たばこ塩産業 塩事業版 2006.10.25
塩・話・解・題 19
東海大学海洋学部非常勤講師
橋本壽夫
瞬間蒸発海水塩中のミネラルはどれだけ有効か?
かつて専売塩(現在のセンター塩でイオン交換膜製塩法による塩)は純粋な塩化ナトリウムだけで他のミネラルがないと冊子で誹謗し、自社製品の販売促進を図っていたことに対して、質問に応える形で反論したことがある (1999年7月号:「生活用塩」への誹謗を考える) 。この度、また家庭用塩(食塩)を誹謗した書籍が目に止まった。専売制度の下で開発してきた仕事を引き継ぎ、糧食を得ていた筆者としては反論せざるを得ない。
荒唐無稽論で自社製品PR
海水を霧状にして瞬間的に乾燥させ、理論的に海水中の成分を全て含む塩を作ることができる。これをここでは瞬間蒸発海水塩と称した。このような塩は製法の違いはあるが、いくつか製品としてある。ミネラルが世界一多い塩としてギネスブックにも登録されている。その意義について、これも質問に応える形で考察した(2001年4月:「ミネラル世界一」を検証する)。例えミネラルが世界一(含有ミネラルの種類の多さを言っている)であろうとも、この塩からナトリウム、マグネシウム、カルシウム、カリウム以外のミネラル摂取量を期待することはできないことを指摘した。
この度、瞬間蒸発海水塩「ぬちマース」の製造販売者が書いた書籍(『現代人を救う 塩 健康革命』)の中で、著者が数々の誹謗中傷を行っていることに対して反論する。
生活用塩が高血圧の原因?
本書の中で生活用塩の「食塩」と「ぬちマース」についてどう書いているかを“〜”書きで抜き出してみよう。
@“生活用塩(かつての専売塩)は塩化ナトリウム99.5%のため、摂取し過ぎたナトリウムを排出するためのミネラルが、一切含有されていません。そのためにナトリウムが血管内に留まってしまい、高血圧の原因になってしまうのです。「ぬちマース」にはそのナトリウムを排泄するミネラルである、カリウム(K)、カルシウム(Ca)、マグネシウム(Mg)が含まれており、同時に腸に吸収され塩分を排出してくれるため、高血圧にならないのです。”
A“そもそも塩が悪いといわれるようになったのは、ミネラルを排除した塩化ナトリウム(NaCl)純度99.5%という塩を作り普及させた、日本政府に問題があるのです。政府は1967年から1997年までの実に30年にもわたり、ミネラルを徹底的に取り除いて化学工業用に精製した塩(塩化ナトリウム)を、家庭用塩(食塩)として販売してきました。(中略) 栄養素であるミネラルを徹底的に取り除いた塩化ナトリウム99.5%の化学工業用の健康に悪い塩を、食用塩として売りつけたのです。”
B“もし、政府が専売塩に代えて、海水100%のミネラルを一切除去していない塩を、「健康によい塩」「10g以上摂取してよい」と、医師や国民に正しい情報として提供していれば、日本の高血圧患者は減っていたはずです。”
C“ミネラルの中でも人間に必要なのは23種類といわれ、現代の食生活でこの23種類のミネラルを摂取することは、ほとんど不可能だといわなければなりません。しかし、このミネラルをバランスよく含んでいるものがひとつだけあります。それは海水です。(中略)「ぬちマース」は、理想的といわれる海水とほとんど同じ21種類ものミネラルを含んだ塩なのです。”
D“「ぬちマース」であれば、世界一の含有量(21種類)のミネラルがバランスよく入っていますので、余分なナトリウムをカリウム(K)、マグネシウム(Mg)、カルシウム(Ca)が、腎臓の働きで排出するのです。(中略)「ぬちマース」は塩化ナトリウムを排泄する働きがあるカリウムが豊富に含まれている塩ですので、厚生労働省の目標値の倍近く摂取しても、塩化ナトリウムを排出させることができることが動物実験(平成16年11月現在まで、臨床データはありません)でわかっています。”
E“近年いわれている少子化も、実はミネラル不足が原因だと考えています。”
生活用塩への誹謗に反論
悪玉論はダールの発表から
前述の@からEまでの項目を読んで妥当なことであると納得できますか?この他にも荒唐無稽なことが書かれていますが、すべてを網羅する紙数もないので、上記6項目のそれぞれについて反論したい。
