たばこ塩産業 塩事業版 2011.3.29
塩・話・解・題 72
東海大学海洋学部非常勤講師
橋本壽夫
不可欠な塩の備蓄
東北関東大震災に思う
3月11日に発生した東北関東大震災に見舞われた方々に心よりお見舞い申し上げます。地震による壊滅的な被害の原因は大津波によるものであり、この地方には過去に事例があったことを思うと、対策を怠ってきたことは痛恨の極みである。これを機に先に事業仕分けで塩の備蓄量が大幅に削減されたことについて考えてみたい。
過去の大津波 対策に活きず
この度は想定外の大津波であったからと、被害の大きさに対する言い逃れとしか聞こえない言い方がされている。しかし、大津波は過去にも事例があり、その恐ろしさは、20 mの津波にあった被災者からの聞き取りに基づいて書かれた吉村昭の三陸海岸大津波を読めば良く分かる。リアス式海岸のV字型地形では奥に行くほど狭くなり、同じ体積を持つ波が奥に向って進むとき、波の体積が変わらないのであるから盛上るしかない。つまり波高は波の運動エネルギーが位置のエネルギーとなることにより高くなる。
この度の津波により原子力発電所で炉心がメルトダウンする危機に曝されている。メルトダウンを防ぐ冷却水注入ポンプを駆動させる電力を確保するディーゼル発電装置が地下に設置されていたのは致命的だ。設計時にどうして過去に被害を受けた津波の影響を考えなかったのだろうか。多分、考えたのであろうが見通しが甘かったとしか言いようがない。既存の原発では緊急用の発電機、燃料タンク、制御系を早急に屋上近くに設置する対策が採られるだろう。
災害に対する安全対策は過去最大の災害+アルファ(例えば、20 m+αの高さの防波堤)を考慮して立てられるべきである。それで間に合わなければ想定外にも説得性があり諦められる。
膨大な建設費が掛かっても復興費用よりは安く、人命も救助できるという考え方に立たなければならない。この度の損害はとりあえず20兆円前後と発表されたが、先ではもっと大きな額になるだろう。津波による被害はその何分の1かであろうが、人命の損失は圧倒的に津波によるものだ。
事業仕分けと数々の不手際
事業仕分けで功の部分の一つは官僚天下りの実態が明らかにされたことだが、廃止に向けてどうなるかは別問題であまり期待できそうにない。
罪の部分の一つは社会資本整備事業費の削減であろう。民主党が「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズで衆院選に大勝し民主党政権となったが、平成10年度予算で公共事業を大幅に削減した結果が批判された。その後の参院選ではこのキャッチフレーズを削除して臨んだが過半数は得られず、ねじれ国会となった。
その後、事業仕分けが行われ、建設事業のシンボル的な項目として200年に一度の大災害に備えたスーパー堤防の建設が無駄と判定され廃止された。このような経過を経て民主党になってから建設業界は疲弊し、この冬の豪雪被害では除雪機械がないので対応できなかったことを被災地のテレビ放送で知った。
その上で、この度の空前絶後の大災害である。「建設業者はブルドーザーや重機を中国や東南アジアに売ってしまい、災害地の瓦礫を撤去する者が少なく、自衛隊施設大隊に頼らざるを得ない」との記事(佐々淳行:産経新聞3月16日)を読んだ。
この度の大震災に伴う数々の不手際による災害や二次災害の発生は人災でしかない。
塩備蓄量削減「牛殺す」所業
塩備蓄量の削減も事業仕分けの罪に相当する人災と考える。前にも書いたが、理由もない塩事業を事業仕分けにかけて口を出し、10万トンの塩備蓄を2万トンにまで減らすことに決定した議論の中で、減らすスピードが遅いとか、備蓄ゼロで良いのではないかとか、生命を脅かすまでの塩欠乏が起こりえるのか、と言った委員の意見が反映されたとすれば、人災の謗りを免れない。
