塩に反対した戦争-どうして我々は白い結晶を悪者にしたか
The Salt Fix 第3章より 2017年出版
By James Dinicolantonio 心血管疾患研究科学者
現在の塩摂取量になったとき、生存に必要な最低量よりも多くの塩を我々は摂取する傾向があると思っているので、我々は気が咎めるようになったかもしれない。
外見では、この過剰は減塩について説得力を持って主張しているように思える。どうして必要以上に摂取するのだろうか?しかし、どの栄養素でも同じように、塩は長寿と理想的な健康を提供する最適摂取量を持っているが、最適摂取量は上限と下限の両方がある。
塩について考えてみる:生きるための最少量であるカルシウム摂取量またはビタミンD摂取量を勧めることは誰も考えられない。あまりにも少ない摂取量は骨粗鬆症やくる病の危険率が高くなると言ったことで良く知られている。摂り過ぎになるよりもむしろ少な過ぎることについてほとんど関心がない。十分な塩を摂らないことの害についてほとんど知られておらず、その空白で、摂り過ぎることは“塩で誘引される”高血圧を引き起こすと言う恐怖が蔓延していた。我々は今や知らないできたことが如何に愚かで、先見性がなく、危険であるかを知り始めた。
減塩の支持を得るために何年間も多くの減塩主張者が、世界中で塩摂取量の増加は高血圧や心血管疾患の上昇と並行している、と激しく執拗に論じた。何百年間も、人類はせいぜい1日当たり約1gの塩しか摂取しておらず、最後の章で読めば分かる明らかな進化したエビデンスにもかかわらず、今日でも多くの人々によってまだ共有されている意見である。事実、我々の仮定を我々が保留し、歴史的なデータを考察すれば、正反対の論が真実であることを我々は知る:塩摂取量は既に低下しているのに、高血圧や慢性疾患は西欧世界で上昇中であった。
これらの紛れもない矛盾-歴史を通じて人類は今日の塩摂取量の一部だけを摂取し、塩は高血圧の原因となり、高血圧は心疾患を引き起こすことはどれくらい完全に医学界を制しているのだろうか?そしてほとんど1世紀間、彼等はどのようにして鷲づかみを維持してきたか?
真実は同時代でなく、数十年間の科学的進歩を逸脱させてきた少数の強力に維持された仮説である。これらの信仰の根源をたどり、それらの背後にある真実を見出すために、打ち明けられた文明として人と塩がどのように相互作用してきたかを見てみよう。歴史と塩と我々の関係の心理学を理解することによって、我々は2,3の研究者の間違った仮定からの進行を追跡でき、惰性、発表バイアス、食品産業界によって動機付けられた極悪な利害関係の致命的な組合せを通して-如何にしてそれらの仮定が確立された医学定説や公衆保健ガイドラインとなったかを追跡できる。
白い金の採鉱
人類は少なくとも8千年間、乾燥した砂漠湖の層から塩を掻き取ることにより、または地下から塩を採鉱することによって意識的に塩を生産してきた。塩の採鉱は中国で始まったが、エジプト、エルサレム、イタリア、スペイン、ギリシャ、そして古代ケルト領土を含めて世界中の様々な地域に広がった。これらの地域は塩と塩漬け食品、例えば、魚、魚卵、オリーブ、塩漬け肉、卵、漬物野菜を世界中の様々な地域まで交易もし、取引は数千年間続いてきた。ほとんど全ての大きなローマの都市は塩のある近くに位置しており、平均的なローマ人は我々の現在の1日当たり平均摂取量の2.5倍以上の25 gを摂取していた。
古代に人類は塩生産の独創的な方法を発明した。彼等は地下にかん水井を掘り、かん水を煮詰めて塩を採取した。彼等は乾燥した川底から塩鉱床を採取した。彼等は人工湖や池からの海水を活発に蒸発させ、鉱山の塩を採鉱し、砂漠の土壌または湿地植物の焼かれた灰から塩を抽出した。あるいは彼等は沼地の水やピートを単に煮沸した。
冷凍技術が出てくる前には、塩は主な抗菌保存剤であった。何週間も食品の鮮度を維持するのに役立ち、適宜に缶詰された時には数か月も維持できた。塩は非常に価値があったので、ローマの兵士に支払うために使われ、同盟を結ぶ象徴であったと考えられた。事実、ローマ人の夕食の食卓に塩がないことは非友好的な行動と解釈され、疑いを持たれた。塩は古代世界の生活力であった。
16世紀まで、ヨーロッパ人は約40 g/dの塩を摂取していたと推定され、18世紀には主に塩漬けタラやニシンから摂取量は70 gまでになり、西欧社会の現在の摂取量の4-7倍である。フランスでは1725年に重い税金のために塩歳入に関して詳細な記録が残されており、毎日の塩摂取量は13-15 g/dであった。スイスのチューリッヒでは23 g以上であった。塩はスカンジナビア諸国ではもっと多く摂取され、デンマークでは50 gという最高の摂取量であった。Nils Alwallは16世紀にスェーデンの塩摂取量は100 g(再び主に塩蔵魚業と塩漬け肉からであった)まで近づいたと推定した。
この全ては、過去数百年の間にヨーロッパ中の塩摂取量は少なくとも恐らく2倍になり、今日の10倍にもなっていたことを示唆している。さて、ヨーロッパにおける慢性疾患の上昇を見てみよう。そして自由な塩摂取量のこの全盛期に心臓の状態はどうであったか?
1500年代-1800年代のヨーロッパで高血圧罹患率を全く確かにできない-1800年代の遅くまで血圧計のカフが発明されなかったからで-しかし、アメリカ合衆国で1900年代始めの高血圧罹患率は人口の5-10%と推定されたことを我々は知っている。1939年にシカゴで成人の高血圧罹患率は11-13%であった。その後、その数字は2004年に最終的に31%に達する前に、1975年までに25%へと2倍になった。この数字は上昇し続け、2014年ではアメリカ合衆国成人の3人に1人が高血圧である。
このデータから遡り、1900年代の前半でアメリカ合衆国の高血圧罹患率は約10%であったと我々は一般的に言える。しかし、塩摂取量は過去50年間以上著しく安定していたままであるにもかかわらず、高血圧罹患率は今や3倍にも高くなっている。
20世紀後半中のアメリカ合衆国では、明らかに我々の塩摂取量は高血圧罹患率の上昇と並行ではなかった。しかし心疾患についてはどうであったか?
