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塩-多過ぎるそれとも少なすぎる?

SaltToo Much or Too Little?

By Eoin O’Brien

Lancet 2016;388:439  Comment

 

 みかけのドグマが挑戦してきた時、曖昧な説得力を避けるために、我々は論争すべきでなく、むしろいわゆる科学的不確実性という包括的な表現に同意すべきである。塩摂取量についての集団戦略の問題は適切な事例である。“食事中の過剰な塩は血圧を上昇させる”そして高血圧者の減塩戦略は心臓血管疾患を予防する、という以外に主張はない。しかし、全人口の減塩は全て有益であると言う推論は、そうすることが実際には有害であるかもしれないと言う主張に挑戦されてきた。

 比較的最近まで、世界中の政府は全ての人の健康を改善するために食事中の塩を減らすために陳情されるべく戦略的な容認があった。

 このアプローチに向けての最初の本格的な挑戦は、低ナトリウム排泄量が心臓血管疾患死亡の増加を予測したヨーロッパ人の研究からきた。ランセットは、“塩と疾患について我々の理解にほとんど寄与しない” し、“この研究結果は考え方も行動も変えない”として研究を無視した。その後、しばしば科学的データが出てきて、この無視された研究に対する反駁が、低ナトリウム摂取量は心臓血管疾患危険率の増加と関係していることを確認した別の大規模な研究からきた。これらの研究はアメリカの疾患管理予防センターに全人口の減塩で潜在的な有害性についてのエビデンスを評価するように促した。ほとんどのエビデンスは高ナトリウム摂取量と心臓血管疾患危険率との間のポジティブな関係を支持しているが、決定的でないエビデンスにもかかわらず、低ナトリウム摂取量は全人口のいくつかの集団で悪い健康効果と関係していることを示唆していることがある、と結論を下した。

 2014年に18ヶ国で157,543人の成人で行われたPURE研究は、高いナトリウム排泄量(5 g/d以上)と低いナトリウム排泄量(3 g/d)以下の両方は心臓血管疾患の危険率増加と関係していることを示し、その結果、J字型関係の曲線を示した。この研究に関して正当な理由がある論説は次のことを認めた。年間9百万人以上の死亡を示す心臓血管疾患について高血圧は最も普通の変更できる危険因子であるので、この流行を止めるかもしれない減塩のような集団に基づく戦略を評価することは科学界の義務である。問題はランダム化比較試験を行った結果でのみ解決され、“そのような試験がなければ、結果は短期的に類のない公衆保健勧告として反減塩を主張している”と論評は主張した。

 この見解に対する支持は大規模なメタアナリシスやコホート研究によって大きくなってきたが、最も説得力のあるエビデンスはアンドリュー・メンテと同僚達によってランセットの今月号で報告されている。49ヶ国以上から133,118人、その内の半分は高血圧者で半分は正常血圧者のナトリウム排泄量は、心臓血管疾患と死亡は高血圧状態に関係なく低ナトリウム摂取量で増加することを示し、一方、1日当たり7 g以上のナトリウム摂取量の高血圧者だけで心臓血管疾患と死亡の危険率増加があった。これらの結果に基づくと、減塩のための人口戦略は高い塩摂取量でも高血圧者の少数(11%)を最高の目標としており、そのような政策は低ナトリウム摂取量や低血圧の人々については有害であるかもしれない、と結論付けられる。

 これらの刺激的な結果は挑戦される。尿のナトリウム排泄量を推定するために使われる方法は24時間尿排泄を代表しているものではないと主張される。反対意見がこれで、技術は個々人の24時間ナトリウム排泄量の推定のためには不適であるのに、健康な人と高血圧の人の両方で24時間尿収集に対抗してそれが有効とされてきており、したがって、集団の疫学研究で平均的な集団のナトリウム摂取量の確実な測定法として用いられている。結果に関してナトリウム摂取量を測定するためにランダム化比較試験は全く不可能であるのに、全人口の減塩戦略の有益性は潜在的な有害効果より優る、と強く主張されている。しかし、後者の危険性を正確に定義しないで、前提が根拠としている仮定が科学的に不正確であると言う点でこのアプローチは本質的に間違っている。大規模な先見性のある観察研究は支えとなるエビデンスを与えるが、それらは因果関係を証明するものではなく、したがって、試験的なランダム化比較試験を始めることを奨励する。

 結論として、非常に多くの生理システムがナトリウム陽イオンに依存しているので、全人口への減塩政策は有益性もあり有害性もあることは驚くべきことではないと我々は認識しなければならない。したがって、食品中のナトリウム含有量を減らすために行ってきた積極的な努力を放棄するために相反するエビデンスを認めるよりもむしろ、今や少数派を含めないで社会の大多数に有益になる政策を立案する努力に向かわなければならない。