議論の中では瀬戸内3社の4製塩工場が東南海地震で津波の被害を受けて、工場が操業出来なくなる期間を3ヶ月と想定して最低限の備蓄量を検討した結果のようだ。中央防災会議の想定によれば津波の高さは3〜5 mということである。前述したが津波の到達高さは地形によって大きく変わる。
これまで記録がないこの地ではどの様なことになるのか予測がつかない。しかし、最高5 mの津波が来たとすれば、製塩4工場は全て海水で冠水し、電気制御機器、計測器、モーター類は使い物にならなくなるだろう。他の地域も大きな損害を受けていることを考えると、それらの器機が3ヶ月くらいの納期で調達できるとは到底考えられない。通常納期でも最低それくらいはかかる。第一、淡水による冠水の経験はあっても海水による冠水の経験はないので、どの様なことが起こるのか予測できないであろう。最悪、陸上使用を前提とした仕様の電気機器は全て廃棄することまで考えておくことが必要かもしれない。当然のこととしてインフラ設備も被害を受け、塩の輸送が出来なくなることも考えられる。工場に在庫している食用塩は水に溶けて跡形もなくなる。
このような時には、一般用塩の輸入を取り扱っている大阪港、ソーダ工業用塩を輸入している富田港を始め数港に置いてある塩も海水に溶けて流されてしまう。このような事態になれば、3ヶ月やそこらで塩を供給できるようになるとは到底考えられない。津波が到達しない陸上への備蓄も考えておく必要がある。
事業仕分けである委員が、「新潟県の防災マニュアルでは被災して1ヶ月くらい経つと加工食品からの塩分摂取の過剰が問題になる」との報告をつまみ食いして、「大震災が起こっても塩の供給ができなくて国民の命に係る事はないと考えて良いですね」とまで確認を取り付けようとしていた。
筆者も命に係る事はないとは思っているが、命さえ永らえておれば気力や活力が失われても良いとは思わない。誰しも災害からの復旧・復興では気力や活力が重要となる。塩は命を永らえさせるだけではなく、食欲を引起し、気力・活力を生み出す物なのだ。
生命維持と食生活に代替のない生活物資であるからこそ食用塩だけは自給しようと、かつて閣議決定されたことは国家の危機管理の一つである。塩の備蓄も危機管理だ。
自給が実現可能となった現在、その方法は全面的に化石エネルギーに依存している。化石燃料が国家備蓄品になっている。備蓄塩が乏しくなったとき、製塩のために優先的に燃料を供給してくれるだろうか?それはないだろう。塩を備蓄しておく方が得策ではないか。
事業仕分けの結果を見ると「角を矯めて牛を殺す」ということわざがピッタリと当てはまる。これは塩事業センターの件だけでなく、科学技術の研究開発、公共事業予算、教育予算など挙げれば驚くほどの件数が「角を矯めて牛を殺す」状態となった。
これからの危機管理のために
復旧経過の記録・公表を
この度の災害で福島原発から南へ約60 km下がったいわき市小名浜にある製塩工場も大きな被害を受けているはずである。現在、どの程度の被害を受けたのか窺い知る事が出来ないが、これからの危機管理に生かす上で、復旧の経過を克明に記録しホームページに公表することが重要となる。
これは塩事業センターの備蓄用塩配布の対応についても同じだ。机上の空論で実態を反映しない結論を出されないようにするためにも必要である。
この度の地震は1000年に1度の規模とも言われているが、太平洋側でH字型に4つのプレートが衝突しせめぎ合っている日本の地形ではいつ何時この規模の地震が再び起こるかもしれない。マグニチュード9.5のチリ地震(1960)、9.2のアラスカ地震(1964)、9.1〜9.3のスマトラ沖地震(2004)でも大きな津波被害を出した。
人災が輪をかけて自然災害を広げないように、この度の原因を十分に検証し、教訓として危機管理政策に生かすべきである。