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たばこ塩産業 塩事業版  2010.2.25

塩・話・解・題 59 

東海大学海洋学部非常勤講師

橋本壽夫

 

食塩摂取量と胃癌の関係

疫学・生物学の見地から

 

 食塩摂取量が胃癌の原因の一つであるとしばしば言われる。果たしてどうなのか本誌でも取り上げた(1991.10.25)ことがあった。この度、世界胃腸学会誌(World J Gastroenterol 2009/15/2204)に疫学と生物学の観点からみた食塩摂取量と胃癌の危険性に関する事実をレビューした論文が掲載されたので、若干の解説を加えながら紹介する。

レビュー論文の概要

癌による死亡では第3位

 胃癌は最も一般的な癌の中で患者数は4番目に位置しており、癌による死亡では3番目で、特に発展途上国で多いという。筆者は西安交通大学疫学部に所属し、2000人以上のコホ−ト・サイズ(統計処理をする場合に要因を共有する集団の大きさ)の研究論文11件、100人以上の試料サイズのケース・コントロール研究論文45件、その他生物学的機構や動物実験に関する論文をレビューしている。
 論文に掲載されている表から要約して記すと、コホ−ト研究でレビューされた論文は1990年から2008年までに発表されたもので、追跡期間は4年から20年までの幅があり、評価要因は論文によって食塩、食塩摂取量、食卓塩、醤油、塩蔵魚、高塩食品、塩蔵食品、高食塩嗜好などと多岐にわたっている。
  ケース・コントロール研究でレビューされた論文は、食塩摂取量に関する21(1974 ? 2004)と塩辛い食品に関する33件に大きく分けられ、後者の内訳は塩蔵魚に関する研究18(1972 ? 2006)、塩辛いスナックに関する研究15(1988 ? 2006)であった。先に述べた45件と件数が合わないのは、同じ論文の内容を摂取食品別に分けているからだ。評価要因はこれも論文によって食塩、食卓塩、塩蔵魚、塩蔵肉、塩蔵野菜、味噌、ナトリウム摂取量、漬物、高食塩嗜好、塩辛いスナック、塩辛い食品などとなっている。

食塩と胃癌危険率の疫学的研究

食事調査法には限界も

 いくつかの生態学的研究によると、食塩摂取量の様々な指標と集団レベルでの胃癌死亡率との間には正の相関を報告している。相関係数は研究報告によって0.26から0.74の間にばらついている。(ちなみに相関係数は相関関係の強さを表1のように表している。)しかし、これらの研究では食事調査法に限界がある。異なった集団におけるアンケートの妥当性や食塩摂取量の計算に使用する食品成分表の妥当性が問題となり、集団レベルで観察された関係は個人レベルで一致するわけではなく、この種の研究から因果関係を推論することは出来ないとしている。   

表1 相関係数が表す相関関係の強さ
相関係数 相関関係
0.0 〜 0.2 ほとんど相関がない
0.2 〜 0.4 やや相関がある
0.4 〜 0.7 相関がある
0.7 〜 0.9 強い相関がある
0.9 〜 1.0 きわめて強い相関がある

ケース・コントロール研究

結果に偏向の影響入ることも

 多くのケース・コントロール研究は同様の結果を示し、最高の食塩消費量または塩辛い食品の消費量で中程度から高い危険率増加を示した。食塩、ナトリウム、塩辛い食品の消費量に関するデータを報告した多数の研究を見るといくつかの一致しない結果があり、食塩摂取量の調査法によるものとしている。
  ケース・コントロール研究とは、解析を行う時点で、事象がすでに起こってしまった過去のことを解析する後ろ向きの研究。ある疾患(この論文では胃癌)を患った(あるいは患っている)者と、そうでない者が過去においてどのような危険因子(ここでは食塩消費量)にさらされたことがあるかどうかを調べる。ケース・コントロール研究には次のような欠点がある。@ この研究から得られる情報は限定されており、疾患の発生率、寄与危険率などを求めることは出来ない。A ケース群とコントロール群はある疾患の有無によって分けられるので、一度に扱える結果因子は一つに限られる。B 最大の欠点は、結果に偏向の影響が入り込みやすいことで、間違った結論を導き出す可能性が高い――。

