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ほとんどのアメリカ人は多過ぎる塩を摂取しているか?

塩摂取量を巡る不健全な論争

Do Most Americans Consume Too Much Salt?

The Unhealthy Controversy Over Salt Intake

By Geoffrey Kabat

Forbes 2016.04.27

 

 “確かに医学は今までに簡単で特許を受けてない分子(訳者注:塩のこと)の健康効果を明確にするよう処理して来たか?”Abigail Zuger,ニューヨーク・タイムズ、2001.01.09

 International Journal of Epidemiologyに発表された“どうして我々が知っていることを知ろうと思うか?”と題する最近の論文は医学と公衆衛生における長く続いている論争に劇的な光をあてた。しかし、その発見には広い意味がある。どのように塩摂取量が健康に影響を及ぼすか、減塩は心臓血管疾患や脳卒中の危険率や総合的な死亡の危険率を下げるかどうかと言う疑問に関するエビデンスを著者らは調べた。これをするために、彼等は主な研究、レビュー、医療機関によるガイドラインや同意声明を含む文献を総合的に調べた。

 彼らが知ったことは塩摂取量の健康効果に関する文献は対立していることであった。現存する研究の大多数は“塩仮説を支持しているが、実質的な少数は支持していない。”どちらの研究が論文やレビューで引用されているかを著者らが調べた時、疑問のどちら側についても、報告書は自分達の立場を否定する論文をあまり引用したがらないことを知った。結局、話題のレビューで、主要な研究が引用されていることにほとんど矛盾はなかった。

 “この特別な論争の基調となる引用パターンは示唆していることは、科学委員会が論争事項に関してデータに基づく同意に達する協力的な努力をしていないで、その代わり二つの立場に分かれているように思える。”と著者らは結論を下した。

 著名な科学者達の論文に関するコメントをジャーナルが求めた時、意見の相違が再び顕著に明らかになった。

 意見を求められた一人の科学者は誘いに応じて次のように述べた。“論文は…くだらない…減塩に反対する論文の大多数はちょうどタバコ産業のように食品業界や塩業界から財政援助を受けており、真実とは思えない…減塩は関係ないだろう。”

 反対の立場に立ちながら減塩効果を信じない立場の食品産業界の意見を反映して発表されたコメントは、減塩効果(中程度から低い量まで)についての実際のエビデンスは結論に達していない、と結論を下している。

 スタンフォードの統計学者John Ioannidisの第三のコメントは後退し、論争の解析に何らかの厳格さを持ち込むことを試みるものであった。彼のコメントは“塩とエビデンスに関する意見の非難”と呼ばれる。業界は有利にエビデンスを歪曲することをIoannidisは良く知っているが、強力な忠誠と偏見を持っている学者間の偏見は“時には財政的援助よりも悪い”と彼は指摘している。彼は自明なエビデンス(その中には何らかの形で“本当の答え”がある)として非常にしばしば無批判に考察されていることに批判的な目を向けている。

   その主要なエビデンスとそのコメントや解釈がどのように蓄積されてきたかはソーセージ作りに似ている。どのような研究を行なうのかをどのようにして決定するか、どのようにして研究が行われたか、どのように報告されているか、どのように解釈されているか、どのようにレビューアーや編集者に見られているか、そして研究が彼等の世界の意見に合わなければどのように拒否されるかについて不思議に思うとき、私は躊躇し、解析、結果、必要な引用文献や解釈におけるどのような変化が出版条件として編集者やレビューアーによって潜在的に押し付けられる。しばしば出版された観察的な疫学が疫学者の意見の力を加重した投票数を単に反映しているのだろうかと思う。

 医学では一般的に黄金の基準と考えられている臨床試験の結果の総合的なレビューでさえもそのような論争を解決できないとIoannidisは主張する。ここにもレビューを行うときの偏向は結論に影響を及ぼす。結論には何の研究を選んだか、何の統計モデルを使ったか、研究するためにどんな結果を選んだか、等々が含まれる。

 健康に関する減塩の効果についての研究に関して必ずしも全ての研究が同等ではない。さらに、誰にでも同じように塩に反応する訳ではない。高ナトリウム摂取量が健康に悪いことにはほとんど議論がない。しかし、塩と高血圧について研究を続けてきた疫学者によると、減塩要求はある人々には有益な効果があるかもしれないが、他の人々には有害かもしれない。中程度からもっと低い塩摂取量への減塩を支持するエビデンスは簡単にはなさそう。少ないことが必ずしも良いことではない。むしろ、微量栄養素(セレン、鉄、ビタミンC、ベーターカロチン、など)に関する多くの事例のように、低過ぎない、高過ぎない中間の範囲がしばしばある。そこが最適値だ。

 結局、塩論争は多くの出版物の一例に過ぎず、沸き起こって来る重要な疑問は物事に対して単純化された両側の解決法を邪魔した。Ioannidisが強調するように、もしかすると何百万人もの生命がこのような公衆衛生論争で危うくなっている。他の物では喫煙代替物としての湿った低カルシノゲン無煙タバコや電子シガレット使用の効果、除草剤グリフォセイトBPAや環境における他の化学薬品からの潜在的な害、そして抗鬱薬の有益な効果対有害な効果がある。

 したがって、人々が好む研究を採用し、総括的な政策を立案するためにそれらを使うことよりもむしろ、存在するエビデンスが如何に良いかと言う批判的な意見を持って、人が感じる対立した文化に欠けていることで強いて態度を取らせることになるように思われる。

多くの複雑な科学的疑問は簡単なイエス/ノー、善/悪の二者択一に必ずしも役立たないことを忘れてはいけない。