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論評:知らないことを認めることは進歩につながる

Commentary: Accepting What We Don’t Know Will Lead to Progress

By Martin O’Donnell, Andrew Mente, Salim Yusuf

Int. J. Epidemiol. 2016;45:260-262

 

 ほとんどの西欧諸国における塩摂取量は平均摂取量に地域変動はあるが平均約10.2 g/dである。全人口に5.1 – 6.1 g/d以下まで減塩することが必ずしも全てではないがいくつかのガイドラインで勧められている。世界保健機関 (WHO)は全ての成人人口に30%の減塩を勧めており、目標塩摂取量は5.1 g/d以下である。これらの勧告は集団間の平均摂取量に著しい変動があることと各集団内にも変動があることを考慮していない。塩摂取量についての論争は、鍵となるデータがない時でも、エビデンスの客観的な評価と公衆保健介入を進める圧力との間の断絶から生じている。論争は、血圧低下に及ぼす減塩の影響対塩摂取量と心血管疾患の長期的な関係の短期間研究に与えている強調の差と、臨床イベントに及ぼす減塩の影響を評価する信頼できるランダム化比較試験がないにも由来している。ところが短期間の試験は中程度(平均)から低摂取量による血圧低下を報告しており、前向きのコホート研究は低塩摂取量対中程度塩摂取量についての心血管疾患と死亡率の比較的高い危険率を集合的に報告している。いくつかの短期間研究は低塩摂取量によるレニンーアンジオテンシンーアルドステロン系の活性化も示しており、そのことはいくつかの前向きコホート研究で報告されている心血管疾患の比較的高い比率について生物学的な合理性を提供している。それらの高い塩摂取量(12.7 g/d以上)を中程度の摂取量(7.6 – 12.7 g/d)まで下げることは矛盾していない。血圧と心血管疾患のデータの整合性に基づいた一般的なコンセンサスがあるからだ。論争は、実質的にどの集団でもまだ達成されたことのない非常に低い摂取量(6.1 g/d以下)に塩摂取量をさらに制限すべきかどうかと言うことにもある。その摂取量は血圧に及ぼす効果がほどほどで、安全性について特別な関心がある範囲である。

 逸話風に言えば、論争はいずれも極端な論争を主張する小さなグループによって行われているように思える。片方には、現在の利用できるエビデンスは全員に非常に低い塩摂取量の勧告の採択推進を支持するには十分であると固く信じ、同時にこの結論を支持しない研究を故意に無視または攻撃するグループがある。別意見のグループは、心血管疾患予防に勧められている一番の戦略として日常的な基準としている非常に低い塩摂取量には、安全で心血管疾患や死亡率を減らすことを示す信頼できるランダム化比較試験がないことを強調している。心血管疾患予防についての可能性、効力、安全性が証明されていない減塩についての野心的な戦略を実行することは、証明されている効力(例えば、禁煙、高血圧者の脂質管理または血圧管理)の介入からの資源の転用をもたらす。研究文献から耳障りで論争的な解釈を引き出す公衆保健分野がいくつかある。

 革新的で興味をそそるメタアナリシスで、トリンコートらは意見の多様性を比較するために定量的なデータを提供している。269件の報告書(68件は主要な研究調査、10件は系統的なレビュー、9件は臨床実践ガイドライン、176件はコメント)を含む塩摂取量と健康に関する文献のメタ知識解析で、54%は集団レベルの減塩を勧め、33%は矛盾しており、13%は結論を下せなかった。研究がオリジナル、メタアナリシス、ガイドラインまたは論評であるかどうかに従って研究をさらに分けると、パターンは一層意味深くなる。ところがオリジナル論文(60)の大部分は矛盾したまたは結論を出せないデータを報告しており、ガイドライン(73)と論評(60)の大部分は減塩を支持していた。それらはまた引用に偏向があることも明らかにした。つまり、自分達の特別な立場を支持する研究を優先的に引用していた。トピック(14研究の中で5件は支持的で、9件は矛盾しているか、結論を出せなかった)の系統的なレビューの中で、選択偏向のエビデンスが明らかであった。それによって研究は、トピックの結論が系統的なレビュー(自分の立場と矛盾した研究はしばしば排除されたことを自動的に暗示している)の結論と一致しているかどうかを一層含めているようであった。

それではどうやって進歩していくか?

 第一に、科学が実際に系統的に偏向なく示されていることを客観的に報告する必要がある。不確実で信頼できる情報がない部分を明らかにして受け入れる必要がある。データが矛盾してない領域(例えば、12.7 – 15.2 g/d以上の高塩摂取量の人々または集団の塩摂取量を中程度の7.6 – 12.7 g/dまで下げる)対データが矛盾している領域とを区別する必要がある。特に摂取量が有害であるかもしれない関心があればなおさらである。[例えば、中程度の摂取量の人々の減塩(7.6 – 12.7 g/dから5.1 g/d以下に)、または心不全患者の減塩]。これは情報を与えるべきで、必要な研究を刺激し、現在のガイドライン勧告値を和らげる。臨床試験の必要性のほかに、測定法、ナトリウムの貯蔵と動態、多数の系(例えば、神経内分泌、炎症、免疫)に及ぼす生理効果や塩感受性の遺伝的な決定因子を含めて摂取したナトリウムの多くの点について多くを学ばなければならない。不明確なエビデンスにもかかわらず、確実性の声明を発することは研究するための障害物を作り出し、間違った政策に導くかもしれない。

 第二に、この分野で論争する時、ガイドライン委員会は特別な立場を主張してきた人々を排除し、その代わり、関係のない方法論学者や関連した分野(例えば、栄養学及びまたは心血管疾患疫学)の科学者達だけを含めるべきである。ガイドライン委員会は推奨者や政策立案者も排除すべきである。科学は特別な立場を支持する圧力や偏向をなくして評価される必要があるからだ。そのようなアプローチは現在の研究からの結果によって支持され、関心事に知的なそしてまたは物質的な軋轢のない委員会メンバーを確認する時に客観的なプロセスを必要としていることを示唆している。別のアプローチは研究を行ってきた人々と、無関係なガイドライン方法論学者や科学者達の大多数を除いてトピックに関して多様な見方を持った人々とのバランスをとることである。ガイドラインを作る過程で客観的な工程を主張することは本当にエビデンスに基づいた政策により導きやすくなる。既存の確信に挑戦する新たなエビデンスを無視するガイドラインや公衆保健政策を作り続けることを避ける必要がある。

 我々が知っていること、そしてもっと重要なことに知らないことを認めることは進歩への第一ステップである。社会や我々の患者は塩論争を解決する合理的でバランスが取れて偏向のないアプローチを必要としている。科学委員会はそのことを見失ってはいけない。