保健の科学 第36巻 第1号 49-52ページ 1994年
連載13 食塩と高血圧
病気予防のために微量成分の運び役を果たす食塩
橋本壽夫
日本たばこ産業株式会社
海水総合研究所所長
はじめに
食塩と高血圧の問題について、これまで私が調べた限りでは一般的に言われているほど食塩が悪いものではないし、現在でも食塩と本態性高血圧との関係は証明されておらず、調べれば調べるほど不明確になりつつあることなどを1年間にわたって述べてきた。
ところで病気予防のために食塩摂取を積極的に利用して大きな成果をあげてきた実績から、今でもその病気になる危険性がある10億人を救おうとする計画が進められている。このことを含め、食塩に微量成分を添加して摂取させることにより病気を予防する事について述べる。
食塩が微量成分の運び役として選ばれる理由
食塩は生命を維持するために毎日必ず摂取しなければならない。しかも、その量はほぼ決まっていて大きく変動することがない。食塩の価格は安く、僻地にも供給できるという特徴がある。これらの理由から食塩に微量成分を添加してある種の病気を予防することが世界的に幅広く行なわれている。例えばヨード添加による甲状腺腫、クレチン病の予防とフッ素添加による虫歯の予防である。
ヨード欠乏症
日本ではヨードを沢山含んだ海草を食べる習慣があり、海草はヨードを含んでいるため、ヨード欠乏症の話はあまり聞かれないが、海草を食べる習慣のない民族、土壌や水にヨードがなく、そこで成育した作物、動物を食べ、水を飲んで生活している住民はヨードが供給されないので、その昔、アメリカ、ヨーロッパでもヨード欠乏症が風土病として蔓延し苦しんでいたことがある。
ヨードは甲状腺ホルモンであるサイロキシンの構成成分であり、これが欠乏するとホルモン不足となって、のどの甲状腺がはれて醜い姿になる。また、子どもが胎内にいるとき、または幼児期のときヨードの供給が不十分であるとクレチン病となる。クレチン病は甲状腺の機能が低下し、発育不全で小人症になったり、知能低下や精神薄弱、白痴の病因となる取り返しのつかない恐ろしい病気である。
現在、アメリカ、ヨーロッパではヨードを塩に添加したヨード強化塩が普及し、ヨード欠乏症になることはほとんどなくなった。しかし、世界的に見ると図1に示すように黒く塗られた地域で土壌中にヨードが欠乏しているため、10億人の人々がヨード欠乏症になる危険性があるといわれている。中でも危険にさらされている人々が多い所は中国4億人1)、インド2億人、インドネシア1億人、アフリカ1億人、南アメリカ6千万人である。このうち2億人がすでに甲状腺腫にかかっており、2千万人は脳障害を起こしていると言われている2)。国連の推定によると1990年の世界人口が53億人であるから、危険にさらされている人々の割合は約20%となり、アメリカ、ヨーロッパでヨード強化塩を使用しなくなるとヨード欠乏症になる危険率は高血圧症の危険率以上になる。
種痘の普及により天然痘が撲滅されたように、国連機関のユニセフはヨード強化塩の普及によって2000年までにヨード欠乏症をなくしようと運動している3)。日本は世界一のヨード生産国で平成2年には7,600トンを生産し、5,200トンを輸出したが、10億人を救うのに必要なヨード量は年間約500トンで、ヨード強化塩を与える費用は年間一人当たりわずか2-7円と言われている3)。
ヨード強化塩
アメリカで最初にヨウ化ナトリウム錠剤で大規模な服用試験が1916年から1920年にかけて行なわれ、1924年に食卓塩に200 ppmのヨウ化カリウムを添加して学童に食べさせたところ、甲状腺腫の発症率は1924年の39%から1929年には9%に減少した4)。それ以来ヨード強化塩の普及に伴ってヨード欠乏症はなくなり、現在ではほとんど問題とはならなくなった。
ヨードの含有量はFood Chemical Codexでは、ヨードとして0.006%以上で、KIとして0.010%以下と規定されている。フランスでは1952年より食塩に15 ppmのヨウ化ナトリウムを加えてもよいとされている5)。オーストリアの食用塩の規格では1.00 mg/kg以下のヨードの含有量が規定されており、名称の項でヨウ化カリウムが添加された食塩は“完全塩”と表示でき、ヨウ化カリウムが添加されていない食塩は明瞭に“ヨード添加なし”と表示することとする、と規定されている。中国では15〜30 ppmのヨードを精製塩に添加している6)。
ヨード強化塩は家庭の調理や食卓で消費される塩の小物商品として販売されているので、減塩があまり強く進められるとアメリカやヨーロッパではヨード不足を引き起こすことになるかもしれない。
フッ素強化塩
虫歯の予防に最も効果的なことは、歯を衛生的に保つこと、砂糖の量を減らすこと、フッ素を与えること、の3つである。フランスでは学齢期の子どもの80%が虫歯を持っており、虫歯予防の観点から1985年に家庭用の食塩にフッ素添加が認可された。スイスでは既に20年以上も前から食塩のフッ素添加は行なわれており、100件にもおよぶ調査結果から虫歯が大幅に減ったことが分かっている7)。ハンガリーやスペインでも食塩にフッ素が添加された物がある。フランスの場合、調理用または振り掛けて使用する食塩の量を2〜3 g/日・人と考えて、添加量として250 mg/kg±15%の割合でフッ化カリウムを添加できることになっている8)。
水道水にフッ素を添加して虫歯の集団予防をしている国もある。この場合フッ素含有量は1 mg/lから1.5 mg/lの間である。フランスでは供給される量のほぼ全部が体内に摂取される食塩を媒体にすることを考えた。しかし、飲料水に含まれるフッ素もいくぶんかの量は体内に摂取されるので、人間を取り巻く環境中のフッ素が次第に増加し、過剰摂取になって歯のエナメル質に斑点ができる歯のフッ素沈着症になる危険は避けなければならない。このことから、飲料水中のフッ素濃度が0.5 mg/l以上の地区ではフッ素強化塩の使用を禁ずることが包装袋に書かれている7)。