コホート研究

利点多いが、時間と経費に難

一方でアメリカ、日本、スェーデン、オランダで食塩または塩辛い食品消費量と胃癌危険率を調べた11件のコホ−ト研究は一致しない結果を示した。コホート研究とは、現在から未来へ向って、つまり前向きに解析を行っていく研究。つまり、ある危険因子にさらされた者とそうでない者が将来(追跡期間中に)どのような病気になるのかを研究する。
  コホート研究には次のような利点がある。@ 追跡観察するので事象の発生順序が分かる。A 予測因子の偏向が少ない。B 生き残りによる偏向がない。(ケース・コントロール研究では、調査対象に死亡患者は含まれないので、生き残り偏向が生じる。)C 複数の結果因子を同時に調べられる。D 結果因子の発生数が時間と共に増大する。E 発生率に関する情報、リスク比、リスク差が得られる。このようにコホート研究には利点が多いが、時間と経費がかかり、きちんと追跡しなければならないので大変であるという欠点がある。しかし、真理に近づける手法だ。

ヘリコバクター・ピロリ菌感染

食塩摂取量との関係は?

 食塩消費量とヘリコバクター・ピロリ菌の感染を関連させて研究した疫学研究はほとんどない。国際的な生態学的研究では、国民のヘリコバクター・ピロリ菌感染率と食塩排泄量との間に統計的に有意な相関関係は老人男性と女性および若者男性で見られたが、若者女性では見られなかった。
 胃癌発症における食塩摂取量とヘリコバクター・ピロリ菌感染との間にあるかもしれない共同作用的な関係を調べたが、結果は一定していなかった。日本で行われた1つのコホート研究が、ヘリコバクター・ピロリ菌感染者だけで食塩摂取量の増加と胃癌との間に統計的に有意な正相関を示した。ヘリコバクター・ピロリ菌感染が胃癌発生に強く関与していることが分かってきたが、食塩摂取量との関係が今一つ明らかにされてこない。
  これの背景として食塩摂取量調査の難しさと胃癌危険率に寄与するかもしれない他の栄養素から塩の効果を分けることの難しさがある。他の交絡因子として年齢、性別、喫煙、食習慣などについても調整する必要があると記しながらも、これらの因子の他にヘリコバクター・ピロリ菌感染、萎縮性胃炎、消化器官潰瘍の治療歴、癌の家族歴、体格指数、糖尿病、総コレステロール、運動、アルコール摂取量、他の食事因子のような潜在的な幅広い範囲の交絡変数で調整された研究結果と未整理の結果との間には差はなかったとも記している。
 食塩摂取量が胃癌危険率を増加させるらしいいくつかの機構が仮説として立てられたが、今日まで矛盾のない結論にはなっていないとはしながらも、高食塩摂取量が胃粘膜に及ぼす影響やヘリコバクター・ピロリ菌への影響を考察しながら、何とか胃癌の危険率を増加させること明らかにしたいようである。

食塩と胃癌の動物研究

 発表されている研究のほとんどは胃癌といくつかの重要な予測されている発癌物質、食塩、ヘリコバクター・ピロリ、ニトロソ化合物との関係に焦点を置いている。一般的に食塩だけでは胃癌発症に及ぼす明らかな効果を持っていないが、ラットに食塩を与えると表面粘膜細胞層に濃度依存性損傷を誘引し、複製DNA合成も増加させ、他の危険因子(ヘリコバクター・ピロリ、ニトロソ化合物)との相乗効果が観察された。

確定的な真実なく…

 この論文の結論は次のように記されている。発表されているほとんどの生態学的研究は食塩または塩辛い食品の消費量と胃癌危険率との間にポジティブな事実を示している。これらは実験的研究でも支持された。疫学的研究における食塩摂取量調査の限界は、レビューされた生態学的研究、ケース・コントロール研究、コホート研究で胃癌危険率に及ぼす食塩摂取量の真実の効果を弱める、または結果を偏向させることさえあるかもしれない。理論的に言えば、ヘリコバクター・ピロリ菌感染の根絶と同様に食塩摂取量の修正は世界中、特に発展途上国において胃癌予防に約束された戦略である。
      ◇            ◇            ◇

 かつて15年ほど前に本紙(1995.7.25)で食塩摂取量と胃癌との関係について書いたことがあるが、基本的には現在までに新たに確定的な事実が発表されておらず、進展はなかったと言える。