塩の味は意外と不思議
Salt Taste Is Surprisingly Mysterious
By Amber Dance
https://www.discovermagazine.com/ 2023.10.02
ナトリウムの摂り過ぎは良くないが、少なすぎるのも良くない。体に2つの感知機構があるのも不思議ではない。
舌で感知できる味は、甘味、酸味、苦味、うま味、塩味の5種類であると聞いたことがあるであろう。しかし、実際には、6種類ある。なぜなら我々は2つの異なる塩味覚システムがあるからである。1つは、ポテト・チップスの美味しさを引き立てる、比較的低めの塩分を感知する。もう1つは、塩分過多の食品を不快に感じさせ、食べ過ぎを抑制できるほどの高めの塩分を感知する。
我々の味蕾がどのようにしてこの2種類の塩味を感知するかは、謎に包まれており、その解明には約40年にわたる科学的研究が必要とされてきた。研究者達はまだその詳細を解明できていない。実際、塩味の感覚を調べれば調べるほど、その謎は深まっていくばかりである。
味覚に関する多くの詳細が、過去25年間で解明されてきた。甘味、苦味、うま味については、特定の味蕾細胞にある分子受容体が食品分子を認識し、活性化されると一連の反応を引き起こし、最終的に脳に信号を送ることが知られている。
酸味は少し異なる。酸味は酸味に反応する味覚細胞によって感知されることが、最近の研究者らの発見である。
塩に関しては、科学者達は低塩受容体については多くの詳細を理解しているが、高塩受容体の完全な説明は遅れており、それぞれの検出器がどの味覚細胞にあるのかの解明も同様である。
「我々の知識には、特に塩味に関して、まだ多くのギャップがある。私はこれを最大のギャップの1つと呼んでいる。」と、ドイツ、フライジングにあるライプニッツ食品システム生物学研究所の味覚研究者Maik Behrensは述べている。「パズルには常に欠けているピースがある。」
絶妙なバランス
塩分に対する我々の二重の知覚は、ナトリウムの二面性に間で綱渡りするのに役立っている。ナトリウムは筋肉や神経の機能に不可欠である一方で、過剰摂取は危険な元素である。塩分濃度を厳密にコントロールするために、体は尿中に排出するナトリウムの量と、口から摂取するナトリウムの量を調整している。
「これはゴルディロックスの原理である。」と、フロリダ州マイアミ大学ミラー医学部の神経科学者Stephen Roperは言う。「多すぎることも、少なすぎることも望まない。ちょうど良い量が欲しいのである。」
動物が塩分を過剰に摂取すると、体はそれを補おうとして水分を保持し、血液が過度に塩辛くならないようにする。多くの人間では、この余分な体液量が血圧を上昇させる。過剰な体液は動脈に負担をかけ、時間の経過と共に動脈を損傷し、心臓病や脳卒中の原因となる可能性がある。
しかし、塩分はある程度、体のシステムにとって必要不可欠である。例えば、思考や感覚の基盤となる電気信号を伝達するために必要である。塩分が不足すると、筋肉の痙攣や吐き気といった症状が起こる。アスリートが汗で失われる塩分を補給するためにゲータレードをがぶ飲みするのはそのためである。そして、時間が経つとショック状態や死に至ることもある。
塩味受容体を研究していた科学者達は、我々の体には、ナトリウムが神経膜を通過して神経インパルスを送るためのチャネルとして機能する特殊なタンパク質があることを既に知っていた。しかし、口の中の細胞は、食物中のナトリウムに反応するための、さらに特別な方法を持っているに違いない、と彼等は考えた。
このメカニズムの重要な手がかりは、1980年代に科学者達が腎臓細胞へのナトリウムの侵入を阻害する薬剤を用いた実験を行なった際に得られた。この薬剤をラットの舌に塗布すると、塩味刺激を感知する能力が阻害された。腎臓細胞は、ENaCと呼ばれる分子を使って血液から余分なナトリウムを吸収し、適切な血中塩分濃度を維持していることが判明した。この発見は、塩分を感知する味覚細胞もENaCを利用していることを示唆していた。
これを証明するために、科学者達はマウスの味蕾からENaCチャネルを欠損するように遺伝子操作を行なった。すると、これらのマウスは、通常のようにほんのり塩辛い溶液を好むという嗜好性を失ったことが2010年に報告された。ENaCがまさに「良い塩味」受容体であることが確認された。
ここまでは順調だ。しかし、良い塩味がどのように働くのかを真に理解するには、科学者達は、ナトリウムが味蕾に入り込み、それがどのようにして「うまい。塩辛い!」という感覚へと変換されるのかを解明する必要がある。「重要なのは、何が脳に送られるのかである。」と、メリーランド州ベセスダにある国立歯科・頭蓋顔面研究所の神経科学者で、ENaCと塩味との関連研究に携わったNick Rybaは言う。
そして、その神経伝達を理解するために、科学者達は口の中のどこで信号が始まるのかを突き止める必要があった。
答は明白に思えるかもしれない。信号がENaCを含み、味覚レベルのナトリウムに敏感な特定の味蕾細胞群から始まるはずである。しかし、これらの細胞を見付けるのは容易ではなかった。ENaCは3つの異なる部分から構成されており、個々の部分は口内のさまざまな場所に存在しているにもかかわらず、科学者達は3つ全てを含む細胞を見付けるのに苦労した。
2020年、京都府立医科大学の生理学者樽野陽幸が率いる研究チームは、ついにナトリウム味覚細胞を特定したと報告した。研究者達は、ナトリウムを感知する細胞は塩分が存在すると電気信号を発するが、ENaC阻害薬が存在すると電気信号は発しないという仮説から出発した。マウスの舌の中央から単離した味蕾の中に、まさにそのような細胞集団を発見し、これらの細胞がENaCナトリウム・チャネルの3つの構成要素すべてを構成していることが判明した。
科学者達は、動物が適切な塩分濃度をどこでどのように知覚するかを解明できるようになった。舌中央にある重要な味覚細胞の外側に十分なナトリウム・イオンがある場合、イオンは3つの部分からなるENaCゲートウェイを介してこれらの細胞に侵入できる。これにより、細胞内外のナトリウム濃度のバランスが整う。同時に、細胞膜全体の正電荷と負電荷のレベルも再分配される。そして、味覚細胞は「うーん、塩辛い!」というメッセージを脳へ送る。
塩辛すぎる!
