たばこ塩産業 塩事業版  2007.08.25

塩・話・解・題 29 

東海大学海洋学部非常勤講師

橋本壽夫

 

にがりの『規格値』は妥当か

 

 今年3月末に食品添加物の粗製海水塩化マグネシウム(にがり)について、その規格値が発表された。それに伴って製造者には食品衛生管理者の設置が義務付けられ、先月号の本紙でその妥当性について問題があることを述べた。この度はにがり規格値の妥当性について考察する。

濃縮工程で変わるにがりの組成

 海水を原料にして製塩した後に残る溶液をにがりという。海水を濃縮する工程が変わると、得られたかん水(濃い塩水)中の塩類組成が異なってくる。したがって、製塩後のにがりの組成も異なってくる。具体的には天日塩田で海水をそのまま濃縮して得られたにがり、入浜塩田、揚浜塩田で一度塩を結晶にしてそれを海水に溶かす方法で製塩した後のにがり、イオン交換膜電気透析法で海水を濃縮して得られたにがりである。代表的な2種類のにがりの組成を表1に示す。組成がまったく異なることが解る。

表1 にがりの組成 (%)
NaCl KCl MgCl2 MgSO4 MgBr2 CaCl2
塩田製塩にがり 2 - 11 2 - 4 12 - 21 2 - 7 0.2 - 0.4 -
イオン交換膜製塩にがり 1 - 8 4 - 11 9 - 21 - 0.5 - 1 2 - 10

 塩田製塩にがりでは硫酸マグネシウムはあるが塩化カルシウムはない。一方、イオン交換膜製塩にがりでは硫酸マグネシウムはないが、塩化カルシウムはある。これはイオン交換膜の特性によるもので、一価のイオン(Na+, K+, Cl-, Br-)よりも二価のイオン(Ca2+, Mg2+, SO42-)の方が膜を通りにくく、また、一価イオンだけの比較ではNa+, Cl-よりもK+, Br-の方が通り易い。したがって、イオン交換膜製塩にがりではKBr濃度が高くなる。
 ()塩事業センターが出版している「海水と製塩−データブック−」には専売時代の研究者がまとめた天日製塩にがり、流下式塩田製塩にがり、イオン交換膜製塩にがりの各組成が掲載されている。それに基づき、規格値に盛り込まれた塩化マグネシウムと他の成分について図1からまでに3種類のにがりについて示した。それぞれの図には規格値の下限値または上限値が横線で示されている。

各種にがり濃度、組成をにがり規格値と対比

規格対象は「イオンにがり」?

 前述したように製塩法によって異なった組成のにがりが出来る。規格値としては、基本的にいずれの製法によるにがりでも適合するように定められなければならない。しかし、そのように考えたかどうかは分からないが、表2に示す規格値が定められた。

表2 食品添加物用粗製海水塩化マグネシウム(にがり)の規格
項  目 規   格   値
含量 MgCl2として12.0〜30.0%を含む。
性状 本品は、無〜淡黄色の液体で、苦味がある。
純度試験
硫酸塩 SO4 として4.8%以下
臭化物 Br としてて2.5%以下
重金属 Pb として20μg/g 以下
亜鉛 Zn として70μg/g 以下
カルシウム Ca として4.0%以下
ナトリウム Na として4.0%以下
カリウム K として6.0%以下
ヒ素 As2O3 として4.0μg/g 以下

 塩専売制が廃止されて海水から製塩ができるようになってから、様々な塩が製造販売されるようになった。それに伴って副産物であるにがりには痩身を狙った一時のにがりブームがあり、多くの種類のにがりが販売されるようになった。市販にがりについては前に書いたように、にがりの領域まで濃縮されていない物が多く、中にはMgよりもNaの方が多いにがりとは言えない物まであり、消費者に不利益を与えていることがこの度の規格値設定の要因になったのではないかと思っている。
  ところで、図1の天日製塩にがりでは塩化マグネシウム濃度が規格値に満たない可能性のあるにがりがあり、図2の成分では硫酸塩(SO4)や塩化ナトリウム(NaCl)が規格値を超えるものが何点もある。図4の流下式塩田法にがりの成分ではほとんどのにがりでSO4が規格値を超えている。図5のイオン交換膜製塩にがりでも塩化マグネシウム濃度が規格値を満たさない可能性のあるものがある。
  これらの図を見る限り、にがりの規格値を定めるに当たっては塩田製塩にがり、平釜製塩にがりを無視してイオン交換膜製塩にがりだけを対象にしたように思われる。
  重金属、ヒ素については規格値を外れる物はないと考えられるが、実測データがないので規制値の適否を判断できない。亜鉛については市販特殊製法塩の分析データから見て、防腐用の亜鉛が溶け出してにがり中の濃度が高くなり、外れる物があるかもしれない。

