保健の科学 第35巻 第9号 662-664ページ 1993年
連載9 食塩と高血圧
減塩の遵守性
橋本壽夫
日本たばこ産業株式会社
海水総合研究所所長
減塩の効果については先に述べたが、必ずしも何時も効果があるとは限らない。これには食塩感受性の問題もあるが、減塩の程度の問題もある。さらに、その減塩の程度によってそれが遵守できるかどうかという問題もある。また、それではどの程度の減塩をすれば高血圧を予防できるのだろうか、という疑問も出てくる。今回はこのような問題を考えてみる。
高血圧発症率に及ぼす食塩摂取量の限界値
高血圧発症率と食塩摂取量との関係ではナトリウム摂取量に限界値があると考えられている。図1に示すように、100 mmol/日以上にナトリウム摂取量が増えても集団全体の高血圧発症率にはあまり影響がない1)。ナトリウム摂取量が約70 mmol/日の限界値以下では、高血圧発症率をゼロまで減少させられる。30 mmol/日以下の摂取量しかない社会では高血圧症がない2)。これは疫学的にも裏付けられている。
ジルらは正常血圧者と高血圧者に3段階の食塩負荷をかけた試験をそれぞれ7日間行なった。通常負荷(109 mmol/日:6.4 g食塩)、低負荷(9 mmol/日:0.5 g食塩)、高負荷(249 mmol/日:14.6 g食塩)である。食塩感受性者でも食塩摂取量が6.4 gから14.6 gの変化では血圧は変わらなかったが、6.4 gから0.5 gの変化では血圧は下がった3)。
このように、ある値を境にして血圧の変化に差があることが臨床的にも裏付けられてきた。しかし、どこがその境であるかについてはまだ解っておらず、食塩摂取量を180〜160 mmol/日から80〜70 mmol/日まで下げたいくつかの研究で、血圧の変化が現れたり、現れなかったりしているところから、高血圧者に対するナトリウム摂取量の限界値は50〜100 mmol/日(3-6 g食塩)の問にあると推定されている。
中程度のナトリウム制限効果と遵守性
ワインバーガーらは治療中の外来高血圧患者114人に対してナトリウム摂取量を80 mmol/日以下にする試験を30週間続けた。114人のうち16人が途中で脱落した。これらの患者は最後まで続けた患者に比べて、拡張期血圧が低く、降圧剤を服用する回数が少ない傾向にあったので、減塩を続ける動機が弱かったのではないかとしている。しかし、86%は外来患者でありながら減塩を遵守しており、その結果、降圧剤の服用回数を減らしながら血圧を下げることができ、中程度の減塩効果の有用性を示した。高血圧患者のうち、より多くの降圧剤を服用している患者のほうがナトリウム摂取量制限を続ける可能性が高い、としている4)。
同じグループのミラーらは高血圧予防の観点から健康で正常な血圧を示す子ども149人に対してナトリウム摂取量を75
mmol/日以下に12週間減塩して、血圧の応答を調べた。最初は64家族206人の子どもで計画したが、計画を説明した段階で18家族は家族の中に3カ月間も食事制限を守ることができない人がいる、ということで参加しなかった。2家族は途中で脱落し、結局44家族149人の子どもが試験終了まで減塩した。その結果は、正常な血圧の子どもでは中程度のナトリウム制限を守っても、必ずしも血圧が下がるとは限らない5)、と言うことであった。
同グループは正常血圧成人でも同様の試験をしている。46家族の成人82人に12週間75 mmol/日以下の減塩を行なった。この場合、途中で脱落した家族はいなかった。結果的には全体の平均動脈血圧はナトリウム制限期にわずかながら有意に低下した。しかし、個別に見ると血圧の応答はまちまちで、図2に示すように血圧が上昇した人も何人かいた。また、ナトリウム制限期に血圧が低下する可能性は40歳以上の方が高く、40歳以下では集団としての血圧変化を示さなかった6)。この結果は減塩により血圧が上昇することもあり得ることを示したことから、一律に減塩することの危険性を訴えるのによく引用される。
50 mmol/日というかなり厳しい減塩について2つの報告がある。1つはマクレーガーらの研究で、47-72歳(平均57歳)の外来高血圧患者20人を一年間にわたり減塩した。20人のうち19人はその後も減塩を続けた7)。もう1つはワットらの研究で、この場合にはあまりよく遵守されなかった8)。
極端なナトリウム制限効果と遵守性
10-20 mmol/日といった極端な減塩は文明社会では強制的となり、通常の生活で遵守できる水準ではない。食塩摂取量の70〜80%は加工食品から取られていると言われ、この水準で減塩しようと思えば、すべて自ら自分のあるいは家族の食事を原料から用意しなければない。海外では特別な低塩食が市販されていても高くて容易に利用できないと言われている9)。
要するに、長期間の減塩は80 mmol/日程度で、個人の強い意識とよく動機づけられた小数のグループだけで行なうときに遵守が可能となりそうで9)、マスコミを利用した集団的な減塩はベルギーの研究で遵守できないことが解った10)。
減塩しても降圧効果は保証されず、危険性も伴うことがあるという中で、それでも苦しい思いをして遵守性の難しい減塩を皆が行なわなければならない、と言う考え方に対して私は納得できない。
引用文献
1)Houston MC: Sodium and hypertension. Arch Intern Med 146:179-185, 1986.
2)Mancilha-Carvalho
JJ, Baruzzi RG, Howard PF, Poulter N: Blood pressure in four remote populations in the Intersalt study. Hypertension 14:238-246,
1989.
3)Gill JR, Gullner
HG, Lake CR, Lakatua DJ: Plasma and urinary catecholamines in salt-sensitive idiopathic hypertension. Hypertension 11:312-319,
1988.
4)Weinberger MH, Cohen
SJ, Mi11er JZ, Luft FC, Grim CE and Fineberg NS: Dietary sodium restriction as adjunctive treatment of hypertension. JAMA
259:2561-2565, 1988.
5)Miller JZ, Weinberger MH, Daugherty SA, Fineberg NS, Christian JC and Grim
CE: Blood pressure response to dietary sodium restriction in healthy normotensive
children. Am J Clin Nutr 47:113-119, 1988.
6)Miller JZ, Weinberger
MH, Daugherty SA, Fineberg NS, Christian JC and Grim CE: Heterogeneity of blood pressure response to dietary sodium restriction
in normotensive adults. J Chron Dis 40:245-250, 1987.
7)MacGregor GA, Markandu ND, Sagnella GA, Singer DRJ and Cappuccio FP: Double-blind
study of three sodium intakes and long-term effects of sodium restriction in essential hypertension. Lancet, November 25:1244-1247, 1989.
8)Watt GCM, Foy CJW, Hart JT, et al.: Dietary sodium and arterial blood pressure:
Evidence against genetic susceptibility. Br Med J 291:1525-1528,
1985.
9)Muntzel M and Drueke
T: A comprehensive review of the salt and blood pressure relationship, AJH 5:1s-42s, 1992.
10)Staessen J, Bulpitt CJ, Fagard R, Joossens JV, Lijnen P and Amery A: Salt
intake and blood pressure in the general population: A controlled intervention
trial in two towns. J Hypertens 6:965-973, 1988.
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