たばこ産業 塩専売版 1996.07.25
「塩と健康の科学」シリーズ
(財)ソルト・サイエンス研究財団研究参与
橋本壽夫
減塩懐疑論者の意見(1)
少し古い1984年のイギリスの医学雑誌に「ナトリウム摂取量を減らすべきか?懐疑論の立場」という表題の論文が掲載された。論文の著者らは基本的には減塩に賛成であるが、その政策を進めるには条件が整っていないとの立場から、減塩政策に対して懐疑論を展開している。条件が整っていない状況はその後から現在まで変わっていない。論文の内容を紹介し、減塩推進政策の何が批判されているのか、理解していただければ幸いである。
減塩の議論
減塩論者は次の三点を主張している。
@食塩摂取量は西洋社会で高く、年齢とともに血圧は上昇し、高血圧は一般的な症状で、過剰な食塩摂取量が高血圧の原因となることが事実として示されている。
A各種研究も高血圧の原因に食塩をあげている。
B食事実験も食塩と血圧との関係を示唆している。食塩摂取量の増減は正常血圧者よりも高血圧者で大きく血圧を変える。
要するに、低食塩摂取量の社会では高血圧はまれで、高食塩摂取量の社会では一般的である。高血圧の原因と食塩は関係している事実がある。減塩により高血圧患者の血圧を低下させられ、降圧剤の危険性を減らすことができる。
したがって、高血圧者は減塩すべきで、減塩は高血圧の発症を予防するので、西洋社会では減塩の事例がある。
高血圧症の原因と食塩
食塩摂取量と血圧に関する疫学的事実は外面的には説得力のある事例のようにみえ、集団の血圧と平均食塩摂取量との間に有意な相関がある。しかし、これらの集団間には、食塩摂取量以外の要因に相違があり、血圧上昇はそのためであるかもしれない。
ちなみに、そのような要因を排除した集団内の分析では、相関はほとんど、あるいはまったくなかった。つまり、疫学的事実は示唆的であるが、それで減塩を正当化しているわけではない。
高血圧者の減塩効果
重症高血圧者では減塩による血圧低下は著しいが、軽症高血圧者では、少々の減塩では血圧はほとんど、またはまったく変化しない。減塩による血圧低下は治療前の血圧の高さに関係している。
正常血圧者の減塩効果
減塩は高血圧症の発症を予防し、加齢による血圧上昇速度を低下させると、減塩推進者は主張するが、男性ではその事実はほとんど、またはまったくみられない。
降圧剤と食事(減塩)試験で異なった基準
降圧剤を採用するときには、効力試験と利益試験が行われる。
しかし、減塩主張者の(減塩)提案は利益試験をしないで導入するという異常ともいえる免責を与えられた。
この免責を正当化するために、減塩は降圧剤よりも本質的に有害な影響をあまり与えないと主張している。これは矛盾している。
一方で、過剰な食塩摂取量は有害であると主張しながら、他方で減塩は有害ではないと主張しているからである。減塩は高血圧者で利益があっても、妊婦や外傷、出血、下痢、ナトリウム損失性腎疾患、副腎不全の患者では有害であるかもしれない。
有害と有益のバランスは血圧値による
高血圧の治療薬が有益であるか、有害であるかは治療開始時の血圧値に依存している。中程度の高血圧治療に良いことは軽症高血圧者の治療でも良いとはいえない。
減塩決定の重要性と経済効果
減塩が決定されれば、食習慣や調理法を変えなければならず、食品産業は保存料や調味料として食塩に依存できないので、他の保存料を探し、毒性試験をする必要がある。それには時間がかかり、少しでも毒性があると減塩による小さな利益が消えてしまう。
減塩推進者は、懐疑論者の主張を聞いていると時間がかかり、その間に生命が失われると主張する。
しかし、利益試験が行われるまで、生命が失われているのか救われているのか、誰もいうことはできない。非常に重要な問題を比較的不正確な事実を基準にして決めることには賛同できない。
結 論
我々は減塩主張者に二つの点で同意する。食塩と血圧との間には多分、重要な関係があり、食塩は本態性高血圧症の原因になっているのであろう。また、特に重症高血圧者で減塩が血圧を低下させることにも同意する。
しかし、減塩食を食べられない患者もおり、食べられても血圧が低下しないこともある。減塩食は受け入れやすいとか、薬物よりもよぐ効くという理由だけでは勧められない。
減塩主張者に同意できない主な理由は、高血圧治療手段として、または高血圧予防手段として、減塩を勧告することを正当化する十分な事実がないのに、あると主張していること、高血圧で減塩の利益試験は不必要とし、それを計画しないこと、事実がないのに、減塩によって全集団が利益を得るであろうと主張していること、以上である。
さて、その後、減塩政策を進める上で都合の悪い研究報告が発表され、全国民に一律の減塩を勧めることに対する批判が多くみられるようになった。
確かな事実と安全性に基づいて進められるべき保健政策が、案外いい加減な事実認識と思い込み判断で進められている気がする。
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