1500年代中のヨーロッパでは、塩摂取量は非常に高く、幾つかの所では40-100 g/dであったことを我々は既に知っている。塩が心疾患-胸が痛くなり突然死ぬ-を引き起こし、1500年代にヨーロッパ人が約40 g/dの塩摂取量であれば、この時期に心疾患に関する何十万件もの報告書があるべきである。しかし、1600年代半ばまで最初の報告書はなかった。そして心疾患率は1900年代初頭に批判的なレベルに飛び上がっただけであった。慢性疾患率は塩摂取量の増加と単純に並行していない-何かあったとしても、それは逆比例している。
それでは現在の栄養ガイドラインはどのようにして出来たのか?研究の失策、傲慢、論争の積上げ、頑固な拒絶-全てこれらの力は今日でも、それらを形成し、それらを所定の位置に維持するために一緒に組み合わされた。
不正確で古い考え
塩が血圧を上昇させるという理論は100年以上も古い。AmbardとBeauchardと名乗る二人のフランス科学者がわずか6人の彼等の患者からの結果に基づいて1994年に塩-血圧仮説を唱えたと言われる。これらの科学者が患者にもっと塩を摂らせた時、血圧は上昇する傾向であった。しかし、2,3年後の1907年に、Lowensteinは腎炎(腎臓の炎症)患者で相反する結果を発表した。次世紀近くになると、科学者達は塩摂取量の相対的な利益と危険性を巡って論争したが、両側に関する研究の品質は同等とは程遠かった。
塩戦争物語は1920年代初期に最初にアメリカ合衆国で始まった。ニューヨークの医学者Frederick M. Allenと共同研究者は最初に減塩して、血圧を下げる可能性のある治療戦略としてアメリカの医者の注意を引いた。彼等は4件の論文を発表した。1920年に2件、1922年に2件で、明らかにアメリカ合衆国における論争を引き起こした。これらの論文の核心は、減塩が高血圧者の約60%で血圧を下げると強く主張した。Allenは高血圧の可能性のある治療として減塩を擁護するためにこれらの事例報告を使った。さらに進めて、塩摂取量は腎臓を刺激し、腎臓を酷使し、まだ通常の腎機能の人々でも次第に血圧上昇させると彼は仮説を立てた。しかしAllenは証明できなかった。しかし彼の理論的解釈は正常に思えた:減塩は“塩摂取量を制限することにより主に腎臓に負担をかけないため”と言われた。しかし、この時期の数多くの出版物は、減塩が高血圧を治療するのに良いオプションであるという考えに異議を唱え、その考えは塩嗜好の習慣を止めた。20年以上後に、高血圧は“腎臓に過剰負担をかける”という理論は不明瞭さから消えて、ウォルター・ケンプナーによって盗まれたように思えた。彼はこの誤った推論に関する彼の遺産を作り出すように運命付けられた研究者であった。事実、ケンプナーは増えていく腎臓の仕事量を減らすために厳しい食制限を述べることに厳格であり、これは減塩を含んでいた。彼は次のように書いた、“全面戦争であるに違いない。1つの要因を攻めるだけでは十分でない。減塩は十分でない;コレステロールを減らすことも十分ではない;水やアミノ酸を減らすことも十分ではない。単に減らすことは十分でなく、腎臓の仕事の全ての要因を絶対的な最小量まで減らさなければならない。”ケンプナーは彼のライス・ダイエットに達したと主張した結果について世界中の認識を得ることとなった。それはたまたま塩の少ない食事(1ダースもある他の食事制限についての1要因)であった。低塩食が高血圧治療に有効であることの証明としてケンプナーの研究の外挿は全塩戦争物語の中で研究誤解の最も影響を及ぼした事例の一つである。
ケンプナーのライス・ダイエット
ウォルター・ケンプナー卿とリディア・ラビノウィッチ-ケンプナーの第三子ウォルター・ケンプナーは第一次世界大戦前のベルリンで生まれた。そこで彼は医学を学び、最終的にハイデルベルグ大学を卒業した。ナチスからの逃避としてケンプナーはアメリカに行き、幸運にもデューク大学で働き始めた。そこでケンプナーが1939年に彼の悪名高いライス・ダイエットを発明した。
ケンプナー博士はライス・ダイエットで数百人の患者を治療し、数多くの事例報告を編集した。彼は自分の事例研究を解析し、主として米と果物からなる低塩食が、悪性高血圧患者、慢性腎臓疾患患者、そして糖尿病患者さえもそのほとんどを治療して有効であることを示唆した。ケンプナーは、塩が腎臓の“排泄物”であることを信じ、減塩によって過労にある腎臓を保護できると考えた。
ケンプナーのライス・ダイエットのガイドラインは近代内分泌学者の背骨を震わせた。食事はそれぞれ2,000カロリー、脂肪5g、タンパク質20 g、塩化物200 mg、ナトリウム150 mg以下で作られていた。どんな種類の米でも良かったが、平均摂取量は9 – 12オンス/dであった。あらゆる種類の果物ジュースや果物は明らかに摂取量の制限はなかったが、ケンプナーはナッツ、ナツメヤシ、アヴォガド、缶詰果物と乾燥果物、あるいは果物派生品の摂取を禁じ、白砂糖の添加だけを許した。
平均して彼の食事は白砂糖とデキストロースの組合せで約100 g/dを含んでいるが、“必要であれば”500 gまで増加できる。野菜ジュースやトマトジュースは許されていなかった。食事で水は与えられず、摂取量は700 – 1,000 mlの果物ジュース/dに限られていた。ライス・ダイエットが有効であった時に条件は改善されて“少量の豆類でない野菜、ポテト、赤身肉または魚(全て塩または油脂を用いないで調理された)が加えられた。”
ケンプナーの事例報告は実質的にメディアの注目を得た。しかし、彼の事例報告は疑わしい品質であると言うことは恐ろしいほど控えめな表現となった。第一に、事例報告は臨床試験ではなかった。従って、彼は因果関係を証明できなかった。ケンプナーは彼の患者と比較できるコントロール・グループを持っておらず、入院後、十分なコントロール期間を取らなかった。彼の研究の欠陥は、彼の結果が完全に偽の結果であることを意味しており、食事で何もしなかった。事実、食事の“成功”についての最もありそうな理由の一つは彼の患者をモニターする幾分特有なスタイルであったことだ:ケンプナーは“鷹のように”彼の患者を観察したと言われ、-食事に迷っている彼の患者を鞭打つことさえ許した。
当時まで帰ると、ケンプナーのライス・ダイエットが低塩食であるという観点がその効果についての理由であるかどうかについて同輩の研究者達は疑問に思っていた。事実、ケンプナーの高血圧で腹水症、浮腫の患者の1人は、3つの状態全てが標準的な低塩食に従った後で変わらなかったことを知った。患者の血圧は174/97 mmHgであったが、ライス・ダイエットをして約2ヶ月後に、彼の血圧は137/82 mmHgに低下したが、驚くことではなく14 kgの減量に付随した変化であった。
ライス・ダイエットは体内の塩を危険なほどに減らし、97 mEq/Lから91.7 mEq/Lまで血漿塩化物を劇的に下げることが分かった。(100 mEq/L以下の低い塩化物濃度は高い死亡率と無関係であることを心に留めておく。) ケンプナー自身によると、ライス・ダイエットは500人のうち178人(約36%)で血圧を下げるのにあまり効果なかった。しかし、食事が平均動脈血圧を少なくとも20 mmHg下げた人々で、500人の患者のなかで322人(約64%)に関して彼は排他的に主張した。我々はこれらの結果が真実であると考えても、彼等は減塩をほとんど行っていないライス・ダイエットよる多くの要因の一つに過ぎない。カリウムや食物繊維の摂取量増加、タンパク質、脂肪、トランス脂肪酸、種油の減少と言った要因があり、そしてカロリー摂取量の総合的な低下、それによる減量である。それでも食事のそれらの面はその結果の説明にほとんど採り入れられていなかった。
食事からの利益は誰にもないと言う事実にもかかわらず-再び、1/3は完全に効果なかった-ケンプナーのライス・ダイエットはその後、有効な治療として一般的に認められ、低塩食が高血圧、腎臓疾患、心不全の治療に有効であることの証明として今日でもまだ引用されている。
ケンプナーのエビデンスのもてはやしでほとんど述べられていなかった別の詳細は一つの力強い事実である:ケンプナーの患者は彼等の治療のスタートで全て極端に病気であった。彼等は199/117 mmHgという平均的な基準血圧で、それは高血圧で危険と考えられている。この事実だけは社会全体について有効と仮定されているライス・ダイエットを失格と考えられるべきである。そして十分確実に-そして当然に-他の人がライス・ダイエットをテストした時、結果はケンプナーが見出したことよりもはるかに確信がなかった。
