウム 1,650-2,000 1,200-2,500# 13 38 152
ナトリウム 3,900 10,400-13,200 3.98 g 1.05 g 3.93 g
マグネシウム 220-320 150-300# 3 135 541
10-12 9.8-12.2 0.0017 以下 0.0005 0.002
亜鉛 8-12 7.6-11.42# 0.0012 以下 0.001 0.004
1.4-1.8 1.0-2.5# 0.0006 以下 0.0003 0.001
クロム 0.020-0.035 0.000005 0.00002
ヨード 0.15 0.004 以下 0.006 0.02
セレン 0.040-0.060 0.00004 0.0002
マンガン 3.0-4.0 0.0002 0.0008
モリブデン 0.020-0.030 0.0006 0.002
第六次改訂日本人の栄養所要量より、12歳以上で記載
**国民栄養の現状、平成12年厚生労働省国民栄養調査結果、7歳以上で記載
# 糸川嘉則、他、生体内金属元素、1994、光生館より
## 海水組成の塩10 g製造に必要な海水量は約400 ml

 海水から食塩10 gを作るには約400 mlの海水が必要である。その中のミネラル量を右端の欄に示していしるが,1日当たりの必要量と比較すると全く問題にならない。しかも家庭では,食塩としては13 gの内の10%しか摂取されないので,実際にはさらに一桁少ない量にしかならない。ミネラルが一番多い
食塩
(海水をドライアップして製造した食塩)とギネスにブックに登録された食塩でも,1日当たりの必要量摂取量と対比すると無視できるほどの量にしかならない。食塩からのにがりに伴うミネラル摂取は期待できない。
 味の方はどうであろうか?味覚は個人差,主観的 表現,思い込み,刷り込み現象などから数値的に表すことが出来ない。最近,味覚センサーが開発されてきた。それによる測定パターンの相違と官能検査による認識との関係に関する食塩のデータはない。昔の塩のように,にがり成分が4%以上もあれば,舐めれば塩辛さの違いは分かるが,食塩そのものを直に味わう料理は少なく,ほとんどは調理で味付けに用いられるので,市販されている通常の食塩に含まれているにがり成分量(水分量が多いので純度は低く,その分にがり 成分が多いと消費者は勘違いする。乾物で考えると,故意に加えない限りにがり成分はそれほど多くない)程度では,調理された料理の味は見分けられない

7.食塩と健康問題

 食塩の過剰摂取量が健康に悪く,高血圧の原因となるのではないかと言われ,予防医学の立場からアメリカで食塩摂取量の規制が始まった。その後,日本でも1979年に1日当たり10 gの目標摂取量が設定されて,減塩に向けての保健政策が始まった。食塩と高血圧との関係が具体的に疑われ始めたのは約半世紀前にダールがデータを発表9)して以来である。ダールは関係あり,との食塩仮説を立て,ラットでそれを証明する研究をした結果,食塩感受性と食塩抵抗性を示す2種類のラットが居ることを明らかにした10)。その後,人間でも同様であることが分かった11)。仮説を証明しようとする研究は進めらているが,必ずしも証明されて明らかにされているとは限らない12)。遺伝的因子が強いが,簡便に見分ける方法はまだ確立されていない。このような研究が進むにつれて全体的に食塩感受性の人々が少ないことから食塩との関係は薄らぎ,神話であるとの論文まで現れるようになった13)。条件を厳密に統一して行われたインターソルト・スタディと称する32カ国,52ヶ所の国際的な大規模疫学調査結果でも高血圧発症率と食塩摂取量との関係は明確に示されなかった14)。科学的根拠が薄いのに政治的判断で保健政策が行われていると批判され15),食塩感受性の人々だけが食塩摂取量に気を付けて減塩すればよい,と主張する学者が現われ,海外では減塩論者との間で激しい論争が続いている16)
 最近では減塩を勧めるのではなく,食生活の改善により高血圧を予防する一種の食事療法Dietary Approaches to Stop Hypertension(DASH)が盛んに研究されている17)DASH食と言われる野菜や果物が多く,低脂肪乳製品を食べる食生活の改善により減塩をしなくてもかなり血圧は下がる。食塩感受性の人がいるため,減塩すればさらに血圧降下が増す18)DASH食はカリウムと食物繊維の多い食品で,乳製品のチーズ等はカルシウムが多い。研究は行われていないが,味噌や醤油を使った具沢山の味噌汁(豆腐にはカルシウムが多い)や野菜の煮物,あるいは漬物は案外DASH食に近い食事になっているかもしれない。

8.食塩摂取量の考え方

 過剰摂取量とは何に基づいているのであろうか?世界には無塩文化と言われる生活を営んでいる原始社会がある。ブラジル奥地のヤノマモ・インディアンが代表例と挙げられるが,1日当たりの食塩摂取量は1 g以下であり,高血圧症もなく,加齢に伴う血圧上昇もない。但し,寿命は短い。これに比べて文明社会では10倍以上も摂取していることから過剰であるとの考え方である。文明社会人は,腎臓機能が正常であれば2030倍の食塩排泄能力を持っているので問題はない。但し,アフリカ系アメリカ人(黒人)は過去の悲惨で過酷な奴隷貿易で生き残った歴史的背景を背負っている関係で,腎臓が正常でもナトリウム排泄機能が弱く,食塩感受性になり易い体質を持っている19)
 一般的に必要量の十数倍も摂取しているのであるから,減塩による逆効果はないと考えられている。しかし,減塩による血圧反応は4に示すように正規分布で現われる20)から,減塩で血圧が下がる人の比率と同じ程度に血圧が上がる人がいる。そのような人にとって減塩は血圧を上昇させるので危険である。これに限らず,最近では減塩による逆効果の事例がいろいろと報告され出した21)。国民栄養所要量で時,老人に対してむやみな減塩を強いるのではなく,クオリティオブライフを考えて対処するように書かれるようになった22)

