塩、血圧と健康:戒告的な物語
Salt, Blood Pressure and Health: A Cautionary Tale
By Michael H Alderman
Int. J. Epidemiol. 2002; 31:311-316 2002.04.01
血管内と細胞外液量を維持する上で塩の中心的役割のおかげで、ナトリウムは人の生存に対して必須である。味、習慣、環境、遺伝子、行動は多分、全て塩摂取量に影響を及ぼす。人類を特性付ける異質性を考慮して、どこでも世界の市民の大多数は6 g/d-12 g/dの間の塩摂取量を自由に摂取できることは注目すべきことである。全ての食事間の塩摂取量のこの不均一性、文化、環境、遺伝状況と寿命が世界中で着実に伸びている事実にもかかわらず、多くの権威者達は、現在の塩摂取量があまりに多過ぎることを今や論争している。
6 g/d以下に一律に減塩を主張する人達が信じていることは、減塩が幅広く集団の血圧を低下させ、ひいてはそれにより心血管疾患の罹患率や死亡率を下がることである。高血圧者に減塩を厳しく管理することについてより強い意気込みさえある。事実、これらの教条は信仰的な熱狂と通常関連した熱意でもってしばしば宣伝されている。全集団または高血圧者集団のいずれにも塩摂取量について如何なる普遍的な目標を正当化するには利用できるデータは不十分な証拠しか提供していないことに私かここで同意する。
塩と血圧の関係
血圧と脳疾患、心臓疾患、腎臓疾患の発症に対する強く、連続的で独立した重要な関係の認識は、幅広い集団基準に及ぼす血圧低下の安全で簡単で効果的な手段を探るために合理的な刺激を提供した。人の食事で塩はどこにでもあるのでナトリウムまたは塩の摂取量と塩が血圧決定の中心であることは血圧に及ぼす介入の明らかな好機を提供した。塩摂取量の差が血圧変動を説明している最初の兆候は異文化間研究から出て来た。文化変容を受けない社会で、血圧はより低くなる傾向があり、加齢に伴う血圧上昇は見られなかった。これは最も工業化された国々で一般的な高い高血圧発症率と加齢に伴う血圧上昇を強く対比した。多くの他の要因の中で塩摂取量は‘開発国’と‘未開発国’との間で異なっていることが分かった。事実、ほとんど塩を得られない狩猟採取社会の経済に閉じ込められた人々は多くの場合1.2-2.3 g/dの塩摂取量に限られていた。
塩摂取量と血圧とのこの生態学的な関係は、塩摂取量の変化が血圧を変えられる疑いを導いた。移住者経験の調査がその仮説の最初のテストを生み出した。仮説が明らかになるにつれて、都会に定住するために文化変容を受けない環境を変えた人々は一般的に血圧を上昇させた。そのような環境変換に固有な多数の変化の間で、塩摂取量は多数の全世界集団の摂取量に全体的に上昇させた。したがって、塩摂取量の増加は血圧上昇を起こさせるという見方を支持した。
パナマの沿岸から離れたサン・ブラス諸島の最初の居住者であるクナ・インディアンの間の最近の結果は、移住に関連した血圧変化には塩が原因であると言う概念に疑問を投げ掛けている。サン・ブラス諸島の人々が塩を入手しにくかった限り、塩摂取量と血圧は両方とも生涯を通して低かった。過去50年にわたって、クナ・インディアンは本土と関連した交易を確立したので、塩の入手は本土のパナマ人が摂取する量まで増加した。しかし、これらの島の人々は著しくまだ伝統的な文化様式を維持しており、今や約8.1 g/dの塩摂取量を除いて、まだ血圧は低く、加齢に伴う血圧上昇もない。要するに、塩は移住で変化する多くの要因のわずか一つである。観察された血圧変化について他の可能性のある説明不足はない。