ライス・ダイエットを試みた本態性高血圧患者の研究で、83%は血圧低下しなかったことが分かった。腎機能がそくていされた10人の患者の中で、9人は腎機能の指標である腎糸球体濾過率を下げ、8人は腎臓血液量を下げ、そして6人で最高の細管排泄能力を下げた。換言すれば、本態性高血圧患者で低塩、低タンパク食は腎機能を悪くするように思われ、高血圧治療には有効でなかった。
これはケンプナーが報告したことと反対であった。
もっと厄介なことは1950年にランセットで発表された医学研究委員会報告書であった。それには低塩ライス・ダイエットの人々は尿毒症(腎疾患により血液中の過剰尿素または尿)で死んだことが示されていた。高血圧によって既に損傷を受けた腎臓が塩を再吸収できなくて、血液中の塩濃度を危険なまでに低くし、腎不全の人々は減塩によって恐ろしいほどに害されたかもしれない、と著者らは主張した。
ケンプナーの結果の欠陥を探るために試験が続き、1983年にニューヨーク-プレスビテリアン/ウエイル・コーネル・メディカル・センターの有名な設立者ジョン・ララフと仲間は、よりよくコントロールされた研究を行ってあまり利益のない結果を報告した人々を引用したレビュー論文を発表した。食事はケンプナーの64%有効と比較して患者の20‐40%のみに有効であったことを彼等は明らかにした。また、研究者達が食事の有用成分を引き出そうと試みたとき、減塩(一般的に1.15 g/d以下)はライス・ダイエットの利益を覆すように思えることを彼等は明らかにした。したがって、食事についての第一の主張は、実際にはあまり有効ではないことであった。後知恵の恩典でケンプナーのライス・ダイエットから我々が何かを取り上げられるとすれば、果物や全穀の形でカリウムや繊維の摂取量を増加させるべきである-その事だけでは誤魔化し行うことかもしれない。
この点で、ほとんど35年前にララフと仲間たちは、中程度の減塩は全人口スケールで高血圧を予防できるエビデンスはなく、減塩でわずかに血圧を下げられる25‐45%の“塩感受性”と考えられる人々でも、食事が有効であるエビデンスは弱いだけであることを示唆した。ララフと仲間たちは、減量とライス・ダイエットによる血圧低下は実質的に塩摂取量とは全く関係なかった、と結論を下した。彼等は、減塩が“有効”であると証明された人々だけに減塩を実行させるべきであると示唆するようになった。
それでも他の人々は低塩食をテストし、それが効果がないことを明らかにした。クリーブランド臨床研究部(コルコランが設立した)のアーサー・コルコランと彼の仲間は、“重症本態性高血圧”患者さえも、約25%について低塩食の利益があることを証明されたことを示した。対照的に、明確な害が述べられた、例えば、高窒素血症(血液中の尿素、クレアチニン、他の窒素の多い老廃物が高い)と腎機能を悪くする。ほとんどの人々は血圧を下げるためにあらゆる手段で0.5 g以下の塩摂取量に下げなければならないことを彼等は知った。それは不可能ではないかもしれないが、完全に非現実的であった。
事実、食事に関して行われた研究の全てにおいて、それを試みた人々のわずか28%だけがライス・ダイエットを守ることができただけで、ライス・ダイエットを守った人々のわずか37%だけが血圧改善を示した。ケンプナーが彼の“方法”をテストする時は何時でも、患者の62%が血圧改善を経験した。(多分、守るように叩かれた!) しかし、奇妙なことに他の研究者は誰もこの結果を再現できず、他の人々によってテストされた時、ライス・ダイエットは害となることが分かった。
血液中の低いナトリウムや塩化物のような減塩で知られた結果は死の危険性を増すことで関係なく長く知られてきた。そして高窒素血症、腎不全、数件の死亡すら低塩ライス・ダイエットで生じた。報告されている他の副作用にはエネルギー欠乏、食欲不振、吐き気、異常な少量の尿生成(尿量過少症)、筋肉痙攣と腹壁痙攣、尿毒症、腎不全を示すような症状がある。残念なことに、ケンプナー時代や今日でされも低塩食の重要な危険性は希で、塩-血圧仮説の弱点について多くの研究者達の主張にもかかわらず、今までに低塩食を勧める幾つかのガイドラインで述べられた。“中程度の減塩だけが全人口における高血圧症の危険率を減らすことに役立つという仮説はより大きな空論である。さらに、社会を通しての中程度の減塩に害がないという考えは証明されていない、”と1949年のアメリカ医学協会誌(JAMA)に発表された一論文でシュローダーとゴールドマンは言った。多くの研究者達は全人口に一律に減塩を勧めることに疑問を持ち続け、次の数十年間にわたって他の人々はケンプナーのライス・ダイエット(そして一般的に減塩食)の有効性があまりないことを報告した;高血圧を予防し治療する手段としての減塩は認められなくなった。
つまりレビス K. ダールまで認められなかった。
レビス K. ダール
レビス・キチェナー・ダール博士は“強い信念”の男と言われた。ダールは、(明らかに) 低塩食を食べている幾つかの民族、例えば、イヌイットには高血圧がないことに元々関心を持っていた。対照的に、日本人のように塩摂取量の多い民族は高い高血圧発症率であった。このことから彼はネズミで塩の影響を研究することとなった。しかし問題があった:塩は通常のラットには血圧にあまり影響を及ぼさないことをダールは知っていた。そこで彼は“ダールの塩感受性ラット”として今や知られている種を作り出すために幾世代もの交配を通してラットを選択的に変化させることを決めた。これは正しい:ダールは実験室で塩感受性ラットを作り出し、その後、彼の塩-血圧仮説を証明するためにそれらを使った。
1954年に、ニューヨーク州アプトンのブルックヘブン国立研究所医学研究センターのレビス K. ダールとロバート A. ラブはアメリカ医学協会のArchives of Internal Medicineに論文を発表した。そのことは後に、高塩食は西欧社会で高い高血圧発症率もたらすと言う考えを復活させたと信じられた。初めに彼等の主張は疫学的研究に基づいて、ダールとラブは、低塩食を食べている原始社会は痩せていて、より活動的で、高血圧を発症させないエビデンスを引用した-これらの同じ社会はめったに高い砂糖食を食べないという知識はなかった。ある理由で、肥満自身は高血圧を導くという(砂糖によって両方とも促進される)考えは当時では一般的な理論ではなかった。砂糖が人で血圧を上昇させることを示した1983年までに一片の論文も発表されなかった事実は問題を助けることにはならなかった。(昔のそれらの研究者達に我々は石を投げそして近視眼的に彼等を考えないように、今日でも我々は一般的に、1つの疾患が他の疾患に関係していると考える傾向にないと言う事実を認めよう。我々は疾患を他の疾患から分け、各疾患を異なった専門家達を通して治療することが好きであるが、身体が実際にどのように作用しているかをそれでは明らかにできない。)
1950年代半ばまで多くの専門家達が反対活動を続けているにもかかわらず、塩は血圧を上昇させる白い結晶として既に悪者とされていた。さらに事態を悪くさせたことに、砂糖業界は砂糖の非難を転じて(飽和脂肪のような)他の食品物質に向けさせようと一生懸命働いてきた。そしてこの非難転換は高血圧の原因となる白い結晶として乾燥させた塩にも降りかかり、誰も砂糖のことを考えなくなった。どうしてそうなったのか・当時、砂糖はほとんどの科学者達とほとんどの社会人によって完全に無害と考えられた。
その時、ダールは食事で必要のない塩を加えることを目的とした最初の一人であった。1960年に、1954年以来彼が集めてきた研究からの文献レビューを発表し、塩摂取量が増加するにつれて高血圧発症率も増加することを5つの集団で示した。彼は1 g/d以下でも人類は容易に生きられると結論を下すまでになった。彼は彼自身の研究の幾つかを引用した。その中では塩摂取量は明らかに約100 mgから375 mg/dまで低下し、3ヶ月から12ヶ月間維持された。彼はまた、2年から5年間250‐375 mg明らかに証明された塩摂取量の3人を参考にして、17歳の少女が数ヶ月間10‐12 mgの塩摂取量でどのようにして“塩収支を維持”できるかを参考にした(後者については文献はなかった)。この“エビデンス”のすべてにもかかわらず、ダールが発表した論文には、低塩食が有益で害がないことを本当に証明したものはなかった。
ダールは遺伝的に塩の影響を受け易く設計されたラットに塩を与えることは高血圧を発症させるエビデンスを引用した-これらの研究では同様に人に塩を与えることは述べられなかった。ビヨーン・フォルコウ、血管生理学に関する400件以上の論文の有名な著者と王立スェーデン科学アカデミーのメンバーによると、それの人間に当てはめた量は40 g/dになった(または通常の塩摂取量の4倍以上)。それは同様に塩感受性の人で塩が血圧を上昇させるほどの多さである。塩抵抗性ラットでは-塩で血圧“問題”を持っていないラット-人で100 g/d相当の塩でも血圧を上昇させない。
