18世紀の製塩-平釜製塩技術
Eighteenth Century Salt Making - Open Pan Salt Technology
ヨーロッパ塩生産者団体のホームページ「Salt Association」より
1,500年のチェシャー製塩技術の中で最も重要な変化をしてきた17世紀を概観した。平釜を加熱する木材の代わりに石炭の採用で鉛釜から鉄釜に転換した時代であった。
鉛釜は1世紀にローマ軍がやって来た時に導入されたかどうか、または鉛釜はケルトの塩製造者によって既に使われていたかどうかが現在論争されている。特別な関心の中で、17世紀にチェシャーの製塩者が使った鉛製釜はローマ時代に使われた鉛製釜と基本的に同じ大きさであったと言う発見である。
17世紀のナントウィッチの記録によると、6基の鉛製釜を持つ基準的なチェシャー製塩工場は同じ大きさの6基の鉄製釜によって最初に置き換えられた。しかし、これは間もなく4フィート角の鉄製釜に変わり、その後、一つの鉄製釜に変わった。その世紀末までに、鉄製釜の大きさは次第に大きくなった。典型的に一つの6鉛製釜装置は総面積で約6フィート×9フィートで、1669年の王立社会に対するウィリアム・ジャクソンの伝達は4フィート平方の4基鉄製釜と言うナントウィッチ単位を示している。鉄製釜は鉄板のリベット止めで作られた。
ナントウィッチでその同じ年に、新しい製塩所がアール・トーマス川のそばに建設され、3基の大きな鉄製釜を持っており、それぞれの乾燥室と乾燥室のロフトには何トンもの乾燥塩を貯蔵できるほど十分に大きかった。