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塩、我々は皆さんを誤まらせた

Salt, We Misjudged You

By Gary Taubes

The New York Times SundayReview The Opinion Page 2012, June 3


(訳者注: 日曜版に投稿された読者の意見で、投稿者Taubes氏はかつて科学雑誌Scienceに論文「塩の(政治的な)科学」を投稿して話題になった。この論文の内容を「たばこ塩産業」新聞で紹介した。)

 

  ほとんど40年前の私が青二才時代に、健康に良い食事の本質に関する一般通念に最初の疑問を感じた。主題は塩であった。激しい運動後に塩を補給する必要はない。このアドバイスは健康なレポーターによって無視されてきた、と研究者達は主張していた。私が知っていることの全ては、私がメリーランド郊外の高校でフットボールをしており、8月の湿度の高い32℃の日に2試合でおびただしい汗を流したことであった。塩錠剤がなかったので、私は2時間の運動を続けることができず、その後、痙攣して駐車場に歩いて行けなかった。

 それ以来、運動中に汗で塩を失った時、本当に塩を補充すべきであることをスポーツ栄養士は勧めるようになってきた。一方、その他の時は何時も塩を避けるべきであると言うメッセージが強く残っている。塩摂取は血圧を上げ、高血圧を発症させ、若年死亡の危険率を増加させると言われている。この理由で農水省の食事ガイドラインは脂肪、砂糖、アルコールの前に塩を社会の一番の敵であると考えるようになった。疾病予防管理センター長が、減塩は禁煙と同様に長期間の健康に重要である、と示唆してきた理由でもある。

 それでもなお、この減塩主張は驚くほどに論争中で、擁護することは難しい。食品産業がそれに反対しているからではなく、それを支持する実際の証拠がいつも弱いからである。

 既に減塩が推奨されて25年過ぎた1998年まで遡って、塩の科学の状態を1年間研究する仕事に私が携わっていたとき、ジャーナルの編集者や公衆保健管理者は、塩が高血圧の原因であるとして説明する証拠には如何に根拠がないか、と非常に率直に評価していた。

 アメリカ医学協会誌の編集者であるドラモンド・レニーが私に言ったとき、減塩メッセージを推し進めている当局は科学的な事実を超えた塩教育を確約してきたことを何の疑いもなく皆さんは言っている。

 当時に帰ると、事実は単に塩が有害であることを示せなかった一方で、過去2年間に発表された研究からの事実は、食べている塩をどれくらい多く制限することが早死の予測を増加させることを実際に示唆している。簡単に言えば、我々がアメリカ農務省や疾病予防管理センターが推奨するほどに減塩すれば、自由に食べているよりも害がある可能性が生じてくる。

 どうして塩がそんなに有害であると言われてきたのであろうか?そう、アドバイスは何時も合理的なように思えた。栄養学者達は“生物学的なもっともらしさ”と呼ぶことを好んできた。より多くの塩を食べれば、血液中のナトリウム濃度を一定の状態に維持するために体は水を保持する。この理由で塩辛い食品を食べると喉が渇く。水を多く飲めば、 水が保持される。その結果は一時的に血圧を上昇させ、それは腎臓が塩と水の両方を排泄するまで続く。

 科学的な疑問は、この一時的な現象が慢性的な問題に変質して行くかどうかである:何年間も多くの塩を食べ過ぎると、血圧が上昇し、高血圧になり、その後、脳卒中になり、その後、若くして死ぬのであろうか?それはなるほどと思えるが、それは仮説に過ぎない。科学者達が実験をする理由は、仮説は真実であるかどうかを明らかにすることである。

 1972年に、国立保健研究所が高血圧予防に役立てるために国民高血圧教育計画を導入した時、意味のある実験はまだ行われていなかった。塩と高血圧との間を結び付ける最高の事実は2件の論文からによっている。一つは、ほとんど塩を摂取しない集団が実質的に高血圧にならないと言う観察であった。しかし、それらの集団は多くの物、例えば、砂糖も食べておらず、それらの物質のある物は原因となる要因であった。2たつ目は高塩食で高血圧を確実に発症させる“塩感受性の”ラット株であった。これらのラットの“高い塩摂取量”は平均的なアメリカ人が摂取するよりも60倍も多いことが罠であった。

 なお、計画は高血圧予防に役立つことが分り、予防計画は勧めるための予防法を必要とする。減塩は一時的に短期的な減量を伴う利用できるオプションに過ぎないように思える。1967年と1981年に減塩運動の主体的な提案者である心臓病学者のジェレマイアー・スタムラーからの2つの引用で、データは公的に“結論を出せない矛盾したもの”または“一定していない矛盾したもの”であったことを研究者達は遠まわしに認識していたけれども、塩と血圧との関係は仮説から事実へと格上げされた。

