たばこ産業 塩専売版 1989.03.25
「塩と健康の科学」シリーズ
日本たばこ産業株式会社塩技術調査室室長
橋本壽夫
減塩風潮に疑問を持つ人びと(1)
最近では、高血圧だけではあきたらず胃がんまで持ち出して塩を悪者呼ばわりし、毎年厚生省が発表している国民栄養調査の中の食塩の摂取量が目標値に達していないことから、これでもか、これでもかと減塩思想を強く打ち出している。しかし、このような減塩思想の蔓延に対して疑問を持っている人たち(学者、医者)もおり、それらの人たちがどのような考え方をしているか、何人かについて紹介したい。
まずは、行きすぎた減塩指向に対して疑問を持ち、栄養の面から食物と塩と健康との問題に取り組み“「食塩」減塩から適塩へ”という本(女子栄養大出版部)を共同執筆した東北大学農学部栄養化学教室の木村修一教授の考え方を紹介する。この本は毎日出版文化賞を受け、よく売れている。
先生は東北地方における減塩運動の激しさに疑問を感じ、適塩という思想、言葉を考えたという。それではすぐ適塩は何グラムかと尋ねたくなるが、この間題については個人差、食生活、運動量、環境などの相違から単純に数字として表されるものではなく考え方として整理すべきものだろう。
昨年、先生の講演を開くことができたので、その時の内容の一部を要約する。普通、食塩の過剰摂取から高血圧になり脳卒中で死ぬと考えられている。このことが本当であるかどうかネズミで調べてみた。ネズミには食塩の摂取に関係なく遺伝的要因で100%高血圧になるものがいる。しかし、高血圧でも脳卒中になるとは限らないことから、高血圧でしかも必ず脳卒中になるネズミを作った。
このようにして実験材料を整えたが、このネズミでも高タンパク、高脂肪の餌を食べさせると脳卒中を起こさないことが分かった。このようなことから、タンパク質、ビタミンC、ビタミンAを食べると血管が強くなり破れにくくなる。すなわち、血圧が高くとも脳卒中を起こすことが少なくなることが分かった。
また、タンパク質を多く食べると自然に食塩摂取量が減ってくる。なぜそうなるのかというと、低タンパク食の場合、味覚が鈍くなり同じ塩味を感ずるのに多くの塩を必要とすることが分かってきたのだ。このようなことから先生は、減塩よりも食生活の内容の重要性を訴えている。
次に、横浜市で開業している医師、向平淳さんの話。「人間の医学」という雑誌に減塩指導の実際″と題して書かれている(昭和61年)医療現場での話である。最初は患者の診断処置の失敗例から始まる。77歳のお婆さんに利尿剤を与えて高血圧と浮腫の治療をしたところ、急性ナトリウム欠乏症に陥り、歩けなくなって意識障害も起こしたので、往診して生理食塩水500 ccの点滴をして帰ったところ、翌朝一人でシャンとして診察室に入ってきたことから、急に効かせる利尿剤の恐ろしさを認識したとのこと。
これは急性ナトリウム欠乏症の例だが、慢性ナトリウム欠乏症の場合、患者が訴える無力感から意識障害までの症状は減塩とともに徐々に進み、脳血管循環障害と区別しにくいという。もし、血圧が高いと利尿剤を与えて減塩に追い討ちを加える危険があり、突然、全身痙れんが発生した時点で慢性低ナトリウム血症と気づいても、時すでに遅く死となると書いている。
このようなことから、先生は外来でもできて、日常食下でもできる「塩分のたまりやすい人」(食塩感受性のある人)を容易に見分けられる方法を提案し、治療に役立てている。血圧が正常な人でも食塩感受性をみるため外来患者で提案した方法により、テスト(54名)した結果、体内に塩分がたまりやすい人とたまりにくい人の割合は1対5だった。そして、この中で食塩を12グラムよりさらに減塩すべき人は54人中5人で、およそ10人に1人の割合だった。また、尿中の塩分排泄を1日12グラム以下に減塩している人でも図に示すように、減塩してもよい人が18%に対し、それ以上減塩してはならない人が82%で、それぞれの比率の中で高血圧者では減塩してもよい(すべき)人の割合が増えているが、それでも高血圧者全体からみれば3分の1だった。
このような結果から、結局、向平先生の減塩指導は @ 70歳以上の高齢者には減塩をさせないで自由にさせる A 血圧測定と同時に朝食前の尿比重を測定して、1.020以上なら減塩をさせ、1.010以下なら減塩や利尿剤を中止する
B 血清中のナトリウム濃度と1日分集めた尿中の塩分濃度を測定し、食塩感受性テストをする。CNa(注1)が1.5リットル/日以上なら減塩させる。1.5リットル/日以下ならCCr(注2)を調べる C CNaが1.5リットル/日以下でCcrが100リットル/日以上であれば強力な減塩(積極的な指導)をする。Ccrが100リットル/日以下であれば減塩を中止し、ナトリウム欠乏に注意する。となっている。
以上が報告されている内容の要約である。
このように向平先生は本当に減塩が必要な患者は少なく、また、盲目的な減塩は危険なこともあることを知り、減塩に対する処方をきめ細かく区分けして、患者の状態に合わせて減塩が必要な患者にだけ減塩指導をしている。
なお、先生はこの考え方をもとにして、昭和61年度学術奨励懸賞募集論文に応募し、第九回日本プライマリ・ケア学座長推薦論文として評価され、日本プライマリ・ケア学会誌(昭和62年)に発表されている。
<注1>
尿中の塩分量(g)
CNa=───────────────────
血清ナトリウム濃度(mEq/1) ×58/1000
で1日に排泄される尿の量と考えればよい。
<注2>
尿中のクレアチニン量(mg)
CCr=────────────────
血清クレアチニン漉度(mg/dl)
で1日に腎臓の糸球体でろ過される量と考えればよい。
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