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たばこ塩産業 塩事業版  2012.9.27

塩・話・解・題 90 

東海大学海洋学部 元非常勤講師

橋本壽夫

 

塩に関する海外マスメディアの報道 

 1.「消費者に誤った判断」−減塩政策に異議

 海外で進められている減塩による保健政策に対して、ジャーナリストや学者の意見がマスメディアに掲載されている。特にニューヨークタイムズ(NT)では意見、研究、健康、飲食といった欄への投稿がしばしば見られる。海外マスメディアの塩関連記事をシリーズで続けることとする。最初に201263日付けNTの日曜レビュー版の意見欄に投稿されたガリー・トーブスの記事を紹介する。

 国内の塩に関する報道については、熱中症への対策から盛んに塩を摂るように最近では報道されているが、一般的には一方的な減塩指向の報道が多く、その効果や逆効果についてはほとんど言及されていない。海外では減塩指向の報道もあるが、減塩を疑問視した報道や、逆効果が逆効果となるため警告を発する報道もあり、メディア上で論争を行って読者に情報を提供している。

その辺りをこれまで「食塩と高血圧に関する海外の報道」のシリーズ記事として約20年前の本紙に9回にわたって掲載してきた。海外では塩、特に減塩政策に対してどのように報道されているか、改めて紹介していきたい。

 

トーブスが一律の減塩政策に疑義

紹介する筆者・トーブスは科学系の雑誌に物理的な問題、最近では医学、栄養関係の記事を投稿している。

少し古くなるが、アメリカの科学雑誌サイエンス(1998814日号)に論文“The (Political) Science of Salt”「塩の(政略的な)科学」を発表した。その中で『減塩すると血圧が下り、長寿で健康な生活を送れる、というメッセージは30年間、国立心臓・肺・血液研究所と国民高血圧教育プログラムおよび36医療機関と6連邦機関が合同で発信し続けてきた。高血圧を患っている何千万人ものアメリカ人だけでなく、減塩によって誰もが心疾患や脳卒中危険率を減らせる。政府のガイドラインは現在の平均塩摂取量よりも4グラム少ない6グラムを一日許容量として勧めている。政府は何十年間もの間、健康を害する物として塩を非難してきながら、塩がそうではないと疑いをはらす努力は何もしてこなかった。減塩の利益に関する論争は今でも続いており、全ての医学の中でもっとも長い期間、もっとも激しく、現実離れした論争の一つである』と述べて、減塩政策に疑問を持ち、過去の研究成果をレビューし、一律の減塩政策に対する不当性を述べた論文を発表。1999年に科学著述者協会の社会ジャーナリズム科学賞を与えられた

トーブスの報道記事

 トーブスは、NTに投稿した記事で以下のように書いている。

◇       ◇        ◇

 

「高血圧の原因」には根拠がない

1998年に、減塩が推奨されて25年過ぎた塩の科学の状態を1年間調べる仕事に携わった時、雑誌編集者や公衆保健管理者は、塩が高血圧の原因であると説明する事実には如何に根拠がないか、と非常に率直に評価していた。塩が有害であるという事実がないだけでなく、過去2年間に発表された研究からの事実は、大量に減塩すれば早死が増えるという予測が大きくなることを示唆した。簡単に言えば、アメリカ農務省や疾患予防管理センターが推奨するほどに減塩すれば、自由に食べているよりも害がある可能性が生じてくる。

 どうして塩がそんなに有害であると言われてきたのであろうか?減塩勧告は何時も合理的なように思えた。栄養学者達が“生物学的にもっともらしい”と言っていることである。より多くの塩を食べれば、血液中の塩濃度を一定に維持するために、体は水を保持する。このため、塩辛い食品を食べれば、喉が渇き易い。水を多く飲めば、水を保留する。その結果で一時的に血圧が上昇し、腎臓が塩と水の両方を排泄するまで血圧上昇は続く。

 科学的な疑問は、この一時的な現象が慢性的な問題に変質して行くかどうかである:何年間も多くの塩を食べ過ぎると、血圧が上昇、高血圧になり、その後、脳卒中になって若くして死ぬのであろうか?それはなるほどと思えるが仮説に過ぎない。仮説が真実であるかどうかを明らかにするために科学者は実験をする。

 

矛盾した研究成果 仮説から事実に

 1972年、国立保健研究所が高血圧予防に役立てるために国民高血圧教育プログラムを導入した時、高血圧予防に効果のある実験はまだ行われていなかった。塩と高血圧とを結び付ける一番の証拠は2件の論文であった。1件目はほとんど塩を摂取しない集団は実質的に高血圧にならないと言う観察であった。しかし、それらの集団は多くの物、例えば、砂糖も食べておらず、それらの物質のいくつかの物は高血圧の原因となる要因であった。2件目は高塩食で高血圧を確実に発症させる“塩感受性の”ラット株であった。これらのラットの“高い塩摂取量”は平均的なアメリカ人が摂取するよりも60倍も多いことが罠であった。

