戻る

もっと塩を!低塩食の神話

More Salt Please! The Myth of the Low-Salt Diet

By Michael Bader

sott.netより    2017.07.22

 

 塩を回して下さい。漬物を食べよう!サラダにもっとアンチョビを加えよう。ジェームス・ディニコラントニオの新しい本によると、血圧や心臓について心配することなく塩を自由に食べられる。事実、少なすぎる塩摂取量は健康を危うくする。

 ガリー・トーブスの本砂糖に対する訴訟のように、薬理学者で循環器研究者のジェームス・ディニコラントニオは彼の新しい本塩の常識:専門家達が塩を全て悪いとする理由ともっと食べると命を救えるで栄養的な厄介事をかき混ぜる。ディニコラントニオの主張は簡単である:減塩食が大多数の人々で血圧を下げ、減塩食は心疾患や脳卒中に至らせることはないと言う信頼できるエビデンスはない。事実、減塩は有害で、インシュリン抵抗性などの症状、二型糖尿病にかかりやすくする、コレステロールやトリグリセライドを上昇させる、心臓に異常な負荷をかける、そして腎疾患などを起こしやすくするように思われる。結局、塩は慢性疾患のために非難される悪い小さな白い結晶であることをディニコラントニオは我々に気付かせる。本当の悪者は砂糖である。

 読者は塩の常識をかなり衝撃的だと思うかもしれない。私が成人になってからのほとんどの間、塩は自分にとって悪いと思ってきた。アメリカ人の50%は現在監視中あるいは減塩試行中で、25%は塩摂取量を抑制するために健康専門家によって説得されている。塩を避けることは健康の戒めの1つである。しかし、ディニコラントニオが-彼が塩戦争と呼んでいる-塩についての科学的論争の歴史を通して読者を連れて行くと、減塩についての1950年代と60年代の最初の呼掛けを支持するエビデンスの弱さを印象づけられるだけでしょう。試料数は少なく、エビデンスは間違って記載され、ランダム化比較試験や医学研究のための黄金標準はなかった。

 1977年に栄養と健康必要性に関する上院議委員ジョージ・マクガバンの選考委員会のスタッフが初めて特に3 g/d以下という塩摂取量を提唱した“アメリカ合衆国の食事目標”と呼ばれる報告書を提出した。ディニコラントニオが示すように、お粗末な科学は確信的な公共政策となった。その後、この警告は国立科学アカデミーや様々な他の科学団体や公共政策団体で反復報告された。雑誌タイムの表紙は“殺し屋塩”と派手に書き立て、いわゆる塩愛好者は国中の食卓で恥をかかされた。

 公衆衛生当局は循環器疾患の流行に対処するように圧力を受けていた。第二次世界大戦後のアメリカで、警報を発するほどの心疾患上昇が次第に明らかになった。1950年に、アメリカ合衆国で男性の3人に1人が60歳になるまでに心疾患を発症させた。1960年代後半にその発症率の高さで、循環器疾患はガンの2倍となり、全ての先進諸国で見られた。循環器疾患は死因の首位となった。

 心疾患に寄与する生活様式要因が調査された。公衆衛生当局と研究者達は環境因子を調べることにより他の疾患(コレラのような)の治療が進行した。なぜ心疾患ではないのか?彼等の推論はある意味を作った。ほとんどの人々は結局、脳卒中や循環器疾患を含む退行的な疾患になるとその後考えられることに圧倒された。しかし、永遠に延されないで、これらの疾患の発症は予防的アプローチを通して少なくとも遅らせられるかもしれないことが希望であった。そのようなアプローチが開発されれば、医者や公衆衛生担当者はそれを採用し、幅広く広がる影響がある。その鍵は食事のような幾つかの要因が修正されるプロトコールを開発することであった。公衆衛生声明は“血圧を下げること”から“高血圧の危険率を下げること”になった。塩は都合の良い敵であった。高塩食を食べさせられたラットは血圧上昇を起こしたように思われ、研究者達は高血圧が心臓発作や脳卒中の原因で第1の危険要因であることを知っていた。事実、これらのプロシーディングスで1人の参加者が、塩は飽和脂肪酸あるいは砂糖よりも“より容易な目標”であった、と述べた。特に砂糖はごく最近まで、無料パスが与えられてきた。