温度や膜の性能でも組成は変わる

 食添用にがりの規格値がイオン交換膜製塩にがり(イオンにがりと略称)を基準にして定められており、海水をそのまま蒸発濃縮(天日塩田、逆浸透膜、加熱を利用)させて製塩した後に残るにがりの多くは規格値を満たさない可能性があることが分った。しかし、イオンにがりでも規格に外れる可能性は十分にある。
 一般的ににがり組成が変わり易いことについて考えてみよう。にがりは製塩後に残された溶液である。塩田による海水濃縮製塩では硫酸マグネシウムが析出する前に、イオン交換膜濃縮製塩では塩化カリウムが析出する前に製塩工程を終える。それぞれの濃縮経過を図7に示す。したがって、塩の収率を高くするために、どこまで濃縮するかによってにがりの組成は異なってくることが分かる。海水濃縮に伴う溶存塩類の濃度変化

イオン交換膜電気透析かん水の濃縮に伴う塩類濃度の変化

 その上、製塩工程を終了する温度によってもにがり組成は異なってくる。温度によって塩類の溶解度は大きく変わるからである。そのことは図1、あるいは図2を比較すると最終密度やSO4濃度の違いでよく分る。天日塩田では終了温度は高くても40℃以上になることはなかろう。流下式塩田にがりでは、真空式蒸発缶で煮詰められるので濃縮度は高くなり、どの真空缶で終了するかによって温度は50℃位から110℃位の間で変わることで、にがり組成も変わる。平釜製塩では約110℃でできたにがりが冷やされた物である。
 また、温度によって硫酸マグネシウムの溶解度は大きく変わり、冬期の温度低下で貯蔵中のにがりから硫酸マグネシウムが析出する。冬場を越した越冬にがりでは硫酸マグネシウムの少ない、あるいはMgSO4濃度の低いにがりとなる。
 イオンにがりでも、硫酸マグネシウムの代わりに塩化カリウムを考えると同様のことが言える(冷却で塩化カリウムが析出しても規格値を外れることはない)。しかし、イオン交換膜の特性として、膜によって純塩率(総塩類に対する塩の割合)が異なり、製塩効率を上げるには純塩率の高い膜が望まれる。純塩率が高くなると、Ca, Mg, SO4濃度が低くなる。このことはにがり中のMgCl2濃度が低くなることにつながる。先にあげた「海水と製塩−データブック−」には、イオン交換膜電気透析法で得られたモデルかん水として純塩率を87, 90, 93%の3段階に変え、濃縮温度を50, 70, 90℃の3段階に変えた濃縮実験データが掲載されている。塩化カリウムが析出しない段階のにがり組成をみると、87%純塩率のかん水を除いて、純塩率の高いかん水では90%、90℃濃縮の場合を除き、すべてMgCl2濃度が規格値以下となっている。現在のイオンにがりを基準にして定められた規格値は膜分離性能の向上によって将来合わなくなる可能性がある。つまり食添用にがりとしては使えなくなるであろう。

さまざまな問題発生の恐れが

実は、この規格を決めるに際しては、昨年12月に「食品、添加物等の規格基準」の改正に係る食品健康影響評価に関する審議結果についての御意見・情報の募集を行った。この時、日本塩工業会は、塩化マグネシウム含量の12.0%30.0%を7.0%〜30.0%に、ナトリウムとして4.0%以下を5.0%以下に変更することを要望している。またSO4濃度は4.8%ではなく、7.2%とすべきで、不純物項目(重金属Pb, Zn, As2O3)の規制値についても、塩化マグネシウム含量に大きな幅があるのに一律で良いのか、と疑問を呈している。これに対して食品安全委員会は、規格値については厚生労働省が実態を踏まえて検討したものであり、規格値に関する要望や意見は厚生労働省に伝えておく、と回答している。これらの経過はインターネット(粗製海水塩化マグネシウムで検索、PDFで公表)で見ることができる。その後、厚生労働省に伝えた要望の結果がどうなったかも知れせずに、要望を無視して原案通りに決めて発表した。要望を取り入れておれば、前述した問題は解消される。
 以上、いずれの製塩法によるにがりでも規格値を満たさないにがりが出来る可能性が高く、また、にがり組成が非常に変わりやすいことからも規格値を満たさないにがりが出来る可能性が高いことを述べた。製塩終了後の溶液がにがりである、と考えれば良かった物が、そうは行かなくなった。つまり、定められたにがり規格値は不適正であるので、それに合わせようとすると絶えず分析による厳密な品質管理が必要となる。食添用にがり製造については、食品衛生管理者の設置、規格値不適合にがりの大量発生、海外からの輸入品の組成不適格などさまざまな問題が派生してくるだろう。行政不服審査を起こされれば、とても耐えられないであろう。