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            塩の神話を揺り動かす:塩の歴史  

Shaking up the Salt Myth: The History of Salt

By Chris Kresser

https://chriskresser.com/specialreports/salt/ on April 6, 2012より

 

“何時の時代でも、塩はその固有の自然特性をはるかに超えた重要性を授けられてきた…。ホーマーは塩を神聖な物と呼んでいる。プラトンは塩を特に神に近いものとして評しており、我々は現在、塩に宗教的な儀式、契約、不思議な魔力に重きを置いている。世界の全ての地域で、また何時の時代でも塩がそうであったことは、地方の習慣的な情況あるいは意向で扱っているのではなく、一般的な人間の傾向で我々は扱っていることを示している。”

アーネスト・ジョーンズ、1912年 

 

 近年、塩は論争の対象となっており、高血圧、心疾患、脳卒中のような多くの健康に良くない結果をもたらすとして次第に非難されてきた。アメリカ人が1日当たり平均10 gを摂取している我々の近代の食事では、塩はどこにでもある。この塩摂取量の中で75%は加工食品からで、わずかに約20%が自然に食べ物に入っている、または調理や食卓で自由に加えられる塩の使用からである(残りは水処理や薬物のような給源からである)。今日、塩について我々が読み聞きすることのほとんどは減塩する必要を我々に語っており、“供給される食品の中で最も有害な物質”とまで言われてきた。

 しかし、最近まで、塩は数千年の人類の歴史の中で非常に高い価値を維持してきた。マーク・カーランスキーが著書「塩の世界史」で述べたように、“塩は非常に一般的なもので、容易に入手でき、非常に安いので、文明の発祥から約100年前まで、塩はヒトの歴史の中で最も需要の多い物資の一つであったことを我々は忘れてきた。”したがって、我々はどのようにしてこの塩に対する飽くなき味覚を発展させてきたのか、そして、どうして健康に有害であるとして今や塩を怖がることになったか?さらに、塩は本当に我々の健康と幸福にどんな役割を果たすか?

 

塩に関するこの最初の部分で、塩の歴史的な重要性と人類社会の進化の中で塩の役割を述べよう。

 人類文明の発展は塩の追跡と複雑に関係している:野生の動物は塩舐め場への道を作り、人類はこれらの動物の後をたどり、塩はある場所の近くに居住地を建設した。これらの居住地が町となり国となった。人類と塩との結び付きは何千年もの歴史の中で多くの様々な情況や大陸間で広がってきた。現存するほぼ全ての社会は、食生活だけでなく、医療、政治、経済、宗教でさえもある程度塩を使っている。

 カーランスキーの「塩の世界史」は何千年にもわたって人類の発展に塩が演じてきた信じられないほどの役割を説明している。ユダヤ教とキリスト教で、塩は神と古代のヘブライ人との間の契約の象徴である。古代エジプト人、ギリシャ人、ローマ人は捧げ物、供物に塩を含めた。塩は邪悪な目から守るとイスラム教徒は信じている。中世では、塩をこぼすことは不吉なことと考えられ、こぼした人は一つまみの塩を左肩越しに投げなければならなかった。

 文明や農業が広がるにつれて、塩は最初の国際的な交易商品の一つとなり、その生産は最初の産業の一つとなり、多くの最大級の公共事業は塩を得ることの必要性によって動機付けられた。塩の交易ルートはアフリカ、アジア、中東、ヨーロッパ間の世界に張り巡らされていた。塩はしばしばお金として使われ、死に物狂いで欲しがられ、大量に貯蔵され、探索され、取引され、塩を巡って戦いすらされた。

 塩はその価値の比喩として言葉の中にも入ってきた:骨身を惜しまないで働く人は“塩程の価値”があると知られており、我々の中で最も立派なヒトは“地の塩”として知られている。“sal-”と言う元の言葉はラテン語に起源があり、塩を意味する。塩について人類の高い価値に歴史的に基づいた言葉は、“健康を授ける” と言う意味の“健康的な”そして塩を買うためにローマ兵士に与えられたお金のラテン語でサラリウムに由来する“サラリー”を含んでいる。

 “サラス”は健康と繁栄のローマの女神である。“サラド”という言葉はイタリア語のサラタから発している。ローマ人はしばしば塩水に漬けられた様々な生野菜料理を食べたので、その名前はハーバ・サラタまたは“塩漬け野菜”を略したものである。オックスフォード英語辞書の4ページ近くが塩の言及に割かれており、他の食品以上に割り当てられている。明らかに、世界中の多くの文化で塩に置かれている高い価値は人類の歴史の発展過程に大きく寄与してきた。

 

しかし人類の有史前についてはどうか?

 塩についての人の味覚や欲求にもかかわらず、塩摂取量は旧石器時代には極端に低いようであった。旧石器時代の人々が塩の抽出または内陸の塩鉱床を発見したと言うエビデンスはなく、旧石器時代の摂取量を現在の時点で推定するとチンパンジーの摂取量と同じようである。農耕以前の人類はわずかに768 mgのナトリウム(塩で約1.95 g)を毎日摂取していたと推定され、その量は現在の摂取量よりもずっと低い。塩の採鉱、製造、輸送は新石器時代に始まり、その時、農業が発展した。

 疑問は、何が新石器時代の人を塩の探索に駆り立て始めたか?である。当然のこととして、狩猟採取食から大部分を穀物や野菜からなる食事への移行は補給しなければならない食用塩の調達を必要とした。多くの肉食動物のように、あまり汗をかかないと言う条件で、人類は肉や海産物を食べることによって必要な塩を満たせられる。例えば、東アフリカの家畜を移動させながら生活している遊動民族のマサイ族は家畜の血を飲むことによって容易に十分な塩を摂取できる。近代社会と歴史的な狩猟採取社会では、狩猟民族は農業民族と違って製塩したり、塩を交易しないが、人類が穀物を栽培し始めると、塩の摂取必要量は増加することは一般的に分かってきた。

 旧石器時代の塩摂取量について我々が知っていることや、それを新石器時代や今日の摂取量とどうやって比較するかに基づくと、我々自身の塩摂取量に関して我々はどの辺りにいるのだろうか?塩を完全に避け、我々の必要量を満たすために単に十分な動物製品を食べることが理想的であるか?あるいは元々の旧石器時代の食事からの理論付けはないにもかかわらず、食事に加えられた塩が最適な健康や福祉に役割を演ずることができるか?

 

塩に関するシリーズの2部では、人体にける塩の生理学的な役割と我々の必要な塩摂取量についてエビデンスが語っている(または語っていない)ことを考察する。