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塩と健康 Vol.2 No.4 Fall 2007

全体食 − 食べ物選びの考え方

Morton Satin − Salt Institute

 暮らしの中で意志決定する時、しばしば多くの情報があり、それが多すぎる時に必要なことは考え方と意味付けである。我々が食べている食べ物について決定してみよう。
 物を食べると、身体は食べ物や飲料を(咀嚼など)機械的、化学的に身体が必要とする物質に食べ物を換えて行く。この非常にダイナミックな工程、すなわち消化は異化作用と同化作用の2つの工程を持っている。異化作用は分子を分解して利用できるエネルギーや栄養素とする。一方、同化作用はこのエネルギーや栄養素を利用して身体機能の発揮に必要な成分を構成あるいは更新する。

明るすぎると目がくらむ。木があるために森が見えない。
Christoph Martin Wieland 0n Musarion [1768], Canto II

 この工程はダイナミックである。酵素が関与した数百の分解や合成が同時に行われ、身体の組織を再生、再構築する。1ヶ所でいくつかの重要な栄養素がないと、相互作用工程は停止あるいは別の方向−多分、筋肉タンパク質の生産から脂肪貯蔵の方へ変ってしまう。例えば、パンだけを食べると、必須アミノ酸のリジンが非常に少ないためにタンパク質生成に対するパンの栄養的な寄与は損なわれる。他方、比較的リジンが多いミルクをパンと一緒に食べると、一緒に起こる異化作用は身体のタンパク質を補充するためにより適当なアミノ酸を生成させる。一緒に食べることにより、パンとミルクの栄養上の相乗作用から、それぞれの食べ物を単独で食べた時に得られる価値よりも大きな栄養的価値が得られる。1回の食事でパンだけを食べ、次の食事でミルクを食べると、相補性はなくなる。この例は、消化のダイナミック性を理解することの重要性と個別の成分よりも食事全体を一緒に食べることを考えることの重要性を明らかに示している。
 消費者は消化を十分に理解していないので、健康に良い食事をするという一般的な目標を損なう食べ物を選ぶことになる。食べ物について消費者に知らせる多くの努力は、全体の食事という考え方から離れて個別の栄養素や成分に焦点を置いてきたからである。アメリカの食品表示や、それにいくつかの栄養素の一日目標摂取量が表示されていることが良い例である。表示に記載されている栄養の一日摂取量リストは、食事全体からではなく単独で個別の栄養素が摂れることを表している。全体の食事としてこれらの栄養素を併せることが一日の総カロリー摂取量とも関係している。
 個別の栄養素を考えることには2つの理由がある。第一に、単一栄養素に焦点を当てることは明らかに医学文献の読者に対することである。ほとんどの栄養研究は単独で個別の栄養素を調べている。食事に対してそれぞれの栄養素の特別な役割や寄与を強調するために、研究は特別に設計された食事でしばしば行われる。しかし、人体の代謝を理解するために安易で代替的な科学的研究は明白な答えを正しい答えにはできない。人為的な研究方法を超えて食事を全体として考えると、個別の栄養素がお互いに相互に作用しあう影響のために、通常、結果はまったく異なってくる。実際の生活でたまたま成功する多くの自然にあるかもしれない癌の栄養治療で遭遇することがある。    

                    

消化器官の生理学

ほぼ全長を表した伝統的な消化器官図

   1.上顎、2.下顎、3.舌、4.口内の天蓋、5.食道、6.気管、7.耳下腺、   8.舌下腺、9.胃、10.肝臓、11.胆嚢、12.胆管、13.十二指腸、14.膵臓、
     15.小腸、16.盲腸、17-20.大腸、21.脾臓、22.上部脊柱

 食事全体を考えるのではなく単一の栄養素に焦点を置く第二の理由は一般的に言われていることを背景にしている。食品産業会社、医療専門家、消費代弁者のような特別な関心を持ったグループは容易に単一栄養素に注意を向ける。しばしば彼等は狭い範囲の栄養科学を理解しているだけである。現実には複雑な消化工程がある時でも、彼等の単一栄養素に対する主張は商業上の要求から来るもので、その要求は簡単で容易に食事問題を解決できるようにするためである。単一栄養素は、例えメッセージが間違っており、あるいは何の利益をもたらさなくても、簡単にそのメッセージを伝えられる。簡単なメッセージは人々やマスコミを引き付ける。あえて危険を冒しても我々はそれらのメッセージを“がらくた科学”として簡単に忘れてしまう。我々は単一栄養素推進を真剣に取り上げなければならない。その推進が、どのような食品や食事が全てを満たしているのかという消費者の判断を誤らせるからであ
る。

