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   塩の短い歴史  

A Brief History of Salt

TIME 1982.05.15

 

 塩は死体、干上がった海、生物から来る。塩はかん水として表面で泡立ち、あるいは塩舐め場または浅いくぼみの形で析出する。地表の下には白い鉱脈で存在し、深さ数千フィートになることもある。溜まった海水が蒸発し、かん水を煮詰め、今日ではしばしば行われているが、半マイルも伸ばした坑道から採鉱される。

 塩の世界史は簡単である:動物は塩舐め場への小道を作り;人間はそれをたどり;小道は道路となり、そして道路に沿って集落ができた。人の食糧が塩の多い鳥獣類から穀類に変わると、食を補うためにもっと多くの塩が必要であった。しかし、地下の岩塩鉱までは深くて達せず、地表に湧き出している塩は不十分であった。不足は塩を貴重な物とした。都市が広がるにつれて、塩は世界の主要な交易品の一つとなった。

 塩の道は地球上を交差した。最も長い道の一つはモロッコの南からサハラ砂漠を通ってチンブツクまで延びていた。エジプトからギリシャまで塩を運ぶ船は地中海とエーゲ海を横断した。ヘロドトスはリビア砂漠の塩オアシスを通るキャラバン・ルートを述べている。ベニスの光輝く富は普通の塩について外国の塩にはあまり依存していなかった。ベニス人はアジアの塩についてコンスタンチノープルで交換した。1295年にマルコポーロが中国から最初に帰って来た時、大汗国の押印した塩コインの莫大な価値の物語でドッジを喜ばせた。

 早くも6世紀にサハラ砂漠の南でムーア人の商人は塩1オンスと金1オンスを日常的に交換した。アブシニアではアモレスと呼ばれる岩塩の平板は国のコインとなった。コインは長さ約10インチ、厚さ2インチであった。塩の塊も中央アフリカの他の地域ではお金として使われた。

 塩は調味料や食品保存剤として働くだけでなく、良い防腐剤でもある。そのためこれらの健康的な結晶()についてのローマ語は健康の女神サラスの最初の従妹である理由である。ローマに続く全ての道の中で一番繁栄している道は塩の道、ビア・サラリアであり、そこをローマ兵士は行進し、商人はオスティアの塩田からテベレに貴重な結晶を満載した牛車を引いた。兵士の給与は-一部は塩であった-サラリウム・アルジェンタムとして知られるようになった。その言葉からサラリーという言葉は来ている。兵士の給与は“塩ほどの値打ちもなければ”減らされた。ギリシャ人やローマ人はしばしば塩を奴隷を買ったので、その言葉が使われるようになった。

 “全ての供物を塩で行わなければならない、”とレビ記2:13は言う。保存剤として塩を使うため、塩は旧約聖書のユダヤ人に対して永遠の印となった。

 肉を清める物としてユダヤ人の生贄における塩の使用は神とイスラエルとの永遠の契約を表すことから来た。一つの聖書の事例では、塩は忠誠の欠如を象徴していた。創世記19:1-29で、神の二人の天使は、ロトの妻と二人の娘に罪深いソドムの街を振り向かないで逃げるように命ずる。ロトの妻が一瞬後ろを振り向いたとき(彼女の信仰は不明)、彼女は直ちに塩に変わった。しかし、生まれて8日目の赤ん坊の唇に数粒の塩を置くローマ人の信仰儀式はローマ・カソリックの洗礼儀式であり、その儀式で、少しの塩を子供の口に置き、子供の寓意的清めを保証している。キリスト教の教理問答で、塩は今でもキリストの慈悲と知恵についての象徴である。マタイが“汝は地の塩なり”と言ったとき、彼は過ちを犯した山羊ではなく、群れの中いる祝福された価値ある羊に注意を向けている。

 中世に塩の昔からの神聖さは迷信の方向に移った。塩の柱は不吉な運命の兆しと考えられた。(レオナルド・ダ・ビンチの絵である最後の審判で、しかめつらのユダは彼の前にひっくり返った塩壺と一緒に描かれている。)塩をこぼすと、こぼした人は左肩越しにその一粒を投げなければならない。左側は、悪霊が集まる場所として不吉であると考えられたからだ。

 塩の社会的な象徴はアミー・バンダービルトのエチケットの完全な本と言う中世の同等の本でうんざりするほど明らかであった。18世紀の後半には、バンケットで客のランクは食卓上のしばしば精巧な銀製塩入れとの関係で座る場所によって評価された。ホストと“主賓”は食卓の先端-“塩よりも上手”に座った。ホストから離れた塩より下手に座った人々はほとんど席順に関係なかった。

 塩税は様々に確定され、あるいは政府の力を打ち破るのに役立った。何世紀もフランス人は王の貯蔵所から全ての塩を買わなければならなかった。ガベル、または塩税はルイ16世の治世中に非常に高かったので、不平の原因となり、ついにフランス革命を発火させるのに役立った。1930年後半に、インドで塩に課した高いイギリスの税金に反対した抗議で、マハトマ・ガンジーは彼の支持者を率いて海岸まで大行進をし、そこで自分達の塩を作った。

 社会に対する食品の重要性が言葉や文献の中で食品に対する引喩で測定できるとすれば、塩の重要性は実質的に無敵である。オックスフォード英和辞典のほぼ4ページが他の食品よりも多い塩関係に割かれている。“一粒の塩”は懐疑主義のレシピーであるかもしれない。しかし、塩がどのように歴史を味付けてきたかについては疑う余地はない。