たばこ塩産業 塩事業版 2005.01.20

Encyclopedia[塩百科] 42

(財)ソルト・サイエンス研究財団専務理事

橋本壽夫

EuSaltと塩の博物館を訪ねて

 昨年の10月末から11月初めにかけてヨーロッパを訪れた。4月にESPA(ヨーロッパ塩生産者協会)の事務局長が代わり、長年、友好関係を結んできたモニエール事務局長が退職し、新たにスパイザー事務局長になった。事務所もパリからブラッセルに移った。また名称もEuSaltに変った。EuSaltになってからも従来通り財団からの情報提供をしていたが、先方からの情報提供はなく、様子がよく分からないので、訪問して従来通りの友好関係と情報交換を続けるために話し合うことが訪欧の目的であった。その折りに、塩の産地であったリューネブルグにあるドイツ塩博物館と世界遺産になっているポーランドのビェリチカ塩博物館を訪れた。それらの概要を述べる。

塩生産者協会:情報交換と友好関係の継続を約束

EuSalt11ヶ国23塩生産会社(数年前には14ヶ国、33社あった)が加盟している組織であり、世界の塩22千万トンのうち45百万トンを生産している。訪欧前にEuSaltからEU内の動きを伝えるニュースレターが9月、10月と送られて来たので、体制が整って、毎月発行されるものと思っていた。これまで情
報誌
ECHOが年3回発行されていたが、4月以来何も来なくなった。そこに9月から10月と来始めたのであるが、その後、毎月の発行ではないことが判った。12月末になってNo.3が送られてきた。それには日本からの訪問のことが記載され、36人に配信されている。
  EuSaltを訪問してみると、事務局長のスパイザー氏と職員はフランセスコーニ女性事務員だけである。しかも、スパイザー氏はドイツ塩工業会の仕事もしており、これではとてもまともにニュースレターを毎月発行できる体制にないことが判った。11ヶ国もあれば対象とする塩も違うし(例えば、融氷雪用塩、栄養強化塩)、法律も違い個別の国々の事情には対応しきれない、とのことであった。現在、連絡委員会、技術委員会、塩と健康問題作業グループなどの専門委員会を立ち上げている。ESPAの事務局長をしていたモニエール氏はこの1年間、フランス塩工業会の仕事をしており、帰りにパリの事務所により、これまでの友好関係を謝し、新しいEuSaltについて聞いた。これまで、ドキュメント・センターから流していた学術を始め、特許、法律、規約等の各種情報提供はなくなった。また、塩と健康問題に関して顧問をしていたネッカー病院(パリ)の腎臓専門医であるドゥリュッケ博士も辞めたので、現在のところEuSaltにはそのような人材もいない。
  EuSaltの運営はメンバー会社の考え方、新しく就任したスパイザー事務局長の腕次第で内容が充実していくのであろうが、取り敢えずは前述した各種専門委員会を設置し、問題処理に当たっている。
 当財団の業務を説明したところ、年間70件近い研究助成をしていることに対して非常に驚いた様子であった。帰ってきてから、メールで助成研究の課題名を英訳したいのだがどうすればよいか、と尋ねてきた。その課題名の英訳はまだなかったので、大体、どのようなことに助成しているのかが解るように、一番最近の研究助成報告書から英文要旨を編集してメールで送った。それを技術委員会メンバーへ転送して良いかの了解を求めてきたので了承した。現在のところ財団のホームページには英語版がないが、これを機に英語版を作成し、SIEuSaltのホームページにリンク先の一つとして掲載させ、ソルト・サイエンス研究財団が国際的に認識されるようにする必要性があると思った。このことは、研究助成を受けて論文発表している助成者のPRサービスでもある。
 日本の塩事情で塩生産会社の巨大化、中国塩の低価格攻勢などに触れると、ドイツでも同じ状況で、ソルベー社とカリ・ウント・ザルツ社が合併して巨大なエスコ社が生まれ、小さな製塩会社が2,3残り、東欧からの安い塩攻勢に直面していることを述べていた。
 2時間ほどの会談後に、従来通りの情報交換と友好関係を継続していくことを約して事務所を後にした。

ドイツ塩博物館:製塩工場の跡地に貴重な資料の数々

 ドイツ塩博物館はハンブルグから南東方向へ約60 km離れたリューネブルグにある。リューネブルグは古くからの製塩の町で、運河を通してリューベックまで塩を運び、そこから魚の塩蔵用にスカンジナビア諸国に多くの塩を輸出していた。今では製塩工場はないが1980年頃までは平釜で製塩を行っていた。その工場跡の一部を利用して写真上に示すように博物館としていた。