フランスではフッ素強化塩の生産量は1990年で約60,000トンに達しており、46%は袋入り家庭用塩として販売されている。また、35%の家庭がフッ素強化塩を買い求めている8)。
フッ素強化塩の効果
フランスでフッ素強化塩を食べさせて1987年と1990年の歯の状態を比較した調査報告がある9)。それによると、6歳、9歳、12歳の児童をそれぞれ約1200人(男女およそ半々)ずつを選び、虫歯(Decayed:D)、欠歯(Missing:M)、充填歯(Filled:F)を調べたDMF指数(子どもの永久歯で虫歯、欠歯、充填歯となっている数)で表した結果は図2に示す通りであり、虫歯が著しく減少した。
以上、ヨードとフッ素の強化塩について述べた。この他にも貧血を予防するため鉄を強化した塩、ビタミンを強化した塩もあるらしいが、詳細な資料を持ち合わせていない。ともかく、塩の特徴を生かして保健政策に大きな役割を果たしている実績があるのであるから、一律に減塩という量的な考え方ではなく、善し悪しを区別した質的な考え方で食塩摂取量を考え、微量の有用性分を運ぶ担体としても塩が利用されることを望む。
引用文献
1)Ma T: Progress
with salt iodization in China: The elimination of iodine deficiency disorder from
40% of the one billion by salt iodization programme. In: Kakihana H, Hardy
Jr. R, Hoshi T and Toyokura K, Seventh Symposium on Salt, EIsevier
Science Publishers, Amsterdam, Vo1 2, pp. 427-429, 1993.
2)Hetzel BS: The elimination of iodine deficiency disorders (IDD) by salt
iodisation: A great opportunity for the salt industry. In: Kakihana
H, Hardy Jr. R, Hoshi T and Toyokura K, Seventh Symposium on Salt, EIsevier
Science Publishers, Amsterdam, Vo1 2, pp. 409-414, 1993.
3)Mannar MGV: Global control of iodine deficiency disorders through the iodisation
of salt. In: Kakihana H, Hardy.Jr. R, Hoshi T and Toyokura K, Seventh
Symposium on Salt, EIsevier Science Publishers, Amsterdam, Vo1 2, pp. 415-420, 1993.
4)Frits van der Haar: Salt iodation in the control of iodine deficiency:
Increasing the cooperation among government, industry and science:
In: Kakihana H, Hardy Jr. R, Hoshi T and Toyokura K, Seventh Symposium
on Salt EIsevier Science Publishers Amsterdam, Vo1 2, pp.421-426, 1993.
5)Economie Geographie No.271;1-12 Janvier, 1990.
6)Ju C, Chu Z and Xiao Y: The control of iodine deficiency disorders by supplying
Hubei iodinated refined salt. In: Kakihana H, Hardy Jr. R. Hoshi T and
Toyokura K, Seventh Symposium on Salt, EIsevier Science Publishers, Amsterdam, Vo1 2, pp.
431-434, 1993.
7)Histoires d’eau: Le sel de table fluo re et l’eau potable. L’Eau. L’Industrie,
les Nuisances No.115:66-67, Decembre 1987.
8)Moinier B: Le sel
fluore’: De la production a la consummation Cah. Nutr. Diet XXV, 4:273-276, 1990.
9)Hescot P and Roland
E: Dental Health in France-1990-DMF scores for 6-, 9-, and 12-year-o1ds. French
Union for
Oral Health, 1991.
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