レビス・ダールによって引用されたラット研究は人に対しては完全に的外れであると言える。しかし、ダールは引き止められなかった。彼の事例を支持するために、低塩食が人の血圧を下げた証明としてダールは1945年のJAMA発表を引用した。1つの問題:減塩が誰にでも有意に血圧を下げることを発表は何も示していなかった。事実、その結果、論文を綿密に読むと、低塩研究は実際に人を殺すかもしれないことを示唆している。低塩食を食べた一人の患者はその後まもなく死んだ;別の患者は循環器崩壊に耐えた。それは酸素供給と組織への栄養素供給を維持できないことを通常、示唆している。塩が食事に加えられたとき、循環器崩壊を起こした患者は改善された。
これらの重要な諸点はダールの論文では述べられなかった。そしてそれでもダールは非常に確信していたので、塩が高血圧の原因とし、彼は次のように結論を下した。“この考え(塩が高血圧の原因)は今日では非常に広く受け入れられており、拡張が明らかなことを長々と論争させることに使われた。”しかし、多分、さらに数十年間この間違った理論に公衆保健政策を縛り付ける前にもうちょっと“明らかな拡張”をすることが有益になったであろう。
幼児の食品中の高塩分はアメリカ合衆国で高い幼児死亡率になっていると非難されているともダールは示唆した。彼が塩感受性ラットに対して幾つかの幼児用食品を与えたとき、幼児たちは死んでしまった。しかし、もちろん、人の幼児はラットよりもずっと大きく、そして塩感受性ラットは通常ラットではないので-ダールはそれを止めさせなかった。幼児食中の塩は幼児にとって有害であると総括的な声明を彼は出した。彼の経験では、これらの塩感受性ラットは死に至らしめる悪性高血圧を発症させることを心配するな-人の幼児では何故か起こらなかった。ダールの研究と考えに部分的に基づいて、アメリカ小児科学アカデミーの栄養委員会は、幼児の塩摂取量は非常に高いと結論を下し、製造者らは食品中の塩含有量を下げ始めた。
研究の品質は見做される-が幾分、塩戦争と通して個人的な頑固さの力と現状に疑問を持つためらいは学究的な厳格性と完全性の力を圧倒した。そして我々はそれ以来代価を支払い続けてきた。
ジョージ・メネーリとハロルド・バタービー
二人の著者は1977年の食事目標にまとめられた減塩目標に最大の影響を及ぼしたようである:ルイジアナ州立大学メディカルセンターのジョージ R. メネーリとハロルド D. バタービーは、減塩が高血圧の予防と治療に役立つという概念を支持する最も有名な科学者達であった。事実、メネーリは実際にルイジアナ州立大学の生理学と生物物理学の学部長で、その位置は彼に多くの影響力と称賛を与えた。メネーリとバタービーの両方は、高塩食/低カリウム食は高血圧の主要な駆動力であると信じていた。“過剰な塩”は細胞外液量を増加させ血圧を上昇させると彼等は書いたが、-どれくらいの量がこれらの結果を引き起こすのかを彼等は明確に述べなかった。
塩が高血圧を引き起こすという考えは“高ナトリウム-低カリウム環境と高血圧”と題する1976年の彼等の論部にある理論であることをメネーリとバタービーでも知っていた。彼等の論文は当時の塩と血圧を考察した最も総合的なレビューの1つで、1977年の食事目標のすぐ前に発表された。この全てはこれらの著者に多くの悪評を与えた。そして塩-高血圧関係は華やかさを失った理論で-想像できる事実が著者らに注意を与えたことは、彼等の研究の影響を彼等はむしろ和らげないように受け取った。事実、アメリカ上院報告で、メネーリとバタービーは減塩を支持する上院委員会の前に証言された上院報告書の補足意見で引用された。
アメリカ上院によってあまり注目されなかったこと、または1977年の食事目標は、彼等の理論が遺伝的に感受性のある人々でのみまだ高血圧に至る高塩摂取量と低カリウム摂取量の組合せであったことであった。これらの詳細は大きな見出し:塩は高血圧に導くによって影を薄くさせられた。しかし、符号的なタイミングのこの小さなひらめきは次の40年間の国民の健康に関して記念碑的な影響を持っていることを明らかにした。全ての人が減塩で利益を得られる、高血圧の予防と治療のために安全な介入であると社会には言われた-文献のエビデンスのある物はこれまでも、あるいはこれからも決して支持しなかった。
1977年に、栄養と人の必要量に関するジョージ・マクガバーンの上院選択委員会は食事目標を発表した。それは全てのアメリカ人が3 g/dまでの減塩することを勧めた。このガイドラインは健全なエビデンスよりもむしろ当時の専門家の意見に基づいた。事実、この時期の間、国民に食事ガイダンスを与える健全なエビデンスを必要としなかった;文献の総合的なレビューについても、あるいは人の臨床試験からのエビデンスさえも要求されなかった。あなたが専門家と考えられ、重要な影響力を持っておれば、あらたの言葉は“エビデンス”と考えられた。食品政策、業界規制、学校給食計画、次の10年間について医者の治療基準に徹底的に影響を及ぼす大量の公衆保健に関する公式見解は本質において、2,3人だけの科学者達の意見に基づいていた。
食事目標が1977年2月に発表された後、2件の他のヒアリングが50件の追加的な意見をめぐって発表された。これらのヒアリングは3月24日と7月26日に行われ、これらのヒアリングのノートが補足意見に発表された。これらの補足意見は厳しい減塩の起源に一見を投じている:上院選択委員会は国立科学アカデミーをほとんど信頼し、ジョージ・メネーリとハロルド・バタービーが3 g/dの塩摂取量に制限した勧告を信頼した。我々は全てのアメリカ人に与えた3 g/dの塩制限に少なくとも寄与したことについてメネーリとバタービーに感謝する。
1977年食事目標の第二版が発表されるまでに、1年も経たないうちに、3 g/dの塩制限値は5 gに増加された。これは、ヨード添加塩として3 g全部を摂取したとしても、勧められている1日当たりのヨード量(150μg)に達しないことを示した上院委員会に提供された追加証拠によるためであった。(今日でも、54ヶ国の集団はまだヨード欠乏症と考えられており、ヨードを摂取する我々の最高の方法は-推測するように-ヨード添加塩の摂取である。) 再び、生命維持に必要な最少量に焦点が置かれるが-生命維持に必要な健康についての測定基準はほとんどない。
補足意見は塩ガイドラインについて確固とした意見交換を反映していた。それらはまた、塩を除く、または塩欠乏をもたらす医療を受けている人々に減塩についての警告についても参考にしている。そしてアメリカ心臓協会でも、“効果的なナトリウム排泄利尿剤の出現で、厳しい減塩食の必要性ははっきりと修正されてきた”と述べて引用した。アメリカ医学協会(AMA)は次のように述べた、“疫学的観察は塩摂取量と高血圧との関係を示唆している一方で、アメリカ合衆国の人々で塩摂取量が高血圧を引き起こす主要因であると言う仮説を彼等は支持できなかった。”そしてアメリカ小児科学アカデミーの栄養委員会はつぎのように述べた、“高血圧誘因の環境因子として塩摂取量の役割はまだ明らかにされていない。この国の人口の80%については、現在の塩摂取量が有害であることを示していない、すなわち、高血圧は発症しない。”換言すれば、主要な三つの医学団体が1977年の食事目標の最初に全てのアメリカ人に与えられた低塩アドバイスに慎重であった。
利尿剤の危険性を覆す
2,3年前、頭がくらくらしていると感じて“何時も塩を欲しい”と訴えている40代半ばの婦人に助言した。彼女は高血圧で、ハイドロクロロサイアザイドと呼ばれる塩を排泄する利尿剤を処方され、医者から食べ物に塩を加えないように、食事で塩を避けるように強く言われていた。しかし、彼女の軽いくらみや塩欲求は、体調が何か悪いことの兆候ではないかと思った。
彼女の血液中ナトリウム量の正常値(通常約137‐142 mEq/L)を確保するようにと私は彼女に言った。彼女は薬局に行って、私に話すように言われ、医局で測定した彼女の血液中ナトリウム濃度は128 mEq/Lであることを私に話した。(この数値を視野に入れると、125 mEq/Lという血液中ナトリウム濃度は致命的となる。) 低ナトリウム血症(血液中の低いナトリウム) という彼女の診断に基づいて、医者は利尿剤を半分に減らした。私は正しかったと医者も彼女に語った:塩が欲しい時には塩を食べるべきである。
利尿剤が半分に減らされて2,3週間後に、彼女が塩を必要としていることを彼女の体が語ったとき、彼女は塩を食べ、彼女の血液中ナトリウム濃度は実質的に正常値(136mEq/L)まで戻った。どうして我々は“善意からの”塩ガイドラインと保健当局からのアドバイスに盲目的に従うべきでないと言うこれは完全な事例である。現実世界の状況は“ガイドライン”に閉じ込められない。
