流下式塩田製塩法

 入浜式式塩田や揚浜式塩田では重い砂を移動させるために重労働を強いらた。流下式塩田では海水、
かん水の方を移動させて省力化が図らた。すなわち、わずかに傾斜させた砂層の流下盤に海水・かん水
を繰り返して流して濃縮していくことから始まった。

 その後、昭和28年頃からこの塩田に枝条架を併設することにより、蒸発量を飛躍的に増加させることが
できるようになった。その結果、塩の生産量も増加し、
生産性が大幅に向上した。この方式は昭和47年に
イオン交換膜濃縮法に全面転換るまで続いた。

 枝条架による濃縮は
ヨーロッパで16世紀頃から既に地下かん水の濃縮に使われていた。しかし、枝条架
の材質・形状は異なっており、日本では竹の枝が使われ、風が通りやすく、海水で濡れる面積が広くなるよ
うに、枝条架の下部になるほど枝の取り付け角度を広げて、濃縮効率を向上させた。枝条架による濃縮は、
大気の飽差(大気温度における絶対湿度と相対湿度との差)が大きいほど、風があるほど良く進み、夜間
でも枝条架の運転は行われた。

 また、雨が降るときには直ちに運転を止め、降雨によるかん水の希釈を防いで損失を少なくすることがで
きた。