例えば、イタリアの同じ地域の138人の一般婦人と隠遁生活をしている144人の尼僧を比較した30年間の観察研究で、塩摂取量は同じであったけれども、加齢に伴う血圧上昇は尼僧グループに限られた。尼僧グループはまた心血管罹患率と死亡率でかなりの増加を経験した。もちろん、ポイントは、塩摂取量以上の他の要因が血圧のより強力な環境的、行動的決定要因であるかもしれないことである。この研究は社会文化的な状況を計測する難しさの潜在的な影響を強調しており、生態学的な解析が塩摂取量のような単一要因と個人の血圧を関係付ける手段としてはあまりにも鈍感であると言う見方を補強している。
塩と血圧の観察研究
塩摂取量と血圧との関係のより正確な探求は疫学研究で可能である。これらの中で最も野心的な研究はインターソルト研究で、世界中の52ヶ所で10,000人以上の被験者による横断的な調査であった。その最も重要な結果は、52ヶ所の内、塩が自由に得られる48ヶ所で、摂取量は5.8-11.6 g/dの間で一定であった。48ヶ所のセンターに限った解析は塩摂取量と血圧との関係はないことを明らかにした。しかし、年齢で層別化すると、少ない塩摂取量の社会に反して多い塩摂取量の社会では、血圧は加齢ともに上昇した。インターソルトは横断的で将来に向けた長期間の研究ではなかったので、血圧が年齢とともに上昇するという概念は利用できるデータから一つの可能な外挿を表している。結局、横断的研究の結果は首尾一貫していなくて確定的ではなかった。
塩と血圧の実験的研究
関係の因果関係は証明されていないので、塩摂取量と血圧は実験的な確認を必要としていた。動物研究は、減塩が血圧を下げ、逆に12匹のチンパンジーを含む研究で示されたように塩摂取量の増加が動脈血圧を上昇させることを示してきた。ヒトでは、問題はもっと複雑であった。血圧に及ぼす塩の影響に関して個人間で様々な変動がある(図1)。集団には‘塩感受性’と‘塩抵抗性’の人々がいるという概念をこれは生じさせてきた。これは遺伝的な変動と関係しているのだろう。塩感受性として分類される人々の部分は未知である。
269人の男性医学生による最近の研究は、大体半分が1.2-16 g/dの塩摂取量変化に対して何の応答も示さず、一方、1/4は低塩摂取量から高塩摂取量への移動に対して応答して血圧を上昇させ、ほとんど正確に同じ割合(66人対67人)が塩摂取量でこの12倍の増加に応答して同様の血圧低下を示したことを明らかにした。これはヒトの実験結果の不一致を説明するかもしれない個人内の変動である。
多分、血圧に及ぼす塩摂取量の影響についての最良の推定はランダム化された試験のメタアナリシスから得られる。メタアナリシスは含まれている研究を反映しているだけである。不幸にして、上手く設計されて行われた研究は塩摂取量に著しい変動を含んでおり、多くは短期間の研究であった。それにもかかわらず、最も厳格なメタアナリシスは全体的に一致している。それらが示していることは、高血圧者と老人の間で、4.4-5.8 g/dの減塩が収縮期血圧で3-5 mmHgの変化と拡張期血圧で約1-2 mmHgの差を生じさせた。若本の正常血圧者に及ぼす影響はもっと小さく、収縮期血圧で約2-3 mmHg、拡張期血圧で1 mmHg以下であった。被験者の小さなグループが短期間について研究された時、最大の低下を示したように思われた。1年間以上血圧低下または美食家で減塩させるいずれかを継続させることは難しかった。しかし、この減塩には害がないと仮定して、2,3 mmHgでも継続した低下は、高血圧患者に減塩治療によって現在達成されている以上の罹患率と死亡率を低下させることを述べるべきである。減塩の主張を激励することがこの可能性である。
結局、これらのデータは、集団による大きな減塩(50-75%)は幅広い個人間の変動はあるが、少なくとも数ヶ月間平均して平均血圧にささやかな、しかし検出できる低下を生じさせることを示している。これらの結論を支持する多くの研究は、さらなる研究が本質的な結果を変えることがないようにさせるために十分に確定している。
減塩の他の影響