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これらの著名な機関が彼等の事例を押し付けるとすれば、全医学界に提案するために何人かの欠陥のある研究に従うよりもむしろ、我々は塩振出器を取り上げるように頼まれていないのかも知れなかった。我々の健康は、特に我々の生活の質で、悩む必要はないかもしれない。しかし、塩戦争はさらに40年間、今日までずっと論争し続けるように運命付けられた。
低塩ガイドラインを正式に決定
塩戦争を通して、研究は一貫してお互いに矛盾しており、結果は決して終わらないテニス試合のように前後に跳ね返っている。幾つかの研究は、塩は血圧を上昇させることを示すが、他は示さなかった。塩-血圧仮説の支持者達は、懐疑論者はほとんどメリットを持っていなくて-多くの塩-血圧仮説主張者がいると絶えず主張した。
アメリカの生理学者アーサー・ガイトンは1980年代始めに最も影響力のある代弁者の一人であった。塩摂取量の増加による細胞外液量の増加が高血圧をもたらすと彼は信じた。しかし、体内の余分な塩分は腎臓によって容易に排泄されることが良く知られているので、このような状況が生じたときに腎臓は処理できることも彼は信じた。しかし、何が腎臓を害し、“塩感受性高血圧”にするかは当時分からなかった。
集団間の全域を見た幾つかの研究は塩摂取量と血圧との関係を明らかにしながら、集団内を見たとき、この同じ効果が明らかにされなかった。メネーリとバタービーは“飽和効果”について主張し、全集団が過剰な塩を摂取したとき、塩摂取量と血圧とを相関させるエビデンスは隠され、-これらの効果は低カリウム摂取量と砂糖や精製された炭水化物の高い摂取量に実際により良く帰されると言った。そしてこの理論的解釈が作用しているように思われる-しかし、低塩主張者でもその事例を減塩のためとは出来ないことを明らかにした。4人のうち1人だけが減塩に従うことができ、公衆保健政策にはむしろ役立たない。
平均的な人々が守ろうと努力しているにもかかわらず、レビス・ダールはそれについて何も述べなかった。彼と低塩主張者は、社会は塩欲求を抑制するように厳しくする必要があると要求するだけであった。
1977年の食事目標の出版後6年目の1983年に、ニューヨーク-プレスビテリアンの高血圧センターの設立者/ウェイル・コーネル・メディカルセンターのジョン・ララフと仲間達は論文を発表した。それは間違って指導した飛躍の幾つかを明らかに、低塩主張者によって不滅にされ、国に厳しいガイドラインを採用するように導いた。ララフと会社は高血圧を治療するために中程度の減塩でテストした患者は200人以下であったことを強く主張した。ララフはまた、研究のほとんどは短期間で、厳しい終末(例えば、心血管疾患や死亡)に至らなかったことを強調した。これらの品質の悪い結果にもかかわらず、全てのアメリカ人は公衆保健勧告を一掃することにより塩摂取量を減らすように言われてきた。その上、うえ減塩した正常血圧の人々で何の明らかな利益もなかった。 (再び、わずか2,3百人の患者に基づく) 高血圧患者で低塩食の“利益”は正常血圧者にまでアメリカ合衆国の全てに人々にまで外挿された。
1982年に当時最高の研究の一つが行われた。その時、ロンドンのチャリング・クロス医学校のイギリス心血管研究者グラハム・マクレガーと仲間達がプラセボ・コントロールド試験で軽症から中程度の本態性高血圧患者19人でテストした。交絡試験は低塩食(4.7 g/d)と通常食(9.3 g/d)をテストした。低塩食者の平均血圧は約9/5 mmHg低かったが、19人の患者の何人かは明らかに有意な利益を示さず、2人の患者は減塩で実際に僅かな血圧上昇を経験した。重要なことに、24時間尿中カリウム濃度に基づくと、試験中のカリウム摂取量は低くかった(約2.2-2.5 g/dまたは推奨カリウム摂取量4.7 g/dの約半分)。この試験が実際に示したことは低カリウム摂取量と組合された通常塩食と比較したことで、低塩食は何人かの高血圧患者で血圧を下げたが、他の患者では血圧を上昇させた。換言すれば、混在した結果であった。この研究はコントロールされた臨床設定からそれ以外の世界に結果を外挿する問題を典型的に示している。野菜に塩を加えることは野菜への嗜好を増し、それにより多くの野菜を摂取する、と誰も思わなかった。換言すれば、塩を使うと多くの野菜(すなわち、カリウム)を摂取させ、そのことは総合的に我々の健康と血圧を改善することになる。その代わり、実際の生活とはほとんど関係のないエビデンスに基づいて我々は悪いメッセージを与えられた。
悲しいことに、マグレガーはこれらの結果を間違って解釈に忠実であることを選び、全体に減塩を広めるミッションとした。この研究後、マグレガーは数十年間続いた塩に対して容赦ない彼一人の十字軍を始め、政府や保健当局の勧告委員となり、彼の影響を広く及ぼした。彼は業界や公衆保健当局の面目をつぶし、彼の思うように向かせることに非常に長けていた。
マグレガーは1995年に塩と健康に関するコンセンサス行動(CASH)を始め、2005年に塩と健康に関する世界行動(WASH)を創設することを続けた。これら2つの反塩研究主張グループでもって、マグレガーは、塩が血圧を上昇させ、それによって脳卒中や心臓発作の危険率を上昇させるに違いないとの彼の熱烈な信念を普及させる土台を作った。その信念を確保するように、彼は塩摂取量や食品中の塩含有量を下げるために数十年間執拗に世界中の政府にロビー活動を行ってきた。事実、CASHは非常に成功しており、研究の裏付けがないにもかかわらず、イギリスの食品製造者に塩含有量を下げさせるように影響を及ぼし、他の80ヶ国にもマグレガーがイギリスで強制してきた同じガイドラインの採用を考えている。彼の努力が一層説得力を持っている一つの理由は、彼が塩を他の食品添加物と一緒にしてきたことである。例えば、脂肪や加えられた砂糖は悪い健康結果を示す多くの一層もっともらしいデータを持っている。
マグレガーは塩の害悪について確信しており、彼の焦点は心疾患に対する保護として血圧を下げれば利益があるとの思いだけであった。一方、これらのグループ(CASHとWASH)は低塩食の害を無視しただけであった。血圧のわずかな低下が“危険率計算機”と認められた時、これらのグループは低塩食の利益について屋根から大声で叫んだ。しかし、低塩の害はこれらの計算には加えられなかった。驚くことではなく、彼等は常に、“減塩は命を救う”ことは血圧低下だけに基づいている、と結論を下したが、比較的早い脈拍数、トリグリセライド、コレステロール、そしてインシュリン濃度の害を計算するだけで、もっと徹底的に厳密に調べた全ての要因は心疾患との関係を証明しなかった。CASHとWASHは何十年間も-低塩が命を救う-という証明されていない直接の関係を普及させ続けた。
一度考えが人々の心に定着すると、それを取り換えることは難しい。そして反対に対する研究は十分に解釈されず、アメリカ社会に提出された。1980年に最初に発表されたアメリカ人の食事ガイドラインでもアメリカ人に塩摂取量を減らすように語り続けられた。限られた専門家の意見が確立された公衆保健政策を変えて、保健政策は難攻不落の低塩教義となった。
低塩アドバイスをテストした試験の最初の総合レビューは、1977年の食事目標が我々に減塩するように語ってからほぼ15年後の1991年まで発表されなかった。ロウと仲間達によって行われたこの総合レビューは78件の試験を含み、その内の10件だけがランダム化された試験であった。この総合レビューは、アメリカ高血圧ガイドラインが全人口に低塩食を勧めた理由の根拠となった。5.8 g/dの減塩は正常血圧者で10/5 mmHg、高血圧者で14/7 mmHgの低下を主張した。ロウと仲間達が、低塩食が(潜在的な血圧低下だけに基づいて)イギリスで7000件/年の死亡を防いだと述べた。これらの強い声明は塩戦争論争によって徐々に破壊されてきたグループを結束させることを明らかに目標とした。
しかし、血圧に関するこれらの利益は、わずかにランダム化されたデータを含む高品質のメタアナリシスから2,3年後に分かった結果よりもかなり大きかった。例えば、正常血圧者では、減塩試験の新しくより強いメタアナリシスがロウと仲間たちの解析と比較して収縮期血圧に及ぼす影響が1/10、拡張期血圧に及ぼす影響が1/50であることを報告した(-10/5 mmHgと比較して-1/0.1 mmHg)。
