たばこ塩産業 塩事業版 2004.04.25
Encyclopedia[塩百科] 33
(財)ソルト・サイエンス研究財団専務理事
橋本壽夫
「醤油と塩」の世界
塩は醤油を造る原料の一つである。醤油にもいろいろと種類があり、使われる塩の量も変わる。しょうゆ情報センター(http://www.soysauce.or.jp/)から入手した資料に基づき解説する。50人以上にわたる著名人の醤油に関わるエッセイを「しょうゆ讃歌」として二巻にまとめた書籍もあり、非売品なので書店で入手できないのが惜しまれる。醤油にまつわるエピソード、歴史、食文化、使い方、地域性など多岐にわたった話題が盛込まれている。最近では「しょうゆ味の思い出」を公募してまとめたエッセイ集が販売されている。「しょうゆ讃歌」の中から醤油についていくつかの話題も紹介する。
味噌から派生した調味料−醤油の原点とその歴史
醤油は中国から伝わった「醤」が原点であると言われている。日本では醤を「ひしお」と読み、塩蔵品の一種に当たる塩漬醗酵品を意味した。古くから食品の保存に塩が使われてきたが、醤で言えば原料の種類で3種類に分けられる。
野菜を原料にしたものを草醤(漬物の原形)という。魚、肉を原料にしたものを魚醤または肉醤
(塩辛、秋田の「しょっつる」や能登の「いしる」の原形)という。穀物を原料にしたものを穀醤という。
建長年間(1249〜1255) に覚心という信州の禅僧が宋に渡り、径山寺からなめ味噌の製法を持ち帰り、紀州でこの作り方を教えたのが金山寺味噌の起こりとされている。その製造過程で、桶の底に溜まった液が煮物の味付けに良いことがわかり、溜醤油の原型となった。醤油は「醤の油(液汁)」の意味で、味噌から派生した調味料である。
この字が初めて使われたのは慶長2年(1597)に刊行された「易林本節用集」の食服の項であり、醤油は日本人の発明品であるという。
食生活の変化など影響−出荷量と世帯の購入量
しょうゆ情報センターのパンフレットによると、醤油の出荷数量は1970年代から80年代まで年間120万キロリットルであったが、それ以後少しずつ減り始め、2000年では105万キロリットルである。
その代わり、めん類等用つゆの出荷量が次第に増え、2000年で16万キロリットルになっているので、合わせるとほぼ120万キロリットルは維持されている。
しかし、家庭で購入される数量は世帯当たり年間23リットルあったものが2000年では9リットルまで低下している。
しょうゆ風調味料やつゆ・たれ類の普及、外食利用の食生活の変化、減塩運動、所帯当たりの家族数の減少などが影響しているのであろう。
国内の出荷量が低下している反面、海外への輸出は数十カ国におよび、日本企業が海外で生産している量は1975年の8千キロリットルから2000年には18万キロリットルにまで増え、年々増加の一途をたどっている。
ヘルシーな日本の食文化が世界に普及するにつれて、醤油の消費量も益々増えるであろう。
各地に根付く独自の品種−色や製法から5分類に
醤油は色や製法から大きく5種類に分けられる。それらの製造数量割合を図1に示す。濃口醤油が圧倒的に多く、8割以上を占めている。一般的に調理でも食卓でも幅広く使われる万能調味料である。色は濃いが塩分濃度は16%である。関東では秋刀魚やかつおなど、臭いくせのある青っぽい体の魚が好まれる傾向にある。こうした魚の煮付けには、色も濃く香りも高い濃口醤油が求められた。
淡口醤油は播州龍野で生まれ、色は薄いが塩分濃度は高く18%ある。関西で好まれて使われている。瀬戸内の魚はタイやカレイ、ハモといった白身の魚が多く、これらの材料の持ち味を生かす調味料として淡口醤油が発達したという。素材の持ち味を生かすために、色や香りを抑えた醤油で、素材の色を美しく仕上げる炊き合わせ、ふくめ煮などの調理につかわれる。昔から「香りの濃口、旨味の淡口」と醤油の風味は表現されている。