しかし、このシステムでは、人間が血液の2倍以上の塩分を味わった時に感じる「うわっ、塩辛すぎる!」という信号を説明できない。この点については、話がやや不明確である。
いくつかの研究によると、塩のもう1つの成分である塩化物が鍵となる可能性がある。塩の化学構造は塩化ナトリウムであるが、水に溶けると正に帯電したナトリウム・イオンと負に帯電した塩化物イオンに分離する。塩化ナトリウムは高塩分感を最も強く感じさせるが、ナトリウムはより大きな多原子と結合すると塩辛さが軽減される。これは、ナトリウムの結合体が高塩分感に重要な寄与をしている可能性を示唆しており、結合体によっては塩辛さが強くなる場合がある。しかし、塩化物が高塩分感を引き起こす正確な方法については、「誰も見当もつかない」とRoperは言う。
一つのヒントは、Rybaらによるマスタード・オイルという成分を使った研究から得られた。2013年、彼等はこの成分がマウスの舌における高塩分濃度の信号を低下させたと報告した。奇妙なことに、同じマスタード・オイル化合物は、舌の苦味に対する反応もほぼ消失させた。まるで高塩分濃度を感知するシステムが苦味システムに便乗しているかのようであった。
さらに奇妙なことに、酸味細胞は高塩分濃度にも反応するようである。苦味系と酸味系のどちらか一方を欠損したマウスは、極度に塩辛い水にそれほど抵抗しなかったが、両方を欠損したマウスは塩辛いものを喜んですすった。
すべての科学者達が納得しているわけではないが、もしこの発見が確認されれば、興味深い疑問が浮かび上がる。なぜ、塩辛い物は苦味や酸味も感じないのであろうか?バンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学の神経科学者Michael Gordonは、塩辛さの感覚は単一の入力ではなく、複数の信号の総和であるからかもしれないと述べている。Gordonは樽野と共同で、2023年版Annual Review of Physiology誌に塩味に関する既知と未知についての論文を執筆した。
マスタード・オイルの発見は大きな成果をもたらしたが、高塩分の味覚に関与する受容体分子の発見は、これまでのところ結論が出ていない。2021年には、日本の研究チームが、塩化物イオンを細胞内に取り込む分子チャネルであるTMC4を含む細胞が、実験シャーレ内の高濃度の塩分にさらされると信号を発することを報告した。しかし、研究者達が体内のどこにもTMC4チャネルを持たないマウスを作製したところ、極度の塩分濃度の水に対する嫌悪感に大きな変化は見られなかった。「現時点では決定的な答えはない。」とGordonは言う。
さらに複雑なことに、マウスが人間と全く同じように塩味を知覚するかどうかを確かめる方法はない。「人間の塩味に関する知識は、実はかなり限られている。」とGordonは言う。人間は確かに、好ましい低塩分濃度と不快な高塩分濃度を区別することができ、マウスと同じENaC受容体が関与しているようである。しかし、ENaCナトリウム・チャネル遮断薬をヒトに投与した研究は、結果が複雑に絡み合っており、塩味が軽減されるように見えることもあれば、逆に増強されることもある。
考えられる説明野一つは、ヒトにはENaCの4つ目の余分な部分、デルタサブユニットがあり、齧歯類にはそれがないと言う事実である。このデルタサブユニットは他の部分の1つと置き換わり、ENaC遮断薬に対する感受性が低いバージョンのENaCチャネルを形成する可能性がある。
塩味の研究が始まって40年が経つが、研究者達は依然として、ヒトの舌がどのように塩分を感知するのか、そして脳がどのようにそれらの感覚を「ちょうど良い」量と「多すぎる」量に分類するのかと言う疑問を抱えている。これは単なる科学的好奇心を満たすだけのものではない。高塩分の食生活が一部の人々にもたらす心血管リスクを考えると、そのプロセスを理解することは重要である。
研究者達は、健康リスクを伴わずに「美味しさ」を生み出す、より優れた塩の代替品や塩味料の開発を夢見ている。しかし、健康を気にすることなく、気軽に食卓に振りかけられるような塩味料を発明するまでには、まだ多くの研究が必要であることは明らかである。