歴史と塩政策
The History and Politics of Salt
By Thomas G. Pickering
Journal of Clinical Hypertension 2007;4: 2007.05.31
私が最近読んだ2冊の本は塩の歴史的と観点と政策的な観点を取り扱っており、その用途と崇拝は文明自身と同じに近いほど古い。最初の本は「塩、食事そして健康」と題され、2人の主導的減塩主張者のグラハム・マグレガーとヒュー・デ・ワルデンナーによって書かれている。それは塩の医学的観点からだけでなく、もっと面白いことに歴史的、政策的観点からも考察している。2冊目の本は作家と歴史家であるマーク・カーランスキーによる「塩:世界史」である。塩は多くの社会の未来に大きな役割を演じてきた。塩の食品保存能力(特に肉と魚)のために、始めから重要であったけれども、塩の経済的価値に不相応な象徴的な意味を想定した。西欧社会では、塩入れは伝統的に友情と歓待の象徴であり、日本の力士は相撲を取る前に土俵を清めるために土俵に塩を撒く。
13世紀にヴェニスはヨーロッパで最大の都市であり、ヴェニス人は彼等の成功を周辺の都市に塩を輸出する能力に帰した。都市の周囲を取り巻く浅い干潟から彼等は塩を製造できるだけでなく、ヴェニスの輸出者はヴェニスに帰ってくる時、塩を持ち帰ることを要求され、それについて彼等は報酬金をもらった。その後、塩は共和国によって儲けて再販売された。カーランスキーによると、14世紀から16世紀の間、塩はヴェニスの輸入額の約50%を占めた。ヴェニスの塩管理は効果的な清算銀行であった。そこは防御費用と都市をあらゆる面で素晴らしく維持する費用に寄与した。数百年後のオペックの油取引機構のように、ヴェニスは供給量を制限することにより塩価格を維持できるようにした。13世紀に、ヴェニス人はクレタ島の塩田を閉鎖し、彼等の独占を維持するために現地の労働者を解雇した。
フランスでは、早くも13世紀に塩税が導入され、それは国内各地で幅広く変わったので、別の地域の境界線を越えて塩を密輸することが主要な犯罪となった。アメリカの銀鉱山がスペインに対して貴重であるのと同じ様に、塩税はフランスに対して貴重である、とカルディナル・リセリウは述べた。アメリカ合衆国では、連邦政府は1797年に輸入塩に税金をかけた。それはまもまく廃止されたが、1814年に戦争税として再び課税された。それは1894年に結局、廃止された。南北戦争中、南軍は塩欠乏になり、シャーマン将軍は“肉の塩漬け保存に塩は使われるので、それが無ければ軍隊は存続しえないので、”火薬と同様に密輸品として分かっている塩を注文した。連合軍は輸入される塩を阻止するために南部の港を効果的に封鎖し、海岸の製塩所も破壊した。1863年までに南部の塩の価格は戦前の50倍以上に増加した。
塩の最も劇的な政策上の使用の一つはイギリスからインド独立のためにマハトマ・ガンジーによって行われた。数百年間のあいだインドは多くの安い塩を得ていた。そのほとんどは2ヶ所の海岸の製塩所から来ており、東のオリッサと西のグジャラートであった。イギリスは自国で塩産業を持っていたが、経済的にインドの供給塩と競争できなかった。それで19世紀に、彼等は両給源を接収し、塩税を導入した。これは、グジャラートやオリッサの海岸から塩を採取することはインドでは不法であることを意味した。1930年にガンジーはインド総統に、グジャラート海岸までの行進を主導するつもりであることを告げ、その後、彼は実行した。彼は最初、75人の随行者を伴っていたが、25日間の行進後に彼等が海岸に着いた時、この数字は数千人以上に膨れ上がった。1930年4月5日に、ガンジーはかがんで手のひら一杯の塩を掬い上げることによりイギリスの塩法律を公然と破った。オリッサでもこれと同様の行動が続き、警察は数百人を逮捕し、ついにはグジャラートでも起こった。これはインド中で抗議を起こし、国民の独立運動の発端となった。塩法は実際に1年後に廃止され、塩の採取は再び合法となったが、損害賠償が行われ、インドは1947年についに完全な独立を達成した。