この減塩が取るに足らない影響しか及ぼさなかったことを示すこの高品質の全てのエビデンスにもかかわらず、1993年にアメリカ合衆国の高血圧ガイドラインは初期のロウのメタアナリシスの引用を決定して、中程度の減塩(2.9 g/d)が高血圧者で7 mmHg、正常血圧者で5 mmHgの収縮期血圧を下げたと結論を下した。
1991年-1998年の間に、ロウの1991年のメタアナリシスは、一番弱いにもかかわらず、多のメタアナリシスよりも多く引用された。減塩を支持する如何なる結果もネガティブな結果よりも多く引用された。
最後に重鎮が舞台に上がった。医者で、高血圧専門家で、高血圧学会誌の創業編集者であるジョーンD. スェールスは2000年に論文を発表し、厳しい減塩をした正常血圧者は収縮期血圧(1-2 mmHg)と拡張期血圧(0.1-1 mmHg)で僅かな低下を示した。さらに、低塩勧告は“出版バイアスによって拡大”(ネガティブな結果よりもむしろポジティブな結果を発表する傾向)されたデータに基づく、わずかな血圧低下をもたらす減塩量は社会では達成されず、結果は減塩以外の他の食事変化によることをスェールスは書いた。塩摂取量を下げるコストには社会/生活の質コストと経済的コストの両方があることもスェールスは述べた。これらの考察はほとんど無関係なこととして長い間見られてきた。
スェールスは続けて彼の論文で6件の減塩のメタアナリシスを引用した。その内の5件はわずかなランダム化された試験しかなく、1件はランダム化された試験とランダム化されない試験のメタアナリシスであった。ランダム化された試験による5件のメタアナリシスは、正常血圧者で減塩は2 mmHgも収縮期血圧を下げなかったことを明らかにした。-ポイントもなかった!5件のうちわずか1件のメタアナリシスだけが1 mmHg以上の拡張期血圧を明らかにした-残りは0.1 mmHgから0.97 mmHgの間であった。
せいぜい研究が示唆していることは、正常血圧者の減塩はわずかに2/1 mmHg位の血圧低下しかもたらさなかった。メタアナリシスの3件は、減塩がエビデンスによって支持されなかったと結論を下し、わずかに1件だけが結論を下したことは減塩で“大きな可能性”があることであった。しかし、減塩と血圧低下についてのこの“大きな可能性”は4.4 g - 9.3 gの減塩試験に基づいていた。この量は集団全体ではほとんど起こりえない。事実、より長い減塩試験は、せいぜい約2.5 gの減塩を社会は達成できるかもしれないことを示している。換言すれば、減塩による血圧低下の“大きな可能性”は、社会が達成できそうな量の2-3倍の減塩に基いていた。
多くの低塩主張者は、減塩試験が利益を示すほど十分長く行われておらず、しかも6ヶ月以上の減塩を観察した8件のランダム化比較試験の総合レビューは収縮期血圧に同様のわずかな低下(高血圧者で-2.9 mmHg、正常血圧者で-1.3 mmHg)しか示さなかった。もっと重要なことに、ロウと仲間たちによる総合レビューは、低塩食で血圧に最高の低下をもたらすには4週間かかることを示唆し、ランダム化された試験の別のレビューは減塩期間中に血圧低下を明らかにできなかった。
多分、最も重要なことに、ミッドグレイと仲間達によって行われたメタアナリシスは減塩試験による発表バイアスの影響を過少評価した。ポジティブな結果を持つ低塩食をテストした試験はネガティブな試験と比較してより発表されやすいことが分かった。ミッドグレイが強調したことは、発表バイアスが科学界に減塩の血圧低下効果を過大評価させるように導いたことであった。この発表バイアスは今日でも塩戦争をゆがめ続けている。
インターソルトの巨大な影
1989年に食品栄養委員会の“食事と健康:慢性疾患危険率を下げる影響”は塩の最高摂取量を6.1 m/dに設定した。これは1988年のインターソルト・スタディに基づいた。世界中の52集団センターで行われた大規模な疫学調査で、ロンドンの衛生熱帯医学ロンドン校疫学部のポール・エリオット博士が率いた。食品栄養委員会は、塩摂取量が6.1 g/d以上では加齢に伴って血圧が上昇することをインターソルト・スタディは証明したと主張した。一つの問題:インターソルト・スタディはその反対を示した。調査された52集団のうち5集団だけが6.1 g/d以下の塩摂取量で、そのうちの4集団は原始社会であった。6.1 g/d以下の摂取量である5番目の集団は高い塩摂取量である幾つかの集団と比較して高い収縮期血圧を実際に持っていた。事実、2倍の塩摂取量の1集団は低い収縮期血圧であった。4ヶ所の原始社会を他の52集団から除くと、データは移動し-突然、塩摂取量が増加するにつれて血圧については明らかな下向勾配があった。
これは正しい:塩摂取量が増加するにつれて、血圧は実際に低下した。6.1 g/dという日々の塩摂取量は反塩戦士のナポレオン・コンプレックスの完全な例である:エビデンスの欠如を補うために素早く誇張する。6.1 g/dという塩摂取量限界値を設定するための良いエビデンスは実際にはなかった。しかし、この目標値は全ての栄養表示に印刷され、その後、1995年のアメリカ人の食事ガイドラインまで持ち越された。
最も恐ろしいことは心拍数に関するデータを発表しなかったインターソルト・グループによる明らかな決定である。少なくともビョーン・フォルコによると心拍数は調査でおそらく測定された。彼はインターソルトで心拍数が測定されたことをインターソルトの著者であるポール・エリオットに聞いたと報告した。この心拍数データがインターソルト・グループによってどうして発表されなかったのかを我々はしれない。しかし、低塩食は心拍数を増加させることは良く知られている。インターソルトは、“あなたの理論を支持し、支持しない理論を葬る発表結果の別の事例になり得るか?”公式なラインは、インターソルト・グループが“彼等の基礎をなすデータを公表することを断っており、…科学的調査の独立性、データの完全性、そして情報の機密性を守る必要があるからだ。”これらの著者らによるこの説明は何の論理もないように思われる。
別の説明:心拍数データが実際に測定され、発表されれば、インターソルトは低塩食の害をおそらく示したであろう。事実、フォルコウが示唆したように、心臓や動脈の総合的なストレスは血圧と心拍数の組合せから来ており、- 塩摂取量から来ている時を除いて、医学界では十分に受け入れられている事実である!低塩食は心臓と動脈に及ぼす総合的なストレスを増加させ、それにより高血圧や心不全の危険率を増加させると、フォルコウは結論を下した。
最低限の共通的な標準の探求
2005年までに、ナトリウムの十分な摂取量(AI)はどれくらいか、塩欠乏になる可能性の最低量はどれくらいかを医学研究所(IOM)は決定した。ナトリウムのAIは健康で適度に活動できる人々の必要量に合うように、順化していない個人でも発汗によるナトリウム損失をカバーすることを意味していた。9歳から50歳の人々で、ナトリウムについてのAIは1.5 g/d(もっと若い、あるいは年取った人々についてはもっと低い)で決められた。しかし、AIは“高度に活動的な人”または“極端な熱ストレスに晒される労働者”には適用されなかった。
しかし、どうしてIOMは1.5 g/dのナトリウム(3.8 g/dの塩摂取量)が十分な摂取量であるとしたのか?明らかにその数値は測定基準を考慮に入れた。
1.減塩による血圧低下の“利益”-減塩の潜在的な害に何の注意も払っていな(レニン、アルドステロン、ノルエピネフリン、脂質、インシュリン、そして心拍数)。
2.尿、皮膚、便を通した塩損失-医療、生活様式(カフェインまたは低炭水化物食)、または現在の疾患状態。
IOMは青年と全ての年齢の成人(14歳以上)に5.8 g/dの許容上限摂取量(UL)も設定した。ULは健康に悪い効果を及ぼす危険性がない考えられる最高の日々栄養摂取量である。ナトリウムについては、ULはDASH-ナトリウム試験からのデータを含む幾つかの試験や塩摂取量を5.8 g/d以下にしたとき血圧が下がったというIOMで評価された他の試験に基いていた。この塩摂取量は3.8 g/dというAI以上の次のレベルであった。したがって、塩に関する5.8 g/dのULは脳卒中や心臓発作のような厳しい終末ではなく代替指標(血圧)に基いた。
IOMの5.8 g/dというUL塩摂取量はその後2005年の食事ガイドラインに組み込まれた。それは、全てのアメリカ人が5.8 g/d以下に減塩すべきであることを勧めた。さらに、“高血圧者、黒人、そして中年以上の老人”は3.8 g/d以下の摂取量を勧められている。興味深いことに、2005年は、高血圧の危険率を下げるためにアメリカ人の食事ガイドラインが特に減塩を勧めた。1980年にかえると、減塩は主に高血圧者(“過剰な塩摂取量の主な害は高血圧者についてである”)に適用されると食事ガイドラインは述べた。それでどうなったか?