溜醤油は主に中部地方で作られる色の濃い醤油である。トロ味と濃厚な旨味、独特な香りが特徴である。寿司、刺身などに使われるほか、加熱するときれいな赤みが出るため、照り焼きなどの調理用、佃煮、せんべいなどの加工用に使われる。
再仕込醤油は山口県を中心に山陰から九州地方にかけての特産品である。食塩水の代わりに醤油で仕込むため「再仕込み」と呼ばれる。色・味・香りとも濃厚で、刺身、寿司、冷奴などに使われる。
白醤油は愛知県で生産されている淡口醤油よりさらに淡く琥珀色の醤油である。味は淡白ながら甘味が強く、独特の香りがある。色の薄さと香りを生かした吸い物や茶碗蒸しなどの料理のほか、せんべい、漬物などに使用される。
これまでに述べた種類とは違う範疇に減塩醤油がある。これはイオン交換膜電気透析法で塩分濃度を通常の醤油の半分以下にした製品で、腎臓疾患などの病人用に開発されたものである。
圧倒的に多い本醸造−製造に塩が年間約20万トン
醤油の製造には塩が年間約20万トン使用され、食品関係の用途別使用量では水産加工にほぼ匹敵する位の量である。生産方式別では図2に示すように本醸造が圧倒的に多く80%を占める。新式醸造では諸味を醗酵したのち熟成・圧搾して得た生しょうゆにアミノ酸液を加えてさらに熟成・火入れをして製品にする場合と、諸味にアミノ酸液を加え熟成・圧搾して新式生しょうゆを作り、火入れ製品とする場合がある。
濃口醤油と淡口醤油の本醸造方式による製造法をそれぞれ図3と4に示す。両者の大きな違いは、淡口醤油では製品の色を淡くするために食塩の量を多くすることと、味をまろやかにするために、米から麹を作り糖化してできた甘酒を熟成した諸味に加えて圧搾することである。
話題一杯「しょうゆ讃歌」−数々のエピソードを紹介
「しょうゆ讃歌」には醤油に関する多くのエピソードが綴られている。そのいくつかを紹介する。関西の淡口醤油と関東の濃口醤油の色の違いで、うどん汁の色の違いから関東の人は物足りなさを感じたり、関西の人は真っ黒で気持ちが悪く食べられなかった話。板のりに醤油を掛けてご飯の上に乗せただけの海苔弁当が美味しかった思い出。ご飯に醤油をかけて食べる楽しみ。飯盒炊飯のとき中蓋で醤油飯を炊き、それをおかずにして飯盒のご飯を食べる美味しさ。海外に出て初めて気付くしょうゆ味文化の偉大さ。フライやコロッケ、カレーにかけるのは醤油かソースか。等々、人それぞれの醤油に対するいろいろな思い入れが語られており、興味深いものがあった。醤油のことをむらさきというのは、ショウユのシが死に通じるので、お目出度い席の忌み詞になっているためである。などは初めて知った。
最後に、ブライアン・バークガフニ教授(長崎総合科学大学)の「醤油のこころ」から印象に残った部分を以下抜書きしよう。
大豆を原料にしたその他の食品に初めて遭遇したときも、同様に(注:前文で豆腐、納豆のことが記載されている)、あまりかんばしい印象を受けなかった。味噌はまるで古靴のような匂いがしたし、湯葉はプラスティックのように、きな粉はちょうどノコくずのように見えた。そしてオカラは、出がらしとなったコーヒーかすを漂白したものにちがいないと思った。だから私は、日本人がこれらの食べ物をおいしいと思い、大豆を最も重要な蛋白源の一つとして重宝しているということが、どうしても信じられなかった。しかし時が、そして慣れが、すべてを変えてくれた。固く閉じていた私の味覚のつぼみが次第にほころび、開いていったのである。(中略)
大豆製品の中で唯一、最初から私が何の抵抗もなく受け入れることができたのは醤油だった。初めて舌に振れた瞬間、私はわき立つような喜びを感じ、これこそ究極の調味料だ、と思った。濃いのにまろやかで、風味に富んでいるのに名状しがたいほど繊細だった。
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