塩と健康 Vol.1 No.2 Spring 2006

事実に基づく公衆保健:

凡説以上のものを

 

 公衆保健は“人々が健康になれる条件を確認するために学会として我々が集合的に行うことである”(1)。国民として我々は、政府機関が健康リスクに関する事実をまとめ解決策を工夫するに必要な長期展望と専門知識を持っていると期待して、開発、実行、この仕事の監督を当局に任せてきた。

 伝統的な治療法、市場から消えた他の医療や治療器、または専門家達の間で声高に論争されながら別の長く推奨されてきた食事療法を反駁する見出しが毎日報じられると、政府への信頼性はゆれる。我々が信頼していることは間違っているのだろうか?政府は、科学者や医者とヒトの健康に関するあらゆる観点から蓄積されたデータの書物を無制限に利用できる。どうして避妊薬や政策は混乱、反対、論争で悩まされるのであろうか?

        人々は不十分な証拠や十分な証拠の悪い使い方あるいは

  その両方で損害を被ることがある。これを避けるように

  心懸けなければならない。

 JENICEK & STACHENKO, 2003 (2)

 この疑問に対する答えは疑問そのものにある。専門家もデータも共に国民保健政策の基礎と普及の根拠となるものであるが、これら同じ2つの要因はその不確実性の主要な根拠となっている。理論的に、有効性の科学的根拠は計画設計と政策決定に賢明に組み込まれる。しかし、現実的には、そのようなことは必ずしも当てはまらない。政策立案者でさえ、政策立案過程と立案した政策に主観と個人的な解釈が影響を及ぼすことを認めている。実際にはTask Force on Community Preventive Servicesが述べているように、政府の公衆保健政策の決定はしばしば“…重大局面、目下‘焦眉の’問題、組織された関心者グループの関心事によって動かされ”、その結果として、“政策や計画は隠れた根拠や経験的な事実よりも専門家の意見からしばしば進められる”(3)

         

経験的根拠があるとは言えない

 残念ながら我々は、十分な根拠はないがもっともらしい理論に基づいて、多くの公衆保健政策を例証できる。一番良い例が、閉経女性は補助的にホルモンを摂取すべきであると言う勧告である。ホルモン補充治療法(HRT)はやむにやまれぬ論理を提供している。すなわち、女性は健康であるためにエストロゲン、プロゲステロン、他のホルモンを必要としている。閉経女性は、体調が悪くなったとき、生活の過程でこれらのキーとなるホルモンの量を減少させている。したがって、これらの失われたホルモンを補って健康を取り戻そう。HRTの実験は、それが問題の症状を軽減させることを示した。理論はもっともらしいが、結果は無惨であった。健康上の利益を示す根拠がなくても、この症状を受けやすい人々を助けるためにヒーディングは“何かをする”ことを呼び掛けている。公衆保健当局はHRTを進めた1960年代に帰る。当時、研究を進めると治療を受けていた人々で肺ガンや心臓発作が増えることが分かった(4)。今ではU.S. Preventive Services Task Forceは通常のHRTに対抗して勧めている(5)

 他の人々のように公衆保健推進者達は共通の良いことを勧めることを望んでいる。彼等は人々により長く、より健康に生きることを望んでいる。しかし、彼等は集団心理に陥りやすい。子供の科学プロジェクトの結果に基づいて集団介入を行う人は誰もいない。しかし、有名な大学や名声のある専門機関の専門家グループが “根拠”を持っていると主張する介入を擁護すれば、それを実行するようになり、公衆保健当局は抵抗して、圧力は冷淡で無能で悪いと決め付ける。けれども利用できるデータを冷静に解析するための厳格な実行規則に頼る必要があるという集団心理が働くと、それが正当になる。

 公衆保健当局と個別の医者達による決定は意見や伝統よりもより客観的な科学に基づく必要があるという関心から、1993年の国際的なコクラン共同研究の結果に行き着いた(6)。この名声ある最先端の優れた業績から、医療業務や公衆保健政策は“事実に基づか”なければならない、すなわち、科学的な結果を選択し解析する信頼できる過程の最終結果でなければならない、という新たなコンセンサスが芽生えてきた。研究結果の選別と検討は間違いや偏向を持ち込まないことを保証する堅実なガイドラインである。