内部環境の一つの観点を変える試みは他の効果を生じさせるかもしれない。非常に深遠で人を誤らせる塩摂取量を半分まで下げるために設計された食事操作としての介入も血圧に何の効果も生じさせなかったことは驚くことではない。その上、塩摂取量の操作は血圧を変える方法で個人の血圧が正に変わるように、他の生理学的応答も変わるかもしれないことが期待される。
血圧は塩摂取量の変動による血流効果だけではない。血管健康の測定として動脈柔軟性に注意を向ける。新しい健康な組織を侵さない技術が今や臨床的な装置で柔軟性の調査を可能にした。高血圧者と正常血圧者で動脈柔軟性は尿中ナトリウム排泄量とポジティブに関係していることが示された。もちろん、この結果は血液量と前述した柔軟性とのポジティブな関係と一致している。
血流力学の完全性制御のためのレニンー/アンジオテンシン/アルドステロン/ナトリウムのメカニズムは良く理解されている。塩/血液量とレニン放出との逆相関は血圧と流量の制御についての通常機能の部分である。しかし、さらに活性化されたレニン/アンジオテンシン系は特に上昇した血圧に直面すると血管内皮細胞、平滑筋細胞、アテローム性動脈硬化症障害と関係した炎症に逆に影響を及ぼす。5.8 g/dだけの減塩は血漿レニン活性を3倍に増加し、塩摂取量と血漿レニンの関係は通常の塩摂取量の範囲を連続的に横切っている。減塩によっても刺激される増加したアルドステロン活性は同様の望ましくない心血管効果を持っている。減塩は副交感神経系を刺激し、インスリン抵抗性を増加させることも示されてきた。
塩摂取量の変化による影響の複雑性は塩と脈拍数の関係の外挿で最近示された。フォルコウは心臓の働きと心血管疾患に及ぼす脈拍数の増加の重要性を前に示した。減塩で血圧が下がる人々では、高い塩摂取量は実際に左心室の作業負荷を低下させ、これは塩感受性者を対象としたことを今まで示してきた。これに関して、非感受性者よりも感受性者で大きな心血管死亡率を明らかにしたワインバーガーによる最近の報告は、これらの多遺伝子特性は実際の臨床的に関連しているかもしれないことを示唆している。ワインバーガーの観察研究は実際の塩摂取量に関するデータを含んでいないので、塩摂取量がどちらか一方のグループ結果に影響を及ぼすかもしれないかどうかについて何の推論を引き出す可能性はない。
我々は一般的に薬物介入に関してこの必要性を認識している。しかし、いわゆる‘自然的な’介入の調査にはあまり注意深くなかった。このことは必ずしも常に賢明ではなかった。例えば、妊婦は妊娠中に血圧上昇と痙攣の危険性を下げるために20ポンド(約9 Kg)以下の減量をかつて忠告された。事実、減量はこれらの望ましい結果をもたらした。不幸にして、同時にこの介入は予期に反して胎児の疾患と死亡を増加させた。婦人はもはや妊娠中に体重増加を避けるようには忠告されていない。
減塩の総合的な健康効果
不幸にして、塩摂取量と寿命や生活の質とを関連させたデータは現在ほとんどない。減塩は血圧を下げる一方、成長を妨げ、寿命を縮めることも齧歯類で示されてきた。最低限の塩摂取量である文化変容を受けない社会の住人も寿命が短い。対照的に、6-12 g/dの著しい不均一な塩摂取量の先進社会では、寿命はほぼ2倍長い。塩摂取量が高い傾向にある日本では、寿命は世界最高である。したがって、弱い証拠にもかかわらず生態学的なデータは、減塩が寿命を伸ばすと言う示唆はなく、高塩摂取量が長寿見込みとも一致していないことを示している。
個々人の塩摂取量と健康結果は関係していると言う生態学的なデータは、塩摂取量が寿命や生活の質に影響を及ぼすかもしれないかどうかを決定する次のレベルの証拠である。不幸にして、この問題の強い関心にもかかわらず、残念ながら利用できる確かなデータはほとんどない。スタート時に測定した基準とその後の疾患率と死亡率を測定して様々な個人特性の関係を調査するために設計された10,000人の集団に基づく長期間研究であるスコットランド心臓研究は24時間尿中ナトリウム排泄量を測定して塩摂取量を推定した。この研究で、塩摂取量と心血管死亡または全ての死因との間に首尾一貫した関係はなかった。