ローレンス・エイペルの影響もあったかもしれない。エイペルは電解質と水についての日々の参考摂取量に関する2005年の医学委員会を司会しただけでなく、アメリカ心臓協会の代表者でもあり、-WASHの委員でもあった。このグループが始めた目的は世界中の減塩であった。エイペルは脳卒中や心臓発作に決定的な低下をもたらすには減塩により血圧に利益があると解釈されることで、代替指標として血圧だけに長い間焦点を置いてきた。全ての減塩主張者のように、エイペルは、レニン、アルドステロン、トリグリセライド、コレステロール、LDL、インシュリン、そして心拍数のような数多くの他の健康指標(代替指標と呼ばれる)に及ぼす減塩によって引き起こされる有害効果を無視し続けた。
彼の潜在的なバイアスや世界中の減塩だけに焦点を置いたグループの利益の闘争にもかかわらず、エイペルも2005年と2010年の食事ガイドライン勧告委員会のメンバーとして指名された。案の定、アメリカ人の食事ガイドラインはIOM(その中でエイペルは最初の塩摂取量勧告値に関して司会した)に従い、アメリカ人に特に減塩を勧め始めた。事実、2010年アメリカ人の食事ガイドラインの塩摂取量はアメリカ人口の約半分についての目標値であるべき3.8 g/dを最初に勧めた。これは、“51歳以上の人々、年齢に無関係にアフリカ系アメリカ人または高血圧者、糖尿病者、または慢性腎臓疾患者”に適用された。3.8 g/dの減塩は2015年のアメリカ人の食事ガイドラインの勧告から除かれ、5.8 g/dが残っている。最後に、我々はガイドラインでちょっとしたニュアンスを調べ始めている。前にハエを探して叩くハンマーのように感じたことは、今やその分野で何十年間も知られてきたことを匂わせ始めた:減塩は人々の非常に小さなグループだけにしか効果がない。
そしてこの時点で、我々はついに公衆保健の主要因を探し始め、一般的に我々の健康全体を無駄にする腎臓を損傷させるように我々をずっと論争させ続けてきた静かな殺人者に一層重要性を置き始めた。“有毒な”マントルに本当に値した白い結晶:それは砂糖であった。
砂糖のフリーパス
1950年代の始め、アンセル・キーズという名のアメリカ人科学者は、脂肪摂取(そして最終的には飽和脂肪)が心疾患の原因であるという考えを促進させた。同時にイングランドのジョン・ユドキンはその非難は砂糖に残されていると考えた。しかし、1961年に、アメリカ心臓協会(AHA)は公式に飽和脂肪を悪者とし、アメリカ人は心血管の危険率を減らすために動物性脂肪の摂取量を減らし、植物性油の摂取量を増加させることを示唆している。AHAが脂肪‐心臓仮説(飽和脂肪はコレステロール濃度を増加させ、それにより心疾患の危険率を増加させた)を一度公式に支持したとき、砂糖は脱落して外された。国を代表して作られたこの白黒、一つまたは他の選択は、砂糖が心疾患の原因であると彼等が示唆したとき、他の研究者達が真剣に取り組むために戦い続けた大きな理由であった。対照的に、塩は容疑を晴らされず、攻撃され、早くも1972年から国民高血圧教育プログラムによって“不必要な悪魔”であると証明された。
したがって、何年間も砂糖はスイスのように中立で、食前にフリーパスで置かれた。一方、塩(と脂肪)は有害と見られ、砂糖は無害と考えられ、摂取した以上の砂糖カロリーで燃焼させながら他の食品成分よりも良くも悪くもないと考えられた。
この見解は砂糖協会によって活発に永続させようとされてきた。協会は何年間も良好な立場を維持するために砂糖を認める議会、保健福祉省、各種の保健機関に強いロビー活動を行ってきた。砂糖産業界もオリンピックのような注目のイベントのスポンサーとなる、虫歯予防運動に参加する、そして一般的に厳しく公衆保健政策の焦点を砂糖から移すことなどによってポジティブな社会イメージを達成しようと懸命に動いてきた。砂糖の害を控えめに言うと思われる科学者達、砂糖の摂り過ぎよりもむしろ運動不足で胴回りの増加を非難している科学者達に資金を提供した。
1977年に、砂糖産業界は公衆保健ハーバード校教授のジーン・メイヤーを引き合いに出している。彼は近代社会の肥満問題は運動不足が原因であると示唆した。肥満問題を“有害なカロリー”から“総カロリー”へ移すことにより、砂糖は緻密な科学的精査のレーダーの下を飛べた。そして飽和脂肪が砂糖よりもグラム当たり多くのカロリーを含んでいるので、肥満の推進因子としても舞台の中央に置かれた。
1977年の食事目標が発表される2,3年前の1975年に、砂糖は高血圧または心疾患の原因ではないことを示唆した論文をアレキザンダー R. ウォルカーは発表した。彼はこの考えを支持する自分自身の研究を3件引用した;3件すべてが明らかに砂糖産業界によって一部資金援助を受けた。この居心地よい関係は歴史を通して一般的なテーマとなった。そこで砂糖産業界の利益と衝突した著者らは砂糖が本質的に無害であることを示唆したが、一方、業界の利益と衝突しない著者らは一般的に反対の立場を取っている。
不思議なことに十分、1977年食事目標の第一版では、我々は加える砂糖を総カロリーの15%減らすことを勧めた。そして第二版では精製糖や加工糖について総カロリーの10%をさらに減らした。ああ、この勧告がもっと派手に反響すればどれだけ多くの命を救えたことか!しかしその後数年間、メディアは塩(1982年のTIMEの表紙をかざる)、コレステロール(1984年のTIME)、飽和脂肪(1961年のTIME誌で既に報道)に関して主に焦点を当て、砂糖の摂取量制限に誰も真剣に取り組まなかった。事実、1980年から2000年までの次の20年間にアメリカ人の食事ガイドラインは正反対の明らかなエビデンスがあるにもかかわらず、砂糖は糖尿病または心疾患を引き起こさないと我々に語った。
1979年に、砂糖のカロリーと小麦澱粉のカロリーを同じ量で交換すると砂糖負荷に対するインシュリン応答や空腹時インシュリンを増加させることが明らかになった、と1研究が明らかにした。その後1981年に、ライザーと仲間たちは、カロリーを同じにしても小麦澱粉を砂糖で置き換えたとき、より多くの人々が最終的に糖尿病/前糖尿病を発症させたことを示す別の研究を発表した。しかし、このデータが発表されてから4年後に、1985年アメリカ人の食事ガイドラインは、“広く信じられていることと反対に、砂糖を多く摂取することは糖尿病を引き起こさない”と述べた。これは科学文献に対する直接的な否定であった。
私は鈍くなる:我々は嘘をつかれた。
砂糖産業界は砂糖の害を社会に知らせないように別の戦略を取った。1977年食事目標の補足意見で砂糖産業界は次のように述べた。“スクロース(砂糖)は…他の食品と置き換えないで、むしろもっと摂取を促進させるように述べるべきである。しばしばカロリーゼロに言及しているけれども、それは脂肪もコレステロールもない本当に純粋なカロリーである;食品が提供する他のタンパク質や栄養素への添加物として砂糖は理想的なエネルギー源である”
それはすぐそこにあるJedi-levelマインド・トリックの一つである。
純粋なエネルギーとして人々に砂糖を考えさせることによって、砂糖は本質的に無害であることを社会に一般的な概念を持たせるように砂糖産業界は役立てた。我々がしなければならないことは全て砂糖のカロリーを燃やすことで、我々は好きなだけ多く摂取でき、信じることを訴える物語であった。
しかし、もちろん、砂糖のカロリーが有害でないとの錯覚は全く真実ではない:砂糖のカロリーは有害である、他の炭水化物よりもずっと有害である、インシュリン濃度、大脳化学、免疫系、炎症、そして多くの他の生理学的変数に影響を及ぼす甘味料であるためである。幸いにも、多くの科学者達が不明確さを探し始め、砂糖は心疾患や他の種類の慢性疾患の発症における1因子であることを確信させるようになってきた。しかし、当時に帰ると、砂糖の有害性に関するメディアや社会的認知に影響を及ぼす他に、砂糖産業界は疑いもなく科学文献に大きな影響を及ぼした。
何年間もの間、総合的レビューの最近の総合的なレビューが2013年にPLOS Medicineに発表されるまで、砂糖産業界の利害関係の闘争の効果は定量化されなかった。食品産業界との利害関係の論争に関する研究で、83.3%は砂糖入り飲料と肥満との関係を示すエビデンスはないことをレビューは明らかにした。対照的に、食品産業界との利害関係の闘争のない研究だけが解析されたとき、同じ%(83.3%)がポジティブな関係を明らかにした。すなわち、砂糖入りに飲料は肥満と明らかに関係していた。この一つの研究は、どれほど多くの科学がこれらのタイプの影響によって影響されるらしいという見方を提供している。我々の食事で加えられる砂糖の害に関してカナダ上院の前で私の証言中に私が強調した中心のメッセージがこれであった。
