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我々は知っていることを知るにはどう考えるか?

塩論争のメタ知識解析

Why Do We Think We Know What We Know?

A Metaknowledge Analysis of the Sal Controversy

By Ludovic Trinquart, David Merritt Johns and Sandro Galea

Int. J. Epidemiol. 2016;45:251-260   2016.02.17

 

要約

背景:幾つかの公衆衛生機関は全集団の減塩を勧めて来たけれども、集団利益に関するエビデンスは不明のままである。我々は塩摂取量と健康結果に関する文献のメタ知識解析を行った。

方法:我々は脳心臓血管疾患または死亡率に及ぼす塩摂取量の影響を述べた報告類-一次研究、総合的なレビュー、ガイドラインやコメント、手紙またはレビュー-を確認した。我々は、減塩が全人口の利益を導く仮説を支持するまたは支持しないとして報告書を分類し、これらの報告書の結び付ける引用のネットワークを作り上げた。我々は指数ランダム・グラフ・モデルを使って引用偏向をテストした。我々はまた、話題に関する総合的なレビューの一次研究を含めることも調査した。

結果:我々は1978年から2014年までの2669件の報告書(一次研究25%、総合的なレビュー5%、ガイドライン4%とコメント、手紙、レビュー66)を確認した。これらの中で、仮説を支持しているのが54%、支持していないのが33%、結論を出していないのが13%であった。報告書類は異なった結論を引き出している報告書類を引用しているよりも同じ結論を引き出している報告書類を引用している方が1.51倍あった(95%信頼区間1.38 – 1.65)。結局、48件の一次研究が10件の総合的なレビューをまたいで含めるために選ばれた。何らかの一次研究がレビューによって選ばれれば、さらなるレビューもそれを選ぶ可能性は27.0(95%信頼区間20.3 33.7)であった。

結論:我々は塩摂取量と健康結果との関係に関する科学的報告書類の強い対立と、エビデンスとして取り上げるべきことについての総合的なレビューで不確実のパターンを記録した。

キーメッセージ

  塩摂取量と健康結果との関係に関する科学的報告書類の強い対立を記録した。

  存在する論文の大多数は塩仮説を支持しているが、実質的に少数は支持していない。

  仮説のいずれかの方を支持する発表されている報告書類は対抗する論文をあまり引用しない傾向である。

  話題に関する総合的なレビューで一次研究の選択にほとんど一貫性がなかった。

 

背景

 全ての人々に減塩をさせることは数十年間にわたって考慮すべき科学的論争の主題であった。塩摂取量を全人口で減らすことを提案している人々は、高塩摂取量が血圧とそれにより脳心臓血管疾患発症の危険率を上昇させると述べ、減塩政策は大きな公衆保健利益を生むと主張している。世界保健機関(WHO)は成人に5.1 g/d以下の塩摂取量を勧めている。全人口に対する減塩に反対している人々は塩摂取量と臨床結果との関係はUまたはJ字型であり、低塩摂取量に関連した害は減塩から生ずる血圧低下の潜在的な利益を弱めるかもしれないと主張している。最近の報告で、アメリカ国家科学アカデミーの医学研究所は、WHOによって勧められている非常に低いレベルまで減塩する利益のエビデンスはないと結論を下した。

 多くの点で、全集団の減塩の潜在的な利益についての科学文献の不確実性とこの領域の公衆保健政策を展開する政策決定者によって表される正確性との間の境界線は揺れている。一方、塩摂取量に関するエビデンスの総合的なレビューを行うことに関わっている何人かの著者らは、塩仮説は経験的な基礎知識の乏しい騒動であると主張してきたが、他の人々は、全人口の減塩は21世紀における中心的な公衆保健優先事項であるべきと主張してきた。関連している全ての当事者が科学と公衆保健的利益を考慮していると仮定すると、この論争は人口の保健科学における知識の生産と生産された知識が公衆保健の実行にどれほど影響を及ぼすかについて疑問を生ずる。

 人口の保健認識論に対する寄与の終結に向けて、我々はこの論争を取り巻く知識発生のパターンを調べた。第一に、脳心臓血管疾患または全ての死因に及ぼす集団レベルの塩摂取量の影響に関係した報告書類の中で引用されるパターンを調査するためにネットワーク解析を我々は使った。第二に、関連した総合的なレビュー間の一次研究選択における同意を我々は調査した。報告書類間と報告書の共著者研究者の間で引用された物のネットワークを追跡することによって、この論争がどのように持続するかをより良く理解し、この科学文献に記載されている知識生産を形作っている信念または選択を明らかにすることを我々は目的とした。

