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たばこ塩産業 塩事業版  2007.11.25

塩・話・解・題 32 

東海大学海洋学部非常勤講師

橋本壽夫

 

塩の薬物史

治療・予防に果たした役割

 

 ルネッサンス時代の医師で錬金術師のパラケルススは「人間は塩を食べなければならない。塩がなければ生きられない。塩のない所には何も残らず、あらゆるものが腐ってしまう」と述べている。塩は何千年もの間、必須で薬剤の一部であった。塩は治療薬、予備治療薬、予防薬として使われてきた、とE.J.ウォーマーはサイエンス・トリビューン(1999.3)に書いている。その中から薬物史で果たしてきた塩の役割を紹介する。

紀元前の塩治療

既に塩水の蒸気吸入も

 エジプトの医師インホテップはBC3000年もの昔に、感染した胸の傷の処置に塩を勧めており、塩は傷を乾かし殺菌すると信じられていた。BC1600年には多くの塩の処方箋があった。特に下剤や抗感染薬として液体、座薬、軟膏の形で使われた。
  塩を基材にした治療薬は皮膚肥厚、伝染病、止血に使われ、眼病用軟膏、分娩促進剤としても使われた。
 古代ギリシャ人は、塩辛いものを食べることは消化や便・尿の排泄のような基本的な体の機能に影響を及ぼすことに気付いていた。
  ヒポクラテス(BC460)はしばしば塩を使って治療した。塩は喀痰作用を持っていると考えられ、水・塩・酢の混合物は催吐剤として用いられた。塩と蜂蜜の混合物は局部の潰瘍除去に、塩水は皮膚疾患やそばかすに対して塗布された。塩水の蒸気吸入についても述べていた。つまり、2000年も昔に、ギリシャ医学は皮膚障害に対して局部的な塩の使用、消化障害に対して塩水の飲用、呼吸疾患に対して塩の吸入を既に発見していた。

ルネッサンスまでの状況

摂り過ぎへの警告も

 ローマの軍医ディオスカライズ(AD100)は蜂蜜・雨水・海水の混合物を吐剤として用いた。塩・酢の混合物は肥厚した皮膚や噛み傷に良く効いた。ワインや水に加えた塩は下剤であった。海塩と岩塩は両方とも使われたが、岩塩の方が良く効くと考えられた。一般的に塩は他の成分(酢、蜂蜜、油脂、小麦粉、ピッチ、樹脂)と混合され、いくつかの形(飲料、座薬、浣腸、軟膏、油)に調剤され、皮膚病、浮腫症、感染症、皮膚肥厚、耳痛、真菌症、消化器不調、坐骨神経痛に用いられた。アラブの医者アヴィンセンナ(AD980)は海塩の中にあるヨードと鉄の存在を強調した。ユダヤ人医師マイモニデス(AD1135)は、十分な塩を含んだパンだけが健康な食品であると述べた。
 中世に設立された医学校では、粉にして焼いた塩は鎮痛効果を持っており、岩塩は熱に対して良い治療薬であると考えられた。塩入のパンと食べ物を勧めており、塩は食べ物を美味しくするだけでなく毒素を除去すると考えていたが、塩の取り過ぎに対しては、「塩辛い食べ物は精子を少なくし、視力を弱め、いらだたせ、惨めにし、肌をガサガサにし、しわを増やす」と警告した。

現在までの状況

塩水/血漿の同特質を発見

 18世紀までは一般的な治療用の塩は岩塩であった。それは産地別に用いられ、海塩との区別もされていたが、19世紀半ばから塩の産地は特定されなくなった。
 19世紀の薬剤師は消化器不調、甲状腺腫、腺疾患、腸内寄生虫、赤痢、水腫症、癇癪、梅毒に対して塩の内服を勧めた。外科に使われる塩は局部を刺激するが、使い過ぎると皮膚や粘膜をヒリヒリさせると言われた。外科用には発疹や腫れの場合にも勧められ、眼科ではくもりや角膜の汚れによるぼやけを取り除くのに勧められた。
 19世紀の医者は自然塩の効果に特別な注意を払った。東ババリアでは塩化ナトリウム溶液は抗炎症剤として使われた。西では子供のおへその炎症は塩水で洗われた。塩を振りかけられたかたつむりの体液を塗っていぼを取った。塩と灰を含んだ温かい足湯は頭痛を和らげるために使われた。火傷はブランディー、酢または塩水で治療された。
 塩の治癒力が次第に科学的に研究され始めた19世紀に温泉療法が人気を博し、1950年代になって初めてその効果が詳細に研究された。
 今日、塩は吸入、塩水浴、飲用療法で使われている自然な治癒薬である。20世紀医療の重要な発見で塩水(等張塩化ナトリウム溶液)が血漿と同じ特質を持っていることが分かった。このことは塩溶液を静脈点滴液として使えるようにした。塩溶液は皮下、筋肉内、浣腸にあるいは外部的にも使われる。

現在行われている塩治療

先人の経験を科学的に立証

 1832年にイギリスの医者R.レヴィンスとT.ラッタがコレラに対して塩水の点滴を初めて行った。今日、等張塩化ナトリウム溶液は、救急時の「代替液」、輸血用赤血球の「洗浄液」、体内器官の「浸漬液」、薬剤の「担体輸送液」として多くの用途で使われている。
 皮膚や粘膜に及ぼす塩の防腐作用は科学的に研究・確認され、歯肉炎と虫歯の原因となる歯垢の除去、フケ落し、皮膚炎症、かゆみ、鎮痛、皮膚再生促進に塩が使われている。
 塩浴は乾癬、アトピー性皮膚炎、関節炎、慢性湿疹を治療する。塩浴治療は1800年以降ドイツの町バッド・ナウハイムの医者達により紹介された。リューマチで悩んでいる患者は塩浴治療で痛みから解放されるようになった。ボディー・ケアー製品にも添加物として使われる。
 塩溶液を加熱して蒸気を吸入する方法は超音波噴霧に代わり、小さな気管支に直接塩の微粒子を送り込める。塩の主な効果は粘着性分泌物の分泌を促進させ、排泄を助け、炎症を抑え、咳による刺激を軽減させ、運動繊毛の粘膜をきれいにし、呼吸管を収縮または膨張させる。
 塩水の飲用は痰を胃の中に押し流し、胃液の分泌を増加させる。胃液は胃酸の濃度を上げ、胃酸の生産を促進し、膵液の分泌を増加させ、胆汁酸の生成を刺激する。
 甲状腺腫はアルプスのような海から遠く離れた地方の風土病であった。これはヨード欠乏により生じ、ヨードを添加した塩を摂取することにより予防されるようになった。
 祖先が蓄積してきた経験や科学的事実の増加は、塩が大切な生命維持物質であり、効果的な治療の役割を担っていることを示している。
  しかし、過剰の食塩摂取量の問題はこの30年間、大きな論争課題であった。問題はバランスで、健康上の利益や生命維持効果を損なって危険となることもあるが、それは個人差に依存する、と締め括っている。