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たばこ産業 塩専売版  1989.04.25

「塩と健康の科学」シリーズ

日本たばこ産業株式会社塩専売事業本部調査役

橋本壽夫

減塩風潮に疑問を持つ人びと(2)

 減塩風潮に強い疑問を持っている人に、豊川裕之助教授がいる。先生は東京大学医学部保健学科で'公衆衛生学の栄養疫学を専門としている。現代の栄養学は栄養素学から始まり、栄養素を個別に研究した栄養学は集大成されてきているが、栄養素相互間でみた栄養学の研究は大変遅れており、栄養学の専門家が少ないこともあって、非科学的な食生活の評論家を多数ばっこさせることになっていると述べ、妙薬信仰、魔女裁判の風潮があることを憂えている。
 妙薬信仰の愚を説き、生活の場で栄養問題を考え、栄養学を考え直そうとして"「生活の中の栄養学」健康に生きる食の知恵〃(大修館書店発行)という本を書いている。この本の中から、塩(減塩)に対する先生の考え方を抜き出して 〃書きで原文のまま紹介する。
 "なお注意すべきことは、「妙薬信仰」がある特定の食品や料理を妙薬にするばかりではなく、逆にある特定の食品や料理を「魔女」に仕立てあげることもある点である。「米を食うとバカになる」「米を食うと胃がんになる」などがこれである。そして最近では「食塩は高血圧の原因である」というように、食塩もまた同じように決めつけられている。このように米や食塩を魔女に仕立ててしまうことも平気でやってのけるのが妙薬信仰の特色である。〃
  「米を食うとバカになる」は最近ようやく下火になってきているが、「米を食うと胃がんになる」と「食塩は高血圧の原因である」という型のもう一つの「妙薬信仰」は今まさに燃え上がっている時だけに事は重大であり、この種の信仰に下手に抵抗すると、妙薬信仰や彼らを読者とするマスコミによって「魔女裁判」にかけられそうな危険を感じるほど感情的で煽動的性格を持っているのも妙薬信仰の特色である。〃
 最近、食塩が高血圧の原因であるとする論文があり、食塩摂取量を極度に制限する保健指導が実施されているが、同じ理由から食塩だけを悪者にする高血圧予防対策は決して正しいものではないと言えよう。現に、急激な減塩をして気力と活力を失ってしまうという一種の医療過誤にも似たケースも生じているそうである。(中略)
 食塩と高血圧・脳血管障害の関連を追求する研究報告が多いが、同時に食物消費パターンか調べられることは少ないので、この種の研究から得られる結論ないし推論は誤ったものである危険性が少なくない。それは犯罪捜査に例えていうならば、最初から犯人の目星をつけて特定の人を捜査する見込み捜査のようなものである。食塩があやしいと決めてかかると、いろいろな状況資料が容疑者を犯人とする証拠に見えてくるものである。もっとも、食塩が真犯人ではないというのではない。おそらく食塩は重要な役割を演じているにちがいないが、単独犯でなく共同成犯である。〃
 高血圧の原因と目されているナトリウムもまだ十分に正体が判っているわけではない。食塩が高血圧の原因であるとすると塩素の所要量も問題になるが、今のところナトリウムだけがいけないことになっているのは、実は、塩素の役割や必要量などが皆目判明していないためであって、決して、塩素には問題がないわけではないのである。したがって、食塩のうちの一方の成分である塩素の正体が医学的につかまえられなくかつナトリウムも不十分な情報を得ているにすぎないとすれば、それを一緒にした食塩の所要量が判るはずがないから、食塩摂取を目の敵にしていることの証拠もあやふやになってくるのではないだろうか。〃
 "最初に植えつけられた第一印象や情報はいつまでも残ることは避けられない。栄養素の所要量についても同じことが起こっており、困ったことに誰も修正しないままで現在まで続いている。しかも、さらに困ったことには、食塩が高血圧の原因である…ということを一つ取り上げてみても、これほどまで多くの専門家や医学解説者が論じ立てると、最早、うかつには、それはおかしいと言えなくなってしまっていることである。
 (中略)上述のように塩素の働きについては皆目判っていないし、ナトリウムについてもわずかにその働きが判っている程度で、食塩の摂取量10グラム以下が望ましいと論断してよいはずはない。食塩原因説は医学的にはあくまでも一つの仮説であって定説ではないのだが、食塩を著しく制限してそのために半病人のようになってしまう医療過誤も珍しくないことは、実に憂うべきことである。
 食塩を取らないベネズエラのヤノマモ・インディアンには高血圧患者はいない…という論拠もあるが、平均寿命が日本人の半分しかない彼らを引き合いに出すことが、果たして妥当なものであるかどうか考える必要があるだろう。たしかに、高血圧患者に減塩させると血圧が下がるという事例は多い。それは精力が減弱するという代価を払っていることもまた確かなことである。したがって、正常者や若い人に高血圧予防のためとはいえ、著しい減塩を国策として推奨するにはデータが不足しているように思われる。"
 "食塩摂取量に限っていうならば、多種類の副食をバランスよく取って、かつ飽食しないように心がければ、ひとりでに塩辛いおかずは食卓に登場しなくなるだろうし、登場しても摂取量が減るはずである。したがって、ことさらに無塩料理を実行する必要はないし、また、実行できないでいることを負い目に思うこともないであろ。〃
 "現在では食塩10グラム以下が望ましいという確固たる科学的根拠はないので、数年を経ずして食塩摂取量について異なった学説が出てきて、今、一般に流布している考え方が根底から覆される可能性が十分にあり、その結果、人びとの混乱を1層大きくすることを恐れるのである。"
 以上が、折に触れて本の中に出てくる塩(減塩)に対する先生の考え方である。最後に先生の生活実感を大切にする考え方を引用しておく。
 "生活現象の1部または1事に注目して疾病要因を調べていく時には、全体的な関係を見誤って、そのことだけによる疾病の起こり具合を説明するが、それがなぜか不自然で、実際の生活にそぐわない結論であることが決してまれではない。牛乳を飲むと胃がんにならないとか、先述の食塩10グラム以下が望ましいという見解や、食塩は取らなくてもよいに至る極論まで出るようになったのも、やはりこれと同じことだと思われてならない。
 そのようなことが、実際の生活にはそぐわないことは実態としてわかるはずであるにもかかわらず、全体的視野を欠いたところでは、理論的に矛盾が見出されないからにはその意見が罷り通るのである。一般市民は、実感として妙だと気がついているが、食塩と血圧の関係を考えることに凝り固まった人には、そのような実感は習慣−悪い習慣−のなせる誤りであり、頑迷さのためであるということになる。しかし、この状況にぴったりの童話があることに気づいた人も、既に何人かはいるのではないだろうか。それはいく度か引用したが、「裸の王様」という童話である。童話の中では大臣や学者が「実感」を否定したのである。やはり妙だ、おかしいと思うときは実感を大切にすることが必要ではなかろうか。先入観にとらわれないためには、実感を抑え込んでしまわずにものごとを考えることが大切であるといってよいだろう。〃
 以上、先生の考え方を読んで'皆さんはどのように考えただろうか。我々、塩産業に携わっている人たちが、常日頃思っていることを大胆に代弁してくれているように思う。しかし、問題はこのように言えるための科学的根拠を揃えることだ。