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塩-友人か敵か?

Salt –Friend or Foe?

By Eberhard Ritz

              Nephrology Dialysis Transplantation 2006;21:2052-2056  2006.08.01

 

はじめに-塩の歴史

 塩の潜在的な利益または損害の問題がどうしてそんなに論争されるのか?

 医学を超えて歴史家バーギアーの主張に注目することは価値がある。塩は古くから極めて貴重な物であり、良い意味でも悪い意味でも深い象徴的な意味を持っていたと彼は主張した。良い意味では、この白い物質は純潔で、腐敗しない、不滅の象徴であると言う事実はアラビアの諺に反映されていた:‘塩は虫に食われない’。それはまた不死の象徴と不変の忠誠の象徴でもあった。これは、例えば、パンと塩を客と分け合う行動に反映されており、今でもスラブ諸国で行われている。塩は契約を批准し契約を調印する儀式で使われた。それは次のような引用で示された、‘主の前で塩は永遠の塩の契約’であり、あるいは‘イスラエルの主はイスラエルの王ダビドと彼の息子に永遠の塩の契約を与えた。’

 塩はまた健康を促進するとも思われた。ラテン語では健康や健康的なという言葉はサルスとサルブリスでサル、すなわち、ソルトに由来していることを今日、ほとんどの人々は知らない。フランス人がお互いに‘サルー’と言って挨拶する時、彼等は実際に塩のことを言っているとは、ほとんどの人々は気付いていない。

 塩は貴重な日用品であり、我々の国語で多くの言葉はソルトに遡れる。兵士への支払いはコインではなく、ある量の塩でサラリウムと言われ、それは今日でも英語のサラリー、フランス語のサライレと言う言葉の根源である。兵士に支払うサラリウムも今日の言葉であるソルドやソルジャーの元になっている。

 多くの市が塩にちなんで名付けられている事実によっても塩の経済的価値は反映されている。サンドイッチを食べる時、‘ウィッチ’で終わることは、この特別な村の塩田で昔、塩が生産されていたことを意味する事実にほとんど気付いていない。ケルト語の綴り‘ハル’(ソルト)はハル/チロルのような市の名前でも見られる。ドイツ語の‘ザルツ’または英語の‘ソルト’はザルツブルグ、ランゲンザルツ、ソルトコーツのような村の名前で見られる。

 塩は非常に高価であった。塩は生産費の20倍以上で消費者に販売された。フランスでは、農民家族の収入の1/8は塩で使われた:第一には重い塩税であるガベルのためで、第二には‘義務の塩’と呼ばれるこの高価な塩を一人当たり9 kgを王立店から購入しなければならなかったからだ。塩の密輸が答えであった。塩の密輸と戦うために、隠密で特別な警察部隊が作られ、それは軍事行動も起こし、隠された塩のために私有財産を捜査できた。他方、密輸された塩を下着に隠すことに慣れている婦人に悪戯するために有名であった。塩税がフランス革命の一つの大きな理由であったことは今日ほとんど知られていない。税の過酷な性質は、フランス革命前の最後の年に、3,500人の市民が塩密輸のために死刑またはガレー船送りと宣告された事実に反映されている。

 バーギアーによると、この過去の重い負担は、確かに食品産業の介入も考慮に入れていないが、塩が健康に有害か、あるいは有益かに関して極端に不合理で辛辣な同時代の考察の根底となっている。

 歴史的には、食べ物に塩を加える塩の使用は非常に最近のことである。一方、生命は数十億年前に発生しており、わずか数千年前に人は塩を使い始めた。狩猟採取生活は1 g/d以下の摂取量であり、今でも有名なブラジルのヤノマモ・インディアンは3 g/d以下の塩摂取量で生活している石器時代の狩猟者のような旧石器時代条件下で生活している幾つかの種族がいる。

 農耕生活になると、塩消費量は増加したが、その後でも塩消費量はまだ初めのうちのように比較的低かった。

 もっと近くの過去においては塩消費量はどれくらいだったか?プリニウスとコルメラによると、ローマ料理は平均25 g/dの塩で用意された。ガベルによる税金のため、18世紀のフランスについて優れた記録が利用でき、当時は20 g/d以下であったことを示している。16世紀には、スェーデンで毎日の塩摂取量は100 g/dであったとニルス・オルウォールは報告した。これは年中、主に非常に塩辛い魚しか食べられなかった事実によるためであった。

