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塩を回して下さい:低塩食の神話

Pass the Salt: The Myth of the Low-Salt Diet

By Michael Bader

AlterNet 2017.07.18

 

 塩を摂って下さい。漬物を食べよう!サラダにもっとアンチョビを着けよう!ジェームス・ディニコラントニオの新しい本によると、血圧や心臓に心配なく自由に塩を摂取できる。事実、あまりにも少なすぎる塩は健康を危険にさらす。

 ガリー・トーブスの本、砂糖の問題のように、薬理学者で心血管研究者であるジェームス・ディニコラントニオは彼の新しい本、塩の常識:どうして専門家達は塩を摂取することを全て悪いとするのか-そしてどれだけ多く摂取するとこが命を救うかもしれない、で栄養上の厄介で面倒な事を覚醒させる。ディニコラントニオの主張は簡単である:塩制限食が大多数の人々で血圧を低下させるという信頼できるエビデンスはなく、心疾患や脳卒中を引き起こすこともない。事実、減塩は有害で、インスリン抵抗性、二型糖尿病、コレステロールとトリグリセライドの上昇、心臓への異常な負荷、そして腎疾患のような状態を起こしやすくするように思えると彼は主張する。結局、塩は慢性疾患になると非難する悪く白い結晶ではほとんどない、とディニコラントニオは我々に気付かせる。本当の悪者は砂糖である。

 読者は塩の常識をむしろショッキングであると気付くかもしれない。我々は塩を意識した文化の中で生活している。私の成人生活のほとんどの中で、塩は私にとって悪いと信じてきた。アメリカ人の50%は現在モニターしており、あるいは減塩を試みており、25%は健康専門家達によって塩摂取量を抑制するように言われ続けている。塩を避けることは健康十戒の一つである。しかし、ディニコラントニオが塩についての科学的論争の歴史を通して読者に繰り返し述べたように-彼は塩戦争と称していること-減塩について1950年代と60年代の最初の呼び掛けを支持するエビデンスの弱さによって印象づけられただけであった。試料数は少なく、エビデンスは間違って述べられ、医学研究について黄金基準であるランダム化比較試験はなかった。

 1977年に、上院議員ジョージ・マクガバーンの栄養と保健要求に関する特別委員会のスタッフは、塩摂取量“目標”-特に3 g/d以下を最初に主張した“アメリカ合衆国の食事目標”を称する報告書を提出した。ディニコラントニオが示すように、お粗末な科学が確信した公衆政策となった。タイム誌は派手な“殺し屋塩”の表題を付け、いわゆる塩中毒者は全国で夕食の食卓で恥ずかしい思いをした。

 公衆保健当局は心血管疾患の流行を取り扱うために圧力をかけられた。第二次世界大戦後のアメリカで、心疾患の上昇を警告することが次第に明らかになってきた。1950年に、アメリカ合衆国の男子3人に1人が60歳になる前に心血管疾患を発症させた。1960年代後半にその発症率の高さで、心血管疾患はガンと同じほど2倍となり、そのことは全ての先進国で見られた。心血管疾患は主要な死因となった。

 研究は心疾患に寄与する生活様式要因に関することであった。公衆保健当局と研究者達は環境要因を調べることによって(コレラのような)他の疾患の治療に進行させてきた。どうして心疾患ではないのか?彼等の推論は特定の意味を持っていた。ほとんどの人々はその後脳卒中や心血管疾患を含む変性疾患になると考えられていたことで結局死んだ。しかし、希望はこれらの疾患の始まりであり、永遠にかろうじて食い止められなかったが、予防的なアプローチを通して少なくとも遅れさせられたかもしれなかった。そのようなアプローチが開発されれば、医者や公衆保健当局はそれを採用し、それは広く行き渡る影響を持っている。その鍵は、食事のような幾つかの要因が修正されるプロトコールを発展させられることである。公衆保健メッセージは“血圧を下げること”から“高血圧危険率を下げる”とした。塩は都合の良い敵であった。高塩食を食べさせられたラットは血圧上昇が見られ、高血圧は心臓発作や脳卒中の原因で主たる危険要因であることを研究者達は知っていた。事実、これらのプロシーディングスの1人の参加者は、塩が飽和脂肪酸または砂糖よりも“一層豊富な目標”であると述べた。特に砂糖は全く最近まで自由に摂取できた。