砂糖とアメリカ人の情事
砂糖が我々全てをその奴隷にする前に、一歩後退して世界を振り返ってみよう。1776年に、アメリカ合衆国の精製糖の摂取量は年間一人当たり4ポンド(1日当たりコーヒーに茶さじ1杯の砂糖量に相当)で、それは年から1913年の時間の枠で76ポンド以上の砂糖に増加した。それは1日当たり4個の冷凍カップケーキを食べるようなものである。同様の砂糖摂取量増加はイギリスで起こった。1700年に、イングランドの精製糖の平均摂取量は年間一人当たり4ポンドであった。その数字は1950年までに25倍の100ポンドに増加した。 この間に砂糖摂取量は急増し、ヨーロッパの砂糖摂取量は18世紀末の一日一人当たり約70 gから1950年の10 gへと約1/7倍に低下した。密接な関係は明らかである:塩ではなく砂糖の摂取量はヨーロッパにおける慢性疾患の増加と並行しており、同じことがアメリカ合衆国でも起こった。
アメリカ合衆国で、加えられた砂糖(食卓上の砂糖と後の高フラクトースのコーンシロップ)の摂取量は1920年までに年間一人当たり約100ポンドに達し、およそ1980年代末までその値であり、再び次第に増加し始め、2002年に約120ポンドになった。それは1日当たりほぼ150 gの砂糖で、約6個の冷凍カップケーキに等しい。その時点で、総カロリー甘味料の152ポンドという驚異的な総量は年間一人当たりの摂取量であった(32ポンドは蜂蜜、グルコース、デキストロースからと違った)。
したがって、アメリカ合衆国の精製糖の摂取量は1776年から2002年までに30倍増加した。興味深いことに、これは高血圧、糖尿病、肥満、腎疾患のような慢性疾患の増加と並行している。
アメリカ合衆国の塩摂取量推定値は見つけ出しにくいので、手掛かりのために新しいデータを探さなければならない。例えば、軍隊の糧食は時代の食事摂取量を比較的安定して反映している-そして軍隊の糧食が示唆していることは、1800年代の初期から1950年まで塩摂取量は約50%低下した。
事実、1812年の戦争、メキシコ戦争(1838年)、南北戦争(1860-1861年)の軍隊糧食は1日当たり18 g以上の塩を含んでいた。-これらの兵士にも提供されたビーフ、ミルク、ビール、ラムの20オンスに含まれている塩を含めなかった。南北戦争の終わりで、兵士への一般的な肉の比率は3/4ポンドのポークまたはベーコン、11/4ポンドの生肉または塩蔵ビーフを含んでおり、塩は1日当たり約18 gであった。アメリカ合衆国における1800年代中の塩摂取量は1日当たり約20 gで、我々が今日摂取している量の2倍以上であったことをこの全てが示唆している。
一般的にアメリカ合衆国とヨーロッパにおける1950年頃より前の塩摂取量は数百年前に摂取していた量の多分、半分である。したがって、塩摂取量の増加が西欧諸国で慢性疾患の上昇と並行していることはありそうもない。何かあるとすれば、それは逆相関である。家庭用の冷蔵庫がアメリカ合衆国で普及し始めて以来(1991年)、塩摂取量は低下し始めた。そしてこれがそのころ起こり始め、砂糖の“有毒な量”が今やアメリカ合衆国で摂取され始めた。
我々は1930年代に遡り、国々の健康状態に及ぼす砂糖の効果を追跡できる。疾患の推進者として塩よりもむしろ砂糖が関係しているエビデンスはアメリカ合衆国で1935年に見られた。当時、心疾患による死亡のパーセントはわずかに約20%であった。しかし、1950年までに、心疾患はアメリカ合衆国で一番の死因となり、全死亡の約35%を占めた。1960年までに、その数字は全死亡(65万人以上)の39%に上昇し、動脈硬化性心疾患はこれらの死亡の3/4を占めた。他のデータが示すところでは、1940年 – 1954年の間で冠状動脈疾患による死亡率は男性で40%、女性で16%上昇し、1930年以後、冷蔵庫の使用が広がったため、その間ずっと塩摂取量はずっと低下してきた。
一般的に20,30年かけて起こる食事変化は疾患発症率 (例えば、心疾患) を上昇させ、-したがって、1935年までに心疾患に劇的な上昇があったので、アメリカ合衆国で食事物質の“毒性閾値”は1905年と1915年の間にたびたび達した。アメリカ合衆国で利用できるデータでは、1905年-1915年の間に塩が毒性閾値までになったことは示唆されなかった。しかし、砂糖摂取量は閾値に達した。
我々は振り返って数字を見て、ヨーロッパとアメリカ合衆国の両方で過去数百年を通して砂糖と塩の摂取量を推定すると、塩ではなく砂糖が文明国の慢性疾患に寄与している食事犯人であるらしいことを有り余るほどに明らかにしている。しかし、悪者にされた塩を覆すには数十年かかるように、非倫理的な砂糖研究の後光効果は同様に明らかにするには何年もかかった(そしてまだ続くであろう)。
1980年アメリカ人の食事ガイドラインは1977年食事目標のすべての勧告値を受け入れた-しかし、必ずしも全てが目標値ではない。食事ガイドラインで特別な摂取量制限を受けない6件の最初に発表された目標値から外れた唯一の食事因子であったのに、砂糖は一番甘い悪魔となった。対照的に、塩、飽和脂肪、コレステロールは全てその後数十年間に特別厳しい制限値を与えられた。特に注目すべきはコレステロール摂取量で、それは約40年間後に、今や心疾患の原因として重要ではないと思われている。
1980年に“アメリカ人は平均して130ポンド以上の砂糖や甘味料を使用することを推定値は示している、”と食事ガイドラインは述べた。しかし、“広く言われている意見に反して、食事で砂糖の摂り過ぎは糖尿病を引き起こさず、糖尿病の最も一般的なタイプは肥満成人で見られ、肥満を修正しないで砂糖を避けることは問題を解決しない、”と食事ガイドラインは引き続き述べた。1980年アメリカ人の食事ガイドラインも“砂糖が心臓発作や血管疾患を引き起こす確たるエビデンスはない、”と述べた。
今それを振り返って見ると、あたかも食事ガイドラインが意図的に砂糖を擁護するように見える。1980年の総合的な勧告は“過剰な砂糖を避ける”ことであった。1985年までに、“摂り過ぎの砂糖を避ける”こととなった。1990年に“ほどほどに砂糖を使う”ことになり、1995年に“ほどほどに砂糖を含む食事を選ぶ”ようになった-精製糖を中程度に含む食事を食べるべきであるようだ。最終的に2000年までに、“砂糖は糖尿病を引き起こさない”とか“砂糖が糖尿病を発症させる証拠はない”といった声明は除かれた。勧告は“砂糖の摂取量を中程度にするための食事や野菜を選ぶ”ことであった。
2002年に、1977年以来の最初の特別な摂取量制限が最終的に加えられる砂糖に与えられた。しかし、食事ガイドラインは制限値を与えなかった-それはIOMから来ており、それは加えられる砂糖として総カロリーの25%まで引き上げた報告書を発表した。25年後に、制限値が最終的に砂糖に設定されが、数十年前の最後の勧告値と比較して許容された量の2倍以上であった。2005年まででも、アメリカ人の食事ガイドラインは、1日当たり加えられる砂糖の72 gまで(1日当たり2,000カロリーに基づく総カロリーの14%以上)が許容されると述べ、それは年間58ポンドになる。
2010年までに、アメリカ人の食事ガイドラインは加えられる砂糖(1日当たり143 g)からの総カロリーの19%(1日当たり3,000カロリーに基づく)まで人為的に許容した。2000年食事ガイドラインは、カロリーの19%が加えられる砂糖として摂取されることを特に述べなかったが、固形の脂肪を摂取しなければ、人為的にこの量は許容された。
幸いにも、2015年食事ガイドライン勧告委員会はこれらの誤りを正し、加えられる砂糖から来るカロリーの10%以下(2,000カロリー当たり加えられる砂糖は50 g、年間約40ポンドまで加えられる)を勧めた。政府の栄養事項表示は今や一回当たりに加えられる砂糖の特別なg数を含んでいる。多分、アメリカ人は最終的に情報やガイダンスを知って、健康のために彼等は一番良い食品選択をする必要がある。20年以上後に、正しい白い結晶は栄養事項表示で不名誉な太字で表示されるだろう。残念ながら、悪く非難される白い結晶(塩)は同じように太字のまま残る。我々が塩に正当な価値を与えたのははるかに昔である。
古い信念はなかなか死なない-そして高塩摂取量はメディア、医者の診察所、そして“心臓に良い”レストランのメニューでも心疾患に寄与しているとしてまだ激しく非難されている。これらの心疾患の主張の背景にある伝統的な知恵をよく見て、それらの主張を退け、一度限り疑問を解決しよう-何が本当に心疾患の原因か?