 

有益性対有害性

 西欧社会で10 15 g/dと言う範囲の現在の高い塩摂取量が無害か有害であるかについて、今日、論争が進行中である。多過ぎる塩摂取量は有害であると言う考えには長い歴史がある。有名な黄帝の書物に、賢明な古代中国人は紀元前3千年に健全な懐疑論を述べた:‘多くの塩を食べ物に加えると、脈拍は強くなり、涙が出て顔色が変わる’-望めば塩で誘発される高血圧の記述もある。

 今日、この十分に認められている意見は広く普及しているが、全体的には受け入れられていない。マクレガーとデワルデナーは彼等の書物で ‘ネプチューンの毒を入れた聖餐杯’として塩に言及した。

 

塩摂取量と血圧の関係

 腎臓疾患あるいは内分泌疾患のない人々でも、塩が血圧を上昇させ心血管疾患を発症させると言う今のエビデンスは何であろうか?エビデンスの最も説得力ある物の一つは、99%が我々の遺伝子と同じであるというチンパンジーに関するデントンの最近の実験結果である。3年間、社会的に安定したグループの26匹が低塩含有量の果物・野菜食を食べさせ続けた。その後、彼等は人の摂取量と比較できる増加した塩摂取量に27ヶ月間切り替えられた。非常に大きく、しかし個別には変動があるが、血圧上昇が観察された。そのことは6ヶ月後に十分に可逆的であった。

 ヒトではエビデンスはあるか?一つの研究で、ポルトガルの二つの村で血圧がモニターされた。村の一つは減塩を主張している運動に従い、もう一方は従わなかった。塩摂取量が変わらなかった村では数年間で血圧は上昇し、減塩の村では低下した。-しかし、この研究は幾つかの理由で批判されている。

 同じように批評を超えていないが新生児に関する研究はそれでも印象的であった。コントロール食と比較して6ヶ月間、新生児に減塩食を与えた時、25週間で2 mmHgの血圧差が見られた。彼等が青年に成長した時、差は3 mmHg以上に僅かに上昇した。

 ほとんどの研究者達の意見で、この問題に関する決定的な研究はDASH研究(高血圧予防食研究)である。塩摂取量が通常の8.8 g/dから2.9 g/dに減らされた時、結局、コホ-トの収縮期血圧は6.7 mmHg低下した。低下は高血圧者ではもっと大きかった(-11 mmHg)

 メタアナリシスは、どのような形而上学が物理学に関係しているかを解析することとシニックスは言う。それが価値があることであるかについて、3 g/dの塩摂取量低下は高血圧者で5.6 mmHg正常血圧者で3.5 mmHg収縮期血圧を下げることを最近のメタアナリシスは示した。全集団で3 g/dの減塩は脳卒中を13%と虚血性心疾患を10%減らすと著者らは外挿した。この計算はマクマホンによる血圧と心血管疾患との関係の疫学的解析に基づいていた。

 

塩はどのようにして血圧を上昇させるか?

 古典的な意見は、塩を食べると、喉が渇き、水を飲むことが血漿量や細胞外液を増加させ、心臓拍出量を上昇させ、血圧を上昇させる傾向になる、ということであった。長い間、自動制御の機構を十分に理解せずに、末梢抵抗は増加するので、血圧はさらに上昇する。この遅れた血圧上昇は‘ラグ・フェイズ’の現象に従っているかもしれない。これはスクライブナーが元々提案しており、透析患者で正のナトリウム収支に対する血圧応答を説明した。

 この古典的な意見は真実であるが、混乱因子のために十分に真実ではない。第一に、ティツェは次のようにエビデンスを提供した。幾つかの条件下で、塩は体内、特に皮膚に浸透圧的に不活性な形である程度蓄積される。第二に、塩摂取量に応答して血管を拡張させる酸化窒素(NO)の産生量を一時的に増加させることは齧歯動物(そして多分、人でも)間で均一ではないことを我々は今では知っている。ほとんどの種で、佐藤が示すように塩負荷はNOS3の活性を増加させ、そして逆に減塩は低下させる。血管を拡張させ血圧を低下させるNO産生の補償的増加で塩誘発性血圧上昇に十分に反応しない人々は多分、塩感受性、すなわち、高塩摂取量で高血圧を発症させる人々である。