@ 生活用塩の銘柄の一つである食塩の規格は塩化ナトリウム99%以上である。実際には99.67%(塩事業センター発行「市販食用塩データブック」による)であるから、確かに99.5%以上であるが、他のミネラルが一切含まれていないわけではない。カリウム、カルシウム、マグネシウムのミネラルはデータブックによると、それぞれ0.057%, 0.021%, 0.017%含まれている。著者がこれを読んで、数値が小さすぎて問題にならないと言うのであれば、表1を見れば分かるように、必要量から見ると問題にならないマンガン、バリウム、銅がそれぞれ0.0000053%, 0.000014%, 0.000015%「ぬちマース」に含まれていることをミネラル数にカウントしていることと平仄が合わなくなる。
A流下式塩田製塩法からイオン交換膜製塩法に全面転換したのは1972年であるが、その数年前から試験導入や自然災害で崩壊した塩田をイオン交換膜海水濃縮で補ってきた。
塩が悪いのではないかと言われるようになったのは1960年にダールが食塩摂取量と高血圧発症頻度の図を発表してからのことである。その後、ダールは因果関係を証明しようとラットで実験し、1962年に食塩感受性と食塩抵抗性のラットがいることを明らかにした。1978年に川崎はヒトでも同じ現象があることを発表した。その頃アメリカの議会で食塩摂取量の目標値が議論され、1979年に約5gの目標値が設定された。日本でも同年に1日当たり10gが設定された。
以上の経過から分かるように、塩が悪いと言われるようになったこととイオン交換膜製塩法の塩に代わったこととは関係ない。はなはだ迷惑な言い掛かりである。
ミネラル数の多さを強弁?
Bこの記述には何の科学的根拠もない。海水100%のミネラルを一切除去してない塩が「健康によい塩」「10g以上摂取してよい」と断定しているが、これが正しい情報であるという証拠は何処にもない。この塩を食べておれば日本の高血圧患者は減っていたはず、ということもまったく根拠がない珍説である。
人口動態調査によると、高血圧症による年令調整死亡率は1965年以来低下し続けており、患者調査でも筆者が整理した範囲の1984年から1990年まででは患者数は変わっていない。
先月の敬老の日を前に全国の100歳以上になる高齢者数が発表された。36年間連続して過去最高を更新しており、今年は昨年より2,841人増えて28,395人になった。日本は世界一の平均寿命を誇っている。平成16年では男78.64才、女85.59才である。イオン交換膜製塩法が導入され始めた1967年では男68.91才、女74.15才であり、塩の専売制が終わった1997年では男77.19才、女83.82才であった。平均寿命が30年間で8年から10年近くも伸びたことを、筆者はイオン交換膜製塩法の塩のお陰であるとはとても言えな
い。
沖縄は日本一の長寿県となっている。これは女性だけが該当し、著者も厚生労働省のデータを本書に引用している。イオン交換膜製塩法の塩を8年間食べてきた1980年では男女とも日本一であったが、1998年には男性は27番目まで順位を落としている。この原因を著者はミネラル摂取量の減少と見ている。沖縄では男女が違う食事し、違う塩を食べているのか、と聞きたい。生活活動強度を無視してミネラルに原因を求めていることには無理がある。著者は「ぬちマース」のミネラルの多さ(数だけ)を印象づけたいのであろう。
求められる科学的根拠
C人間に必要な23種類のミネラルを通常の食生活で摂取することは不可能であるが、ミネラルをバランスよく含んでいる海水とほとんど同じ21種類のミネラルを含んだ塩「ぬちマース」を食べれば可能である、と言わんばかりの記述である。何をもってバランスが良く、海水が理想的であるのかまったく分からないが、そう断定している。果たしてヒトが必要とする量との関係でどうであろうか?表1に海水塩から微量ミネラルの摂取量がどれくらい期待できるかを示す。
表1 海水塩から微量ミネラル摂取量の期待値 | |||||
1日の所要量 (書籍中に記載) | 第6次改定日本人の栄養所要量 | 海水塩1g中の量 | ぬちマース 1g中の量 (書籍記載値) |
ぬちマース1g中の量(海総研の分析値) | |
男 女 | |||||
ナトリウム:Na | 1.5 g | − | 0.393 g | 0.2925 g | 0.285 g |
カリウム:K | 2 g | 2 2 g | 0.015 g | 0.0114 g | 0.013 g |
カルシウム:Ca | 600 mg | 600 600 mg | 16 mg | 4.4 mg | 5.3 mg |