 塩懐疑論者についての問題は、データがいくら良くても曖昧で、悪くすれば、塩摂取量、血圧、心疾患との全て間の何らかの関係を示せなかったことであった。そのような関係が全く見つからなかったとき、それはごくわずかで、恐らく被験者の収縮期血圧または拡張期血圧のせいぜい1ポイント増加であった。事実、ほとんどの人々は必ずしも塩摂取量に感受性ではないとディニコラントニオは主張している。彼の病態生理学の実質的な知識を引用すると、正常血圧者である我々の様な人々のためには、我々の腎臓は信じられないほど強力で、非常に厳しく規制された上限を摂取量が上回ったときでも塩を効率的に排泄できる(正常な腎臓は5分毎に茶さじ1杯以上の塩をろ過できる)ことを彼は指摘している。他方で、塩が制限されたとき、我々の身体はこの状況を生命の危機として考え、脈拍増加やインシュリン、コレステロール、およびトリグリセライドの血清濃度増加を含むネガティブな副作用をもたらすホルモンと代謝的救助操作の縦続操作を始動させる。

 20世紀後半に、冷凍技術の出現は食品保存の主要な手段であった漬物、塩漬け、乾燥などを置き換えた。この変化は、心疾患や他の慢性疾患が上昇していた同じ時期にアメリカ人の平均塩摂取量を低下させた。したがって、塩は原因にはならない。

 ディニコラントニオは、どうして弱い科学が我々の文化や公共政策に正式に記されるようになったのかと言う何よりも重要な説明を本当に提供してない。対照的に、精製された砂糖や高果糖コーンシロップの重要な健康障害を示す圧倒的な研究団体の科学的で政策的な否定は砂糖業界の経済的で政策的な自己利益に容易に寄与できる。しかし、ずさんな科学や減塩を含む厳密なガイドラインの背後に“低塩ロビー”はいない。塩の場合、その原因は医学と公衆衛生体制内の高度に競争力のある力の相互作用であるように思える。しかし、研究者達は彼等自身の研究を倍増させ、総合レビューは効果的に批判され、公衆衛生と政策当局は、彼等の勧告値はずっと間違っていたかもしれないことを認められなかった。

 “公式な”食事ガイドラインとなる日には反塩勢力が概ね勝っていたけれども、科学論争は猛烈にされてきて、塩の常識は読者に論争について明敏で興味深い説明を提供している。科学作家のガリー・トーブスはかつて下記のように述べた:

    “あるとすれば減塩の利益を巡る論争は、すねての医学における最も長く続く最も激しい超現実的な論争の1つを今や

    構成している。”

 ディニコラントニオは健康と疾患で塩が果たす役割に常識的なアプローチをとっている。結局、我々は生命を維持するために十分な血液量を塩は保証している。塩は食べ物の味も良くする。我々の身体は自然のサーモスタットを持っており、我々が自然な塩渇望を欲するだけなら、我々は十分な塩を得ていることをサーモスタットは保証している。我々が塩を必要としているときにもっと塩を要求し、我々が十分な塩を摂取していれば止めるようにこのサーモスタットは脳に信号を送る。これは全て自動的に起こり、提供される、すなわち、我々の塩摂取量を人為的に制限することによって物事を緊張させない。他方、かなりの低血糖になる希な事例を除き、砂糖渇望は生理学的必要性から起こらない。塩摂取量はネガティブなフィードバック系であり、そこでは身体がある時点で摂取量を減らすように自分に言う(塩味受容体はポジティブな感覚からネガティブな感覚へ実際に切り替える)、一方、砂糖はポジティブなフィードバック系であり、そこでは砂糖を多く食べるほど、それだけ多く砂糖を欲しがるようになり、したがって、食べ続ける。

 砂糖は心疾患の原因である。塩は原因ではない。そこで次に塩を渇望するとき、思いのまま満たす。それで身体は満足する。