 個別の栄養素が食事全体の考え方にあたえる影響を調べることは難しい。しかし、これはどのようにして栄養素が代謝されるかの基礎であり、したがって、どのようにして食品を選べば健康に役立ち、あるいは害する食事を構成できるか、を理解するための手段を我々は消費者に与えなければならない。したがって、消費者に情報を提供する目的に対して個別に栄養素を考えていくことが消費者にとって本当に機能的な利益になっているかどうかということが問題として残されている。脂肪を非難し、食物繊維を勧める広報活動が健康的な食べ物選択に役立ち、良い食事につながるのであろうか?個別の一日目標摂取量の概念がより良い生活をしていく上で消費者に食事の役割をよく理解させることになるのであろうか?表示されている栄養データが情報を与えることは疑いもないが、栄養素の考え方から外れて栄養素を摂ることによって将来の見通しに近づけられる。

              

1950年代の初頭以来、地中海食の健康促進効果が一般的に認められてきた。地中海食の特徴は、豊富な植物性食品(果物、野菜、パン、その他セリアル、豆、ナッツ、種子)、一般的な日常デザートとしての新鮮な果物、主要脂肪源としてのオリーブ油、酪農製品(主としてチーズやヨーグルト)、中程度の魚や家禽の摂取量、毎週0-4個の卵、少量の赤肉、食事する時に中程度のワイン摂取量である。この食事は地域を通してエネルギーの25%以下から35%以上までの範囲の総脂肪の中で飽和脂肪が低くい(エネルギーの7-8%以下)ことである1)。事実、有名なDASH食はモデルとして地中海食を使って設計された。しかし、ほとんど議論されないことは、地中海食中の食塩含有量がアメリカ食で勧められている水準よりもはるかに高いことである。これは単一栄養素主義を混乱させる全体食主義の別の例である。

             

 イタリア、ローマの国立栄養研究所にあるWHOの栄養共同センターのLeclercqFerro-Luzziの報告によると、イタリア人男性は24時間尿排泄に基づいて11 gの塩に相当する1日当たり4400 mgのナトリウムを摂取している2。成人が自由に摂取する食塩摂取量は総摂取量の36(男性)から39(女性)まで変ることも観察されている。そのような水準では、ちょうどイタリアにおける自由な食塩摂取量はアメリカのナトリウム1日当たり目標摂取量(2400 mg)の大体75%の量である。多くの地中海食品はもちろんチーズ、オリーブ、塩蔵魚(たら、アンチョビ)、魚卵などのように十分塩分が含まれているので、自由に摂取する塩の大部分は食事の大部分を占め、欠かせない色々な野菜を食べ易くするために使われる。
 政策立案者は血圧のような中間の変数よりも食事変化がもたらす健康に焦点を置くべきであるが、広く議論されている血圧DASH-ナトリウム試験は全体食の効果を示している。データが検討されたとき、典型的なアメリカ食(青線)からDASH地中海型の食事(赤線)に変ることは一つの栄養素、塩の摂取量を低下させるよりも血圧にはるかに大きな影響を及ぼすことは直ぐに分かる。

      