 NIH(アメリカ国立衛生研究所)は仮説をテストするための研究に莫大なお金を費やしてきて以来数年経って、それらの研究は不思議にも事実をより結論的にできなかった。その代わり、今日、減塩を勧めているアメリカ農務省、医薬研究所、疾病予防管理センター、NIHはすべて基本的に30日間の塩試験、2001DASH-ナトリウム研究からの結果に依存している。かなりの減塩は血圧を中程度に下げることをその結果は示唆していたが、減塩が高血圧発症を減らし、心疾患を予防し、または寿命を伸ばすかどうかについては何も示さなかった。

 影響力は大きいが、その試験は多くの試験の中の1つに過ぎなかった。研究者達が全ての関連した試験を読んで、試験を了解しようと努力した時、彼等はスタムラー博士の“一定していない矛盾した”調査を支持し続けた。昨年、2件のそのような“メタアナリシス”がコクラン共同研究によって発表された。その機関は、偏見を持たないで医学的な事実のレビューを行うために設立された国際的な非営利機関である。2件のレビューのうち最初の物は、減塩は血圧を下げるが、早死にしたり心臓血管疾患を患う人々の低下を確実に予測できる十分な証拠はない、と結論していた。2番目の物は、“低塩食が健康状態を改善するか、悪化させるかについては分らない。”と結論した。

 減塩は健康状態を悪くするという考え方は奇妙に聞こえるかもしれないが、生物学的にもっともなところもあり、今年、第40回記念を祝っている。1972年のN Engl J Medの論文では、塩摂取量が少ない人ほど、腎臓から分泌されるレニンと呼ばれる物質の量が高いことが報告された。レニンは心疾患の危険率増加で終えるように思われるイベントの生理学的連鎖を誘発する。このシナリオでは、減塩すればより多くのレニンが分泌され、心疾患になり、早死にする。

 ほとんど誰もが減塩で予測される利益に焦点を置いているので、潜在的な危険性を見出すための研究はほとんどされなかった。しかし、4年前にイタリアの研究者達は一連の臨床試験からの結果を発表し始めた。それらの全ては、心疾患患者では減塩は死の危険性を増加させると報告した。

 それらの試験は多くの研究で追跡され、政府の政策が“安全な上限”と見なしている所まで減塩することは良くするよりも悪くすることを示唆している。これらは30カ国以上で100,000人の人々に当てはまっており、塩消費量は時間が経っても集団間で著しく安定していることを示した。例えばアメリカ合衆国では、40年間、減塩メッセージを続けたにもかかわらず、この50年間で一定のままであった。これらの集団の平均塩摂取量(通常の塩摂取量と言われている)は1日当たり茶さじ1.5杯分で、連邦当局が50歳以下の健康なアメリカ人にとって安全な上限と考えている量のほぼ50%以上で、そんなに若くなく、健康でない人々に政策がアドバイスしている量の2倍以上である。集団と経過時間との間で、この一致は、どれくらい多くの塩を摂取するかは食品の選択ではなく、生理学的要求によって決められることを示唆している。

 1型糖尿病、2型糖尿病、健康なヨーロッパ人、慢性心不全患者を含む4件の研究が、通常範囲の下限の塩摂取量の人々が通常範囲の中程度の味で食べている人々よりもより心疾患になり易いと報告している事実を除いて、アメリカ人は全て高血圧を予防するために減塩すべきである、となお主張している。実際上、1972年の論文が予測したことであった。

 減塩運動に反対する人は食品産業界のサクラであり、減塩が命を救うことには関心を持たない、と言うことによって減塩運動の支持者はこの矛盾した事実を取り扱いがちである。公的に議論するために塩に関する科学は産業の術中に陥っていると、NIHの管理者は1998年に私に言い返した。“メディアで塩論争が続く限り、減塩推進者は勝つ”と彼は言った。

 (減塩すべきか、すべきでないかとは別に)農務省、食品医薬品局を含むいくつかの機関がアメリカ人にどのようにして減塩を進めさせるかについて議論するために昨年の11月に公聴会を開催した時、これらの支持者は、低塩食による障害を示唆している最近の報告は全く無視すべきであると主張した。疫学者でありDASH-ナトリウム試験の共著者であるローレンス・エイペルは“本当に新しい物は何もない”といった。1980年代以来減塩食を勧めてきた心臓病学者のグラハム・マグレガーによると、それらの研究は我々を少し挑発して小さな苛立ちを起こさせた以外の何ものでもなかった。

 一般的に信じられていることに反する研究は、一般的に信じられていることだけで十分であるという根拠に基づいて無視すべきであると言うこの態度は何十年間ものあいだ減塩運動の基準であった。多分、今や一般的に信じられていることは変えられるべきである。進化論支持のダーウィン信奉者として知られるイギリスの科学者で教育者のトーマス・ハックスレイは1860(筆者注:ダーウィンが「種の起源」を発表して7ヵ月後の18606月末にオックスフォード大学自然史博物館で進化論を巡って論争が行われた)に進化論を戻すのが一番良いのかもしれない。“私の仕事は、私の熱い願望が事実と一致していることを教えることで、事実を私の熱い願望と一致させようと努めて、一致させることではない。”と彼は書いた。