たばこ産業 塩専売版  1988.01.25

「塩と健康の科学」シリーズ

日本たばこ産業株式会社塩技術調査室室長

橋本壽夫

 

血圧の高い人は塩味がお好き?

 

条件設定が難しい塩味の感度評価

 しばしば血圧の高い人は塩辛い物が好きだとか、塩辛い物が好きな人は高血圧になるのではないかと思っていたり、言われたりすることがあると思う。そこで、血圧の正常な人と高血圧の人について、塩味に対する感度、反応性、好み、欲求などを比較研究することにより、高血圧の予測、診断、治療に役立てようとした研究があるので、今回はそれらについて紹介したい。
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 塩味に対する感度とは、塩味を検出したり識別したりする能力のこと。この感度を計る尺度としては、検出できるあるいは識別できる限界値が広く使われている。味を検出できる最少の刺激を与える時の濃度を検出限界値とし、塩として識別できる最少の刺激を与える時の濃度を識別限界値という。検出するということは、背景となる媒体(何の味も感じていない状態)と比較した時、一種の差の量が限界値を超えた時。このため限界値を決定する場合その時の周辺条件によって得られる値が大きく変わる。
 最も重要な条件の一つは、だ液中のナトリウム濃度で、味の味覚器官はだ液中に浸っていて、だ液中のナトリウム濃度に順応しているからだ。塩味を感じるためには、この濃度がその人にとって一定の値を越える必要がある。したがって味の感覚器官の順応レベルによって塩味の感度評価は異なってくるので、このような研究には条件設定の難しさがある。

塩味に対する反応には差がない

 血圧の正常な人と血圧の高い人について、塩化ナトリウムの検出および識別の限界値を調査した結果では、検出限界値には差は認められなかったが、高血圧者は識別限界値の上昇を示した。このように高血圧者は塩分に対する味覚の感度が変化していることが分かったが、味覚機能の変化と高血圧発生との時間的な関係はまだ分かっていない。もし、味覚の変化が血圧の変化よりも先に起きれば、比較的速い味覚測定法を開発することによって高血圧を予測できるかもしれない。
 正常血圧者と高血圧者では識別限界値に差があることは、同一塩分濃度に対して味覚に変化があること、つまり反応度が違うことになる。そこで、反応度を数値的に評価できれば、高血圧を考える上で意義があるように思われる。しかし、いろいろな評価法で行った研究結果によると、正常血圧者と高血圧者との間では塩味に対する反応に差がなく、高血圧によって味覚反応は影響を受けなかった。

血圧と塩味好みとは無関係

 それでは好みの問題についてはどうだろうか。三つ子のたましい百まで、といわれるが、生まれた初期の食事経験がその後の人生における好みと摂取量に影響を及ぼすことが考えられる。
 幼児期に高塩分の食事を取ると、塩分への好みが高まり、沢山の塩分を取ることが定着して、成人になってから高血圧になる危険があるのではないかとの心配だ。これには、生後3ヶ月から8ヶ月の間の塩分摂取量と8歳になってからの塩に対する好みとの間には関係がなく、血圧とも関係がなかったという研究例がある。また、成人についてもいろいろと研究された例があるが、血圧と塩味好みとの間には明確な関係は見出されなかった。
 さらに、もう少し強い意思を表す塩味への欲求についても研究されている。この点に関しても、血圧の高い人が正常な血圧の人と比べて塩への欲求が強いということは示されなかった。ただし、利尿剤を服用しているとか、減塩食をしているなど高血圧症に対する治療を行っている人は、好みや欲求が変わってくる。例えば、減塩食を続けている人は、慣れるまでは塩味を好むが、慣れると薄味の方を好むようになるとか、利尿剤で体内の塩分が排壮されると、塩分への欲求が強くなるといったことだ。
 どのようにして高血圧が発生するか。このメカニズムには、まだ分からない部分が多く残されている。現在までのところ、塩味に関連した作用が高血圧の原因と症状に対してある役割を果たしているのではないかという考え方に対しては、否定的な結果しか出ていない。
 すなわち、高血圧の人が同一条件下で生活している正常血圧の人と比較して'実際に塩分を多く摂取しているということは実証されておらず、また、塩分への感度、反応度、好みが実際の塩分摂取量と関係があるということも実証されていない。
 このことは臨床的に塩分摂取量と味覚の機能を評価するには、現在の方法では検出能力がないということにもなり、さらに改良された評価方法の開発が待たれている。
 高血圧患者の中で塩分に敏感な人たちがいるが、その人たちは栄養分の異常な代謝を示し、そのため塩分に対する味覚反応も明らかに変わっていることが分かる測定方法が開発されれば、味覚作用と塩分摂取が高血圧の発生と進展過程において果たす役割を解明できるのではないかとされている。
 しかし、このような研究が行われる前に、まず塩に敏感な高血圧患者を確認するための、信頼できる方法の開発が必要であるようだ。
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 今回は少しこみ入った話になったが、塩に関する食生活の習慣と高血圧になることの関係、あるいは、逆に、高血圧の人と食生活の習慣との関係については、現在のところ否定的な研究結果が多いようだ。