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塩と健康

塩協会ニュースレター 2011年第四四半期

科学がガイドラインを決めるとき

Morton Satin:塩協会副理事長、科学研究担当

 

 食事ガイドラインは惨めな失敗を犯してきて、消費者に有益な影響よりもずっと悪い影響を与えてきたと判明されてきたことを認めることは分り難い。栄養に関するマクガバーン委員会の後で、食事ガイドラインは自己満足の予言となった。食事ガイドラインはアメリカ人を病人として扱い、それが現実となってきた。ガイドラインが食べ物を思慮深い成分に分解した瞬間から、アメリカ人は全体の食事の中で自然食品の役割についての理解を失った。ニンジン、マス、リンゴ、ローストチキンの代わりに我々はベーターカロチン、コエンチームQ,フラボノイド、オメガ‐3脂肪酸ルテイン、リコピンで終わる。世代を通して伝えられてきた我々の食事文化はタンパク質、脂肪酸、複雑な炭水化物、繊維、ミネラルのような個々の食事成分の奇跡または脅威に関して24時間繰返しニュースで流されるちょっとした珍味で困惑させるごたまぜの食事によって置換えられてきた。それらの栄養素は食事全体で必ず摂取されるのに、どれかを適当に食べたいと誤解している。老人は食事ガイドラインよりも合理的なアドバイスをしてきた。

 その過程は、食品会社が提供する消費者から食品会社を遠く隔ててきた。製品はもはや消費者の必要性や欲求を満足させるために開発されて来たのではなかった。製品は食事ガイドラインにならって作られてきた。今日では、ジュースやデザートを含めてあらゆる種類の入手できる食品製品に表示されている繊維やオメガ脂肪酸を見る理由がこれである!良いカルシウム源として広告されている制酸錠剤を見る理由がこれである!食事ガイドライン以上に食品や食事について消費者の理解をゆがめてきた課程を想像することは難しい。

 食事ガイドラインの課程は恵み深いものではなく、信じさせようとした客観的な課程である。最初に5年毎に発表されたとき、全ての関心を持っているグループは食事ガイドライン勧告委員会に彼等の推薦者を入れるように極端に要求している。科学的事実の優位性についての客観的な評価の意見は、科学的であるよりもはるかに政策的である課程によって全体的に妥協して処理される。課程自身は客観的ではないが、塩協会から保健福祉省や農務省にプレスレリースや手紙で明らかに指摘した。

 最も言語道断な事例の一つは食事ガイドラインの電解質の章である。電解質に関する2010年のDGAC小委員会の議長は2005年の食事ガイドラインと正確に同じ内容で取扱った。実質的に議長は彼の前の勧告を評価した仕事を受け入れた。

 このパロディを一層拡大するために、この同じ個人が一日参考摂取量の設定に責任を持つ電解質と水についての一日参考摂取量に関する専門委員会の議長であった。再び、個人が彼自身の勧告を評価する仕事を与えられた。同じ人に基準作りを先導させ、自分の勧告を評価する役割を与え、5年後には再び自分の前の評価を評価させるように特別扱いするとは、厳正で、独立して、客観的で、解析的な課程と言えるであろうか?

 客観的な課程と言われていることに同じ支配的な役割を引受けさせることから忌避するように個人を誘導するのが倫理ではないか?そして事実は全くその通りだとしても、電解質についてのガイドラインは違うように終えないのだろうか?

 しかし、医学研究所も農務省も食事ガイドラインのスポンサーであるが、どちらもこれに対して反対を示さなかった。−電解質についての食事ガイドライン検討課程では客観性はどこにもなかったことを明らかに示している。

 食事ガイドラインは政治的な環境で決定された科学の産物であると考えられた。その代わりとして食事ガイドラインは科学の環境の中で決定される政治の産物となってきた。

 

消費者には沢山のより良い情報を与えなければ。