3000人の治療高血圧患者によるその後の研究では前処理で24時間塩摂取量(5日間過剰の塩摂取量を止めるように勧告された後に測定)と基準の血漿レニン活性(PRA)を測定しており、その研究が示したことは、24時間尿中ナトリウム排泄量とその後の脳卒中と心臓発作との間に段階的で有意で独立した逆相関があったことである。この関係は全体としてグループについて保持されているけれども、層別後には疾患の75%を占める男性についてだけ有意であった。男性の間では、この関係は年齢、心室量、人種で層別化後でも持続した(図2)。不意にではなく、塩摂取量とPRAとの逆相関を考慮して、塩摂取量と疾患との関係の多くはPRAの量によって占められる。それにもかかわらず、多変量解析でPRAを計上後でも、塩摂取量は心血管疾患(CVD)イベントと独立した逆相関を保持していた。
我々のグループも塩摂取量とCVDや全死因死亡率との関係をさらに探索するためのNHANES Iの疫学的追跡データを解析した。全アメリカ人口を代表させるためにランダムに選ばれた成人14,000人のこの研究で、塩摂取量は24時間食事思出法に基づいて推定された。再び塩摂取量はCVD死亡率との逆相関を示した。塩摂取量で最低の四分位数の人々は塩摂取量で最高の四分位数の人々よりも心血管死因による死亡が20%以上髙いようであった。
ヒーと同僚達は同じNHANES Iの疫学的追跡データを再解析した。多分、述べられてはいないが、全データセットの彼等の解析から引き出された結論は既に発表されている結論とは違っていなかった。減塩に対する応答の予想される多様性と肥満効果がもっと大きくなるかもしれない可能性とを一致させて、この解析の焦点は通常サイズの大多数と肥満と分類された28%の人々における塩とCVDとの関係に置かれた。CVDの前兆のある参加者を除いた後、考察から心血管死の大きな部分を取り除いて、残ったサブグループの肥満者は塩摂取量と疾患と死亡との間に直接的でポジティブな関係を示した。肥満者でないこのサブセットの72%については塩摂取量とCVD疾患率と死亡率の限られた定義との関係はないことが分かった。これらのデータは、塩摂取量と健康結果との関係に多様性があるという予測と一致している。
まだ要約でしか利用できないが、幅広く引用されている利用できるMRFITデータの解析は、一晩の尿収集で推定された塩摂取量とその後のCVDイベントまたは死亡率との関係を見出せなかった。グラフによるこのデータの視覚的な考察は最高の冠状心疾患イベント率にするには最低の塩摂取量の人々についての傾向を示唆している。完全な解析はデータの発表を待たなければならない。
ごく最近発表されたものは2,300人以上のフィンランド人男性と女性による観察研究の結果であった。彼等の基準心血管危険率データは24時間尿中ナトリウム排泄量の測定を含んでいた。このグループには特別な関心がある。中央の塩摂取量は男性で205(1.5-32 g/d)、女性で154(0.7-29.7 g/d)で、それぞれ平均値で12.5と9.4 g/dであった。13年間以上の追跡で、増加した塩排泄量は急性冠状イベントと独立して有意な関係を生み出したが、脳卒中では関係なく、肥満男性だけであった。したがって、肥満でない男性の参加者の47%の中で、29 g/d以上の摂取量は明らかな逆効果とは関係してなかった。この関係は婦人では見られず、肥満してない男性でも見られなかった。興味深いことに、結論と要約は、関係は研究被験者の少数に適用したことを述べることに失敗した。その代わり、‘これらの結果は成人集団で髙塩摂取量の有害な効果の直接的な証拠を提供している’と彼等は結論を下した。