政治領域と経済領域で長い歴史を考えると、塩と健康についての最近の論争と広報はそんなに驚くことではないように思う。マグレガーとワルデンナーの書籍の1章を“産業の共同謀議”とし、塩を奨励する食品産業の現在の行動を述べている。イギリスでは、これは塩生産者協会によって組織化されてきて、アメリカでは塩協会で、それは生産者により支援されている広報活動機関である。食品に多くの塩の使用を促進させるために3つの大きな商業理由がある。最初は味の改善で、それに文句を言う人はほとんどいないが、多分、これは塩の本質的な必要性よりもむしろ塩に対する我々の嗜癖の結果である。この点はデントンによって最も力を込めて主張されてきた。彼は高塩食をチンパンジーに与えて高血圧を発症させ、その後、低塩食に戻したが、その時点でチンパンジーは食べることを拒否し、痩せた。塩摂取量を促進させる他の2つの理由は両方とも巧妙で、露骨に商業的である。1つは食品の塩含有量が水分含有量を決定することで、これにより重さが変わり、塩を加えることにより非常に安いコストで食品の重量を増加させられる。これは新しいことではなく、19世紀には、ニューヨーク州Poughkeepsieの市場に家畜を連れて行く牛追い達は市場に到着する前日にSalt Lickと呼ばれる場所に泊まることが常であった。そこで家畜は塩と水を摂り、それによって体重が増加し、市場価値が上がった。3つ目の理由は喉の渇きを刺激することである:塩付きピーナッツやポテト・チップスを提供するバーは利他主義からではなくそうするが、人々は多くのお酒を注文するからである。
高血圧や心疾患の原因としての塩の問題は最近まで論争されてきた。塩は大多数の人々の血圧にほとんど影響を及ぼさないという主張のためで、アルダーマンらによる積極的な広報活動にもよる。つまり、低塩食は心血管死亡の危険率を増加させるかもしれない。通常、舞台の裏にいる塩協会の活動は1996年にBMJで発表されたインターソルト研究の結果に異議を唱える論文で医学専門家に対して明白になった。インターソルトは32ヶ国で10,074人の男女の塩摂取量と血圧を大規模に調べた横断的研究であった。主要な結果は2つの間にポジティブな関係があり、老人では血圧に及ぼす塩の効果は増加した。塩協会の論文はこれが正しくないことを示すために、複雑極まる統計を用いて不成功に終わった試みを行い、BMJの記事で始めた。その記事で“我々は塩協会からこの論文を発表した。自分達の立場を提案するために特別な関心を持っているグループがどのようにデータを使うかと言う興味深い事例であるからだ、”と述べた。付随する論説でロウは次のように書いた:“塩業界の利益に不利益な明らかなエビデンスを提示する時、この解析は、商業グループが市場を守ろうとする期間を示すことだけに役立つ。”塩協会のウェブサイト(www.saltinstitute.org)は興味深く読めるようにしている。塩と心血管の健康に関するサイトがあり、そこではアメリカ人は良い健康を維持するために最低1.3 g/dを摂取すべきであることを国立科学アカデミーは勧めていることを述べている。勧められている上限は述べられていないが、“水を含めてあらゆる物がある濃度や量で有毒となり得る;塩摂取量についても重要な関心事ではない、”と述べている。塩協会の主張の要点は、血圧自身はそれほど重要ではなく、我々が焦点を置く必要があることは塩摂取量と疾患結果との間の関係である。したがって、“減塩は全集団の心臓発作または脳卒中の危険率を改善するエビデンスはない、”と言う声明がある。厳密に言って、これは正しく、そのままのようである。心血管死亡率に及ぼす減塩効果の集団を対象にした研究は確かにほとんど行われないであろうからである。しかし、血圧に及ぼす塩の効果を無視することは患者や一般の人々にとって最高の利益には確かにならない。