 ナトリウム消費量を現在勧められている摂取量に減らすことは収縮期血圧を平均2.1  mmHgだけ下げた。しかし、ナトリウム摂取量をまったく変えないで、通常の食事からバランスの採れたDASH食に変えることは収縮期血圧を5.9 mmHg下げ、それはナトリウム低下で下げる値のほぼ3倍であった。このことは全体食の影響を示しており、地中海の人々が高い食塩摂取量にもかかわらず、どうして優れた心臓血管状態を維持しているかを明らかに説明している。果物や野菜の摂取量を著しく増加させることはDASH/地中海食モデルの主要素であるので、前述したイタリア人の例を見ても、現在勧められている1日当たりナトリウム摂取量(2300 mg/)が現実的であるかどうかを問うことはまったく現実的である。最も重要な食品は苦いあぶらな科の野菜である。それらには塩はないが、提案されている多くの栄養素を含んでおり、(苦味に弱い)大人や子供達にとって口に合うものではない。心臓血管疾患の発症に対する地中海食のメリットに加えて、すべての他の健康要因は著しく改善される。全ての科学的な事実に基づくと、果物や野菜は一番安く容易に利用でき、直面している最近の健康チャレンジで良い影響をもたらす最も有益な食品である。健康に良い影響を及ぼす物の階層を考えると、バランスの採れた地中化食を維持することが減塩よりもはるかに重要である。塩は伝統的にこの食事を受け入れてきた安全な調味料である。
 我々の健康は食事によって大きな影響を受けることはほとんど疑いない。単一栄養素の影響に関するすべての誇大宣伝にもかかわらず、ほとんどの栄養学者や食事療養学者は、地中海諸国で行われているような果物や野菜を沢山食べて、全体的にバランスの採れた食事をすることの決定的な重要性を支持している。
 食べ物は単独で食べる物ではない。塩はその良い例である。イタリア人は1日当たり11 g近い塩を摂取しているが、イタリア人の心臓血管の健康状態は世界で一番良い。何故か?彼等は非常にバランスの良い食事をしているからである。
 ビル・クリントン大統領の最初のキャンペーンで有名なテーマ “経済、ばかな!”は八百屋や食堂に対して現実的な展望を復活させるために必要としているテーマを単一化する事例である。復活が重要である。単一栄養素を発見し、全体食に集中することを忘れる前に母の教えを思い出そう。この一つの食品あるいはあの一つの成分を悪く言う代わりに、食べている物全体に焦点を与える必要がある。“全体食、ばかな!”
 単一栄養素に焦点を置くことは森を見ないで木だけを見ているようなものである。我々は英知を提供するという考え方を忘れている。我々は食べ物の選択で不当な確信を取替え、約束された効果が具体化できなかった時、あるいは来週の新聞が“良い”栄養素が悪く、“悪い”栄養素が良いと書く時、我々はショックを受け、失望させられる。

“何時も心配しながら食事すれば、健康を
求めても退屈な病気になってしまう”
George Dennison Prentice (1802-1870)

 単一栄養素に焦点を置くことは必然的に意図しない結果をもたらす習慣を引き起こす。一例として、食品標準局の減塩運動によって扇動されているイギリス教育長官は、学校の食堂に塩容器を置かないように要求した。テレグラフ紙記者のポール・イーサムは、彼の14歳の娘が学校で野菜は刺激がないので食べないように言われた、と言った3)。野菜が含んでいる栄養素はすべて手を付けられないで皿に残り、栄養素、健康、お金は完全な廃棄物となる。野菜が美味しくないからである。幸いにも彼女は家で野菜を食べることができ、野菜を美味しくするために塩を加えている。
 近視眼的な単一栄養素を主張することは量を質に取り替える。消費者は消化できないほど多くの情報を得ている。ほとんどの部分について、消費者は単一栄養素勧告を受け入れないが、経験的な知識からでは吸収できない。その主張には概念がなく、全体食として相互作用や機能を発揮する他の栄養素がないからである。その代わり、我々が必要としているのは、全体食の中でどのようにして賢く食べ物を選ぶかについての質の良い情報である。単一栄養素を過剰に主張する現在の情報は我々にはあまり役立っていない。その主張は食べ物選択を誤らせる。表示シンボルや食品スコアーはまさに困ったもので、食べ物を個別に分離しているからである。これらの情報システムはバランスの良い食事を危険に曝す。ちょうど実際の疾患の最終段階よりも疾患の危険因子に焦点を置く時に我々が間違いを犯すようなものである。つまり、全体食の森よりも単一栄養素の木に焦点を置くことによって自分自身や公衆保健を間違わせるようなものである。

  1)    W.C. Willett, et al, Mediterranean diet pyramid: a cultural model for healthy eating,
  American Journal of Clinical Nutrition June 1995 61(6S):1402S-1406S
2)   C. Leclercq and A. Ferro-Luzzi, Total and domestic consumption of salt and their
  determinants in three regions of Italy,
Eur J Clin Nutr. 1991 Mar;45(3)151-9
3)  Paul Eastham, Take this ban with a pinch of salt,London Telegraph, Nov., 13 2006

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