 塩懐疑論の問題は、データがいくらよく見ても不明瞭で、最悪の場合では塩摂取量、血圧、心疾患との間で何らかの有意な関係を示すことに全く失敗したことであった。そのような関係が少しでも明らかになったとき、それは小さく-多分、せいぜい被験者の収縮期血圧または拡張期血圧で1mmHgであった。事実、ほとんどの人々は塩摂取量に対して全く感受性でないとディニコラントニオは主張している。異常病態生理学についての彼の豊富な知識を引用して、正常血圧者については、塩摂取量が腎臓の処理能力の上限をわずかに上回ったとき、腎臓は効率的に塩を排泄する信じられないほどの強力な器官であることを彼は指摘している。他方、塩摂取量が制限されたとき、我々の身体はこの情況を生命危機と捉えて、一連のホルモンや代謝救援行動を始動させる。その行動自身は脈拍増加やインシュリン、コレステロールそしてトリグリセライドの血清濃度上昇を含むネガティブな副作用である。

 20世紀後半に、冷凍の出現は食品保存の主要な手段としての漬物、塩水漬け、塩漬けと置き換わった。この変化は、心疾患や他の慢性疾患が上昇している同時期中にアメリカ人の平均塩摂取量を下げた。したがって、塩は原因とはなり得なかった。

 ディニコラントニオは、どうして弱い科学が我々の文化と公衆政策に正式に記すようになった理由について積極的な説明を実は出来なかった。対照的に、精製糖や高果糖コーンシロップの重要な健康障害を示す圧倒的な研究の科学的で政策的な否定は製糖業界の経済的、政策的利己に容易に寄与される。しかし、ずさんな科学と減塩を含む厳格なガイドラインの背後には“低塩ロビー”はいない。塩の場合、原因は医療や公衆衛生施設内の高い競争力の相互作用であるように見える。研究者達は自分達の研究を半減させるが、塩は効率的に批判され、公衆衛生当局と政策当局は、彼等の勧告値が全て一括して間違っていたかもしれないことを認めることが出来なかった。

 減塩が“公式な”食事ガイドラインになったとき、減塩推進団体はそれまでに大きな勝利を得ているが、科学的論争が猛烈に行われてきており、塩の常識は読者に塩の気の利いた興味深い評価を提供している。科学作家のガリー・トーブスはかつて塩をこの方法で述べた:“減塩の利益を巡る論争は、あるとしても、全ての医学の中で最長で続く、最も激しく現実離れした論議である。”

 ディニコラントニオは、塩が健康と疾病で演ずる役割に対して常識的なアプローチを取っている。特に、我々は生命を維持するために十分な血液量を持っていることを塩は保証している。塩は食べ物の味も非常に良くする。我々の身体は自然のサーモスタットを持っている。我々は自然な塩渇望を単に尊重するのであれば、そのサーモスタットは我々に十分な塩を摂取することを保証する。我々が塩を必要としたときにはもっと塩を探し、塩を十分に摂取しているときには摂取を止めるために、このサーモスタットは脳に信号を送る。これら全ての事は自動的に生じる、すなわち、塩摂取量を人為的に制限することによって我々は物事を悪くしない。他方、砂糖渇望は、かなりの低血糖になる希な場合を除き、生理学的な必要性からは発生しない。塩摂取は、身体がある点で減塩するように指示するネガティブなフィードバック・システムである(味覚受容器は摂取を促すことから摂取しない感覚に実際にスイッチを切り替える)。しかし、砂糖は、砂糖を食べれば食べるほど欲しがるポジティブなフィードバック・システムで、それ故に食べ続ける。

 砂糖は心疾患を引き起こす。塩は引き起こさない。したがって、次には塩を渇望し、喜ばせる。そうすることにより身体は良好に維持される。