     ドイツ塩博物館

                  ドイツ塩博物館

展示物は産出する岩塩、塩の流通、塩からのソーダ工業製品、平釜製塩法の仕組み、包装、輸送法などであった。平釜は大きな物で、展示されていたものは深さが約50 cmで幅が8 m位で長さが20 m位もあろうか、写真中に示すように両側にレーキを一方向に移動させるチェーンが設置されていた。釜の末端がゆるやかな登り傾斜になっており、レーキでかき寄せられた塩はその傾斜で掻き揚げられながら母液を切られ、ベルトコンベアーの上に落とされて乾燥機に入るようになっていた。それよりも昔の平釜式製塩法では平釜は1m平方くらいで小さく、材質が厚さ7mm程の鉛で作られていたのには驚いた。化学実験室の流し台の水槽が鉛で作られており、水道管の繋ぎが鉛管であったことを思い出した。

      ドイツ塩博物館に展示されている平釜

                  展示されていた平釜

 晩秋のシーズンオフのためか、この博物館を訪れる人は少なく2,3組見られただけであった。博物館には販売物があったが、失望したことに、塩に関する書籍は総てドイツ語で書かれており、英語で書かれたものはなく、博物館を説明した資料も置かれていなかった。それでも、美しく、珍しい塩の結晶写真が掲載されている本があったので、購入してきた。
 博物館の近くにクアハウス(温泉プール)があり、それに隣接する公園で昔、我が国の流下式塩田で使われた枝条架の原型になった枝条架(写真下)を見ることができた。これは日光浴をしながら潮しぶきを浴びて呼吸器系疾患などの治療に役立てるものである。木の枝が横方向にぎっしりと積み上げられており、風通しも悪く、日本で使われた竹の枝で作られた枝条架とは似て非なるものであった。

       公園にあった枝条架

                  近くの公園にあった枝条架

ビェリチカ塩博物館:岩塩でできた世界遺産・聖キンガ礼拝堂

 ポーランドの南部にあるクラクフは75万人の大都市である。そこから車で30分も走ればビェリチカ塩博物館に着く。
  この岩塩鉱は5000年も前から採掘されており、1113世紀に盛んに開発された。坑道の長さは約250 kmもあり、掘り出した部屋は2040もあると言う。観光ルートは全体の3%に過ぎない。
 1978年にユネスコの世界遺産に登録され、地下101メートルにある聖キンガ礼拝堂(写真上)は岩塩で出来ている礼拝堂として有名である。周囲の岩塩層には鉱山師によって数多くの彫刻が彫られ、「最後の晩餐」やローマ法王の像もある。天井には透明な塩の結晶で輝きを持たせたシャンデリアがある。

        聖キンガ礼拝堂

                 地下101mにある聖キンガ礼拝堂

見学していくと、岩塩彫像の他に岩塩を掘り出すためにいろいろと苦労して工夫された興味をそそる道具が展示してあったが、写真を撮っても現像してみると大抵は光量不足で失敗である。
  中に塩の博物館があり、様々な形や色をした岩塩が展示されていた。
  ここには大きな単結晶の岩塩は展示されていなかったが、鉱山の中には透明な単結晶が析出している部屋もあり、最大で一辺が50 cmの物があるという。観光コースから3 km離れた所にあるらしい。一般観光客には見せてもらえないであろう。ここで採鉱された重さ1トンの単結晶がウィーンにあるらしい。見たいものである。お土産屋で無色透明でクリスタルガラスのような岩塩を見せてくれた。たまたま、その店には桃色、青色、緑色の岩塩(写真下)があったので、それぞれを入手することが出来た。

        桃色、青色、緑色の岩塩

               桃色・青色・緑色の岩塩

岩塩鉱の中にはサナトリウムと称して、アレルギーや呼吸器系の治療をする部屋がある。ビデオによると塩水が流れている装置があり、それを取り囲んで人々がベッドに寝ている。リューネブルグにある枝条架の下で塩水の水滴を浴びるのが呼吸器系疾患に良いと言われていることを、ここでは岩塩鉱内で集中的に行っている模様である。
  機会があればビェリチカ塩博物館にはもう一度ウィーンの博物館と併せて訪れたい。

注:原版はカラー印刷ではない。