 

方法

報告書類の選択

 省略

報告書類の分類

 省略

ネットワーク解析の引用

 省略

共著者ネットワーク解析

 省略

総合的なレビュー間の一次研究選択の同意

 省略

 

結果

報告書類の特性

 省略

ネットワーク解析の引用

 省略

共著者ネットワーク解析

 省略

総合的なレビュー間の一次研究選択における同意

 省略

 

考察

 文献の総合的なレビューに基づいて、塩摂取量と集団の臨床結果との間の関係に関する科学報告書の強い偏向と発表されている総合的なレビューの不確実性のパターンを我々は記録した。第一に、存在する報告書の大多数は仮説を支持しており、実質的に少数が支持していないことを我々は知った。第二に、実質的な引用の偏向があり、そこでは同様の結論に達した前の報告書を優先的に引用した報告書が発表されていた。第三に、その分野の文献は2,3の報告書と2,3の多作著者によって支配されており、彼等はそれぞれ特別な地位を保持し継続している。第四に、総合的なレビューで一次研究の選択にほとんど一貫性がなく、さらに挑戦を続けて解決しなければならない。

 不確実性は科学研究の重要な動機である。しかし、そのことは行動を抑える傾向がある。特に実行者がしばしば関連した研究のエビデンスがほとんどない問題に直面する公衆保健のような分野ではそうである。公衆保健の指令は政策決定者に多くの場合確信がなくても、ほとんど無くても行動することを要求する。心血管疾患死亡率を低下させるために世界的な保健政策の第一歩として集団全体の減塩を目立たせるために、減塩の事例は、どの様に」エビデンスと不確実性が公衆保健実行を知らせるか、あるいは知らせないかを調べるための特に重要な事例を表している。幾つかのモデル研究は、血圧を通して影響を及ぼすことにより心血管疾患死亡率に及ぼす塩摂取量の低下効果を考察するように結論を下してきた。しかし、発表されている文献は進行中の論争の印象をほとんど伝えず、むしろ学問のほとんど明らかで共通点のない2つの系統があることを知った。全体の減塩が臨床結果を改善するだろうという仮説を一つは支持し、一つは否定する。支持しているか、否定しているか、結論を述べていないかの意見交換で引用ネットワークを通して報告書類を結び付けることによって我々は先ず塩論争の地図を作った。我々は引用パターンに関して同質のエビデンスを見出した。そこでは、仮説に賛成または反対している著者は他のことを指摘する意見よりも自分達の意見と同じことを指摘した論文を引用する方がどちらかと言えば50%以上であった。それらの著者に著述を再び結び付けることにより我々は論争の地図も書くと、科学者達の存在するネットワークに著しい群がりを見出した。人口全体の減塩が人口の健康を改善するかどうかについてのデータについて彼等の解釈が異なっている科学者達の対立するグループ間で継続して分割してきたことを反映させて、我々はこれらの結果を解釈した。観測されたパターンの一部は共著者と共同研究者自身の引用と同様の方向によって説明されるかもしれない。データは2,3の著者や2,3の鍵となる論文が文献を支配している図と一致している。これらの著者や論文は塩仮説を支持するか、反対するかのいずれかに強く同意している。結果が結論を出していない科学者達の声は一層異質に見え、ほとんど論争の周辺に位置している。

 前の研究はどのようにして引用の実行が、統計的に有意な結果またはエビデンスの拡大または回避によってゆがめられているかを示してきた。何人かの著者らも与えられた仮説または考え方(観点見解の引用または均衡を欠いた引用)を支持している研究の選択的引用を考察してきた。我々の知識に対して、我々の解析法は、そのような対立の経験的な定量化を許容しているとして新しい。減塩についての論争を巡る我々の応用は電子タバコを巡る論争のように他の科学的論争を繰り返した。それは科学的論争の他の分野にも応用でき、そして我々の解析は経験的な調査を奨励することを目論んでいた;他の論争的なまたは逆に強く合意している話題について対立のパターンを比較することは面白い。