もちろん、NHANESのサブグループ解析の結果と幾分一致しているこれらのデータは、多分、塩摂取量の影響は被験者の特性に依存していることを当然に示唆していることが事実である。疑いもなくこの異質性は遺伝子の様々な影響、環境、塩摂取量とヒトの健康との相互作用に関する行動を反映している。
これらの疫学研究のそれぞれは非実験的技術に関連した弱さを持っている。認識していない混乱因子が様々に表れてくることや結果の両方に影響を及ぼすとすれば、それらの因子は結果をゆがめる。全ての研究は認識されている混乱因子についてコントロールしようと試みている。しかし、どんなに入念にしようと、不完全になるかもしれない。その上、全てこれらの研究は塩摂取量という単一の測定値に基づいている。そのような測定で避けられない個人内の変動は摂取量と結果との間の関係を弱くする傾向がある。6件の利用できる研究の内4件で、塩摂取量と結果との間に有意な独立した関係が見出されたという事実は、利用できるデータが塩摂取量と疾患率や死亡率との関係の本当の強さを過少評価しているかもしれないことを示唆している。低塩摂取量の利点と欠点は両方とも研究されたグループに依存する。要するに、罹患率と死亡率で反映される塩摂取量と健康結果との関係は弱く、首尾一貫していないことを利用できるデータは示唆している。したがって、存在している証拠は、塩摂取量だけが全集団についての適正で望ましい目標であることを非常にありそうもない提案を支持していない。これはヒトを特性付ける遺伝的、行動的、環境的異質性の点から驚くにあたいしない。
さらに必要なデータは何か
医学的または保健介入の価値を調査するための黄金基準はランダム化された比較試験である。目標は類似の被験者で偏向なく選択し、疑問の介入事項に関してだけ異なっている多数の試験をすることである。幾分驚いたことに、この手法の公表された潜在的な価値を考慮すると、そのような研究は心血管疾患の罹患率と死亡率に及ぼす塩摂取量の影響を調査する力を持っていなかった。しかし、幾つかのランダム化された研究はいくつかの健康結果を報告した。ウェルトンとその他の人達は、軽症高血圧者内で低塩摂取量/減量と比較被験者との間で頭痛、入院、等に差がないことを報告した。この研究で8人が死亡したが、彼等の病態分布は報告されなかった。
結論
論争は塩摂取量の影響について知られていることの多くをほとんど取り囲んでいない。塩摂取量の実質的な変動(4.4-6.8 g/d)は集計された血圧に測定できるが僅かな変化しか生じさせない。しかし、その効果は定かでなく、被験者は塩感受性と塩抵抗性として任意に述べられてきた。その効果は老人と高血圧者でより実質的であるように思える。低塩食を採用する決定は、この減塩が究極の健康影響に関して安全であるか、心臓を保護することになるかのいずれかであると言う証拠はないことを認識した上でされるべきである。明らかに、集団全体に塩摂取量の過激な減塩(30-50%)を公衆保健勧告とすることを正当化できない。
高血圧者について減塩は血圧を低下させる別の技術として考察される。心臓保護に対して、その効力、その安全性、その貢献は、他の抗高血圧治療-例えば、安全で効果があり心臓を保護することが示されている薬剤と比較して何もない。医療に対してエビデンスに基づいた手法に固執することは、これらの証明された薬物治療は効果がなく、容認できなく、または不十分である患者について減塩は残して置かれるべきであることを示唆している。減塩の使用は有効性と安定性の両方を調査するために注意深くモニターされなければならない。
如何なる健全で一律の塩摂取量勧告は生活の質と寿命に関する多くの結果の合計と言う知識を待たなければならない。その時まで、一律の食事勧告は科学的に正当化されない。