塩には害がないとする学派の伝統的な批判の1つは、食事中の塩の量が実際に心血管死亡率に影響を及ぼすと言う確たるエビデンスがないことで、したがって、逆相関を主張して前述したアルダーマンらの研究は非常に重要であった。それは1971年と1975年の間に集められた第一回の国民健康・栄養調査(NHANES-Ⅰ)データの回顧的解析であり、低塩食を報告した被験者は追跡調査で心血管死亡率の危険率を増加させていたことを明らかにした。しかし、ヒーらによる同じコホ-トの第二回調査は異なった結論を出した。塩摂取量と死亡率との間には関係がないことは太り過ぎでない参加者で明らかにされたが、肥満者では脳卒中と心臓発作の両方で塩摂取量と死亡率との間にポジティブな関係があった。同じデータベースを調査し、同じ疑問に答えようと試みた2つの研究がどうしてそのように異なった結論に至ったのかを考察することは価値がある。第一に、アルダーマンらの解析で含まれた被験者数はヒーらの研究の9,485人に対して11,346人と大きかった。後者の研究はベースラインで低塩摂取量であった人々と、心血管疾患歴が知られている人々も除いたからであった。両研究は総カロリー摂取量と関連させた塩摂取量も調べた。アルダーマンらの研究では、死亡率は塩摂取量と関係なかったが、塩摂取量とカロリー摂取量とはポジティブに関係していたと結果を解釈するにはむしろ難しかった。ヒーらは塩摂取量と死亡率および塩摂取量とカロリー摂取量戸の両方についてポジティブな関係を見出した。この種の回顧的な研究に伴う問題の1つは、どうして人々は低塩食を食べるのかを知る方法がないことと、彼等の多くが減塩するように医者に忠告されてきたことは全くありそうなことである。アルダーマンらは彼等の解析で高血圧歴と心血管疾患歴を含めることによってこれについて管理することを試みたが、このMayは不十分であった。肥満者で塩摂取量と死亡率との間のポジティブな関係と言うヒーらの解析の結果は確かに道理にかなっている。肥満者は反対の痩せている人々よりもより塩感受性であると言う多くのエビデンスがあるからだ。
それ以後のフィンランド研究も8 – 13年間の追跡期間で男性の高い塩摂取量と冠状心疾患との間にポジティブな関係を示し、日本研究は脳卒中との関係を示したが冠状心疾患とは示さなかった。冠状心疾患は日本では比較的一般的ではないので、後者の結果は驚くことではない。インターソルト研究も塩摂取量と脳卒中発症率との間の関係を報告した。対照的に、尿中ナトリウム量と冠状心疾患死亡率との間の関係はスコットランド心臓健康研究では見られなかった。全てで、これらの多くは塩摂取量を推定するために一回の24時間尿収集に基づいているという事実を考えると、これらの結果に一般的な一貫性がある。この推定は非常に低い再現性が繰り返し明らかになっている方法で、尿収集と心血管疾患発症との間の間隔は20年もの期間があるかもしれないからである。
血圧に及ぼす塩摂取量の効果は高血圧予防食事法(DASH)-ナトリウム研究によって希望を持って最終的に解決された。その研究では典型的なアメリカ食またはDASH食のいずれかを食べる被験者は3段階の塩摂取量に割り当てられた。塩摂取量の変化が実質的な程度に血圧に影響を及ぼすことを確認した。この研究の大きな特徴の1つは、研究中の食事は全て提供され、それによって被験者が正しい塩摂取量を実際に摂取していることを非常に高く保証した。
大いなる塩論争は、それが価値を持っているよりもより人々を引き付けてきた。我々のほとんどが必要以上にはるかに多くの塩を摂取し、高血圧患者にとって減塩は害よりもずっと多くの益がありそうなことには疑問の余地はない。しかし、食習慣に関する国家または国際的な勧告は塩のような単一の成分に焦点を置くべきではないが、むしろ果物や野菜のようなより健康的な食品を食べるように人々を奨励すべきである。我々が食べる塩のほとんどは塩振り出し器からではなく、スーパーマーケットで我々が買ってくる食品から来ていることを忘れるべきではない。