専門家の意見

 世界には数百万、否数十億の専門家意見がある。あなた自身の知識もその中の一つである。“専門家達”のいろいろな意見は洞察力を提供するが、専門家の意見はただの1意見に過ぎない。公衆保健政策が意図した目的(集団の健康を促進し守り、疾患を予防する)に適うものであれば、それはランダムな証拠や専門家の恣意的な解釈に基づいてはならない。科学的な真実は多数の投票によって決められない。歴史上最も輝かしい科学者達の多くは観察した客観的な真実にもかかわらず同僚から笑われ、迫害されてきた。

        科学は事実である;ちょうど家が石で造られているように、

科学は事実で構成されている;しかし、石を積み上げた物

は家ではなく、事実の集積は必ずしも科学ではない。

JULES HENRI POINCARÉ, LA SCIENCE

ET L’HYPOTHÈSE

 事実に基づいた医療分野は1990年代初頭に医療専門教育計画で授業手段として導入され、今では医学分野全般に渡って幅広く実行されている。

           

 もちろん、全ての研究者達は、結論が“事実に基づいて”いるという自分達の研究や全ての政策立案者達の主張の正当性を擁護している。したがって、“優れた科学”または“事実に基づいた”政策であると自分で発表するには外部の客観的な基準を必要とする。しばしば、政策立案者達は“証拠の優位性”または“重要な科学的一致”に基づいた彼等の政策について権威を主張する。これはまさに“証拠に基づいた政策”に反する。証拠に基づいた結論または政策は、それが量ではなく質、ほとんどのデータではなく最も良いデータに基づいた研究の質から導かれる。

 証拠に基づく医療(EBM)への関心は、最新の情報、広範囲に渡る医学文献、この情報の伝統的なデータ不足(例えば、時代遅れの教科書、偏向した専門家達、効果のなく続けられてきた教育法)、この活動のためにほとんどの臨床医に利用されるその時代の拡大していく大量のデータを吸収することの難しさに遅れないで追従していく必要性を認識することから生まれる。これらの難しさを乗り越えるために、いくつかの方法が開発され、提供されてきた。その中には、高い品質の臨床試験や結果を調査した総合的なレビューの数を増やすこと、オンラインの保健情報データベースや証拠に基づく科学雑誌の利用、事実の妥当性と検索を効率的に行い評価するための戦略の開発がある。

 これらを同時に実現することやそれらを乗り越える手段、すなわち、EBMは今では公衆保健を含めて多くの保健教育で採用されてきた。証拠に基づいた保健政策(EBPH)は“発展、実行、科学的論法を原理として採用することを通した公衆保健の効果的な計画や政策の評価、それにはデータや情報システムの系統的使用、行動科学理論や計画実行モデルの適正な使用が含まれているものとして定義されている”(7)。多くが“証拠に基づいている”と主張しているが、本当の証拠に基づいた戦略は次のことを要求している(8)

  関連した疑問の明確な描写

  疑問に関連した文献の徹底調査

  証拠の批判的な評価と状況に応じた応用

  問題に対する結論のバランスを持った応用

  介入、政策、計画の有効性の評価

 証拠に基づいた実行の基本的な原理は批判的な評価と証拠の考え方に中心を置いている。証拠は“証明を伴うもの” として定義される一方、証拠は必ずしも完成し、客観的で、有用であることはない。臨床または政策決定を支持するために使われる証拠は第一に、EBM創始者が“教化された懐疑論”を要求していることで考察されなければならない(9)EBM法の実行者は証拠自身を知っているだけでなく、その価値、その効力(それが使えるか?)、与えられた条件下でその有効性(それが行われたか?)、特別な重要性、すなわち、その証拠によって許容される推論の強さについても知っていなければならない。

 EBPHの実行は最初に問題の声明を発することで始まる。事例としてHRT勧告を使うと、問題は閉経後症状の多様性である。どの様な行動が社会的に安全で効果的にそれらの症状を発症させる危険性を少なくするように採られるのであろうか?これを決定するためには、EBPH工程における次のステップは、エストロゲンやプロゲステロンの合成代替物の総合量で女性にピルを与える効果に関する文献を調査することである。しかし、文献は特質を変える研究(本来の設計または介入の実行で生じたこと)を報告している。必ずしも全ての証拠の価値が等しいわけではない。例えば、事例報告は証拠の形態を持っているが、集団にわたってその価値は二重盲検、偽薬コントロール・ランダム化試験に対して著しく劣っていると判断されなければならない。

