たばこ産業 塩専売版 1994.03.25
「塩と健康の科学」シリーズ
日本たばこ産業株式会社海水総合研究所所長
橋本壽夫
食塩と高血圧に関する海外の報道(4)
高血圧:減塩療法に別れを告げよう
食塩と高血圧に関する海外の報道はどちらかといえばアメリカからの方が入手しやすい。アメリカは良かれ悪しかれ塩に対する政策が明確であり、賛否の意見も頻繁に率直に出てくるからである。ところで、今回はヨーロッパからの報道、1990年にフランスの「科学と生命」という雑誌に8ページにわたって発表された副題のような記事の紹介をする。
─ 多くの人が言うように高血圧にとって塩分は悪者か。適量の塩分であれば害がないことが証明されているのに、医者も、保健所も一般の人たちも塩を悪者であると決めつけているので、この調味料の王様の名誉が回復できない
─ との書き出しで始まっているこの記事は、食塩と高血圧との問題について歴史的な経過を振り返り、最近のインターソルト・スタディの調査結果やスコットランドの調査結果を受けて全国民的な減塩政策を勧めるべきでないことを結論としている。
テレビのコマーシャルは視聴者に心配の種を植えつけようとしている。「高血圧は時限爆弾と同じで、爆発したら心不全、腎機能不全、脳溢血などで人を殺す」と報道している。高血圧で医者にかかる人の数が増え、薬の研究も進められ、医薬業界の大手は降圧剤や心臓、血管用の薬品の販売にしのぎを削っている。
食塩と高血圧の関係が初めて問題にされたのは1904年のことであった。今世紀の初めの医学界では、高血圧は人体に悪影響を及ぼさないと考えられていた。高血圧患者の平均寿命がほかの人より短いことに最初に気づいたのは保険会社であった。遺族に支払う保険金で保険会社の財政は圧迫され、このような害のある高血圧の原因の追及が始まった。1944年にケンプナーが塩分と高血圧の関係を無意識のうちに世に広めた。重症の高血圧患者にまったく塩分を含まないご飯と果物とビタミン剤を与え、3分の2の患者の血圧を大幅に下げ、4人に1人の割合で血圧を正常にしたので、当時は塩抜き食餌療法が奇跡のようにもてはやされた。しかし、彼自身はなぜ効果があるのか分からなかった。
1960年代になってダールがラットに大量の塩を数世代にわたって与え、その一部を重度の高血圧症とした。これらのラットをかけ合わせた子孫はさらに重度の高血圧症になったが、完全に塩を抜いた食餌療法を続けると血圧が正常に戻った。ダールが行った実験の科学的価値は、すべての人間にとって塩が有害であることを立証したことではなく、塩分に対する感受性や抵抗性が遺伝することを立証したことである。ダールは塩分の大量摂取が人体に及ぼす影響を研究した。彼が行った臨床試験27件のうち尿中ナトリウム排推量を測定したのは11人の患者にすぎず、食品中の塩分含有量を問題とする唯一の証拠がこれであった。アン・ハーバー大学の調査班によりアマゾンの密林に住むヤノマモ族はケンプナーの塩抜き食餌療法以上に厳しい食事をしており、高血圧者もなく、年をとっても血圧が上がらないことをダールは知った。彼がそれを発表した時、彼らの平均寿命が40年しかないことを書き忘れた。
この医学的、民族学的調査は科学界に大きな反響を呼んだ。失われた楽園、神に祝福された自然の神話、汚れを知らず病気とも無縁な人たちに対する憧れを皆の心に呼び起こした。塩に反対する圧力団体はここから新たなインスピレーションを得た。それ以来、専門家たちは原始社会に大きな関心を示した。作家リー博士は1986年に黒人の高血圧は白人の高血圧と遺伝的に異なっており、塩分の影響を受けやすいと発表した。しかし、イギリス、コベントリー病院のサイモンズ博士は黒人/白人説という遺伝学的な説明は根拠がないとしている。オハイオ大学の歴史学者ウィルソンは、塩が極端に不足した地方では、自然淘汰により限られた塩分を体内に保持する能力を持った人たちが生き残り、このような代謝機能に恵まれない人たちは滅びたと述べた。したがって、現在、高血圧患者がもっとも少ないのは常に塩が豊富にあった諸国である、というのが彼の結論である。この推論もナイジェリアのプニン・シティ大学のイダホサ博士により否定された。アフリカに探し求めた道も矛盾する諸学説の中に埋もれて袋小路に迷い込んでしまった。
米国で行われたフラミンガム調査は数千人の健康者を対象に心臓発作や脳溢血に陥る危険率を調査したものであるが、塩分摂取量と高血圧との関連性はまったく示されなかった。この結果から、12名の権威者の連名で次のような記事が出された。「食生活の中で塩を制限すれば中、長期的に高血圧の危険が減少するか否かを調べた研究は一つもない。患者に関する表面的な調査に基づいて、全国民の長期的な食生活方針を定めることは根拠がないばかりでなく、無責任である。医薬品の安全性を判定する科学的手法が無視されており、マスコミの目を引きそうな事実のもっとも単純な側面だけを示した宗教的ともいえるキャンペーンが行われている」
─ このような論争に終止符を打つためインターソルト・スタディが行われた。この大規模な調査により、いくつかの驚くべき結果が出された。文明が発達した世界でもっとも塩分摂取量が少ないのはシカゴの黒人ゲットーであった。ところが、ここはアメリカの中でも黒人の高血圧患者がもっとも多かった。この反対が中国の天津である。天津では高血圧患者はまれで、塩分摂取量は世界一である。パリの摂取量は平均値である。
1989年にパリで行われた会議で、デュルッケ博士は、諸悪の根源が塩ではないこと、全国民に食餌療法を強いるより食塩感受性の高血圧患者を発見する検査方法の研究に力を注ぐべきことを主張した。食塩感受性の人はわずかで、大多数の人たちは塩分に対する抵抗性を持っており、彼らに対して暴君のごとく食餌療法政策を押しつけるのは誤りである。お分かりいただけましたか。というしめくくりで記事は終わっている。
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