マグネシウム:Mg | 350 mg | 320 260 mg | 54.1 mg | 36.2 mg | 36.3 mg |
クロム:Cr | 20〜35 μg | 35 30 μg | 0.002μg | 0.24 μg | N.D. |
セレン:Se | 0.1 mg | 0.055 0.045 mg | 0.02μg | N.D. | − |
鉄:Fe | 12 mg | 10 12 mg | 0.0002 mg | 0.0041 mg | 0.0012 mg |
銅:Cu | 2 mg | − | 0.0001 mg | 0.00015 mg | N.D. |
マンガン:Mn | 4 mg | 4.0 3.5 mg | 0.00008 mg | 0.000053 mg | 0.00017 mg |
ヨウ素:I | 150 μg | 150 μg | 2μg | 0.29 μg | − |
リン:P | 750 mg | 700 mg | 0.0008 mg | N.D. | − |
亜鉛:Zn | 12 mg | 12 10 mg | 0.0004 mg | 0.0073 mg | 0.061 mg |
塩素:Cl | 3000 mg | − | 607 mg | 528.2 mg | 515 mg |
フッ素:F | 2 mg | − | − | 0.023 mg | − |
モリブデン:Mo | 250 μg | 30 25μg | 0.2μg | 0.26 μg | − |
ニッケル:Ni | 0.4 μg | − | − | 0.18 μg | − |
臭素:Br、ストロンチウム:Sr、リチウム:Li、ケイ素:Si、ホウ素:B、バリウム:Ba | 不明 | − | − | Br:1.6 mg、Sr:0.12 mg、Li:0.0046 mg、Si:0.0023 mg、B:0.084 mg、Ba:0.14μg | − |
備考 | 30才以上の壮年の数値 | 本紙で掲載済みの数値を換算 | N.D.:検出されない | N.D.:検出されない。−:未測定 |
書籍には各ミネラルの1日所要量が記載されている。参考までに第6次改定の栄養所要量も示した。この値と次の3カラムに記載されている含有量を比較すれば、直ちに所要量のどれくらいを満たしており、「ぬちマース」を食べる意味があるかどうかが分かる。表には1g中の値で示してある。これは厚生労働省が毎年発表する食塩摂取量の約1/10が家庭で購入した塩として使われているからである。「ぬちマース」1g中の値はいずれも所要量との単位を合わせるように計算した。海水塩1g中の値はこれまで筆者が発表してきた表から計算した。これらの値と「ぬちマース」中の値はほぼ同じミネラルもあるし、桁が違うほど多かったり、少なかったりしているミネラルがあるが、一日の所要量と比較すると、ほとんどのミネラルは桁違いに少なく、微量ミネラルの摂取量を期待できないことが分かる。
D余分なナトリウムをカリウム(K)、マグネシウム(Mg)、カルシウム(Ca)が、腎臓の働きで排出すると記載されている。カリウムについてはナトリウムを排泄する機能はあると、わずかに書かれている専門書もある。しかし、筆者は不勉強でCa, Mgについてそのような機能があることを読んだことがない。教えてもらいたい。
アマゾンの奥地に住むヤノマモインディアンのような無塩文化を持つ種族を除き、文明社会ではカリウムの数倍もナトリウムを摂取していることからカリウムの摂取量はナトリウムと同程度であることが望ましいと言っている学者もいるが、学会全般にオーソライズされている意見ではない。ところで表1を見れば「ぬちマース」中のカリウムは0.01g程度しかない。この量で30倍に相当する約0.3gものナトリウムを排泄できるのであろうか?量的にはまったくバランスが取れていない。食塩10gの摂取量であるとすると、ナトリウムは4g近くにもなる。筆者には「ぬちマース」でナトリウムの排泄を促進させることはまったくナンセンスで、妙薬信仰を煽っているとしか思えない。
E少子化の原因がミネラル不足だと考えている。書くことは自由であるが良識を疑われる。社会の習慣や制度、教育、経済的要因をさておいてミネラル不足のせいにしたいとは、ミネラルの数だけが多くて量的にはまったく問題にならない「ぬちマース」の拡販を諮りたい一心なのであろう。
自社製品を拡販したいのは誰しも考える当然のことである。しかし、そのために他社の製品をまったく根拠も示さないで誹謗することは許されない。