 データの品質を調べるために、エビデンス・ピラミッド図1として参考にする証拠の階層は、最初に研究設計に基づく各種データ源に対する異なった価値水準を指定するためにEBNで使われる(10)。保健政策のためには、ランダム化されたコントロールのある試験(RCT)で得られたデータは介入の有効性を決定するための最適基準として考えられている。しかし、RCTのカテゴリー内でさえも、試験結果の価値に影響を及ぼすいくつかの要因がある。RCT研究設計で問われる疑問のいくつかには次のことがある:
  
             

  (ランダム化される前)の調査集団の出典は何であったか;すなわち、特別な性質について選   択されたか?

  介入の期間が仮説の効果を出す、あるいは出さないために十分な介入期間であったか?

  試料の大きさが与えられた効果を観察し、調査コホートを超えて一般化されるに十分大きかっ   たか?

 プロトコール、試料の大きさ、RCT内の結果、食事介入で一般的に観察される相対的に小さな変化といった多様性のために、意味を引き出そうとメタアナリシスの技術が使われている。メタアナリシスは予め決められた客観的な品質基準に合わせた個別の調査結果を一緒にして、その後、単一の大きな調査として一緒にしたデータを解析するために受け入れられる統計処理法を使う。

  EBPHでは、決定が(密接にモニターされる1疾患患者よりも) 全集団に影響を及ぼす場合には、証拠に基づいた公衆保健政策は、付加的な要因が研究で得た証拠と結びつけて考えられることを要求する。これらの一つは与えられた政策効果の程度である。例えば、実行するとすれば、目的とされている治療条件の高い危険率を持った個人だけでなく、国民大多数の健康にも対しても国民に食事勧告をすることに利益があるか?

 さらに、EBPHは完全性の評価基準を満足させなければならない。研究で得た証拠は要求されている全ての情報を提供するか?調査プロトコールがコントロールされた調査設定にポジティブな結果を生み出すことに成功すれば、この同じ結果が設定以外の美食家個人の間で必然的に達成されるかどうかをEBPHは問わなければならない。調査集団が十分に集団の代表であったかどうかを考えなければならないし、あるいはたまたまの事例のように、いくつかの特性または条件のために注意深く選ばれた参加者を構成しているかどうかを考えなければならない。最も重要なこととして、EBPHは予期しない介入効果や何らかの逆効果、あるいは介入による可能性のある危害に関する情報を追求しなければならない。完全性についての必要条件は、介入の結果として将来に起こるかも知れない何らかの負の効果と同様に、コントロールされた介入中に生じるかもしれない逆効果の考察を含めて公衆保健政策を決定することを要求している。

            

 最終的に何が採用される行動の重要性を決定するかは、意図している結果が達成されたかどうかで、言い換えれば、それが使えるかどうかである。したがって、証拠に基づいた工程の最終段階は介入の評価である。それが危険因子の発症を低下させたか、死亡率を下げたか、生活の質を向上させたか?証拠、つまり最高の証拠がポジティブな効果を示せば、明らかに計画または政策は続けられるべきである。そうでなければ、事実に基づいた工程は別の戦略を明らかにするために再使用されるべきであるし、または望んでいる結果を達成させるために可能性が証明されている他の戦略を採るべきである。政策決定が“専門家の意見”または“逸話の証拠”に基づいて定められていないで、むしろ現在最高の証拠を忠実に明白で賢明な使用からEBPHで確実に誘導する適切な道具となっている。

 証拠に基づいて結果を誘導する公衆保健政策は大きな社会的利益をもたらす。明かなこの事例は喫煙である。ここでは、喫煙の健康に及ぼす逆効果に関するデータは繰り返しても一定であり、したがって、この習慣を減らすために国民の努力は強い証拠に基づいている。この保健政策は効果的で有効であることが示され、促進することを続けるべきであることに異論はない。逆に信頼できる証拠に基づかない保健政策は“政治的に正しい”介入へとデータを使うことになり、保健政策が作られても社会にはほとんど、あるいは全く利益がない。そのような政策は結果的に失望するものになり、公衆保健政策リーダーの信頼性を傷つけることになる。我々は、あれこれの行動を要求する声の量ではなく、証拠の質に基づいた政策を必要とする。