 

塩と酸化ストレス

 疾患になり易い人々の高血圧は高塩摂取量の下側だけではない。高塩摂取量ではNADPHオキシダーゼの活性と反応性酸素種(ROS)の発生は増加するエビデンスをソワーズは最近要約した。逆説的に酸化ストレスの同様の増加は低い塩摂取量に対する応答でアンジオテンシンⅡによってもたらさせる。ROSは内皮細胞で合成されたNOを取り除く。結果として、不十分な血管拡張だけでなく、高度に毒性のある過酸化窒素の血管毒性がある。

 しかし、事態はもっと複雑である。毒性酸素種の濃度はそれらの合成と分解のバランスによる結果である。残念ながら、最近、腎臓でキチカヤラが発表したように、高塩摂取量はNAD(P)オキシダーゼを通して合成を刺激し、同時に過酸化ディスムターゼによって阻止される。彼の研究で、酸化ストレスの最先端の脂質マーカーである8-イソプロスタンの増加した尿排泄量によって反映されるように、これらの酵素の変化した発現は増加した酸化ストレスを伴った。

 しかし、酸化ストレスの発生とは別に、高塩摂取量が組織損傷を媒介することを通して数多くの他の機構がある:AT1受容体の高い発現、心臓や血管におけるアルドステロンの高い局部合成、タンパク質キナーゼCの増加とERK活性等である。

 

塩と心血管目標器官の損傷

 目標器官損傷と腎臓疾患と同様に心血管疾患の発症増加に進める潜在的な病因機構に及ぼす高塩摂取量の逆効果はあるか?

 若い男性では、8.6 g/d以下または以上の塩摂取量は左心室量の決定因子であることを数年前にクパリは示した。この効果は高い収縮期血圧の存在で増幅された。この結果はごく最近他の人々によって確認された。高塩摂取量の人々は高い左心室量指標、高いアルブミン排泄量と高い脈圧であり;さらに収縮期血圧とこれらの指標との関係について急な勾配が現れた。言い換えれば、高塩摂取量は血圧に対して目標器官損傷の行き過ぎた反応を誘発した。

厳しい終末に及ぼす影響についてエビデンスはあるか?

 フィンランド研究で、塩摂取量は血圧とは無関係に、冠状心疾患の危険率と全ての死因を増加させた:塩摂取量が6 g/d高くなると、冠状心疾患の危険率が50%、全ての死因が20%増加した。

 この観察は最近のメタアナリシスで確認された:高塩摂取量が高い全ての死因、脳卒中発症率と冠状心疾患死亡率を引き起こしたが、肥満だけは例外であった。したがって、肥満は明らかに補助的な条件である:肥満者では、脳卒中率は2倍、冠状心疾患は50%高く、全ての死因は32%高かった。

 

塩と腎損傷の進行

 遠い過去における減塩は腎臓疾患患者治療の第一歩であったけれども、この話題に関するごく最近の腎臓学文献に管理されたデータがあまりにもない。エビデンスの最近の一端はPREVENT研究から来ている。オランダ、グロニンゲンの全人口で、尿中アルブミン排泄量の累進的な高い比率はナトリウム排泄量の高い累進的な高い比率と関係していた。特に体格指数が大きくなると、肥満が役割を演ずるのがヒントである。減塩は高血圧黒人でアルブミン尿を減らすが、付随する血圧低下は解釈を難しくする。ナトリウム排泄量とアルブミン尿との相関も糖尿病患者で観察されてきた。

 実験研究から得られる情報がもっとある。片側の腎臓を摘出された自然発症高血圧ラットのモデルで、高い腎糸球体圧力と腎臓肥大は低塩摂取量で予防され、これはハイドロクロロサイアザイド投与で模倣できなかったことをベンスタインは述べた。さらに、ほぼ全面的に腎摘出されたムニッチ・ウィスター・ラットで、低塩食は腎糸球体量の増加量低下と腎糸球体損傷の兆候を引き起こした。進行に及ぼす減塩の有益な効果も抗胸腺細胞血清糸球体腎炎のモデルでごく最近証明されてきた。

 一連の実験研究は根元的な分子機構に洞察を提供し、成長因子-β(TGF-β)NOS3を変容させることを通して糸球体に信号を送ることのバランスは内皮細胞損傷と漸進的な糸球体損傷を促進させる塩摂取量によって調節されたことを証明した。