 減塩運動の主導者である心臓病学者のジェレマイアー・スタムラーから引用した1967年と1981年の2つの論文のデータは、公的には“結論を出せない矛盾したもの”または“一貫性のない矛盾したもの”であったことを研究者達はうすうす認識していたが、塩と血圧との関係は仮説から事実へと格上げされた。

 その後数年間に、アメリカの国立衛生研究所(NIH)は仮説を確認する試験研究に莫大な費用を費やしてきたが、それらの研究は事実を一層結論的にすることは明らかにできなかった。その代わり、今日減塩を勧めているアメリカ農務省、医薬研究所、疾患予防管理センター、NIHはすべて基本的に30日間の塩試験と2001年のDASH‐ナトリウム研究からの結果に依存している。かなりの減塩は血圧を中程度に下げることをその結果は示唆していたが、減塩が高血圧症を減らし、心疾患を予防し、または寿命を伸ばすかどうかについては何も言わなかった。

 1972年のニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンの論文では、塩摂取量が少ない人ほど、腎臓から分泌されるレニンと呼ばれる物質の量が多いことが報告された。レニンは心疾患の危険率を増加させる症状を生理学的に誘発する。このシナリオでは、減塩すればより多くのレニンが分泌され、心疾患になり、早死にする。

 

心疾患患者、死のリスク高まる

ほとんど誰もが減塩で予測される利益に焦点を置いているので、潜在的な危険性を見出すための研究はほとんどされてこなかった。しかし、4年前にイタリアの研究者達は一連の臨床試験からの結果を発表し始めた。それらの全ては、心疾患患者では減塩は死の危険性を増加させると報告した。

 それらの試験は多くの研究で追試され、政府の政策が“安全な上限”と見なしている所まで減塩することは、良くするよりも悪くすることを示唆している。これらは30カ国以上で10万人の人々に当てはまっており、時間が経っても塩摂取量は集団間で著しく安定していることを示した。例えば、アメリカ合衆国では40年間、減塩運動を続けてきたにもかかわらず、この50年間で一定のままであった。これらの集団の平均塩摂取量(通常の塩摂取量と言われている)は1日当たり茶さじ1.5杯分で、連邦当局が50歳以下の健康なアメリカ人にとって安全な上限と考えている量のほぼ50%以上で、そんなに若くもなく、健康でない人々に政策が勧告している量の2倍以上である。集団間でも時間が経過しても、塩摂取量が変わらないことは、塩摂取量が食事の選択ではなく、生理学的要求によって決められることを示唆している。

 減塩運動に反対する人は食品産業界のサクラで、減塩が命を救うことについては関心を持たない、と言うことによって減塩運動の支持者はこの矛盾した事実を取り扱いがちである。公的に議論するため、塩に関する科学が産業界に有利なように作用していた1998年に引き戻して、NIHの管理者は私に語った。“メディアで塩論争が続く限り、減塩推進者は勝つ”

 

「事実」を無視して進められた減塩

 農務省、食品医薬品局を含むいくつかの機関が(減塩すべきか否かとは別に)アメリカ人にどのようにして減塩を進めさせるかについて議論するため、昨年の11月に公聴会を開催した時、低塩食による障害を示唆している最近の研究報告は全く無視すべきである、と減塩支持者は主張した。疫学者でDASH‐ナトリウム試験の共著者であるローレンス・エイペルは“本当に新しい物は何もない”と言った。1980年代以来、減塩食を勧めてきた心臓病学者のグラハム・マグレガーによると、それらの研究は我々を少し挑発して小さな苛立ちを起こさせた以外の何ものでもなかった。

 一般的に信じられていることに反して行おうとする研究は、一般的に信じられていることに反して十分に行おうとする根拠を無視すべきである、というこの態度は、何十年もの間減塩運動の規範であった。おそらく、今や一般的に信じられていることは変えられるべきである。進化論支持のダーウィン信奉者として知られるイギリスの科学者で教育者のトーマス・ハックスレイは、1860(筆者注:ダーウィンが「種の起源」を発表して7ヵ月後の18606月末にオックスフォード大学自然史博物館で進化論を巡って論争が行われた)に進化論を戻すのが一番良いのかもしれない。“私の仕事は、私の熱い願望が事実と一致していることを教えることで、事実を私の熱い願望と一致させようと努めて、一致させることではない。”と書いた。

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 以上、トーブスが寄稿した内容である。「塩と血圧との関係は仮説から事実へと格上げされた。」と書いているように、事実と思われていることでも原典に遡って調べてみると全く事実ではなく、そのため消費者に誤った判断をさせた、として原点に帰るべきであることを示唆している。