スパイス棚から離れて:塩の物語
Off the Spice Rack: The Story of Salt
塩は美味しいだけでなく、命に不可欠であり、塩自身長く荒々しい歴史を持っている。
By Stephanie Butler
https://www.history.comより 2013.01.10
塩とコショウ入れを見ても思わないだろうが、それらは何年にもわたって多くの問題を引き起こしてきた。無害なセラミック電球の下には引き裂かれた王国と新しく発見された世界と強力な貿易王朝の歴史がある。スパイス物語は多くの本にあるが、次の2週間で塩とコショウを要約して見ていこう。
塩は食べ物を美味しくするだけではなく-実際に命に必要とされる。ナトリウム・イオンは、体がいくつかの基本的な仕事を実行するのを助ける。例えば、血球細胞中の水分を維持し、小腸が栄養素を吸収するのを助ける。体内で塩を作れないので、常に環境に目を向けて必要量を満たす必要があった。初期の狩猟民族は肉から安定した塩の供給を得られたが、農耕民族は動物の足跡をたどって塩の析出物までそれを探さなければならなかった。
エジプト人は最初に塩の保存能力を認識した。塩は食品から細菌繁殖の原因となる水分を取り除き、乾燥させ、冷蔵せずに長期間肉を保存することを可能にする。現代のパルマハム、グラブラックス、ブレザオラ、バッカラなどの珍味は全て塩漬けの結果である。しかし、当時、この種の保存は肉に限定されなかった:ミイラも塩詰めされた。事実、ミイラが貨物としてナイル川を下って出荷されたとき、それらは「塩漬け肉」として課税された。
古代の人々はどの様にして塩を手に入れたか?中国の山西省には塩湖の運城があり、紀元前6,000年には塩の備蓄の管理を巡って戦争があった、と推定される。水が蒸発し、塩の層が現われたとき、塩が乾季に湖から集められた。エジプト人はナイル川の沼地から塩を手に入れたが、一方、初期のイギリスの町は塩泉の周りに集まってきた。事実、ミドルウィッチやノルウィッチのような英語の地名の接尾語「ウィッチ」は塩の作業が一般的に行われていた地域に関連付けられている。
アメリカの歴史の中でも、運命は塩によって決定された。独立戦争中、塩は貴著な商品であり、食事だけでなく、皮なめし、衣服の染色、軍隊の食糧の保存にも使用された。南軍のジェファーソン・デイビス大統領は、海岸で塩の生産に取り組む意欲のある人に兵役の免除を提供した。内陸の製造施設が非常に高く評価されていたため、海は南軍にとって唯一の信頼できる塩の供給源であり、北軍の攻撃の酸素要求量機の標的となった。
次回、料理を味付けするときには、この豊かな歴史を考慮し、来週は塩の兄弟でもあるコショウの話に注目して下さい。