      

 通常の食生活では,美味しい料理を食べ過ぎた結果として食塩の過剰摂取が起こる。そのような時には自然と喉が渇き,水を飲んで排泄してしまう。体内に食塩が足りておれば,料理の味付けが塩辛く感じて,食べ過ぎようとしても食べられるものではない。運動による発汗などで食塩が不足しておれば,塩辛く味付けされていても美味しく食べられる。個人の食塩摂取の適量については,味覚が判断していると筆者は考える23)
 食塩摂取量と高血圧との関係は遺伝的要素が強いので,腎機能が正常で,高血圧家系でなければ,食塩摂取量を気にすることはなく,楽しい食生活を過ごし,肥満にならないよう運動に心がければよい。
 最近の文章春秋(1511月号,p.84)に「沖縄の長寿日本一は,男性が26位まで転落した。食生活のせいだと言われるが車ばかり使って歩かないことも大きな原因である。」と書かれている。ちなみに沖縄県の平均寿命の推移を見ると,全体的には1975年の78.96歳から2000年の86.01歳まで一貫して1位の座を守り,25年間で7年間延びた。内訳を見ると女性は1975年以来2000年まで1位であるが男性は10位から途中1位になり2000年には26位である。平成7年から12年までの平均寿命の延びは0.42歳で47位である24)100歳以上人口が53人,女性で318人である。各性別で100歳以上の人口が占める%は男性0.0082,女性で0.0474となり,いずれもー番高い数値である25)。沖縄の食事は塩分が少なく,油を抜いた豚肉をよく食べるからであるとよく言われるが,科学的にどれだけ根拠があり,信憑性があるのであろうか?食生活は重要な因子ではあろうが,気候,生活環境(交通手段,ストレス,労働)の違いを考慮しないで食生活の中でも特に食塩摂取量(摂取量にはそれほど大きな変動はないのに寿命に関する数値は大きく変動している)だけを大きく取り上げるほど長寿に影響があるとは思えない。長寿の科学的解明が望まれる。
                            <
()ソルト・サイエンス研究財団>

引 用 文 献

1) 橋本壽夫,村上正祥:塩の科学,pp.198,朝倉書店,東京 (2003)

2) 橋本壽夫:日食科工誌,49, 437-446 (2002)

3) 社団法人日本塩工業会:食用塩の安全衛生ガイドライン (2003)

4) Codex - Alimentarius: Standard for Food Grade Salt, Codex Stan. 150-1985 (Rev.1-1997, Amend. 1-1999)

5) 新野靖,西村ひとみ,古賀明洋,篠原富男,伊藤浩士:日調科誌,32, 133-144 (1999)

6) 新野靖,西村ひとみ,古賀明洋,中山由佳,芳賀麻衣子:日調科誌,36, 305-320 (2003)

7) 福島雅典総監修:メルクマニュアル 第17版,日経BP出版センター,東京 (1999)

8) 東京都消費生活総合センター:いろいろな「塩」商品テスト・シリーズ (9-3) (1998)

9) L. K. Dahl: An International Symposium, Edited by K. D. Bockand P. T. Cottier, p.53, Springer-Verlag, Berlin (1960)

10) L. K. Dahl, M. Heine and L. Tassinari: J. Exp. Med., 115, 1173-1190 (1962)

11) T. Kawasaki, C. S. Delea, F. C. Bartter and H. Smith: Am. J. Med., 64, 193-198 (1978)

12) Trevor C. Beard: J. Cardiovasc. Pharmcol., 16 (Suppl. 7), S35-S38 (1990)

13) J. H. Laragh and M. S. Pecker: Ann. Intern. Med., 98, 735-743 (1983)

14) INTERSALT Co-Operative Research Group: Br. Med. J., 297, 319-328 (1988)

15) G. Taubes: Science, 281, 898-907 (1998)

16) 橋本壽夫:海水誌,54, 366-371 (2000)

17) F. M. Sacks, L. J. Appel, T. J. Moore, E. Obarzanek, W. M. Vollmer, L. P. Svetkey, G. A. Bray, T. M. Vogt, J. A. Cutler, M. M. Windhauser, P.-H. Lin and N.Karanja: Clin. Cardiol., 22 (Suppl. III),III-6-III-10 (1999)

18) F. M. Sacks, L. P. Svetkey, W. M. Vollmer, L. J. Appel, G. A. Bray, D. Harsha, E. Obarzanek, P. Conlin, E. R. Mi11er, D. G. Simons-Morton, N. Karanja and P.-H. Lin for the DASH - Sodium Collaborative Research Group: New Engl. J. Med., 344, 3-10 (2001)

19) D. W. Moskowitz: Clin. Exper. Hypertens., 18, 1-19 (1996)

20) M. H. Weinberger, F. C. Luft, J. Z. Miller, C. E. Grim, N. S. Fineberg and J. C. Christian: Salt and Hypertension, Edited by R. Rettig and F. C. Luft: p.121-127, Springer-Verlag, Berlin (1989)

21) 橋本壽夫:海水誌,54, 45-53 (2000)

22) 健康・栄養情報研究会編集:第六次改訂 日本人の栄養所要量−食事摂取基準−,第一出版p.147 (1999)

23) 橋本壽夫:栄養学雑誌,57, 249-258 (1999)

24) 厚生労働省大臣官房統計情報部:平成12年都道府県別生命表 (2003)

25) 総務省統計局:平成12年 国勢調査報告 第2巻 その1全国編 (2001)