 我々が明らかにした引用偏向は心血管疾患結果に及ぼす塩摂取量の影響を表した総合的なレビューで一次的なエビデンスの包括で著しい変動があることによって比較された。一次研究がレビューによって選ばれれば、他のレビューがそれを選ぶチャンスは1/3以下であり;これは多分、ランダム化された試験については低いことを我々は知った。レビューを横断した選択範疇で差を越えて行く不一致のレベルがこれである。この結果はエビデンスとして採用すべきことについての進行中の不確実性と不一致を反映している。ある物は確定的なエビデンス源としてランダム化された試験の役割に前に疑問を呈し、そして心血管疾患結果に対してナトリウムと関係させる観察研究の方法論的な品質の最近のレビューは、関係の方向を変える可能性があると考えられる方法論的な欠陥は26件全ての観察研究(無意味な関係を示した一つを除いて)に影響を及ぼすことを明らかにした。総合的なレビューは最高レベルのエビデンスを提供する可能性を持っている。しかし、メタアナリシスは文献を見る冷静な目を向けなければならない。我々の解析では、一次的なエビデンスに包括される変動は総合的なレビューの結論に直接的に影響を及ぼし、特別な研究の採択または排除は二次的なエビデンスを形成したことを我々は知った。この変動は総合の妥当性を脅かし、論争に耐える科学についての存在する不確実性を強化している。これらの結果は矛盾し不確実なエビデンスを公衆保健政策に反映させる意味合いを持っている。不確実性の誤用と確実性の誇張の両方は公衆保健政策決定過程の結果を構成できる。

 科学は最近の数十年間における関心の潜在的な財政的な闘争に明敏に警告してきたが、他の潜在的な闘争-特に新しいデータが利用できるようになった時、再調査を拒むという長く維持されてきた信念に固定されていると言う偏向-にはほとんど注意を払ってこなかった。これらの関心事についての論争は財政的な研究よりもずっと強力であるかもしれないことが前に示唆されてきた。我々の結果は現状とそれぞれの側が他の側を引き込む本当の科学的会話の欠如に向いた強い偏向を支持している。この特別な論争の根拠となる引用パターンは、科学界が事項に関してデータで知らされたコンセンサスに到達する協調努力をしないで、その代わり二つのサイロに分けられているように見えることを示唆している。将来の研究者世代がお互いに‘伝統’を持ち出してくるので、同意の‘両側’間のギャップを橋渡しすることはますます難しくなるので、そのような分裂が永続するかもしれないことを考えるとき、このパターンは心配である。この問題の認識で、少なくとも要約の中で、オズボーンらは科学教育課程で協調的な論争を中心に置くことを提案し、学生たちに利用できるエビデンスに基づいて論争することを学ばせることに役立て、我々が知っていることをどのようにして、そしてどうして我々が知るかに向けて洞察力を養う。科学における協調的な論争に対する言質が作られれば、塩摂取量や公衆保健のような難しい問題を巡る大きな透明性にそのような方法は寄与するかもしれない。

 我々の解析には限界がある。第一に、我々の幅広いデータベースの調査にもかかわらず、我々はいくつかの関連報告書を見落としているかもしれない。特に、我々はメッドラインだけでコメント、手紙、レビューを探した。我々は会議録からの資料を考察しなかったが、幾つかの会議録は我々が選んだ要約にあった。事実、我々は全ての報告書の参考文献リストを手作業で選別した。その結果、採用されれば、関連報告書は我々の要求する特別な引用ネットワークから外されることはありそうもない。第二に、支持する、反対する、結論なしとして我々が報告書を分類したことは、他の報告書が違って解釈されるかもしれない結論に基づいていた。しかし、関係のないレビューアーによる複製で行われた分類についての明白な範疇を我々は使用した。結果として、分類過程は厄介であり;特に分類を学習させる機械を管理する自然言語処理法はそれぞれの論文を調査するに必要な人によるレビュー量を減らすために使われるかもしれない。したがって、解析法は話題の幅広い整頓に適用されるだろう。第三に、採択は支持を意味するのではなく、引用された報告書が報告書を採択することにより支持、または反対のいずれが適正であるかどうかを我々は調査しなかった。主張に特化した引用ネットワークは他の偏向によって影響を受けるかもしれない。例えば、報告書類はその妥当性を批判するために前の内容を引用しているか、または報告書の解釈を脇にそらすためにその意味を再び構成するかもしれない。最後に特に我々は塩論争で‘どちらの側に着くこと’をここでは意図しない:我々は近い将来に中心となっている仮説を支持するのでも反対するのでもない。本論文における我々の意図は論争の一部になるのではなく、我々の結果は論争を活気付けるために使われるべきでもない。その代わり、論争の基となっている論文の作成をより良く理解させることを目的とした。そして総合的なレビューと定量的な解析に基づいて解明することを試み、論争の基礎となる難題を解明し始めることを目的とした。