 

塩飢餓

 バランスの取れた意見を提供するために、近年の塩過剰の反対、すなわち、塩欠乏も見なければならない。塩を欲しがる塩飢餓は少なくとも草食動物では普通であることを生理学者マンレイは19世紀に述べた。彼は次のように書いた:‘塩欲求の普遍的な存在は、塩が単に味覚を満足させる物よりももっと重要な機能を果たしていることを確かに示している。’

 草食動物が塩を含んでいる泉、例えば、雄鹿(タイナッハ・ハーシュケルで)、豚(リューネブルグの塩水性沼沢で発見されたザルツソウ)そしてシャモア(チロルのハル付近の岩塩発見に導いた岩塩を舐める狩猟者が観察した)をしばしば訪れることを猟師が観察した時、多くの鉱泉が発見されたことは興味深い。野生の動物が人間の尿中の塩に引き付けられた事実によってデントンは動物の家畜化を説明した。

 これについては同時代のエビデンスもある。カナダの木こりが山小屋を小便所として悪用してきた時、ヤマアラシが彼等の山小屋のベランダの柱を齧っているのを彼等は見た。そして岩の上に広がっている汗のしみ込んだプルオーバーが山羊やシャモアを引き付けることをアルピニストは知っている。しばしばノミを採っていると言われているサルのグルーミングでも皮膚の塩辛い分泌物を探していることの反映であり、塩が下毛に付いている時、グルーミングが強まる事実によってこれは証明された。

 

塩飢餓はヒトでもあるか?

 セネガルに最初に遠征した後、バレンティン・フェルナンデッツは次のように書いた:‘上司は何よりも塩とより多くの金を交易している(実際に1 kgの塩で1 kgの金と交換)。彼等は彼等の家畜と彼等自身のために必要としている。塩がなければ、彼等だけでなく彼等の家畜も生き延び、繁殖できないことを彼等は述べている。’

 その後、疑問が生じる:塩飢餓動物が自然であり、動物が死に物狂いで塩を探すとすれば、低塩摂取量も有害になるのであろうか?

 一番低い四分位数の尿中ナトリウム排泄量の人々は55歳以下と以上の両方で最高の心筋梗塞率であることをアルダーマンは報告した。低塩摂取量はアンジオテンシンⅡを増加させることによって冠状心疾患危険性を悪化させると言う仮説を提唱した。

 極端な低塩摂取量はネガティブな結果をもたらすと言う仮説についての実験的なエビデンスは最近のイバノフスキーの研究で提供されている。遺伝的にアテローム性動脈硬化症性アポE欠損マウスで、減塩はアテローム性動脈硬化症を促進させることを彼等は述べた。通常の塩摂取量では、全体的な大動脈損傷領域は低塩摂取量でよりも有意に低かった。

 低塩摂取量の逆効果についての他の例はバチスタの研究である:妊娠ラットが極端な減塩に晒されると、その子供は少ない糸球体やネフロンで生まれた。大人になると、彼等は高血圧を発症させた。

 少ないネフロンの結果はラットに関連してないことは、少ないが大きな糸球体を持った本態性高血圧患患者の少なくて大きいネフロンの観察によって示唆される。低塩摂取量の特別な役割は証明されていないが、妊娠時の栄養不良は子供の腎臓危険性を増加させることも間接的なエビデンスが示唆している。

 

適正な塩摂取量-バランスの問題

 ナトリウム収支の両極端の酸化ストレスは二つの悪い効果間の折衷案として最適塩摂取量の選択を求めている。ソワーズによって示唆されたように、少な過ぎる塩摂取量と多すぎる塩摂取量との間でバランスを取らなければならない。一方ではレニンーアンジオテンシン系の刺激と他方では酸化ストレスの発生が最小限である摂取量を人は選ばなければならない。カリウム摂取量の増加とともに中程度の減塩(6 g/dの塩摂取量)を要求することは、他の社会と同様にヨーロッパ高血圧協会とヨーロッパ心臓協会を導く多分、この考察であった。

 私の意見では、最適塩摂取量の問題は痛烈な論争の目的ではなく、合理的な理由を持ってバランスの取れた意思決定に挑戦することである。